第100話 吸血鬼への支給品
SIDE:ノエル
「ふがっ! ふがっ!! ふんがーーーーーーーーっ!!!」
縦に割れる青い瞳孔を血走らせ、全身の筋肉を膨らませて、憤怒の形相で睨みつけてくる角付きの青年。
その口元にはこれまた鋼鉄製の猿轡がハメられており、その隙間からは時おり赤い炎が吹き出していた。
「「「「…………」」」」
私たちはしばらくそんな半裸の青年と見つめ合い、
「……お邪魔しました」
代表してリドリーちゃんが、パタン、と扉を閉める。
「ふがっ!?!?」
そして空気を読んだアイリスは扉の向こうから聞こえる困惑の声を無視して、明るい口調で新しい予定を提案してくれた。
「やっぱり先に晩御飯を食べに行きましょうか?」
「そうだね。ちょうどお腹も空いてきたし、美味しそうな店でも探そうか?」
「妾は魚料理が食いたいのじゃ!」
抜群のチームワークを発揮して私たちは階段を下りようとするが、しかしそれを止めるように背後の扉の隙間から勢いよく炎が吹き出してくる。
「――ふんがあああああああああああああああああぁっ!!!!!」
……ガスの元栓締め忘れたかな?
扉の向こうから発せられた咆哮には明らかな憤怒の感情が籠もっていて……新居が燃えることを心配した私たちは仕方なく再び扉を開けることにした。
キイイイイィ……。
扉を開けた私たちを待っていたのは……相変わらず拘束されたまま、パンツが燃えて半裸から全裸へと状況を悪化させた青年の艷姿……。
どうやら炎を吐いたことで自分の下着を燃やしてしまったらしい彼は、青鱗の生えた太ももをキュッと閉じて、先ほどよりも怒気の籠もった竜眼でこちらを睨みつけていた。
……いや、全裸になったのは自業自得なんだから……そんな目で私たちを見ないでよ……。
筋肉質な青年の恥ずかしい姿を指の間から覗きながら、リドリーちゃんが当然の疑問を口にする。
「……なんなんですかね、この人は……プリメラーナ様の所有物ではなさそうですし……」
流石にナマモノを倉庫に放置しておくことはないだろうと考察するメイドさんに、シャルさんが引き締まった男の尻を凝視したまま斬新な見解を出す。
「こやつがルガットの言っていた支給品とやらではないか?『三階に置いてある』とか言っとったじゃろ?」
「ああっ――」
その意見にアイリスが、ポンッ、と手を叩いて、彼の正体を推測した。
「――おそらくこの人は【血液袋】よ! シャルの言う通り、ノエルのために用意された非常食だと思うわ!」
「「ええ……」」
猟奇的なことを言いはじめた婚約者に私とリドリーちゃんが困惑の眼差しを向けると、アイリスはそのような考えへと至った理由を教えてくれた。
「……小さいころに聞いたことがあるのだけれど、私のお父様もノエルのお父様とこうして出会ったらしいの……」
「ええ…………」
私は無二の親友である父親たちの出会いを聞いて、さらに困惑を深めた。
「……それはつまりハルト様も【血液袋】だったということですか?」
リドリーちゃんの確認に、アイリスは真面目な顔で頷く。
「お父様はよく『メルキオルと出会わなければ奴隷以下の存在として死んでいた』と話していたから……こういった非人道的な扱いをされていたんじゃないかしら?」
アイリスが指差した青年は確かに非道な扱いを受けていて……私は婚約者の父親に同情した。
「偉い人なのにこんな扱いを受けていたなんて……いったいハルトおじさんは何をやらかしたんだろう?」
波乱万丈な体験をしているおじさんの過去に疑問を持つと、アイリスが父親から聞いた昔話を教えてくれた。
「――これは三〇〇年以上も前のことなのだけれど……当時のミストリア王国は東から流れてくる麻薬の影響で荒れていて……私のお父様は国を守るために吸血鬼との同盟関係締結を目指していたらしいの」
「うん、合理的だね」
血の味にうるさい吸血鬼は薬漬けの血液を嫌いそうだから、ハルトおじさんは吸血鬼と手を組むことで麻薬の売人を駆逐することを考えたのだろう。
その説明に私が納得したところで、アイリスは続ける。
「それで当時まだ若かったお父様は、てっとり早く自分の実力を認めさせようとプリメラーナ様に喧嘩を売ったのだけれど……手も足も出ずボコボコにされたらしいわ……」
「うん、当然の結果だね」
あの師匠に喧嘩をふっかけるなんて、ハルトおじさんは勇者である。
「あとは私の想像になるけれど……プリメラーナ様に負けて【血液袋】にされたお父様は、ノエルのお父様と出会ったことで人権を取り戻したんじゃないかしら? その後のミストリア王国は無事にヴラド系吸血鬼と同盟関係を結んでいるから、いろいろと冒険があった後に大団円を迎えたんだと思うわ」
アイリスの予想から王国の歴史を垣間見た私は、部屋の窓を開けて海が見えることを確認した。
「それでハルトおじさんは師匠に頭が上がらないのか……」
おじさんも苦労してんなぁ。
そうして部屋から見える美しい海を眺めて私とアイリスが父親たちの冒険譚に思いを馳せていると、リドリーちゃんが玄関に残してきた【血液袋】を指差して突っ込みを入れてくる。
「……いや、二人とも……この人のことを見なかったことにしないでくださいよ……エストランド領とは違ってここには簀巻きにされた人を処理してくれる人がいないんですから……」
……ですよね?
いつもなら簀巻きにされた悪徳商人はマーサさんが処理してくれるのだが、ここには汚れ仕事を率先してやってくれるメイドさんがいないので、仕方なく私は自分で対処することにする。
リドリーちゃんはマーサさんの教育を受けているけれど、根が優しい彼女は縛られている人を殴るのが苦手なため、この手の仕事は私とアイリスで処理するのが適切だろう。
覚悟を決めた私がとりあえず簀巻きにされている事情を聞くため血液操作で青年の猿轡を外すと、青年は堰を切ったようにドスの効いた声で怒鳴り散らした。
「――ぶはっ!? 馬鹿なのか貴様らはっ!? 普通は縛られているやつを見たら、どうして縛られているのかを真っ先に聞き出すだろうがっ!?」
その指摘に私とアイリスは視線を逸らす。
「……あ、いえ……縛られている人は普段から見慣れているので……ちょっと対応するのが面倒くさくなったと言いますか……」
「……事情を訊くと必ず命乞いされるものね…………」
「貴様らどんな環境で育ってきたのだっ!?」
月に二回は誰かが簀巻きにされている環境です。
真っ当に怒る青年にリドリーちゃんが頭を下げる。
「すみません……うちの坊ちゃまは凄まじい田舎者でして……」
「だからそれはどんな田舎だっ!? そして貴様はどうして頭に陶器を乗せているっ!??」
しゃべればしゃべるほど混乱していく青年を、シャルさんが優しく嗜める。
「まあまあ、【龍神族】の小僧よ、負けたからといってそう怒るでない。お前さんたちのプライドが雲よりも高いことは知っておるが、妾の主君に喧嘩を売るのは悪手というものじゃぞ?」
「っ!? と、特にこれはなんなのだっ!? どうして生首が平然としゃべっている!?!?」
シャルさんが口を開くと余計に場がカオスになるので、私はそっと手に持つ生首をアイリスへと手渡した。
「はいはい、シャルはちょっと黙ってましょうね?」
「むぐっ!?」
すかさずアイリスはリドリーちゃんから受け取った干し肉をシャルさんの口へと突っ込んで、場の狂気度を少しだけ緩和する。
そうして、モッチャモッチャ、とシャルさんが干し肉を咀嚼しはじめたところで、私は改めて全裸の青年へと話しかけた。
「ご挨拶が遅れましたが、僕はノエルと申します。ここで出会ったのもなにかの縁ですし、ひとつあなたのお名前を伺っても?」
対人関係の基本を忠実にこなす私に、全裸の青年はまるで珍獣を見るような目を向けてくる。
「……貴様……よくこの状況で普通に自己紹介ができたな…………」
「……すみません……うちの坊ちゃまはとてつもない田舎者でして…………」
重ねてリドリーちゃんが謝罪すると、青年は怒りを吐き出すように嘆息して口元の炎を引っ込めた。
「……ひとつ訊くが、貴様はこの島に集まるという年若い吸血鬼か?」
新調した髑髏の仮面を着けたままだったので、私はそれを外して眼帯をした顔を見せる。
エスメラルダさんの時に懲りているので目元を見せることはできないけれど、これで私の若さは伝わるだろう。
「はい、今年で一〇歳になりました。ここには吸血鬼の基礎教育を受けるために来ています」
それだけ言うと青年の瞳からは怒気が消え去り、少しだけ雰囲気が柔らかくなる。
「そうか……俺の名はスティングだ……とりあえずこの拘束を解いてくれないか?」
いちおうアイリスを見て確認すると、問題ないと頷いてくれたので、私は錬金術で鋼鉄製の鎖を変形させてスティングさんの拘束を解いた。
「すまんな」
途端に彼が外套を掴んできたので、私は【短距離転移】で後方へと退避する。
そして奪った外套で手際よく下半身を隠すスティングさんの姿を見て、私は情けない声を出した。
「……あぅ……まだ卸し立てなのに…………」
初対面の男の腰蓑にされちゃったよ……。
あれではスティングさんのスティングくんが外套に触れてしまっているから、しっかり洗濯しなければ再び着る気になれないだろう。
そんな呑気な感想を抱く私へと、スティングさんはなぜか、ギョッ、とした顔を向けてくる。
「おい待てっ!? どうして貴様は陽光の中で平然としているのだっ!?」
「……え?」
一瞬本気で何を言われているのかわからなくてリドリーちゃんへと目を向けると、彼女はすかさず耳打ちしてくれた。
「……室内とはいえ普通の吸血鬼はこれくらいの光でもダメージを受けるでしょう? おそらく今のは坊ちゃまを炎上させようとして外套を奪ったのだと思いますよ?」
「ああっ!」
……ただ下半身を隠したかったわけじゃなくて、私を燃やして隙を作ろうとしていたのか!
確かに室内には窓から西日が差し込んでいて、父様だったら燃えそうなくらいには明度が高かった。
プリメラーナ師匠といい、ルガットさんといい……最近は日光を物ともしない吸血鬼たちに囲まれていたから、それが種族最大の弱点であることを忘れていたよ……。
機転の効いたスティングさんの行動を台無しにしてしまった私は、紳士的に謝罪する。
「すみません……これくらいの明るさは二歳のころに克服しているんです」
「なっ!?」
いやはや出鼻を挫いてしまって申し訳ない。
ここでしっかり私が炎上していれば、その隙を付いたスティングさんが窓から逃げ出して面倒事がひとつ片付いたかもしれないのに…………今からでも燃えれば逃げ出してくれないかな?
そうして私が自分に着火するべきかどうかを悩んでいると、スティングさんは手の平から炎の槍を出現させて、くるりと回して腰溜めに構えた。
室内に火の粉が舞い散り、スティングさんの闘気が燃え上がる。
「……その年でそれほどの修練を積んでいるとは恐れいった……どうやら貴様は本気で排除しなければならない『我々の敵』のようだ」
一転して完全に殺る気になってしまったらしいスティングさんへと、まったく戦う気のない私は小首を傾げる。
「……我々の敵?」
そして神聖気を帯びた炎で即席の鎧を作ったスティングさんは、凄まじい脚力で床板を踏み砕きながら襲いかかってきた。
「――俺はいわゆる【吸血鬼ハンター】なのでな」
――それから二十秒後。
けっきょく戦いには参加せず見学するだけに終わった私は、床の上で塩をかけられたナメクジのようになっている吸血鬼ハンターさんの傍らへとしゃがみ込んだ。
「あのぅ……僕に喧嘩を売るのはともかく……うちの女性陣と敵対するのはやめたほうがいいと思いますよ?」
みんなとっても強いので。
彼の左側には殲滅モードになったアイリスが、右側には赤髪モードになったリドリーちゃんが、そして室内の壁全体には殺意を増し増しにしたメアリーが現れて、スティングさんにシャルさんと拳と魔眼を向けていた。
手足を斬り落とされ、叩き潰され、捻じ曲げられて……九割九分殺しにされた彼は血ヘドを吐きながら涙目で叫ぶ。
「……き、貴様らほんとに何者なのだっ!?!?!?」
その情けなくも決して闘志を失わない武人の姿を目にして、私はスティングさんという存在に少しだけ興味を持った。




