第103話 隠れ家的な高級店
SIDE:ノエル
リドリーちゃんの収納魔法のおかげで荷物の整理は三〇分ほどで終わり、晩御飯を食べるために外に出ると、先ほどまで茜色だった空はすっかり暗くなっていた。
この島から見える星の数はエストランド領と同じくらいだろう。
玄関を開けてすぐに見える星空に満足して三階の外階段から新居の下側にある坂道を見下ろせば、オレンジ色の暖かい光が転々と海まで続いており、その中を混沌とした人種の住人たちが行き交っている。
手足が合計八本ある者。
ヒレや鱗が生えたヌメヌメした者。
獣の手足と頭をツギハギにしたフランケンシュタインみたいな者。
先ほどまではあまり人気がなかったはずなのだが、どこから湧いてきたのか、夜の【蓋門島】には縁日のような賑やかさがあった。
この島の住人は基本的に夜行性なのかもしれない。
「はい、坊ちゃまも仮面だけでなく、ちゃんと外套も身に着けてください。ルガットさんから姿を隠すように言われていたでしょう?」
「ありがとう」
エストランド領から着てきた外套はスティングさんの腰蓑として持って行かれてしまったため、代わりにリドリーちゃんが出してくれた予備の外套を私はさっそく装着する。
「ほれ! 早く行くのじゃ主君っ! あまりモタモタしていると美味しい物が売り切れてしまうぞ!」
お腹を空かせたシャルさんを小脇に抱えれば私もまたこの島の住人に匹敵するような混沌としたファッションとなり、隣では黒髪仮面&全身包帯スタイルになったアイリスが、さっそくルガットさんからもらった観光案内に目を通していた。
「どうやらこの道は【学食通り】と呼ばれているみたい。主に人間でも食べられるお酒や料理を提供していて、『安全な食べ物を手に入れたければここを利用するように』と書かれているわ」
アイリスの解説にリドリーちゃんの頬が引き攣る。
「……安全じゃない食べ物もあるってことですか?」
パラパラと観光案内をめくったアイリスは、その質問に北の空を指差した。
「危険な食べ物は島の反対側にある【狂骨街】で売られているみたい……【蠱毒鍋】と【謎生物の肝焼き】がオススメらしいけれど……これは美味しいのかしら?」
「毒の効かない僕たちなら大丈夫そうだし、そのうち食べに行ってみようか?」
「うむ! ゲテモノは美味と相場が決まっておるからな!」
シャルさんの断定にアイリスも頷く。
「この島の料理は美味しいって村のみんなも言っていたし、今から楽しみね!」
「……それって私も食べないとダメですか?」
リドリーちゃんだって大半の毒物に耐性を持っているんだから、その時は同行してもらおう。
ここらで彼女も毒物に対する完全耐性を獲得しておいたほうが色々な物を食べられるようになって人生楽しいと思う。
大丈夫、大丈夫。
危なくなったら私かアイリスが神聖魔法で治してあげるから。
しかし今日のところは時間も遅いので、とりあえず近場の【学食通り】で済ませることにする。
美味しい食べ物の匂いにはシャルさんが最も敏感なので、外階段を下りた私は手にした生首を前に突き出して、さっそく美味しそうな店をダウジングしはじめた。
「お主ら、どけぃっ! 妾が通るのじゃ!」
シャルさんは人間嫌いで人混みとかNGなんだけど、この島には人外種族のほうが多いらしく、影に潜らず探索に付き合ってくれた。
「――え? なにこの子……しゃべる生首持ってるんですけど……?」
「――見慣れぬヤバいやつらがいる……近づかないでおこう…………」
「――ひゃっ!? いやぁあああああああああっ!?」
シャルさんを向けると勝手に人が避けてくれるし、歩きやすくて実にグッドだ。
「流石はセレスさんのアイデア! 効果テキメンだね!」
これならば素材狩りとやらに襲われる心配も皆無だろう。
「……坊ちゃまはそろそろセレスさんを疑うことを覚えましょうか? あの人クールに見えますが、だいたい半分くらいはふざけていますよ?」
そこがセレスさんのいいところだと思います。
そうして鼻をフンフン鳴らす生首を掲げながら左右に屋台と飲食店が並ぶ通りを歩いて行くと、やがて通りの半分くらいに差しかかったところで、シャルさんが強い反応を示した。
「ここじゃっ! なにやらあの扉からいい匂いがするのじゃっ!」
シャルさんレーダーが反応した方向を確認すると、そこには地下へと続く階段があって、階段の先に木製の重厚な扉が設置されている。
それは一見すると通用口にしか見えない地味な扉だったけれど、階段を下りると小さく壁のプレートに【迷板亭】と刻まれていて、いわゆる隠れ家的なお店であることがわかった。
「どんなお店か謎だけれど……入ってもいいよね?」
振り返ってアイリスとリドリーちゃんに確認すると、階段にただよう芳香を吸い込んだ二人はすぐに頷いてくれる。
「ええ、この香りなら間違いないでしょう」
「支払いはおまかせください」
お店の価格帯がわからないけれど、流石にリドリーちゃんのお財布でも払えないということはないはずなので、私は扉を押し開けて店内へと入る。
カランコロン。
と心地良い音色がして、ムワッ、と押し寄せてくる温かな空気を抜けると、そこには煉瓦造りの小洒落た空間が広がっていた。
入ってすぐ右手にカウンターがあり、その奥にある厨房からは魂が引き寄せられるような香りが漂ってくる。
そして店内の壁にはいたるところにメニューボードが貼られていて、様々な言語と料理の絵が描かれたそれらを、数人のお客さんが悩ましげに眺めていた。
おそらく【迷板亭】という店名の由来はこれだろう。
「――ここは千歳未満お断りだよ」
面白そうな店内を観察していると、カウンターから冷たい言葉をかけられる。
先ほどまで誰もいなかったはずのそこには、いつの間にか半透明の女性がいて、酒と油が染み込んで黒くなったカウンターの天板に頬杖を突いていた。
「妾は千歳越えておるぞ! たぶんなっ!」
私が抱えた生首がそう返すと、女性はガバッと透ける身体を起こして、青白い顔を驚きに染める。
「シャルティア様ではありませんかっ!? いつの間に戻っていたのですか!?」
「さっきじゃ!」
どうやらシャルさんの知り合いらしいので成り行きを見守っていると、女性はカウンターを透過して私たちの前まで滑るように飛んできた。
「紹介者がいるなら話は別だね――私は【鬼幽】のレイラ。この店のオーナーだからどうぞよろしく」
そう言って差し出された三枚の名刺を、私たちは一枚ずつ受け取る。
「それ、うちの店の会員カードにもなっているから、紹介者なしで来る時には提示してね?」
ふむ……これぞまさしく顔パスってやつか。
シャルさんの顔の広さを改めて実感して、仮面を外した私はレイラさんへと自己紹介を返す。
「僕はノエル。そしてこちらの蒼い花が婚約者のアイリスで、後ろにいる頭に陶器を乗せた子が専属侍女のリドリーです」
私と同様に仮面を外したアイリスに合わせて二人のことも紹介すると、レイラさんは興味津々といった様子で美しく整った顔を近づけてきた。
「へぇ……君たちには私の姿が見えているんだね?」
あれ?
この人……普通の人には見えない感じ?
不思議に思って金髪碧眼の美人を改めて観察していると、その視線に気づいたレイラさんが解説してくれる。
「私の姿は優れた【死霊魔術】の才覚を持つ人にしか見えないんだよ。ノエルくんとアイリスちゃんは【死の記憶】を持っているからいいとして……リドリーさんは何百回死にかけたの?」
レイラさんの指摘に、リドリーちゃんが死人のような顔をする。
「たぶん千回は越えていると思います……」
その返答を聞いたレイラさんは「まだ若いのに大変ねぇ……」と呟いて、最後にシャルさんへと確認した。
「で? シャルティア様? この子たちとはどういったご関係で?」
「ノエルは妾の主君じゃっ!」
自慢気に答えたシャルさんに再びレイラさんは目を丸くして、
「……やっぱり君たちは会員カード見せなくてもいいや――」
私たちが手に持つ名刺を丁寧に回収した。
「――すでに顔と名前、忘れられないから」
◆◆◆
なぜか入店して数分で顔パス認定を受けた私たちは、それからオーナーであるレイラさん直々に【迷板亭】の案内をしてもらうことになった。
店の奥へと進みながら、レイラさんは壁のコレクションを自慢していく。
「この店は異界から流れ着いたメニューボードをかき集めて、そこに書かれた料理を再現することを売りにしているの。ちゃんと言語を解析したうえで異界の料理資料を参考にして作っているから、再現度はかなり高いはずよ?」
続けて彼女は店の一番奥にあるテーブルへと私たちを案内し、今度は手に持てるサイズのメニューをテーブルの上にいくつも並べてくれた。
「こっちの紙に書かれたやつからでも注文できるけど、最初は絵がついてる料理を頼むのがオススメかな。この店の常連には読めない文字の料理を適当に選ぶやつもいるけれど、中には可視光線から味を感じる世界の住人が作った『目にしただけで激痛が走る料理』なんてものもあるから」
実物を見る前に絵を見て食べられそうだと思った料理を選ぶのが当たりを引くコツらしい。
「目にしただけで激痛が走る料理って……それは激辛料理の類なのかな?」
「おっ!? 激辛を知っているなんてノエルくんは食通だねぇ!」
当然のようにレイラさんは真っ赤なイラストが書かれたメニューを出してくれたけれど、それはひと目見ただけで食べられないと判断できる赤さだったので、私はそっと危険なメニューを隅へと追いやった。
そんな私の様子に苦笑して、半透明のお姉さんは綺麗なボトルに入った高そうな水を無料で提供してくれる。
「メニューをめくる時が料理屋で一番楽しい時間だから、後はゆっくり選んでね?」
それがこの店のコンセプトなのだろう。
注文を急かすことなくレイラさんはカウンターへと戻っていく。
その後姿を見送って、私はさっそく女性たちへと相談を持ちかけた。
「この店をリピートすることは確定として、今日のところは無難な料理を選びたいよね?」
これだけメニューがあるのだから一度では終われないという私の考えに、アイリスが二枚のメニューを交互に眺めながら同意してくれる。
「ええ、最初はちゃんと美味しい物を食べたいし、奇抜な物を選ぶのはまた今度にしておきましょう」
リドリーちゃんとシャルさんもそれには賛成らしく、テーブルに散らばるメニューから注文することに勇気がいるものを排除していく。
そして残された十数枚の紙の中から、私は確実に万人受けすると思う料理を選び取った。
「それじゃあこれなんてどうかな?」
このメニューならば、まず間違いなくうちの女性陣にも気に入ってもらえるはずである。
「わあっ! すごく上手な絵ですね! まるで本物の料理を紙に閉じ込めたみたいです!」
「うむ! それは絶対に美味いと妾の直感が叫んでおるのじゃ!」
他の絵が描かれているものとは違い料理の『写真』が載ったそのメニューをテーブルの中央に置いて、私はドヤ顔で仲間たちへと故郷の文化を見せびらかす。
「ノエルはその料理を知っているの?」
こてん、と小首をかわいく傾げて聞いてくるフィアンセに、そして私は日本が誇る国民的メニューボードを紹介した。
「うん! この料理はイタリアンって言うんだ!」
たとえ三千世界をくまなく探しても、ファミリーレストランを越える万人受けメニューは滅多に存在しないだろう。
うちの女性陣はたくさん食べるから、とりあえず私はカウンターにいるレイラさんへと片手を上げて、無音で飛んできた彼女に注文を告げる。
「このメニューに載っている料理、全部ください!」
ゆっくりメニューをめくる時間をくれた彼女には申し訳ないけれど、今日のところは空腹が限界だから子供っぽい真似をさせてもらう。
一度はやってみたかった豪快な注文をすると、レイラさんは少しの間固まって、続けて注文用紙にサラサラと数字を書いてこっそり見せてきた。
「食べ切れるなら豪快な注文をしてくれても構わないんだけど……いちおううちは超高級店になるから、これだけ注文すると家が建つくらいの金額になるけど大丈夫?」
素材を取り寄せるのにお金がかかるのか、そこにはおよそ三桁の金貨が必要だと提示されている。
しかしことお金に関しては余るほど手に入れている私たちは、リドリーちゃんへと視線を送って先に支払いを済ませることにした。
空間収納から巨大な金貨袋を取り出したメイドさんが、それを、ズシッ、とレイラさんへと手渡す。
「足りなかったらいつでも言ってください。いくらでも追加の金貨を支払いますので」
ここぞとばかりに資産を消化しようとする大富豪に、軽く千枚以上は詰まった金貨袋を抱えたレイラさんは、とてもいい笑顔で受け答えした。
「――はいっ! 喜んでっ!」
それは奇しくも日本の飲食店を彷彿とさせる返事だった。




