第13話 とある父親の暴走
SIDE:ラインハルト
庭で追いかけっこをする子供たちを眺めて、私は自分の判断が正しかったことを確信した。
「……すまない友よ。あとでノエルのことは叱っておくから」
悲鳴を上げながら逃げ惑うアイリスを自分の息子が嬉々として追いかけ回していることを申し訳なく思ったのか、親友が申し訳なさそうに謝罪してくるが、私は首を横に振って否定する。
「いや、ノエル坊はあのままでいい……見ろ、アイリスの嬉しそうな顔を」
最初こそ燃え上がるノエル坊を見て悲鳴を上げていたものの、庭を元気に走り回る私の娘はこれまで見たこともないような笑顔を浮かべていた。
「アイリス嬢! ちょっとだけ! 一口だけでいいからっ!」
「やっ! こっちこないで!」
両手を広げて近づいてくるノエル坊に私の娘が見事な張り手を決める。
しかしノエル坊は頬を叩かれても嫌な顔ひとつすることなく、再び熱烈に娘を追いかけ始めた。
「おのれっ! こうなったらムリヤリ吸ってやる!」
「きゃはははははっ!」
次第に庭を走る娘は笑い声を上げ始め、今までただの一度も聞いたことのなかった娘の声音に、私はこみ上げてきた涙をグッと堪えた。
飛びかかるノエル坊をアイリスは華麗なステップで回避し、ノエル坊が草まみれになりながら地面の上を転がっていく。
うむ、流石は私の娘! 素晴らしい足さばきだ!
子供らしく遊び回る娘を私が夢中で眺めていると、となりに友が並び立つのが気配でわかった。
おそらく我が友は事情を察して、ダメな父親である私へと呆れ顔を向けているのだろう。
小さな嘆息とともに王都でのアイリスの様子を訊かれた。
「向こうに友達はいなかったのかい?」
友からの質問に、私はこっそり目尻に浮かんだ涙を拭って首肯する。
「……王都の連中は器が小さいのだ! ノミの心臓よりもなっ!」
本来であれば世界を救った神と同じ呪いを受け継ぐアイリスは、最も敬愛されるべき存在だ。我が娘は祖神ミストリアと負担を分かち合い、創世神の呪詛から世界を守る人柱なのだから。
それを王都の連中ときたら、見た目が恐ろしいという理由だけで、私の娘に嫌悪の視線を向けてくる。
あの子の父親として国王としての職権を乱用し、粛清してやろうと思ったことは一度や二度ではない。
「相手が子供ならばまだわかるが……成人した貴族の中にもアイリスの姿を忌み嫌う者がいるのだ……」
王族として生まれた者は自然と周囲からの視線に敏感になる。
自分に敵意を向ける者、利用しようとする者、嫌悪する者……。
負の感情ほど視線の意味は分かりやすくなり、それを生まれた直後から感じていたアイリスは王都で友人を作ったことが一度もなかった。
娘が懐くのは家族と、乳母である筆頭王宮侍女のイザベラだけ。
しかし私たちもイザベラも仕事が忙しく娘と共にいられる時間が少なかったため、娘が人の悪意にさらされることを防ぐことができなかった。
そんな環境から遠ざけるため親友がいる土地へと連れてきたのだが……目の前の光景を見れば、それが正しい判断であることは明らかだ。
愚痴をこぼしてスッキリした私の肩に友の手が置かれる。
「僕たちはアイリス嬢を歓迎するよ。ノエルも彼女に夢中みたいだしね」
「……感謝する」
視線の先では娘に再び抱きつこうとしたノエル坊がイザベラから説教を受けていて、アイリスが正座する彼にちょっかいをかけていた。
触った部分が炎上するのが面白いのか、我が娘はノエル坊をオモチャにして遊んでいる。
その光景はいつまでも見ていたくなるもので……気がつくと私は親友へと自然に提案を出していた。
「ところでノエル坊なのだが……そろそろ婚約者を選んではどうだ?」
「……なにバカなことを言っているのかな?」
降って湧いた王家との縁談に親友の頬が引き攣ったが、私は悪い笑顔を作って友の顔を直視する。
すでにうちの第一王女がメルキオルの長男と婚約しているが、多くの貴族はアイリスが10歳までに他界すると知っているのだから、そこまで騒がれることもないだろう。
だから大丈夫。
私が大丈夫と決めたから大丈夫。
だって私は国王だから!
そして今こそ職権を乱用する時だと素晴らしい判断を下した私は、友の肩を掴んで勅命を発する。
「――我が友メルキオル! いいからお前の息子とアイリスを婚約させろ!」
その日もらった親友からのボディブローは、これまでで最も強烈だった。
◆◆◆
SIDE:リドリー
お屋敷の裏庭で洗濯物を干し終えた私は、今朝のやり取りを振り返って自分のファインプレイにニマニマしました。
ハルト様から娘さんを紹介してもらいに行く?
坊ちゃまは全く気づいていないみたいですけれど、賢い私はそれがどんなイベントであるのかを正確に把握しているのです。
「国王陛下から直々に王女殿下を紹介してもらうとか……庶民がそんなことをされたら死んでしまいますよ……」
ただでさえハルト様と顔見知りになったことに恐怖してるのに、さらに高貴な知り合いが増えるとか冗談ではありません。
エストランド領に来てから時々発生する国王イベントを神回避した私は、自分の優秀さを誇らしく思いました。
ふっ……私を巻き込もうたって無駄ですよ、坊ちゃま。
この常軌を逸した土地で働いて早三年、私は着実に世渡りが上手くなっているのです。
そうして自分の成長を実感しながら屋敷の中へと戻ると、玄関のほうからバタバタと2つの足音が聞こえてきました。
「あっ! 探したよリドリーっ!」
私のところまで走り寄ってきたのは坊ちゃまと、そして見慣れぬ3歳くらいの女の子。
女の子は皮膚が爛れているのか全身を包帯で覆っていましたが、私は黒コゲになった坊ちゃまで慣れているので、皮膚が爛れている程度のことは気になりません。
「紹介するね、リドリー。こちらはアイリス嬢、今日から僕の婚約者になったんだ!」
「まあっ! おめでとうございます!」
坊ちゃまの婚約を私は素直に祝福します。
貴族が小さい頃から婚約を交わすことはよくあることなので、それほどおかしな話ではありません。
「アイリス嬢、こちらは僕が最も信頼する専属メイドのリドリー」
続けて坊ちゃまから紹介していただいたので、私は坊ちゃまの影に隠れるアイリス様へと膝を突いて目線を合わせ、その手を取って口づけを落とします。
これは主人に準じた忠誠を捧げると示す時に使う侍女の作法で、簡単に言えばアイリス様を坊ちゃまの婚約者として認める意思を私が示したことになります。
田舎の騎士爵家で使うには少しキザな作法かもしれませんが、私の忠誠を受け取ってくださったアイリス様は朗らかに微笑んでくださいました。
「よろしく、りどりー」
「はい、アイリス様。こちらこそ坊ちゃまを末永くよろしくお願い致します」
坊ちゃまの後ろから出てきたアイリス嬢は本当に可愛らしく……私は思わず頭を撫でてしまいました。
貴族のご令嬢の頭を撫でるなど本来は不敬なのですが、アイリス様は気にすることもなく、むしろ私の手に頭を擦り付けてくださいます。
そのあまりの可愛らしさに、私は坊ちゃまへと小声で訊ねました。
「ちょっと坊ちゃま! こんなに可愛い子、どこで見つけてきたんですか!?」
よく見ると顔立ちも整っていますし、気立ても良さそうですし、坊ちゃまにはもったいないくらいの美幼女です。
そうして私がアイリス様を猫可愛がりして抱っこまでしていると、坊ちゃまがアイリス様との馴れ初めを教えてくださいました。
「さっきハルトおじさんのところで婚約した!」
「ああ、それじゃあハルト様のところの……」
……うん?
騎士爵家の次男である坊ちゃまの婚約者なのですから、アイリス様も似たような身分だと思いこんでいた私は、続く言葉に硬直しました。
「うん! ハルトおじさんの娘さん!」
国王陛下の娘さんってことは……王女殿下になっちゃうんですけど?
アイリス様の頭をナデナデしていた私の背中に大量の冷や汗が流れます。
抱っこまでしちゃってるんですけど……これって不敬罪ですかね?
現実逃避して可愛らしく抱きついてきたアイリス様の頭をさらにナデナデしていると、私の背後から国王陛下が現れました。
「うむ、流石はリドリーくんだな! 我が愛娘の可愛さをひと目で看破するとは……素晴らしい侍女殿だ!」
現行犯でした。
この国の最高権力者の娘さんを抱っこしている私は死を覚悟します。
そして青褪める私の逃げ道を塞ぐように、今度は黒髪の侍女さんが現れました。
「アイリス様が初対面の相手にここまで懐くなんて……ノエル様といい、リドリー様といい……この土地は人材の宝庫ですね!」
なぜか私に尊敬の眼差しを向ける侍女さんには見覚えがありました。
そう……確かあれは私が初めて王宮に行ったとき……見習い侍女たちの前で王宮侍女のトップとして挨拶をしていた御方にそっくりです。
かつての上司の上司のそのまた上司にあたる方だったはずですが……どうしてキラキラした眼差しを私に向けてくるのでしょう?
天上人の方々に囲まれて私が震えていると、最後にセレスさんを連れたメルキオル様が現れて、アイリス様を抱っこする私の姿に苦笑します。
「イザベラさんだけでアイリス様のお世話をするのは大変だろうから、セレスにも手伝ってもらおうと思っていたんだけど……これはリドリーにお願いしたほうが良さそうかな?」
当主様からの信じられない発言に、私は頑張って辞退しようとします。
「あ……そ、それは…………」
しかし私が発言する前に、腕の中のアイリス様が声を上げました。
「うんっ! りどりーすきっ!」
やだ……この子、超かわいいっ!
「私も好きーっ!」
私は思わずアイリス様のほっぺたにキスをして、「きゃーっ!」と喜ぶ幼女に癒やされます。
「決まりだね」
優しい声音でなにかを決めるメルキオル様。
……いやいやいや、なにをやっているんですか、私っ!
アイリス様は確かにかわいいけれど、王女殿下のお世話係なんて辞退しないとマズいでしょうが!
しかしまたもや私が声を発する前に、今度は坊ちゃまがイザベラ様に向かってお願いを言い出しました。
「あのぅ……いっしょにアイリス嬢のお世話をするなら、ついでにリドリーの教育もしてあげてくれませんか?」
「ふぁっ!?」
なにをたわけたことを言っているのですか坊ちゃま!?
そちらにおわす御方をどなたと心得ているのですかっ!!?
この国の侍女のトップに立つ御方に私の教育を頼むなど言語道断で……
「――喜んでお引き受け致しましょう」
言語道断のはずが……イザベラ様はあっさり首を縦に振ってしまいました。
しかしそんなイザベラ様へと、なぜかセレスさんが一歩前に進み出ます。
「ちょっと待った。リドリーは私の後継者にしようと目を付けていた子……イザベラみたいな新米侍女に教育なんて任せられない」
セレスさんっ!?
王宮の侍女長様に向かってなにを言ってるんですか?!
進み出たセレスさんにイザベラ様が鋭い視線を向けます。
「あらあら誰かと思ったら……禁書の密読がバレて侍女長をクビになった先々代ではありませんか」
「べつにクビにはなってない。本が読みたかったから辞職しただけ」
「……あなたのようなフザけた女に、リドリー様の教育なんて任せられません!」
「それを決めるのはお前ではない。他ならぬリドリーが決めること」
どうやら知り合いだったらしい二人は、バチバチ交わる視線で火花を散らします。
そして同時に二人は私のほうへと視線を向けて、アイコンタクトでどちらを選ぶのかと問いかけてきました。
王宮侍女長様と元王宮侍女長様(?)に睨まれた私は、無邪気に笑うアイリス様を可愛がって二人の視線に気づかないフリをします。
そんな専属侍女の窮地を感じ取ったのか、坊ちゃまがイザベラ様とセレスさんに近づいて、二人の喧嘩を止めてくださいました。
「まあまあ二人とも、そんなにリドリーを教育したいなら、二人でいっしょに教育すればいいじゃない」
なに余計なことを言っているんですかっ!!?
しかしそんな坊ちゃまの戯言に、二人は不敵に笑いました。
「フッ……流石はノエル様です。確かにその通りですね。リドリー様ならどちらの教育内容が正しいか、的確に判断してくださるでしょう」
「ハッ……バカ弟子よりも師匠が優れているのは当然のこと」
そして私のほうへと歩み寄ってきたイザベラ様が私の左肩を掴みます。
「今日からよろしくお願いしますね、リドリー様」
それに対抗するようにセレスさんは私の右肩を掴んで言いました。
「覚悟して、私がビシバシ鍛えていくから」
侍女として遥か高みにいる先輩たちから両肩を掴まれて、私は小さく返事をしました。
「…………………………ひゃい」
どうしてこうなったのか…………誰か教えてくださいっ!