第17話 5歳児と剣術
同年代の遊び相手ができて毎日を楽しく過ごしているうちに、私はあっという間に5歳になった。
「坊ちゃま~っ! 朝ですよ~っ! 起きてくださ~い!」
いつもより早く起こしにきたリドリーちゃんの声に私がいつものヴァンパイア起床を決めようとすると、いつの間にかベッドに潜り込んでいたアイリスが抱きついてきて止められる。
「ん……ノエル、もう少しだけ……」
ここ1年ちょっとでグッと中身が大人っぽくなったアイリスは、私の身体に手足を絡ませて拘束してきた。
布団の中で内股を撫でてくるのとか、幼女のくせに変な教育を受けていてヤバい。
私はロリコンじゃないから大丈夫だけど、彼女の将来が本当に心配である。
なんでも彼女はイザベラさんとアリアさんから『男を夢中にさせる女の技』というのを教えてもらっているらしく、その成果なのか、5歳児のくせにアイリスはリドリーちゃんの3倍くらい色っぽかった。
女は化けるというが、アイリスはちょっと化けるのが早すぎると思う……。
そうして女性として急成長する婚約者に戦慄を覚えているうちにドアを開けて寝室へとリドリーちゃんが入ってきて、鼻歌交じりだった彼女はベッドで同衾するアイリスを見て柳眉を逆立てた。
「アイリス様っ! また坊ちゃまのベッドに潜り込んで! 淑女はそんなことしちゃダメって言ってるじゃないですかっ!」
貴族令嬢としてアイリスを教育しようとしているリドリーちゃんは激オコだが、朝に弱いアイリスは知らんぷりして、安眠を妨げるメイドさんにボソリと呟く。
「……そんなだからリドリーには恋人がいないのよ」
そしてなぜか私の婚約者様は毒舌に育っていた。
「んなっ!?」
幼女の口撃がクリティカルヒットしてリドリーちゃんが後ずさりする。
続けてアイリスは狼狽するリドリーちゃんに余裕たっぷりの流し目を向けた。
「まあ、安心なさい? もしもリドリーに嫁ぎ先がなかったら、その時はノエルの側室にしてあげるから」
勝手に側室の提案をされても抵抗できない私は既に尻に敷かれているのかもしれない。
当たり前のように正室ムーブをかます幼女に、リドリーちゃんはプンスカした。
「そんな気遣いは必要ありませんっ! 私だってその気になれば恋人の10人や20人くらい作れますからっ! 今は仕事が恋人なだけですからっ!」
恋人を10人も20人も作ったらスーパー悪女になってしまうと思うのだが、幼女と張り合う大人気ないリドリーちゃんは気づいていない。
そんなメイドさんとのやり取りにクスクス笑って、早熟なお姫様は私の耳元で囁いた。
「さあ、ダーリン? そろそろ起きましょう……それとも今は元気になりすぎて起きられないかしら?」
……アリアさんは子供に変な台詞を教えるのをやめてほしい。
いや、べつに幼女に内股を撫でられたところで5歳児の身体が元気になりすぎることはないのだが……空気を読んだ私は血液操作で赤くした顔を布団で隠した。
「……君は大人になりすぎだよ、ハニー」
念のために断言しておくが、私たちはまだ清い身体のままである。
アイリスもサキュバスに習ったアドバイスや技を実践しているというだけで、性に目覚めているわけではないのだ。
起き上がれなくなった芝居をする私のために、そこから先を教わっていないアイリスがリドリーちゃんへと指示を出す。
「それじゃあリドリー、残りのご奉仕をお願いしてもいいかしら?」
顔を真っ赤にしたリドリーちゃんは、サキュバスの真似をするアイリスの頭にチョップを入れた。
「そんなご奉仕は致しませんっ!」
「……リドリーもこの後を知らないの?」
「!? ししし知ってますしっ!!?」
「……知っているなら教えてほしいのだけれど? 私の予想が正しければ、この先にこそ子作りの秘訣があると思うの」
「絶対にダメですっ!」
子供の作り方を知りたがる幼女の純粋な好奇心が、最近の私たちの悩みである。
流石のサキュバスでも無邪気な子供の「赤ちゃんってどうやったらできるの?」には困っているらしく、アリアさんもイザベラさんも情報を秘匿しているせいで、アイリスは初対面の人にまで子供の作り方を聞くようになっていた。
……それを知るのは早すぎると思うよ。
◆◆◆
身だしなみを整えたあとリビングに降りると、ちょうどテーブルの上に朝食の準備が整ったところだった。
パンにサラダにフルーツが並んだ食卓はなんとも健康的で美しい。
アイリスが我が家に入り浸るようになってからというもの、イザベラさんは我が家の料理長として就任したため、私たちの食卓はさらにグレードアップしていた。
完璧なタイミングで配膳を終えたイザベラさんとセレスさんが、これまた完璧なタイミングで私とアイリスの椅子を引いてくれる。
イザベラさんが来てからというもの、セレスさんがやたらとやる気を出したこともあり、我が家のメイドの質は爆上がりしていた。
先ほどまでアイリスの髪を弄って遊んでいた姿が嘘のように、背筋を伸ばしたリドリーちゃんが私の背後へと無音で控える。
私は席へと腰を落ち着けたところで、優雅に父様へと挨拶をした。
「おはようございます、父様」
続けてアイリスも挨拶をする。
「おはようございます、義父様」
アイリスの呼び方に父様は大人の対応をした。
「二人ともおはよう……アイリス嬢、義父と呼んでもらえるのは嬉しいけれど、少し気が早すぎるんじゃないかな?」
「義父様、そんなことはありませんわ。私とノエルが夫婦となって既に1年以上も経っているのに、子供がいないのがおかしいくらいです」
5歳児で子供を作れるわけないのだが、そこらへんの性教育はまだ受けていないらしい。
それと念のために断言しておくと、私たちは婚約しているだけで結婚はまだしていない。
すでに夫婦になったつもりでいるアイリスの返答に、父様が朝から頭を抱える。
「この押しの強さ……間違いなくミストリアの末裔だ……」
そんなやり取りをしている間にステーキが山盛りにされた皿を持ってきた母様が、机の真ん中にそれを置いた。
母様はステーキの焼き方に並々ならぬこだわりを持っているため、ステーキだけは相変わらず母様が焼いていた。
「おはようございます、母様」
「おはようございます、義母様」
私たちの挨拶に母様はアイリスの頭を撫でながら答える。
「ああ、おはよう」
娘ができて嬉しいのか、母様はアイリスをめちゃくちゃ可愛がっていた。
この二人はけっこう気が合うらしい。
満足するまで幼女の頭を撫でた母様は、父様と私のお皿に1枚ずつ分厚いステーキを置き、アイリスと自分のお皿には10枚ずつステーキを乗せる。
「たくさん肉を食え」
「はい、義母様!」
そうして食事が始まると、アイリスは優雅に数十枚のステーキを平らげていく。
出会ったころはそれなりに食事量を加減していたみたいなのだが、私が「たくさん食べる女性は素敵だよ」と発言したあとから、彼女は遠慮なく食べるようになった。
「おかわりをお願いします!」
元気なアイリスの宣言に、母様が尻尾をフリフリさせながら応える。
「うむ!」
我が婚約者様の胃袋は、母様と同じレベルのファンタジーだった。
◆◆◆
美味しい朝食を食べたあと、私とアイリスは母様に連れられて裏庭へと出る。
アイリスの血を吸い始めてからというもの、これまでこの時間は父様から一般教養の授業を受けていたのだが、教えられる常識は一通り教え終わったということで、今日からは母様が教育をするターンになっていた。
父様の授業はそれなりに面白いものだったが、どうやら私の頭は面白いと思うものしか覚えられない作りをしているらしく、特定の分野の知識しか覚えない私に父様は「どうしてそんなところだけラウラに似たんだ!?」と何度も頭を抱えていた。
まあね、私ってば天才だからね?
貴族関係とか、都会の常識とか、興味無いことは覚えられないのだよ。
私が覚えられなかった知識については代わりにアイリスとリドリーちゃんが覚えてくれたから問題ないと思う。
そんなこんなで父様から色々と諦められて、本日から母様に教育がバトンタッチされたわけである。
父様によれば母様も常識を知らないらしいのだが、同類ならなにか教えられることがあるのではないかと、ダメ元で教育が行われることになったらしい。
そして3本の剣を持って裏庭に立った母様は、私たちへと施す教育内容を告げた。
「メルからお前たちに常識を教えろと言われたが……私が教えられるのは剣の常識だけだ。よって、これから私は剣術を教えることにする」
なるほど、母様はこの世界における一般的な剣術を教えてくれるということか。
「事前に言っておくが私はメルほど甘くないので、二人とも覚悟するように!」
「「はいっ!」」
元気に返事をする私とアイリス。
そして渡された剣の重さに、私は首を傾げた。
「あの……母様? これは刃引きのされてない真剣だと思うのですが……最初は木剣から始めたほうがいいのではないでしょうか?」
5歳児に真剣を渡した大人に訊ねると、彼女はあっさり首を横に振った。
「いや、木剣など使う必要はない。私も最初から真剣を使っていた……生まれ故郷を焼いた盗賊をアレして奪ったやつだから、その剣ほど質は高くなかったけどな」
……流石は異世界、剣を覚えるのも命がけである。
というか私は再生するからいいけれど、貴族令嬢であるアイリスに真剣を持たせるのは大丈夫なのだろうか?
そんな心配を他所に、母様はさっそく授業を始めた。
「それじゃあまずはノエルからだ」
「はい!」
まあ、いろいろと不安はあるものの、剣術を教わるというのは純粋にワクワクするので、私は元気良く返事をする。
なにしろ私は前世で剣術を習ったことがあるのだから、今こそ転生チートで婚約者にいいところを見せる時だった。
「ノエル、頑張って!」
「うん!」
そうしてアイリスの声援を受けた私が鞘から剣を抜いてなんとなく構えてみると、母様も剣を抜いて一言だけ命じる。
「来い」
「……はい?」
言葉の意味がわからず首を傾げる私に、母様は淡々と訓練内容を告げた。
「死ぬ気で来い、殺す気で来い……剣術とは命のやり取りの中でこそ磨かれるものだ」
そして大地を震わせる母様の殺気。
「あの……素振りとかは?」
「必要ない」
どうやら母様は超実戦的な指導をするつもりらしい。
リアルに地震を起こす母様の殺気にゾワゾワしながら、私は説得しても無駄なことをなんとなく察し、覚悟を決めて死ぬ気で斬り掛かる。
「おりゃああああああああっ!」
――スパッ。
そしてあっさり斬り落とされる私の両腕……。
血液操作で流れる血を抑えながら地面に落ちた腕を眺めた私は、冷静に母様へと突っ込んだ。
「……あのね、母様……訓練でこれはやりすぎだと思います……」
「ポーションも用意しているし、お前は再生するから問題ない」
……そういうものなの?
前世で剣術を習ったことがあるからって、異世界の剣術訓練を舐めてたよ……。
血液操作で斬れた腕を持ち上げた私は傷口に腕をくっつける。
吸血鬼特有の再生能力で瞬時に腕がくっつくと、母様は再び口を開いた。
「来い」
「えー……」
それから私は母様にひたすら斬り刻まれた。
たったの30分で100回以上も手足を切断された私は、泥だらけになって地面の上に転がっていた。
吸血鬼は呼吸も発汗も必要としない種族だから息は荒れていないけれど、普通の子供ならトラウマになるレベルのスパルタ教育だったと思う。
途中からはヤケになって、血液操作なんかも駆使しながら母様をヤリに行ったのだが、むしろ母様は嬉々として私を斬り刻むペースを早めていた。
最初の立ち位置から一歩も動かずに私を完封した母様は、死んだ魚の目になって青空を見上げる私へと剣術のアドバイスをしてくれる。
「うむ……ノエルにはまったく剣術の才能がない。お前は別の分野で強くなったほうがいいだろう」
「ええー……」
最初にもらったアドバイスは、まさかの全否定だった。
そりゃあ確かに自分が振るった剣で自分の足を斬ったりしていたけどさ……もうちょっと言い方ってあると思う……。
普通の子供だったら泣いてるよ?
そうして私の指導を終えた母様は、続けてアイリスへと目を向ける。
私が斬られるたびに殺気を膨らませていったアイリスは、今にも斬りかかりそうな血走った目で母様のことを睨みつけていた。
膨れ上がる彼女の殺気に呼応して青空が急速に曇っていく。
「くっくっくっ……いい目をしている。私の若い頃にそっくりだ……見てみろノエル、剣士というのはああでなくてはいけない」
愛娘のように可愛がっているアイリスからの殺気に、母様は本当に嬉しそうに口の端を吊り上げた。
尻尾もブンブン振られている。
そして身の危険を感じた私がその場から離れ、隅っこで青褪めて震えていたリドリーちゃんの元まで退避すると、母様は私の時とは違って心の底から楽しそうに開戦を宣言した。
「来いっ!」
その言葉と同時に消えるアイリス。
次の瞬間には、ガギンッ、と衝撃波が走り、母様とアイリスが生み出した剣圧によって曇り空が二つに割れる。
「はああああああああっ!! 死ねえええええええええええっ!!!」
「ははっ! いいぞ、アイリスっ! お前は抜群に筋がいいっ!」
そして目にも留まらぬ速さで訓練を始めた二人に、私は自分に剣術の才能が無いことを確信する。
「やべー……剣士やべー……」
踏み込みで大地がめくれたり、剣撃を飛ばしたり、空中を蹴って跳躍したりしているし、この世界の近接戦闘職はマジでヤバい!
これなら私に才能が無いというのも納得である。
完全に人外の動きをする二人を眺めて私は自分に剣士の適性がないことを確信した。
……ぜったいこの世界の剣士には喧嘩を売らないようにしよう。
血液操作や再生能力を駆使すれば私もそれなりに戦えるのではないかと思っていたけれど……こんな戦いに巻き込まれたら一瞬でミンチである。
異世界の田舎に生まれた以上、いつかはワイバーンを倒せるようにならなければ暮らしていけないのだが、どうやら剣の道でそれを目指すのはやめたほうがよさそうだ。
というか貴族令嬢のアイリスですらあんなに強いのだから、そろそろ私も本格的に強くなる方法を探したほうがいいのだろう。
そうして新たな課題を見つけた私の背後で、震えながらリドリーちゃんが呟く。
「……ら、ラウラ様に目を付けられなくて本当によかった……ありがとうございますマーサ師匠、アリア師匠……私は魔法拳闘士として生きていきます……」
リドリーちゃんも既に武の道を見つけているみたいだし、出遅れてる感が半端ない。
せめて婚約者を守れるくらいには強くなりたいし……今日から自己強化の方法を本気で探してみよう。
やはりPCの調子が悪い……。
更新が止まったら修理中だと思ってください。