第101話 青鱗の里のスティング
SIDE:ノエル
引っ越し先での初戦闘から一〇分後。
怒り狂うアイリスたちをどうにかなだめすかし、スティングさんを治療してもらったところで、私たちは改めて自己紹介からやり直すことにした。
「それでは各々、先ほどまでの確執は水に流して、まずは平和的に話し合いからはじめましょう」
「…………う、うむ」
部屋の隅で正座させられているスティングさんはともかく、
「次やったら塵も残らないと思いなさい……」
「おうコラ! 我が主君に槍を向けるとはいい度胸じゃなあ!」
「子供を本気で殺そうとするなんて何考えてるんですかっ!」
彼が指一本でも動かそうものなら八つ裂きにしてやろうと構える女性陣の殺意が消えていないので、私は部屋の中央に立って彼と彼女たちの間を取り持つ。
「どうどうどう」
ぷるっ! ぷるっ!
はいはい、メアリーも彼を足の指先から少しずつスライスしようとか提案しないの!
まったくうちの女性陣は過保護なんだから……。
そして私が彼女たちの愛情に護られて嬉しいような恥ずかしいような気持ちになっていると、顔色を土気色にしたスティングさんが私の背中に囁いてきた。
「おい、小僧……どうして吸血鬼の貴様が俺をかばっているのだ? 貴様らは他の人類種を家畜以下と思っているような種族だろう?」
スティングさんの酷い偏見に、私は振り返って反論する。
「家畜は人間よりもかわいいですよ! あの子たちは餌をあげた分だけ恩恵を返してくれるんですから!」
「……坊ちゃま、坊ちゃま……そこは家畜ではなく人間を擁護するところです……」
「……ああ、うん」
いや、うちの【重肉竜】たちはそこらの人間よりもかわいいから……つい、ね。
そして私が身内びいきを拗らせていると、怒りを霧散させたアイリスがスティングさんの発言に首を傾げて質問を返した。
「少しだけ蒼月の血が混ざっているみたいだから、ミストリア王国の生まれかと思っていたけれど……もしかしてあなたは東部諸国のほうから来たのかしら?」
独特の青みの瞳を持つ青年にアイリスが鋭い観察眼を向けると、彼は正座を崩してあぐらをかき、偉そうに首肯した。
「なんだ、貴様はミストリア王国の住人か……ならばこの血の持つ意味がわかるだろう?」
遠巻きに高貴な血が入っているから敬えと態度で示すスティングさんに、アイリスは変装用の仮面を外して彼よりも鮮やかな蒼眼を見せ、魔法で変色させていた黒髪も銀色へと戻した。
「ふんっ……直系の血か……俺には龍神の血も混ざっているから血の尊さで言ったらこちらのほうが少し上だな……しかしまあ、対等に会話することくらいは許してやろう」
あくまでマウントを取ろうとする偉そうな態度にリドリーちゃんが拳を構える。
「あまり頭が高いと床に埋めますよ?」
スティングさんは、シュバッ、と正座に戻った。
「それだと頭の高さが先ほどよりも高くなりますね?」
「き、貴様っ!? この俺に頭まで下げろと言うつもりかっ!? 無様に正座をしてやっているのだから、ここはそれで満足するところだろうがっ!?」
どうやらシャルさんが言う通り、この人のプライドは雲よりも高いらしい。
ギリギリ拳骨を回避して、リドリーちゃんを睨みつけながらスティングさんが呟く。
「まったく……なんなんだこいつらは……そもそもこれほど強大な【神魂の砕片】を宿す者が、どうして【鬼人族】として生まれていないのだ……」
そんな彼の様子を横目で観察しながら、私はアイリスへと先ほどの発言の意味を訊ねた。
「どうして君はスティングさんが東部諸国から来たと思ったの?」
蒼い瞳に神聖気を満たして私と同じく彼を観察していたアイリスは、彼に危険は無いと悟ったのか、瞳に宿した神聖気とともに戦意を落ち着かせた。
「あちらを縄張りにしている吸血鬼たちは、ノエルたち【ヴラド系吸血鬼】とは別系統なのよ」
別系統という言葉に、私はかつて本で読んだ吸血鬼の情報を思い出す。
「つまりは始祖が違うってこと?」
私たちこの世界に暮らす吸血鬼は【金月神ラグナリカ】が生み出した一二体の始祖から血を与えられた子供で、その血に大きな影響を受けていると【吸血鬼の特性と血怪秘術について】で読んだことがある。
私や父様はまだ見ぬ【鮮血皇女】様とやらをルーツに持つ【ヴラド系吸血鬼】だが、東部諸国にいる吸血鬼は別の始祖から血を与えられた吸血鬼なのだろう。
イザベラさんから英才教育を受けたアイリスが、その予想を肯定してくれる。
「ええ、人の血をあまり好まない【ヴラド系吸血鬼】とは違って、東部諸国の吸血鬼は人血を好物としているから、あちらでは吸血鬼と他人種間の対立が激化しているらしいわ」
師匠も人の血は好きじゃないと言っていたし、そこらへんの好みも我々は始祖の影響を受けているのだろう。
アイリスの血も人の血というよりは神の血に近いからね。
私たちは人間と共存することに適した吸血鬼なのかもしれない。
「そっか……それでミストリア王国では【吸血鬼ハンター】を見たことがなかったのか……」
エスメラルダさんたちは聖騎士だから、吸血鬼だけを殺しにくる吸血鬼ハンターとはまた別枠だろう。
人と吸血鬼が仲良く共存する故郷の光景に私が納得していると、正座をしたままスティングさんが鼻を鳴らす。
「ふんっ! 俺もヴラド系を狩ったことはないが……東でも西でも吸血鬼に違いなどないだろう! 少なくとも俺が出会ってきた吸血鬼どもは人を物のように扱う腐れ外道ばかりだったからな!」
「いやいや、そんな吸血鬼がヴラド系にいるわけ……」
と、同族を擁護しようとしたところで、私は数時間前に目にした死体とダンスを踊る師匠の姿を思い出した。
……いや、うちも人を物のように扱っているのか?
「実際に俺は【血液袋】にされているが?」
……ですよね。
しかし人血を好む野蛮な吸血鬼といっしょにされるのは業腹なので、私はスティングさんへとこんな提案を出す。
「それじゃあ僕がスティングさんと出会った『最初のまともな吸血鬼』になりますよ! 吸血鬼の中にもまともな個体がいるということを、僕を通して知ってください!」
自身満々に胸を叩く私へと、しかしスティングさんは冷たい視線を向けてきた。
「……貴様はどう見ても『まとも』ではないのだが…………」
スティングさんの突っ込みに、深々と頷く仲間たち。
「辛辣ぅ……」
そりゃあちょっと人類を管理することに賛成していたり、邪悪でかわいい見た目の眷属を大量に抱えていたり、国には言えない危険物を集める秘密結社を運営していたりするけどさ……大切なのはそういう中身じゃなくて外面のほうだと思うの。
イケメンで、紳士的で、優しい貴族。
本来『まとも』という言葉はこういう外面だけを差して使う言葉なんじゃないだろうか?
そもそも中身まで見ている人間なんて滅多にいないからね。
しかしスティングさんの吸血鬼に対する偏見は頑なみたいなので、仕方なく私は長期戦で彼にヴラド系吸血鬼の素晴らしさを伝えることにする。
「それではこうしましょう……スティングさんにはこの建物の二階を貸してあげますから、家賃の代わりに、しばらく吸血鬼を狩らないでください」
手にした鍵束から『2』と書かれた鍵を外して、私はそれを住所不定の吸血鬼ハンターさんへと差し出す。
「……は?」
訝し気にこちらを睨む彼へと、私は紳士的に続けた。
「しばらくこの島に住む吸血鬼たちの様子を観察して、それでもこの島の吸血鬼が討伐に値すると思ったなら……その時は最初に僕を討伐しに来てください」
「…………」
スティングさんがどうして【吸血鬼ハンター】になったのかは知らないけれど、プライドの高い彼が敵からここまで情けをかけられたなら、決して狩る順番を変えたりはしないだろう。
この島に暮らす他の吸血鬼に迷惑をかけるわけにはいかないからね。
そんな思惑を抱いて微笑む私へと、『狩れるものなら狩ってみろ』と挑発されたスティングさんは、額にビキビキと青筋を浮かべた。
「……いいのか? 俺の標的はあくまで吸血鬼だ。貴様の仲間たちが手強いことを知ったからには、俺は貴様だけを陰湿に狙うぞ?」
むしろ修行しに来た私にとって、それは願ってもない提案である。
「ちょうど僕も仲間たちより強くなりたいと思っていたところですから、実戦の機会を得られるなら有り難いくらいですよ!」
挑発に挑発を重ねると、スティングさんは乱暴に鍵を受け取って、勢いよく立ち上がった。
「いい度胸だ小僧……俺の名は【青鱗の里】のスティング。竜巣山脈の奥地で暮らす【龍神族】の末裔だ」
小さな炎とともに吐き出された本気の名乗りで、彼の故郷が自分の故郷に近いことを知った私は、ライバルになってくれそうなご近所さんへと改めて名乗った。
「ノエル・エストランドです。僕の故郷は【竜の尻尾】あたりですよ」
ようやくお互いにちゃんとした自己紹介を終えたところで、ニヤリと武人の笑みを浮かべたスティングさんが私に宣言する。
「ふっ……生まれが近いとはこれもまた運命か……貴様は必ずこの俺が殺してやろう。そして貴様が死んだ暁には、その灰を必ず貴様の故郷に届けると俺の名に誓おう」
それが戦士としての作法なのか、かっこよく踵を返したスティングさんは、しかしそこから三歩ほど歩いたところで、
「――いや待てっ!? いま『エストランド』と言ったか!?!?!?」
ぐりんっ、と首がもげそうな速度で振り返った。
◆◆◆
それから私がエストランド領の出身であることを懇切丁寧に説明すると、スティングさんは青ざめた顔で絶叫した。
「――そ、そういうことは先に言ええええええええええええっ!!!」
なぜか正座させられた私に、スティングさんは説教を続ける。
「貴様がエストランド家の出身ということは、つまり貴様はラウラ・エストランドの息子ということではないかっ!!!」
「あれ? もしかして僕の母様と面識があるのですか?」
吸血鬼関係だから父様の知り合いかと思っていたのだが、どうやら彼は母様の知り合いだったらしい。
私の確認に、スティングさんは苦虫をダースで噛み潰したような顔をする。
「……ラウラ・エストランドには大きな借りがあるのだ……あれはずいぶん昔のことになるが……俺は一度あの女と戦って殺されかけている……」
なんとも母様らしい関係性に、私は午前中に別れたばかりの家族のことを懐かしく思った。
「母様はすぐ殺しにきますからねぇ……」
「うむ、当時の俺はまだ里を出たばかりの世間知らずでな……山道を越えて真っ先に目についた吸血鬼を殺そうとしたのだが……その時のラウラ・エストランドの怒りっぷりは凄まじいものだった……」
山道を越えて真っ先に目についた吸血鬼ということは、彼は父様のことを狩ろうとしたのだろう。
ぶるり、と震えるスティングさんに、私は怒り狂う母様を想像して、彼が生きていることを不思議に思った。
「よく殺されませんでしたね?」
父様の命を狙ったなら確実に殺されそうなものだが、どうして彼は今も生きているのだろう?
「いや、最初は俺も殺されると思ったのだが……トドメを指す直前に、あの女は【天命眼】で俺の未来を見たらしい」
「それはそれは……なにか予言をもらったんですか?」
金眼を使いこなす母様が見た未来の内容が気になって前のめりになると、スティングさんは、ドカッ、とあぐらをかいて私と目線を合わせてくる。
「あの女はただこう言った――『仇を取りたければ東に行け』とな」
母様の真意を問おうとしてくるスティングさんの視線に、なにも知らない私は首を傾げる。
「…………仇?」
そして瞳孔を怒れる竜のように縦に割った狩人は、どうして彼が執拗に私の同族を狙っているのかを教えてくれた。
「――ああ、俺の両親は吸血鬼に殺されたのだ」




