第12話 幼馴染と解決策
明けて翌朝。
いつも通り肉だらけの朝食を食べた私は、父様といっしょにエストランド領の西側へと歩いていた。
昨日の朝に父様が話していたハルトおじさんの娘さんは、西の外れにある空き家に住むらしい。
秘かにあの空き家を狙っていた私は心の底で少しだけ落胆しつつ、幼馴染候補との出会いに胸を高鳴らせる。
しかしそんなワクワク感に反して、私の口からは大きなあくびが出た。
「ふぁあ~……」
目尻に涙を浮かべる私を見て、父様が苦笑する。
「昨日はずいぶん遅くまで起きてたみたいだけど、セレスから面白い本でも借りたのかい?」
「はい、吸血鬼の特性について書かれた本を借りたのですが……つい読みふけってしまいました」
セレスさんに借りた本にはとても興味深い知識が記されていた。
本の内容としては吸血鬼の種族特性と、金月神が創ったという血に宿る固有能力【血怪秘術】について詳しく書かれていたのだが、そこには確かに私が求める知識が記されていた。
最も興味を引かれた内容は『吸血鬼は血を吸えば吸うほど強くなる』という記述だろう。
なんでも吸血鬼には血を吸った相手から自分の強みとなるような特性を少しずつラーニングする能力があるらしく、その特性を上手く利用できれば私の問題も解決できそうだった。
「父様……聖職者の血って吸わせてもらえますかね?」
神聖属性と相性のいい血を吸えば、きっと私も神聖属性と仲良くなれるだろう。
真っ先に思い浮かんだ修行法を口にすると、父様はきっぱり断言した。
「うん、神殿を敵に回すから、絶対にダメ」
ダメかー……。
なんでも父様によると大昔に私と似たようなことを考えた吸血鬼たちが『聖職者狩り』をやったことがあるらしく、それから吸血鬼が聖職者の血を吸うと神殿が抱える吸血鬼ハンターが出動するようになったのだとか。
「特に双月神殿の【聖光騎士団】は精強で知られているからね。ノエルが狙われたら半月も持たずに灰にされてしまうよ? それに聖職者の血は聖水よりも強力だから、吸った吸血鬼はひとり残らず死に絶えているんだ」
いや、私は精神力が高いから耐えられると思うねん。
しかし父様がダメというなら素直に従おう。
「それじゃあ血怪秘術の【神聖奇血】って誰が持っているか知りませんか? それがあると太陽光を克服できるらしいのですが?」
「……いったいセレスからどんな本を借りたのかな?」
「『吸血鬼の特性と血怪秘術について』という本です」
「…………特級禁書」
訊かれたので本のタイトルを伝えると、父様は頭を抱えて道端にしゃがみ込んだ。
「大丈夫ですか?」
私が首を傾げて父様の顔を覗き込もうとすると、父様は私の両肩を掴んで注意してくる。
「……いいかいノエル。血怪秘術について書かれた本は、全てが『禁書』に分類されていて読むだけで犯罪になるんだ……だから今の質問を他の人にしてはいけないよ?」
どうやらセレスさんが貸してくれた本は、法的にヤバい本だったらしい。
そのような貴重な本を子供に貸してくれるセレスさんに、私は尊敬の念を強めた。
しかし他人に訊けないのは問題である。
「むぅ……上手くいきませんね……【神聖奇血】を研究すればヒントが掴めると思ったのですが……それでは持ち主を知ることすらできません……」
悩む私の頭を父様が撫でる。
「いや、持ち主はわかっているんだけどね……相手は吸血鬼の始祖様だから下手なマネはやめてほしいというか……そんなにキラキラした瞳で見つめても教えないからね?」
ちぇっ……父様はケチンボである。
まあ、その点は後で母様に訊いてみるとして、現実的な方法はやはり神聖属性と相性のいい血液を吸収することだろう。
今の私なら血が持つ聖気にも耐えられると思うし、あとは聖なる血液さえ手に入れば私は新たな修行を始められそうである。
そうして聖職者がダメならユニコーンとかペガサスなんかを捕まえられないだろうかと考えているうちに、私たちは目的の家まで辿り着いた。
家の前には荷物を満載した馬車が停められているから、これから荷解きをするのだろう。
「さあ、始祖様のことは忘れて、ハルトおじさんと娘さんに挨拶をしよう」
どうやら家の中にはハルトおじさんも来ているらしく、父様はしゃがんで私の服を整えてくれた。
今日は初めて貴族令嬢ちゃんに会うということで、私は立派な子供用紳士服に身を包んでいる。
相変わらず眼帯はしているが、今日の私はどこからどう見ても美男子だ。
手にはしっかりとリドリーちゃんに選んでもらったピンクのお花も持っているし、お花の部分にはリドリーちゃんがくれた新品のリボンまで結んであるので準備はバッチリだった。
本当はアドバイザーとして彼女もここに連れてきたかったのだが、ハルトおじさんの娘を紹介してもらうと言ったら全力で同行を拒否されてしまったので後は私が頑張るしかない。
そうして気合いを入れた私が眠気を吹き飛ばして引き締まった顔を作ると、準備完了と判断した父様が家の扉をノックする。
しばらくすると扉が内側から開かれて、黒髪碧眼の美しいエルフのメイドさんが顔を覗かせた。
「おはよう、イザベラさん。約束どおり挨拶に来ました」
「おはようございます、メルキオル様、ノエル様」
父様に挨拶を返し、丁寧にお辞儀するメイドさん。
その動きはリドリーちゃんたちよりも洗煉されていて、彼女が超一流のメイドさんであることがわかった。
流石は王都の偉い貴族、使用人まで気品に溢れている。
いや、うちで働いているセレスさんも同じくらい動きに気品はあるんだけど……昨日の夜にダラけた姿を見たばかりだから、なんだか私は負けた気がした。
頑張れリドリーちゃん、いつか君もこのレベルになるんだ!
今ごろ家で洗濯をしている専属メイドに、私は心の中でエールを贈る。
きっとリドリーちゃんなら頑張ってくれるだろうし、今度セレスさんあたりに教育をお願いしてみよう。
そんな計画を内心で立てているうちに父様と私は家の中へと招き入れられ、人の気配がするリビングまで案内された。
簡素なテーブルとソファが置かれたその部屋では、ハルトおじさんとその後ろに隠れる全身を包帯で覆った幼女がいて、包帯から覗く蒼い瞳に私はドキッとする。
ハルトおじさんのそれよりも深い蒼は夜空に光る蒼月と同じ蒼で……つまり眼帯の下に隠している私の右目と全く同じ色をしていた。
いちおう母様の指示で私の目は『魅了の魔力を帯びている』ことになっており、ハルトおじさんには見せていないのだが……彼女の目を見た私は母様の指示が正しかったことを確信した。
なんというか……目が離せないのだ。
蒼月と同じ色を帯びたその目には人の心を惹きつける不思議な魅力があった。
魅了の魔力というのもあながち嘘ではないのかもしれない。
そんな風に私が幼女の瞳を眼帯の下から凝視していると、大人たちが再会の挨拶を始める。
「久しぶりだねハルト。旅は問題なかったかい?」
「ああ、馬車はイザベラと先行させて、私はこの子を抱えて走ってきたんだ」
なんとも脳筋なことを言うハルトおじさんだが、神の血を引く高位貴族はみんなバケモノみたいな身体能力をしているらしいので、自分の足で移動することがほとんどらしい。
ハルトおじさんもうちの領に来るときは毎回走ってきているため、父様も肩をすくめて苦笑しただけだった。
「主がこんなだとイザベラさんも苦労するだろう?」
「まったくです」
もっと言ってやってくださいと頷くイザベラさんに、ハルトおじさんは気まずそうに頬を掻き、視線をさ迷わせたあと私へと目を向けた。
「おう、ノエル坊! また大きくなったな!」
ハルトおじさんが長い足を動かして私の頭を撫でにきたため、後ろに隠れていた幼女が慌ててイザベラさんの後ろに逃げ込んだ。
どうやら彼女はかなりの人見知りらしい。
ガシガシ頭を撫でられた私は挨拶代わりにお土産を要求する。
「お菓子はどこですか!?」
「ふはははははっ! 真っ先に菓子を求めるとは、ノエル坊はきっと大物になるぞ!」
3歳児だから許される欲望に忠実な言動に、ハルトおじさんは肩を揺らして笑った。
いや、こんな田舎だと砂糖菓子なんて貴重品だから仕方ないのだ。
日本ではそこらへんのコンビニでチョコレートが買えたし、自動販売機で甘いジュースを買うこともできた。
前世ではそれほど甘い物が好きだとは思わなかったが、こちらの世界で何カ月も甘味を食べないでいると、実は私もけっこう甘い物を食べていたのだと思い知ったよ。
あれは定期的に食べて満たされていたから欲していなかっただけで、こうして久しぶりにしか甘味を食べられない環境にいると無性に食べたくなるのだ。
お土産を期待して瞳を輝かせる私の頭に、父様が軽く拳骨を落とす。
「こら、挨拶をするのが先だろう? 今日はお姫様も来ているんだから」
そう言った父様がイザベラさんの後ろに隠れる女の子へと視線を注ぐと、彼女はビクッと震えてメイドさんのスカートを握り締める。
わかってるってば父様。
本日の主役である彼女が緊張している様子だったから、私はあえて子供っぽい言動で場を和ませてあげたのだ。
まあ、あまり効果はなかったみたいだけどね。
イザベラさんが優しく彼女の背中に手を添えて前へと押し出すと、それに合わせてハルトおじさんが娘さんを紹介してくれる。
「ノエル坊、前に話したと思うが……この子が私の娘のアイリスだ」
続けてうちの父様が、私の肩を叩いて合図してきた。
「さあ、がんばりなさい」
そうして送り出された私は、モジモジするアイリスと呼ばれた女の子の前まで歩み寄って、リボンを結んだ花を差し出す。
「初めまして、ノエル・エストランドです。うちの領には子供が僕しかいないので、仲良くしてくれると嬉しいです!」
努めて紳士的に差し出した一輪の花に、アイリス嬢は恐る恐る手を差し出してきた。
うむ、近くで見るとなかなかどうして将来有望な女の子である。
アイリス嬢の顔には包帯が巻かれていて素顔はほとんど見えないが、包帯の上からでも顔が整っていることがわかるくらい、彼女の容姿は優れていた。
まあ、ちょっと全身の皮膚がグズグズに崩れてはいるが、そんなことはささいな問題だろう。
「……あ、アイリスです……よろしくおねがいします…………」
消え入るような声で自己紹介を返してくれたアイリス嬢は、震える手で花を受け取ってくれる。
しかし花を渡す時に小さな手が私の手に少しだけ触れた瞬間、私の手は激しく炎を上げて燃え始め、
「きゃっ!?」
それに驚いたアイリス嬢は花を握り締めたまま尻もちをついてしまった。
「ぬおっ!? すまないノエル坊! 防護服を着てないことを失念していた!?」
突然の炎上にハルトおじさんが慌てて謝罪してくれるが、私は炎上した手を見て素晴らしいアイデアを思いついてしまい……おじさんの言葉は耳を通り抜けた。
「そうか……蒼月神の先祖返りってことは……身体に神聖属性を帯びているのか……」
つまりそれは先ほどまで悩んでいた『神聖属性と相性のいい血液』という条件をバッチリ満たしているということで……
「あ、あのっ……ご、ごめんなさいっ!」
慌てて立ち上がって頭を下げる女の子に、私は思わず抱き着いた。
「ひゃっ!?」
「ぬっ!?」
「ノエルっ!?」
「なにをなさって!!?」
アイリス嬢と大人たちが困惑する中、私の身体は轟々と炎を上げて燃え始め、その光景を目前で見た幼女が悲鳴を上げる。
「き、きゃああああああああああああああっ!!?」
大丈夫、大丈夫。
この炎って見た目だけで他人が触っても熱くないからね。
リドリーちゃんも普通に素手で燃える私を掴んでたし。
そして私は涙目になったかわいい幼女に、愛の告白をするレベルで情熱的な言葉を贈る。
「アイリス嬢、どうか僕に君の血を吸わせて欲しい!」
「きゃああああああああああああああああああああっ!??」
もちろん全身炎上したまま発した私の言葉は、幼女の絶叫に搔き消された。