第14話 婚約者がいる日常
アイリス嬢と婚約することになった。
最初は父様が反対していたみたいだけど、最終的にハルトおじさんに押し切られて婚約することになったらしい。
私としては大賛成である。
アイリス嬢は将来有望だし、前世で結婚できなかった身としては婚約者とか憧れる。
むしろアイリス嬢が嫌がらないかと心配だったが、意外と彼女も乗り気だった。
彼女はまだ三歳児だから婚約の意味を知らないのだろう。
まあ、貴族の婚約なんて解消されることもよくあると聞くし、今は幼馴染ができたことを喜んでおこう。
そんなわけで私の日常には婚約者の幼女と遊ぶイベントが追加されたのだが、目下の悩みは彼女が血を吸わせてくれないことだった。
「こんにちは、アイリス嬢。どうか君の血を吸わせて欲しい」
昼食後、婚約者の家の前で吸血鬼らしい挨拶をする私へと、かわいい幼女が短く応える。
「やっ!」
私が差し出した花を受け取ってゴキゲンのアイリス嬢だが、彼女の答えはいつもと変わらず断固拒否だった。
出会い頭に吸血を申し出た私の頭へと、リドリーちゃんのチョップが落とされる。
「坊ちゃま、挨拶代わりに吸血しようとするのはやめてください! もの凄く変態っぽいですから!」
「だけどアイリス嬢の血はとっても美味しそうなんだ!」
もちろん熟練度的な意味で。
「おいしそうなんて……はずかしい」
私の言葉を褒め言葉と受け取ったのか、アイリス嬢が頬を押さえてクネクネする。
う~む……友好度的な面ではイケると思うのだが……どうしてアイリス嬢は血を吸わせてくれないのだろうか?
彼女たちがうちの領に引っ越してきてから2週間、私はまだ一滴もアイリス嬢の血を飲めていなかった。
そうして修行の進展がないことに私が悩んでいると、家の奥から上品に歩いてきたイザベラさんがお辞儀する。
「いらっしゃいませ、ノエル様、リドリー様……それでは今日もレッスンを始めましょう」
「…………はい」
教育熱心なイザベラさんにさっそくリドリーちゃんが連行され、私とアイリス嬢は二人きりになった。
リドリーちゃんのメイド教育はイザベラさんとセレスさんが1日2時間ずつ行うことになったらしく、この時間はイザベラさんの担当である。
ときどきナイフやフォークを人形に向かって投げていたり、テーブルクロスで戦う方法なんかも学んでいるのが謎だが、リドリーちゃんは教えた知識をスポンジの如く吸収しているらしくイザベラさんとセレスさんもしきりに褒めていた。
リドリーちゃんはやればできる子なのだ。
家の奥から修行に励むメイドさんの元気な声が聞こえてくる。
「――だからっ! なんで侍女が暗殺術なんて覚えないといけないんですかっ!?」
「――必要だからです」
そして他にも「毒薬の調合」とか「ピッキング」とか危険な用語が聞こえ始めたころ、私はアイリス嬢から手を引っ張られた。
「のえる、あそぼ?」
恐る恐るといった感じに話しかけてくる美幼女様に、私は笑顔を向ける。
「うん、今日は何して遊ぶ?」
彼女も私に血を吸わせないことを申し訳なく思っているらしく、最初はこんなやり取りをするのが日課になっていた。
アイリス嬢を不安にさせているみたいなので、血を吸うことは言わないほうがいいのかもしれないが……彼女の身体を蝕む呪いを吸い出すためにも私は吸血が必要だと思っている。
婚約をする前に、私は父様とハルトおじさんからアイリス嬢の容態を聞いていた。
このまま放置すれば10歳になる前に死んでしまうという彼女を救うためにも、呪いを吸い出すことは必要なのだ。
幼女の皮膚が爛れている姿は痛々しいものがあるからね。
治療できるならばそれに越したことはないだろう。
父様とハルトおじさんからはキツく『吸血してはいけない』と釘を刺されているが、婚約者を救うためならば少しくらい言いつけを破ってもいいと思う。
なにより吸血鬼である私ならそれが可能なはずなのだ。
セレスさんから借りた吸血鬼の特性について書かれた本の中には、吸血鬼は呪いや邪気に強い耐性を持っていると書かれていた。
さらに迷宮都市などでは呪いを吸い出して治療する『解呪屋』なんて職業をやっている吸血鬼まで存在するらしいため、私の予想はそれほど的外れでもないだろう。
血を吸うことで私はアイリス嬢の呪いを吸収することができるはずなのだ。
太陽光で燃えなくなった私なら『半神』の血液に流れる神聖気に耐えることも可能だろうし、もちろん呪いを吸うことで私まで呪われる可能性もあるが……そこは太陽光と同じように耐性を獲得することに期待しよう。
私も得をしてアイリス嬢も得をする。
吸血させてもらえれば、私たちはwinwinな関係になれるはずなのだ。
まあ、あまりしつこくして嫌われたくはないので、最初だけ吸血を願って、あとは普通に遊ぶのがベストだろう。
もっと仲良くなればアイリス嬢も心を開いて頑なに血を吸わせてくれない理由を教えてくれるかもしれないし、今は忍耐の時である。
そうしてアイリス嬢が所望した追いかけっこを二人で楽しみ(ルールは不明だが、美幼女と大自然の中を走り回るのはけっこう楽しかった)、日が暮れてきたらイザベラさんたちといっしょに私の家まで夕食を食べに帰る。
最近は夕食をみんなで食べるのが当たり前になっていた。
我が家に帰るとアイリス嬢が元気よく扉を開けて厨房のほうへと走っていく。
「らうらーっ! きたよーっ!」
母親を求めているのか、アイリス嬢はラウラ母様にめちゃめちゃ懐いていた。
ラウラ母様のほうも満更ではないらしく、リビングに向かうと尻尾をフリフリさせた母様が料理の皿とアイリス嬢を抱えて入室してくる。
「よく来たイザベラ、お前も肉を食っていけ」
「はい、本日もご相伴に与ります」
上品にお辞儀するイザベラさんはアイリス嬢のお世話をするために、元の職を後進に譲ってうちの領へと引っ越してきており、今では二人ともすっかり我が家の一員として受け入れられている。
そしてイザベラさんが持ってきたバスケットをテーブルに置いたことに、私と父様はアイコンタクトして喜びを分かち合った。
「こちら少ないですが、お裾分けです」
アイリス嬢とイザベラさんが夕食に参加するようになって、最も嬉しい変化が夕食の品が増えたことである。
イザベラさんはアイリス嬢にバランスの良い食事を取らせたいと思っているらしく、母様が作った肉料理に追加され、パンやサラダなども我が家の食卓に並ぶようになった。
母様が不快に思わないように母様用の肉料理まで用意されているあたり、イザベラさんは抜かりがない。
イザベラさんの料理は美味しいので母様の尻尾もゴキゲンだ。
私と父様は手分けしてバスケットの中から大半の肉料理を母様に、少量の肉料理とパンやサラダを母様以外の食卓へとバランス良く分配していく。
「いつもすみません……ほら、せっかくだからノエルもいただきなさい」
「はい、ごちそうになります!」
普通ならリドリーちゃんたちにこういった分配作業は任せるところだが、リドリーちゃんとセレスさんにこの作業を任せると、ちゃっかり自分たちの分を多く残そうとするため、父様と私で取り分けることが恒例となっていた。
壁際に立つリドリーちゃんから熱視線が突き刺さるが、そんな目で見ても私が確保するサラダの量は減らさないよ?
「坊ちゃま、苦手な野菜があったら残してもいいのですよ? 代わりに私が食べて差し上げます」
背後からリドリーちゃんに耳打ちされたが、もちろん私は首を横に振る。
「大丈夫だよ、リドリー。僕に好き嫌いはないから」
「……チッ」
そこは子供を褒めるべきところだと思うのだが、最近のリドリーちゃんは食べ盛りらしい。
仕方なく私用のお皿からトマトをひとつ彼女用のお皿へと追加してあげると、リドリーちゃんは小声で囁いた。
「……ニンジンはブロッコリーと交換してください」
まったく……注文の多いメイドさんである。
仕方なく私がニンジンの量を減らしてあげていると、となりに座っていたアイリス嬢がリドリーちゃんへと首を傾げた。
「りどりーはニンジンきらいなの?」
「なっ!?」
ボシュっと顔を赤くするリドリーちゃん。
私に野菜の分配を指導するフリをしていたリドリーちゃんの悪行は、そうして無邪気な子供の発言によって周知される。
「わたしはニンジン、食べれるよ!」
「わ、私だって食べれますっ!」
幼女に対抗心を燃やすメイドの姿に、食卓は笑いに包まれた。
うむ、やはり子供が増えると活気がでる。
アイリス嬢が来てくれたことで、うちの食卓は以前よりも華やかになっていた。
「のえる、あ~ん!」
苦手なトマトを私に食べさせようとしてくる姿など、まさしく理想の婚約者だ。
アイリス嬢のトマトを美味しく処理しつつ、私は彼女が好きなお肉を食べさせてあげる。
そうして賑やかな夕食を終えて食後のお茶を飲んでいると、「そろそろ帰りましょう」と切り出したイザベラさんに、アイリス嬢が我儘を言った。
「……きょうはのえるとねんねしたい」
婚約者からのベッドインの誘いに、私はドキッと……しなかった。
まあ、私たちは三歳児だからね。
いっしょに寝ても間違いが起こることはあり得ない。
いちおうアイリス嬢は高位貴族のお姫様のはずだが、イザベラさんもそこらへんは理解があるのか、私に目線を合わせて訊いてきた。
「ノエル様、今夜はお嬢様がベッドをお借りしてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです!」
アイリス嬢と血を吸う交渉をする大チャンスなので私が元気よく返事をすると、ギラッと瞳を光らせたイザベラさんに私は抱っこされて別室へと連行される。
そしてイザベラさんと二人きりになったところで、私は彼女に訊ねられた。
「……失礼ながらノエル様。あなたがお嬢様の血を吸おうとしている理由を教えていただいてもよろしいでしょうか?」
真面目なトーンだったので私もひとつ頷いて真面目に答える。
「僕が神聖属性に強くなりたいというのもありますが、アイリス嬢と呪いを分かち合いたいというのが1番の理由です」
夫婦になるなら辛いことは分かち合うものだからね。
イザベラさんの目を見て偽りない気持ちを告げると、彼女は嘆息して私の頭を撫でてくれた。
「本当にノエル様は聡明なのですね……あなたがアイリスお嬢様と婚約してくださったこと……心より嬉しく思います」
そう言ってイザベラさんは私に対して頭を下げ、今度は悲痛な顔で私の両肩を掴む。
「ですが創世神の呪いに耐えられるのは神の血を引く【半神】だけなのです。たとえ呪いに強い吸血鬼だろうとも、この世に生まれた魂を持つ限り、創世神の呪いには耐えられないのです」
泣き出しそうな顔で諭してくるイザベラさんに、私は首を傾げる。
「……この世に生まれた魂を持つ限り?」
「はい……あの呪いは魂を滅ぼさんとする呪い。肉体の耐性など関係なく、呪いを受けた者は魂を滅ぼされてアンデッドになります。アイリスお嬢様が生きているのは生まれ持った神聖気で魂を守っているからです」
「なるほど……生まれつき神聖気を持たない僕は呪いに抵抗できないと……」
僕の呟きを聞いたイザベラさんは、大きく頷いた。
「はい、ですからアイリスお嬢様の血を吸うのはおやめください。もしもノエル様の魂が滅ぼされたら、お嬢様が深く悲しみます!」
それでアイリス嬢は血を吸わせてくれなかったのか……。
理由を聞けば納得である。
これで父様にもハルトおじさんにもイザベラさんにも全力で止められてしまったが……しかし今の説明を聞いた私は、むしろアイリス嬢の血を吸う決意を固めていた。
……だって、ねえ?
私の魂、別世界の生まれだし。