第102話 戦争の気配
SIDE:ノエル
それは今から一五〇年以上も昔のこと。
スティングさんがまだ二〇歳程度の若者だったころに、その事件は起こったのだという。
「詳しいことは俺にもわからんが……槍の鍛錬から家に戻ると、全身の血を抜かれた両親の骸が横たわっていたのだ」
遺体の首筋には二つの噛み痕があり、わかったことは吸血鬼の犯行であることだけだったらしい。
「我が部族は誇り高き戦士の血筋だ。戦いの中で死ねなかった両親の無念を晴らすため、俺は仇を求めて山を下りたのだが……あとは先ほど説明した通りエストランドの地で殺されかけ、命を見逃されて東に向かったところ……俺は貴様の母親の予言通りに仇敵を見つけた」
吸血鬼ハンターとして活動するうちに邂逅したそいつは、不敵にもスティングさんの顔を見て、両親の死に様を思い出して嘲笑ったそうだ。
ご丁寧に血の味の感想まで付けて。
「やつの名は【背信】のマティアス。創世神へと魂を売った邪神官にして、始祖を裏切ったはぐれ者の吸血鬼……やつについてわかっていることは、貴様と同じく陽光を克服した上位吸血鬼であることと、姿を自由自在に変えるほど【変身術】に長けていることくらいだ」
なるほど……それでスティングさんは親の仇の可能性がある私を狩ろうとしたわけか……。
そしてそんなシリアスな話題を真面目に正座して聞いていた私たちは、ついにずっと我慢していた激しい衝動に負けた。
ぐぎゅるるるるるぅ……。
「「「「…………」」」」
みんなで仲良く気の抜けるハーモニーを奏でた私たちへと、額に青筋を浮かべたスティングさんが絶対零度の視線を向けてくる。
「貴様ら……よくこの雰囲気の中で盛大に腹を鳴らせたな?」
こちらの品性を疑ってくるその視線に、私は頬を赤らめて反論した。
「だって! 仕方ないじゃないですかっ! さっきからずっと美味しい匂いが漂ってきてるんですものっ!」
夕方になったことでこの物件の近くにある店が本格的に活動をはじめたのか、私が指差した窓からは肉や魚の焼ける美味しそうな香りが流れ込んできていた。
飲食店の近くだとこういう問題があるんだよなぁ……。
今はお腹が空いているからいい匂いとしか感じないけれど、ずっとこれが続くと不快に思えてくるだろうから早めに匂い対策をしたほうがいいだろう。
そうして【臭気避け】の魔法陣を頭の中で組み立てる私の横で、空腹で気が立ったアイリスがスティングさんを睨みつける。
「だいたいあなたの話が長いせいで、こっちは引っ越し作業ができなくて困っているのよ……ノエルはそのマティアスとかいうのとは無関係なんだから、そろそろ下の階に帰ってくれない?」
私の命を狙ったせいか、それはぶぶ漬けを顔面に投げつけるような塩対応だった。
リドリーちゃんとシャルさんもアイリスに同調して、吸血鬼ハンターを追い出そうとする。
「……というか吸血鬼の邪神官なんて面倒事を持ち込まないでください。うちの坊ちゃまはただでさえ問題児なんですから、火に爆炎魔法を注ぐような真似はやめてください」
「飯の邪魔じゃ! さっさと帰れっ!」
「こ、こいつら……っ!」
散々な言い草の女性陣へと、スティングさんはビキビキと額の青筋を増やした。
しかし先ほど九割九分殺しにされたせいか、スティングさんは深呼吸してアンガーマネジメントする。
「……いいだろう。今は貴様らの強さに敬意を表して退いてやる」
続けて彼は私を指差し、闘志と執念を燃やす。
「しかしこれで終わりだとは思わないことだ……俺は貴様がこの仇討ちに関わっていると確信しているのだからな!」
母様から予言をもらってその道の先に私という存在がいたせいか、スティングさんは私が仇討ちのキーマンだと思っているらしい。
そして踵を返して玄関のほうへと歩き出した青年は、扉を開けて姿を消す直前に、立ち止まって新たなバッドニュースを告げてくる。
「……ああ、それとこれは独り言なのだが……俺が掴んだ情報によればマティアスは東部諸国の国々を動かして、この島へと戦争を吹っかけるつもりらしい……【鮮血皇女】と同盟を結んでいるミストリア王国にも、やつはなにかしらの陰謀を張り巡らせているだろう……」
バタン。
と、とんでもなく物騒なことを言って退室していったスティングさんを見送って、リドリーちゃんが死んだ魚の目をして呟く。
「……塩でも撒いておいたほうがいいのでしょうか?」
……こっちの世界にもその文化あるんですね。
今のはアイリスへと告げられた情報みたいだったので、私たちが彼女へと視線を集めると、アイリスは自分の影から伸びてきた赤い手から羊皮紙を受け取って迅速にそれを読みはじめた。
「――ぷはっ!?」
その途端にアイリスはなぜか吹き出して、しばらく蹲って腹筋をピクピクさせてから、怪訝な顔をする私たちへと涙目で謝罪する。
「ふっ、ふふっ……ごめんなさい……王国の情報網だけだと間に合いそうになかったからメアリーにも調べてもらっていたのだけれど……どうやらあの人の言ったことは本当みたい」
おそらくこの島へと来る道中で遭遇した陰謀の気配を、アイリスは様々な手段を用いて探っていたのだろう。
羊皮紙に書かれた内容を読み終えたアイリスは心配する私たちへと情報共有を行ってくれる。
「ついさっきまでミストリア王国ではちょっとしたクーデターが起きていて……民衆に人気のある王族を新たな国王として担ぎ上げようとする勢力が各地で暴れていたらしいの」
「っ!? 一大事じゃないですかっ!?」
すぐに国王軍に参戦するべきかと腕まくりするメイドさんに、しかしアイリスはその必要はないと制止する。
「いえ、普通なら国家の存亡を賭けた大問題なのでしょうけれど……今回に関しては大丈夫というか……奇跡的にクーデターはひとりの死人も出さずに収束しているわ」
「……どういうこと?」
祖国の危機なのに半笑いの婚約者へと私が訊ねると、彼女は手にした羊皮紙を私たちへと向けてかわいい声を震わせた。
「今回のクーデターの首謀者は……『リドルリーナ・エミル・ミストリア様』だったから……」
羊皮紙には笑いを堪えるように震える血文字で、民に人気のある王族の名前が記されていた。
「――ぶはぁっ!?」
もちろんその字面を見た私も膝から崩れ落ちて、アイリスといっしょに腹筋を抱える。
ピクピクする子供たちの前で、クーデターの首謀者は瞳からハイライトを失っていた。
「……メアリーちゃん? もしかして影の中で爆笑してます?」
ぷ、ぷるっ……。
そこはメアリーを責めないであげて?
だってこんなの笑うしかないじゃん……。
まず間違いなく、リドリーちゃんはマティアスとかいう吸血鬼に名前を利用されただけなんだから。
たとえその名前がクーデターの首謀者として記されていても、彼女の暗躍を欠片も疑わないくらいには、私たちはリドリーちゃんのことを信頼していた。
怒りと羞恥心で赤面して震えるメイドさんに、シャルさんが偉そうに声をかける。
「なんじゃリドリー。国が欲しいなら妾が後ろ盾になってやろうか?」
「欲してませんよ! そんなものっ!」
「「ぷふーっ!」」
やめてシャルさん……その天然ボケは私たちの腹筋に効く……。
そしてしばらく私とアイリスは笑い転げて、ほどよくお腹が引き締まったところで、起き上がって話を整理する。
「つまり、ミストリア王国ではクーデターが起きていたけれど、ちょうどその首謀者が各地でクーデターを潰す動きを見せたから、早期に収束したってこと?」
「ええ、流石はリドルリーナ様ね。クーデターが発生した直後に各地へと駆けつけて、半日もかからずに事件を解決へと導くなんて……これで彼女の人気がよりいっそう高まることは確実だわ!」
着実に王女様の権威が高まっていることに、私とアイリスが満足している横で、リドルリーナ様は怒りの炎を燃やしていた。
「おのれマティアスっ! 許すまじっ!」
……スティングさんは私よりもリドリーちゃんに仇討ちの手伝いを頼むべきじゃないかな?
今のやる気になっている彼女なら、きっとまたミラクルを起こして一瞬でマティアスを見つけてくれるに違いない。
重そうな問題が案外軽かったことに安心した私は、邪悪な吸血鬼が企てていた陰謀について思考をめぐらせる。
「それにしてもマティアスはクーデターまで起こしてなにを企んでいたんだろう? 創世神に魂を売った邪神官ってことは、世界を滅ぼすことが最終目的なんだろうけど……ミストリア王国にちょっかいをかけた理由がわからないな……」
世界を滅ぼすために『門』があるこの島を狙うのはわかるけれど、ミストリア王国にまで手を伸ばす必要があったのだろうか?
そんな私の疑問に、アイリスが小さな顎に手を当てる。
「……おそらくこの陰謀の目的は、ミストリア王国の海軍を抑えることじゃないかしら?」
リドリーちゃんが助けた人の中に海運関係者がいたことを思い出した私は、緩んでいた気を少しだけ引き締めて頭脳を回転させる。
「あ、そっか! 海からの侵攻ルートを確保しようとしているのか!」
「ええ、この島まで来るためにはミストリア王国の近海を通る必要があるから、同盟国が援軍を寄越さないように国内を混乱させたかったのだと思うわ」
その目論見はリドリーちゃんが早々に打ち砕いてしまったわけだけど、それなりにミストリア王国内は混乱しているだろうから、ハルトおじさんや師匠あたりに警告を出しておいたほうがいいのかもしれない。
迫りくる戦争の気配に私が行動を起こそうとすると、しかしまるでそのタイミングを見計らったかのようにメアリーが、ぷるっ、と震えた。
「……え? 師匠からのメッセージ?」
どうやら【蓋門島】周辺の海底を探索していたメアリーの一部に、師匠が声をかけてきたらしい。
……なんで師匠は海の底をうろついているんですかね?
海底に転移門を開いてしまうと大変なことになるので、握りこぶし大のメアリーを部屋の壁へと放り投げると、壁に広がった赤い身体が師匠の言葉を形作る。
『――そろそろ【血液袋】から情報を聞いたでしょ? その件でちょっとお願いがあるんだけどさ……このままだとミストリア王国の対応が間に合っちゃいそうだから、ラインハルトに言って東部諸国の海軍を素通りさせてくれないかしら?』
すべての陰謀を把握してそうな師匠の雰囲気に、私は頼もしさを感じながら確認の言葉を返す。
「……いいんですか? そんなことをしたら戦争になっちゃいますよ?」
メアリーの優秀な情報伝達能力によって、普通に会話するような速度で血文字が書き換えられていく。
『この島を狙ったやつは殲滅するのが決まりだから、むしろ軍隊として纏まってくれたほうが都合がいいのよ。それに――』
「それに?」
なにやら邪悪に微笑んでそうな師匠の雰囲気に、恐る恐る私が確認すると、壁の文字列がろくでもないメッセージを作る。
『――これは戦争じゃなくて、ただの教育だから』
……同じ土俵に立ってないんですね、わかります。
外の世界へと続く『門』があったり、神古紀の技術が残っていたり……この島って色々な勢力から狙われてそうだからなぁ……。
おそらく師匠たちにとって、こんなことは日常茶飯事なのだろう。
問題が無いと判断したアイリスが、師匠からの依頼を承諾する。
「素通りの件は私から父に伝えておきます」
『うむ。頼んだ』
人間に対して定期的に『教育』を行ってそうな恐ろしい師匠に、念のため私は他の情報についても確認しておいた。
「それとスティングさんから聞いた話によれば、マティアスとかいうヤバい吸血鬼がこの島に潜んでいるみたいなのですが……そちらも追いかけたほうがいいのでしょうか?」
少なくとも戦争を起こすだけの権力を持っているのだから、平穏な離島生活を楽しみたいと思ったらマティアスを無視することはできないだろう。
命令があればスティングさんに協力して世界の危機に立ち向かおうと意気込む私に、しかし師匠は肩の力が抜ける回答を送ってくる。
『そいつを見つけて倒すことがエストランド領へと帰る最低条件だから、生活が落ち着いたら自分の力で探してみなさい? ちなみに特徴は似ているけれど、ルガットは白だから』
……こっちも師匠にとっては子供の課題でしかないんですね…………。
師匠の言葉からは『すでに見つけている感』が溢れ出ていた。




