第97話 空の旅
SIDE:ノエル
『もっと上空を飛んで!』
『絶対に寄り道はしないこと!』
『トラブルに巻き込まれたらリドリーさんが対処するように!』
『……秘密の教育係は出張サービスも承っておりま~す♪』
『……エッチな先生を呼び出す方法は簡単っ♪ なんとメアリーちゃんにお願いするだけっ♪』
続けざまに父様から過保護なメッセージ(&迷惑広告)をメアリー経由で受け取りながら、私たちはグングンと目的地である島の方角へと血竜に乗って空を飛び続けた。
眼下では冬の薄い雲がレースのカーテンのように膜を張り、いい感じにメアリーと私たちの姿を地上から隠してくれている。
前を見てもそこにはどこまでも地平が続いているだけで、私たちが目指す海まではまだ距離がありそうだった。
「こういう旅もたまには悪くないね」
「うむ、このまま空の上で弁当を食いたいのじゃ!」
そして父様からのメールラッシュが終わり、怪しい業者のアドレスをブロックしたところで、
『そのあたりから私の金眼の力が届かなくなる』
今度は母様からの短いメッセージが届いて、
『気をつけろ』
私は遠征で浮かれていた気持ちを引き締める。
そうだ……今の私たちには母様の庇護がないのだ。
これまでは未来視の力を使って私たちが死なないように母様が何かをしていたのだろうけれど、今はもうその影響力から遠いところに来てしまったのだと、イビルアイと化した私の金眼が囁いていた。
おそらく今回の修行では、エストランド領で母様がやっていた『何か』を理解する必要があるのだろう。
まだ【眼術】が上手くない私ではその片鱗すらも見ることができないけれど、それはきっと私が理想とするスローライフを実現する助けにもなってくれるはずである。
そんな確信にも似た直感を胸に私はキリッと前を向いて、
「あっ! あんなところで貴族の馬車が魔物に襲われているわよ!」
なんとも素敵なアイリスの言葉にさっそく浮かれていた気持ちが再燃した。
「えっ!? どこどこっ!?」
貴族の馬車の襲撃イベントだなんて……そんなの首を突っ込むしかないだろう。
そのままメアリーに高度を下げさせて華麗に助けに入ろうとする私たちへと、しかしリドリーちゃんがダブルチョップを入れてくる。
「魔王が助けに現れてどうするんですかっ!」
「いやいや魔王なんてどこにも――」
――居た。
言われてみれば確かに今の私の格好は魔王にしか見えなかった。
片手に生首。
髑髏を模した禍々しい仮面に漆黒の外套。
おまけに騎乗しているのは鱗の代わりに体表に無数の眼球を浮かべたワイバーンなのだから……これはもう魔王としか言いようがない。
アイリスも私をエッチなサキュバスから護衛するために全身にメアリーが染み込んだ漆黒の包帯を巻いて両手に光剣と背中にメアリーの翼まで装備しているし、頭に陶器を三段重ねで乗せているだけのリドリーちゃんがまともに見えるレベルである。
「……魔王が助けに現れたらまずいですかね?」
「……まずいというか下手したら軍隊が動く大問題にまで発展するかと……ここは私がチャチャッと助けてきますから、坊ちゃまたちは空の上で大人しくしていてください」
そしてリドルリーナ様の衣装に早着替えして、頭に陶器を乗せたまま血竜の背中から落ちていくリドリーちゃん。
その姿を見た私はアイリスに肩をすくめる。
「……王女様が空から降ってくるのは問題にならないのかな?」
「……あの子はリドルリーナ様の人気を自覚していないのよ」
「……せっかくラウラが警告してくれたのにのう…………」
ここ三年で暗黒騎士たちと共に数多くの邪術使いを倒したリドルリーナ様は、ミストリア王国中の至るところでその活躍が劇にされるくらい絶大な人気を誇っているのだ。
「確かあの家紋は侯爵家だったかしら? 海運に強い影響力を持つ家系でリドルリーナ商会とは敵対的だったはずだけど……これを機に協力関係を結べるかもしれないわね……」
アイリスが冷静に商会のさらなる発展を目指す計画を立てていると、あっさりリドルリーナ様は魔物を退治して飛行を続けるメアリーの元まで戻ってくる。
「――さあ、旅を続けましょう。今後も襲われている人がいたら私が出ますから、坊ちゃまたちは絶対に空から下りないでください」
頭に三つも高級陶磁器を乗せてるのに器用だな……。
そんなリドルリーナ様の活躍もあって、それからも次々と魔物や盗賊に襲われる人を助けながら、私たちの旅は順調に進んだ。
途中でアイリスが、
「……あれ? どうしてこんなに大物ばかりが襲われているのかしら? もしかしてろくでもない陰謀でも進行してる?」
とか言ってハルトおじさん宛に手紙を書いていたけれど、ただの田舎者でしかない私は見て見ぬフリをした。
これから私は南の島で吸血鬼教育を受けるのだから、そんな王国のいざこざに巻き込まれるわけにはいかないのだ。
魔物に襲われる貴族を助けて恩を売るくらいならともかく、ドロドロした貴族問題に首を突っ込むのはノーサンキューである。
すでにそのろくでもない陰謀とやらはリドルリーナ様によって半壊させられている気もするし……あとはハルトおじさんが頑張って解決してください。
そしてリドルリーナ様が大物とのコネクションを増やしながら進むこと数時間。
メアリーに揺られながらイザベラさんが作ってくれたお弁当を食べて景色を楽しんでいると、音速を超える速度で移動を続けたこともあって、地平の向こうに太陽光を反射して輝く水面が見えてきた。
「わあっ!!!」
と、リドリーちゃんがわかりやすくテンションを上げて、私はメアリーに頼んで高度を落としてもらう。
海面スレスレを飛行すると潮の香りが鼻の奥を抜けていって、その香りに興味を引かれたリドリーちゃんが手を伸ばして海原に水しぶきで線を引いた。
「坊ちゃま、アイリス様! 触ってみてくださいよこれっ! 湖の水よりヌメヌメしてますよ!?」
海水が持つ独特の粘り気に瞳を輝かせるリドリーちゃん。
「……いえ、海に触れるのはちょっと…………」
と、海水に触れるメイドさんにドン引きするアイリス。
なぜかメアリーの背中の中央で光剣を構える婚約者に首を傾げつつ、私は子供みたいにはしゃぐリドリーちゃんへと質問する。
「もしかして初めての海なの?」
「はいっ! 知識としては知っていましたが、実際に来るのはこれが初めてです! ……というか坊ちゃまも初めてですよね?」
「ああ、うん……」
私は前世で何度も海に行ったことがあるけれど、こちらの世界の海は初めてなのでリドリーちゃんに続いて海面へと手を伸ばした。
パシャパシャッ、と海水を指先で弾いて、濡れたそれを口元に持っていくと、強烈な辛さが脳髄に突き刺さる。
「うげっ! しょっぱいっ!」
こちらの世界の海も塩辛いことを確認していると、小脇に抱えたシャルさんから笑われる。
「フハハハッ! 流石は主君とリドリーじゃっ! 魚人でもないのに海に身体を浸けるとは、行動が完全にイカれておるな!」
「「え…………?」」
私とリドリーちゃんが呆けた声を出すのと同時、メアリーの下にあった海面が盛り上がって直径二十メートルはありそうな白い触手が飛び出してきた。
ツブツブした吸盤が並ぶ軟体生物の足に囲まれて、アイリスが光剣を振るいながら忠告をくれる。
「……海水に触ると巨大な海洋モンスターが寄ってくるのよ……だから沖で水遊びするのは船乗りたちの間では絶対の禁忌とされているわ」
……そういうことはもう少し早く言おうか?
とも思ったけれど、しかしアイリスが剣を振り抜けば白い巨大な触手はスパッと斬れて、
「リドリーっ!」
「てやっ!」
リドリーちゃんが瞬時に発動させた収納魔法により、私たちに向かって落ちてくる三本の足が消え去った。
残りの七本が反抗的な獲物を捉えようと跳ね回るが、メアリーが身体を流動させながら触手の隙間をすり抜けて、怪物の攻撃が届かない上空まで高度を確保する。
そして雲の上まで逃げて眼下で水しぶきを立てて海の底へと戻っていく【海船呑喰烏賊】の姿を見送ったところで、リドリーちゃんが冷や汗を流した。
「……海で遊ぶのはやめましょうね、坊ちゃま」
「……先に遊んだのはリドリーだよ?」
「……くっ……確かに今のは私のミスでした……」
ノリの軽いメイドさんはちゃんと自分の否を認めて反省してくれたが、しかしシャルさんとアイリスがリドリーちゃんへとフォローを入れる。
「さっきの珍しいイカは美味い気がしたからグッジョブじゃけどな!」
「そうね……クラーケンの足は超がつくほどの高級食材だし……丸々三本ともなると、ちょっとしたお城が建つくらいの大金になるんじゃないかしら?」
「「へぇ…………」」
なんでもすぐに忘れてしまうシャルさんが味を覚えているということは、よっぽどクラーケンの足は美味しいのだろう。
ゴキュリ……と、その味を想像して私とリドリーちゃんは生唾を飲み、むしろ水遊びして良かったのかもしれないと考えを改める。
「……もう少し海で遊んでみる?」
「……それは味見をしてから考えましょう」
というかリドリーちゃんはさっきから雲の下に行くたびに資産を増やしている気がするけれど……私たちよりもこの子のほうが空の上で休んでいたほうがいいんじゃないだろうか?
そうして私が専属メイドさんの幸運に戦慄を抱きはじめたところで、進行先の水平線にひとつの島影が見えてきて、
「あっ! 蓋門島ってあれじゃないかな!?」
「ええ、地図には載ってない島だけれど……確かに怪しい魔力を感じるわね……」
「案外早く着きましたね! 流石はメアリーちゃんです!」
「こやつのスピードは妾が育てておるからな!」
ぷるっ!
そしてエストランド領を出てから半日も経たずに目的の場所に辿り着いた私たちは、
「「「……うん?」」」
少しずつ近づいてくる島の姿に呆然とした。
「……あれは島というか……亀だよね?」
「……そうね……ゴリアテサイズの亀に見えるわ……」
「……ぜんぜん距離が縮まらないと思ったら……純粋に大きさが狂っているんですね……」
それは島というか先ほどのクラーケンがゴマ粒くらいに見えるほどの超巨大な亀だった。
いや、正確に言えば『超巨大な亀の骨』なんだけど……海原から頭を出す骨亀の後ろにはなだらかな甲羅の天辺が浮かんでいて、その上になんとも長閑な見た目の離島が形成されている。
島の大きさは直径数キロと言ったところだけど、海の下にある本体は海上に出ている部分の数十倍はあるだろう。
亀は見た目どおり死んでいるのかピクリとも動かず、その巨体の周りには無数の廃船が纏わりついており、廃船の素材を利用した港や商店が亀を囲む海上に作られていた。
音速を誇るメアリーがようやく亀の真上まで辿り着くと、シャルさんが懐かしそうに目を細める。
「おおっ! 久しいなザラタンよ! 妾は今帰ったぞ!」
「……ザラタン?」
私の質問に、シャルさんは自慢気に破顔した。
「うむっ! こやつの名前じゃっ! 確か妾とこやつは友達だったのじゃ!」
……大きい友達がいるんですね?
いや、私にも似たような眷属がいるから、長生きしているシャルさんに巨大な友達がいてもおかしくはないけれど……しかしシャルさんがそう言った途端に島がブルッと震えた気がしたのは見間違いだろうか?
「……もしかして生きてる?」
「……おそらく巨大な亀のアンデッドじゃないかしら? この島の詳細はセレスに見せてもらったミストリア王家の歴史書にも載ってなかったから、存在が秘匿されている系の神獣だと思うわ」
「……普段はイタズラ好きな生首でしかないから忘れていましたけれど……そういえばシャル様ってアレな存在でしたね……」
そうして私たちがシャルさんの人脈(?)に戦慄していると、雲の中から白い霧が集まってきてメアリーの背中にルガットさんが現れる。
亀が震えるのはよくあることなのか、彼女は平然と手にした懐中時計で時間を確認して、私たちに課題の評価を告げてきた。
「エストランド領からここまで四時間二十分弱ですか。皆様なら半日はかからないと思っておりましたが……これなら文句無しに素晴らしい速さです。ご褒美にこの高級ティーセットをあげちゃいます」
流れるようにリドリーちゃんの獣耳と尻尾に乗せられるティーカップとティーポット。
「……チョロいとか思ってすみませんでした…………」
ルガットさんの真の恐ろしさを理解したリドリーちゃんが涙目になって謝るけれど、白髪の鬼メイドさんはとてもいい笑顔でティーセットにも容赦なく水を注いだ。
「余裕があるのは良いことですよ? そのぶん追加の修行ができますから」
真綿で首を締めるようにリドリーちゃんへの負荷を増やしていくルガットさん。
「……はひぃ…………」
そして新弟子への教育を終えた美人吸血鬼は、無事に課題をクリアした私たちを優雅なカーテシーで祝福してくれた。
「――それではこれにて【学術都市】の入学試験を合格とさせていただきます。生徒となった皆様にはこの島の【中層】まで入る権利が与えられますので、まずはお嬢様の研究塔まで『学生証』を貰いに行きましょう」