第105話 幻の島からの招待状
島にファーストクラスでやってくる一般人視点です。
SIDE:優れた研究者
真理を求めて知識を深めていくと、やがて探求者はひとつの噂を耳にするようになる。
それは中央大陸の南西の海に浮かぶという太古の知識が息づく幻の島の噂。
石コロを金に、水を不死の秘薬に変えたという【古代錬金術】。
生命の神秘を解き明かし、死そのものを自在に操る【死霊魔術】。
そして人と神々が共存していた【神古紀】の高度文明を支えた伝説の学問――【魔導工学】。
そのような失われた叡智を研究する者の元には、やがて太古の知識と技術が息づく幻の島から招待状が届くという。
まったくもって眉唾な話だ。
幾人もの研究仲間がこぞって似たような噂を口にするものだから、実際に私は大陸南西の海を調査してみたことがあるが、およそ二ヶ月の期間を用いてくまなくミストリア王国の近海を探しても、ついにそのような島は影も形も見当たらなかった。
きっと友人たちに揶揄われたのだろう。
それは結婚もせず研究に没頭する私への気遣いだったのか、それとも日夜真理へと近づく私の研究を少しでも遅らせようとする妨害工作だったのか。
いずれにせよ私はその噂話への興味を完全に捨てて、愛しき研究の日々へと戻った。
教鞭を振るうミストリア王国の禁書庫に並べられた古文書を読み漁り、あるかどうかもわからないとされる【魔導工学】の痕跡を追い求める日々。
私財を投げ売って霞を買うような私の研究は常人からしたら狂人の所業に思えるだろうが、私にとってはロマンを追い求める愛しき日常だった。
しかしそんな日々に変化が起こったのは、私の研究がひとつの小さな成果を結びそうになった直前のことだ。
【魔導工学】で魔力の伝達に用いる回路の素材に当たりを付けた私は、その魔力伝達性能の確認実験をしようとしていたところで一枚の怪文書と巡り合った。
それはどこにでもある普通の手紙のような形をしていた。
研究室に積み上げた資料の山に紛れるように、まるで初めからそこにあるのが当然のように……研究成果を守るため私が張り巡らせた魔法の罠をことごとく発動させずに置かれていた。
「……ん?」
最初にその手紙の異常性に気づいたのは、こんな書類があっただろうかと何気なく触れた時のことだ。
使い慣れた羊皮紙だと思って触れたその紙は、しかし羊皮紙と比べて明らかに軽く、そして植物紙にしてはやけに手触りが滑らかだった。
「なんだこれは……?」
謎の手紙を不思議に思って注目してみれば、そこには短くこう記されていた。
『――【トルトゥガ魔導魔術学園】入学のご案内』
『――貴殿の【魔石液状化】研究の成果を認め、ここに当学園への入学を許可する』
『――七賢者ホルミスダス・ゴドウィン』
手紙の裏側には中央大陸の南西海のとある場所を示す地図と、ひとつの店舗を指し示した島内の地図、そして『特待生は入学試験を免除される』という旨の走り書きが記されている。
その手紙はかつてない衝撃を私に与えた。
個人で進めていた研究の進捗状況を把握されている事実。
既存の製法とはまったく違う、洗練された技術で作られた植物紙。
そして手紙の最後に記載されている『ホルミスダス』という人名は、禁書庫に置かれた【死霊魔術】関連の書籍でたびたび目にする人名だった。
悪戯にしてはありえないほど高度な知識の数々が、その手紙が本物であることを証明している。
「【骸亀島】とは確か物語に出てくる海賊の根城だったか……」
それは古い御伽噺に出てくる『とびきりの悪党にしか辿り着けない島』だったはずだが、神古紀から生きる存在が管理しているならば、私が調べても見つけられなかったのは当然の結果だろう。
悪党の巣窟にたまたま辿り着くなどという奇跡は、よほどの悪党か、それともよほどの奇運を持った者でなければ起こらないのだから。
不思議な手紙と睨み合った私は、ミストリア王国での職と地位を捨てるかどうかをしばらく悩み……耐え難い睡魔に襲われて気絶するように眠り込んだ……――。
◆◆◆
――そして目を覚ますと、そこは激しく揺れる甲板の上だった。
冷たい水しぶきと潮の香りが顔にぶつかり、私は強張った身体を無理矢理に起こす。
「……な、なんだこれは!?」
そして周囲を観察して状況を把握しようとした私の目に、信じがたい光景が飛び込んできた。
荒れる海原。
襤褸切れのような黒い帆を張るガレオン船。
人間の代わりに船を操る骸骨の姿をした船員たち。
いつの間にか【幽霊船】に乗せられていた私はその恐ろしい光景から一歩後ずさるが、ジャラリ、と足首に巻かれた鎖が音を立てて、それ以上の行動を阻害してくる。
急いで鎖を解こうと、その先端が繋がれた格子状の床へと手を伸ばすが、
「――っ!?」
床の下から無数の指が飛び出してきて、私は伸ばそうとしていた手を引っ込めた。
目を凝らすと暗い船内の貨物室には、無数の【動く死体】が詰まっており、そこから生臭い悪臭が立ち昇ってくる。
「う、うぐっ!?」
思わずその悍ましい光景と悪臭から顔を逸らして鼻を覆うと、私がいる甲板より一段高いところにある舵輪の向こうから、冥府の底から響くような声がかけられた。
「すまんなお客人! 死体が操るこの船はランニングコストこそ優れているのだが、なにぶん乗り心地が死ぬほど最悪なのだよ!」
人を攫っておきながら陽気な口調の人物に苛立って、私は即席の攻撃魔法陣を用意する。
「っ!?」
しかし私が操った魔素は一瞬でその制御を奪われて、操舵をスケルトンに任せた陽気な声が目の前に飛び下りてきた。
「おおっと危ない! いや、吾輩ではなく貴君の話だぞ? 室内にいる【動く死体】は燐気だけでなく可燃性ガスも溜め込むからな! その場所で火を扱うのはやめておきたまえ!」
カシャッ、と軽い音を立てて甲板に下り立ったその怪物は、一見するとただのスケルトンのようにも見えたが、しかし空っぽの他の個体とは違い明らかに優れた知性を持っていた。
「……何者だ貴様は?」
魔法使いの指導者である魔導師の私から魔力の制御を奪えるということは、おそらくこのおしゃべりな骸骨は【死霊魔術】を極めた格上の存在だろう。
真っ当に逃げることは不可能と判断し、目的を情報収集へと切り替えた私を見て、海賊のような衣装に身を包んだ骸骨は「クハハッ!」と嗤った。
「うむ! うむ! 実に素晴らしい生徒ではないか! それだけの実力と状況判断能力があれば、これから貴君が暮らす学園でもモルモットよりかはマシな生活ができるだろう!」
ふざけたことを宣う骸骨に、私はベルトの背中側に手を伸ばしながら時間を稼ぐ。
「……生徒だと? これではただの誘拐ではないか……貴様が言う学園とやらは、ずいぶんイカれた人材の集め方をするんだな?」
皮肉を込めた言葉に、骸骨は眼窩に灯した炎を嬉しそうに揺らした。
「洒落ているだろう? 優れた研究者を集めるのならば学術機関を名乗るのはどうかと、他ならぬ吾輩が提案したのだ! まあ、きちんと誰かが管理しているわけでもないから、いささか混沌とした学園になってしまったがな!」
「ハッ――死体狂いが!」
【死霊魔術師】を侮蔑する言葉を吐き捨てた私は、ベルトから取り出した特殊な魔石を甲板へと叩きつける。
独自の研究で生み出した空間属性の魔力を宿したそれは、転移魔法の暴走を引き起こし、
「――ふむ。魔石を粉砕することで起こる魔力暴走に大まかな指向性を持たせたのか? 叩きつけた地点の周りにいる生物を強制ランダム転移させる仕組みとは面白い! まあ、問題点を上げるとすれば、日頃から時空の荒波と格闘している吾輩にとって、この程度の魔力暴走はそよ風みたいなものなのだが……」
サッ、と骸骨が軽く手を払っただけで魔力の大波が凪いだ。
「っ!!!」
人ならざる者が扱う神技に、私の全身から冷たい汗が吹き出してくる。
魔石の魔力が覆っていたこの船のまわりだけではない。
はるか水平線の向こうまで凪いだ魔力は、先ほどまで荒れていた嵐の海まで平らにしていた。
「うむ、悪いことは言わないから、そこで大人しくしていたまえ。吾輩も優秀な研究者が育つ前に素材にすることは望んでいないのだ」
まるで聞き分けのない子供を叱りつける親のように、骸骨がほんの一瞬放った微かな怒気で、私の反抗心は圧し折られる。
それはまるで見渡す限りの海水が上から落ちてくるかのような重圧だった。
「………………し、【神格者】っ!?」
ようやく私が骸骨の正体に思い至ってその通称を呟くと、骸骨は陽気な調子を取り戻して、フワリ、と甲板の上に浮かんで大笑する。
「クハハハハハッ! そういえばまだ名乗っていなかったな!」
再び荒れ狂う嵐。
骸骨へと向かって落ちてくる落雷。
そして暗くなった空の下で雷光を帯びた骸骨は、漆黒の外套を大げさに翻して名乗りをあげた。
「――いかにも! 吾輩こそが深淵を統べる七賢者の一角にして、荒れ狂う混沌の海原を冒険する世界最狂のスケルトン! その名もキャプテン・ホルミスダ――」
ス、と言いながら、七賢者と名乗った骸骨は、海から飛び出してきた巨大なマグロに食べられた。
「「あっ…………」」
私と骸骨の呆けた声が被り、続けて大きな水柱が発生する。
「…………」
……海に飛び込むのはやめておいたほうがよさそうだ。
そして船長を失った幽霊船は、そのまま引き返すことなく、嵐の海原を真っ直ぐに進んで行った。




