第15話 ふたりだけの秘密
その日の夜。
アイリス嬢と同衾することになった私は寝室でリドリーちゃんに身体を拭いてもらい、お気に入りの夜着に身を包んだ。
こちらの世界には入浴の習慣がないらしく、寝る前に身体をぬるま湯で拭くのが一般的である。もしかしたら王都の貴族なんかはお風呂に入っているかもしれないが、少なくとも私が暮らすド田舎では浴槽すら見たことがない。
そうして髪の毛を整えてもらいながら、私がいずれ立派な風呂を作ろうと計画していると、リドリーちゃんに、ポンッ、と背中を叩かれる。
「はい、終わりましたよ。今夜はお姫様と添い寝するのですから、いつもより格好良くしておきました」
「ありがとう、リドリー」
渡された手鏡で確認してみると、眼帯をした顔は前髪が上げられていて、確かにいつもより男前になっていた。
「坊ちゃま、念のために注意しておきますが……いきなりキスとかしたらダメですからね? 物事には段取りというものがあるのですから!」
三歳児にそんな注意をするとか妄想力がたくましいメイドさんである。
「……そんなことしないよ」
チューチューはするかもしれないけど。
そして疑いの目を向けてくるリドリーちゃんから目を逸らしていると、寝室の扉がガチャリと開いてセレスさんが顔を出した。
「リドリー、教育の時間」
「…………はい」
死んだ魚の目になったリドリーちゃんがセレスさんに連行されていき、遠くの部屋から騒がしい声が聞こえてくる。
「――だからっ! なんで侍女が空間魔法なんて覚えないといけないんですかっ!?」
「――必要だから」
他にも「結界術」とか「精霊弓術」とか怪しい単語が聞こえてきたころ、再び寝室の扉が開かれて、今度はイザベラさんに連れられたアイリス嬢が入ってきた。
「のえる~っ!」
元気よく抱きついてくる婚約者様を私はポフッと受け止める。
彼女が帯びる神聖気によって私の身体は炎上するが、たびたび私が燃えるところを見てきたアイリス嬢は気にしなかった。
メラメラ燃える炎にも構わず抱擁を続けるアイリス嬢。
炎に焼かれる痛みと婚約者からの熱烈な愛情表現で私は変な扉を開きそうになる。
そんな私たちを優しく見守っていたイザベラさんは、寝室の灯りを消すと部屋の扉の前で一礼した。
「それではお嬢様、ノエル様……私は隣室におりますので、ご用があればお声がけください」
「うん!」
アイリス嬢が返事をすると、無音で扉が閉められる。
暗い室内は吸血鬼が燃える光に照らされて、どこか神秘的な雰囲気になった。
ロウソクになっている私としてはこれがロマンチックなのかどうかわからないが、少なくともアイリス嬢は蒼い瞳をキラキラさせている。
そうしてしばらく二人でノエルくんが燃える光を楽しんだあと、私たちは二人でベッドに入った。
布団を被り、2つ用意された枕にそれぞれ頭を沈めて、私たちは暗闇の中で見つめ合う。
光源の代わりになるかと思って私が手を差し出すと、アイリス嬢は迷わず私の手を握って二人の間に小さな炎が生まれた。
「こうすると綺麗だね」
「うん……」
揺れる光に照らされて微笑む婚約者は、幼女なのに幻想的な美しさを持っている。
そんな彼女に惹かれるように私は顔を近づけて、小声で彼女にいつものお願いをした。
「ねえ、アイリス嬢……君の血を吸わせて?」
私の願いに彼女は少し困った顔をする。
「あのね……それはだめなんだよ?」
「どうしてダメなの?」
普段よりも距離を詰めた私からの質問に、アイリス嬢は真剣な顔で答えてくれた。
「……この呪いは、すごく痛いの……わたしの血をすうと、のえるも痛くなっちゃうから……」
その言葉に、私は決意を固めた。
彼女の血を吸ったら神聖気に焼き滅ぼされるかもしれない。
もしくは創世神の呪いに魂を滅ぼされるかもしれない。
それでも彼女を救える可能性があるならば……私は自分の命でも賭けてみせよう!
まだ短い付き合いだが、このかわいい婚約者を守るためならば、それくらいしてもいいと思えた。
なに、魂が滅ぼされる可能性があるとはいえ、勝率は高いのだ。
私がこの地に転生したのが神の配剤ならば、きっとこの時のために私は生まれてきたのだから。
深呼吸して覚悟を完了させた私は、これまでずっと両目を覆っていたアイマスクを外す。
「ねえ、アイリス――」
彼女とはこれから最も親密な人生のパートナーになる予定なのだから、呼び捨てにしても許されるだろう。
「のえる……?」
そして小さな炎に照らされる中、初めて自分の両目をアイリスに見せると、彼女は小さく息を飲んだ。
「……お月さまとおなじいろ…………」
たとえ親しいハルトおじさんが相手でも、家族以外には決して見せるなと言われてきた私の瞳。
だけどいろいろと決意を固めた今ならば、彼女には見せても構わないだろう。
神聖な色の瞳を見て呆けるアイリスへと、私は小さく他の誰にも聞かれないように囁く。
「――君だけに僕の秘密を教えてあげる」
瞳の色を超える秘密があると悟った賢いアイリスは、ゴクリと小さい喉を鳴らした。
「……どんなひみつ?」
二人だけの秘密ができることが嬉しいのか、喜色を帯びた視線を向けてくるアイリス。
かわいい婚約者の耳元で、私はこれまで誰にも話したことのない秘密を打ち明ける。
「僕の魂はね……別の世界から来たんだ」
そして私は彼女の細い首筋へと、小さな牙を突き立てた。
◆◆◆
SIDE:リドリー
セレスさんと地獄の修行をしていると、私の耳に小さな悲鳴が聞こえてきました。
「――のえるっ!? ダメっ!!?」
アイリス様のものと思われる叫びに、私は『坊ちゃまがやらかしやがった!』と顔を青くしてセレスさんと並んで走り出します。
まったくあれほど釘を刺したのに……坊ちゃまは私のかわいいアイリス様になにをしたのでしょうか!?
もしもキスをしていたら玉を潰してやろうと思いながら寝室の前まで辿り着くと、そこでは既に屋敷の中にいたイザベラ様とラウラ様、メルキオル様が入口の前に立っていて、寝室の中を覗き込んでいました。
珍しく顔を真っ青にする三人の様子を不思議に思って私も寝室の中を覗くと、そこでは床の上に坊ちゃまが蹲ったまま燃えていて……
「坊ちゃまあああああああああああああああっ!??」
わりとヤバい状況だと判断した私は、先ほど教わったばかりの空間魔法で食料保管庫へと転移して、再び寝室へと転移しながら、引っ掴んできた血液壺を坊ちゃまへと全力でぶっかけました。
「せやああああああああああっ!」
練習の時はまったく上手くいかなった魔法でしたが、火事場の馬鹿力というやつなのか、運良く転移魔法は成功してくれました。
黒焦げになっていた坊ちゃまが血液を吸収してメキメキと再生していきます。
他の皆さまが呆然としている中、坊ちゃまの奇行に最も慣れている私は、いまだ内側から炎を吐き続ける坊ちゃまへと説教しました。
「もうっ! 私がいないところで危ない修行をしてはダメじゃないですかっ! 坊ちゃまはすぐ死にそうになるんですからっ!」
「……ご、ごふっ…………ごめん、リドリー……思った以上に神聖気が強かったんだ……」
「私への謝罪よりも先にアイリス様に謝ってください! 怯えて泣いてるじゃないですかっ!」
そうして私が泣きじゃくるアイリス様を抱き寄せると、ようやく身体の中から炎が吹き出さなくなった坊ちゃまは立ち上がって、アイリス様へと頭を下げます。
「ごめんね、アイリス……だけどほら! 僕は君の血を吸っても大丈夫だったよ!」
しかしすぐにいつもの調子を取り戻して胸を張る坊ちゃまに、私は拳骨を振り下ろしました。
「いたっ!?」
マーサさん直伝の鉄拳で坊ちゃまを床へと沈めた私は、続けて膝を曲げて、首筋に2つの穴を開けたアイリス様と目線を合わせます。
「申し訳ありません……坊ちゃまがムリヤリ血を吸ったのでしょう? 怖かったですよね?」
坊ちゃまを見つめて呆然自失としているアイリス様に私は謝罪しますが、しかし心根が女神のように優しいアイリス様は、激しく首を横に振って坊ちゃまをかばいました。
「……のえるはわたしの呪いをすってくれたの……ほらっ! これっ!」
そう言ってアイリス様が突き出してきた右手の指先は確かに爛れた肌が健康なそれに戻っていて……私はジト目を向けてくる坊ちゃまへと親指を立てました。
「よくやりました!」
「リドリー……君ってやつは……っ!」
どうしてそうなったのかよくわかりませんが、坊ちゃまはアイリス様の呪いを解こうとしていたみたいです。
修行が目当てだと勘違いして拳骨をかましてしまった私は、坊ちゃまの頭を撫でて証拠の隠滅を図りました。
大丈夫、大丈夫。
坊ちゃまは吸血鬼ですから、タンコブもすぐに治りますって。
そして私が坊ちゃまの呆れた視線から顔を背けていると、背後で青くなっていた皆さまが動き出して、勢いよく坊ちゃまへと群がりました。
「ノエル様っ!? 身体は大丈夫なんですか!??」
「呪いの影響は!?」
坊ちゃまの身体を触って確かめるイザベラ様とメルキオル様。
「とりあえず服を脱がせ! 全身を確かめろ!」
最後にラウラ様の号令が響き、坊ちゃまが強制的に脱衣させられます。
そうしてパンツ一丁になった坊ちゃまを眺めて、私のとなりでセレスさんが声を震わせました。
「お、驚いた……創世神の呪いを取り込んだのに……無事でいる者がいるなんて……」
坊ちゃまの身体は特に変わった様子もなく、血まみれになっている以外は健康そのものです。
「吸血鬼は呪いに強いと聞いたことがありますから、変人な坊ちゃまは変わった呪いにも強いんじゃないですかね?」
私が適当に思ったことを口にすると、セレスさんはバカを見る目を私に向けました。
「……これはそんな簡単な話ではない」
どうやら難しいお話のようなので、私は自分にできることをするために、再び空間魔法で血液壺を取り寄せておきます。
「……できるようになったんだ?」
「はい、さっきのでコツを掴みました」
今度は呆れた視線を向けられましたが、セレスさんから「よくやった」と褒められたので良しとしておきましょう。
そうして大人たちに囲まれて慌てる坊ちゃまへと、私はアイコンタクトを送りました。
――準備できましたよ、坊ちゃま。
――流石リドリー、僕のことよくわかってる!
そんなやり取りを視線で交わすと、坊ちゃまは半裸のまま大人たちの中から抜け出します。
「とにかく! 創世神の呪いは効かないみたいだから! 僕はアイリスの呪いを吸いまくるからね!」
絶句する大人たちを置き去りにしてアイリス様の前まできた坊ちゃまは、優しく微笑みました。
「そんなわけで、アイリス……君の血を吸わせてくれるかい?」
見た目だけは絶世の美男子なのですが、血まみれでパンツ一丁なのが残念です。
しかしそんな坊ちゃまの奇行にも、清らかな心を持つアイリス様は耳まで真っ赤にして頷きました。
「……う、うんっ!」
許可を得た坊ちゃまは、すぐさまアイリス様の首へと噛みつきます。
「あっ……!?」
アイリス様が色っぽい声を出したあと、坊ちゃまは「うぐっ」と胸を押さえて、身体の中から激しく炎を吹き出しながら床の上をゴロゴロしました。
興味のある修行法を見つけたら、限界まで修行を続けてしまうのが坊ちゃまの悪癖です。
どうせ止めてもアイリス様の血をまた吸うと思って、私は血液壺を用意していました。
そうして内臓を焼かれて苦しむ坊ちゃまに血を飲ませながら、私は坊ちゃまへと熱視線を送る乙女の姿をチラ見します。
「…………のえるっ!」
あー……うん。
これは完全にオチましたね。
呪いが引いた指先を胸元で握りしめながら坊ちゃまを見つめるアイリス様は、完全にメスの顔をしていました。
言動はアレですが、美男子が自分を救うために痛みと戦っているのです。
そんな姿を見せられて惚れない乙女など存在しないでしょう。
本人は自覚していない様子ですが、意外と坊ちゃまは女たらしだったようです……。
「アイリス、もう1回おねがい!」
「――はいっ!」
そして大人たちが呆然と見守る中、パンツ一丁で床をゴロゴロする小さな主に、私は心の中で祝福の言葉を送りました。
――おめでとうございます、坊ちゃま……あなたは完璧に王女殿下のハートを射止めましたよ……。