第96話 見送りと課題
SIDE:ノエル
オルタナの街で日用品の注文をした三日後。
商会長直々の注文ということもあり、素晴らしいスピードで用意された品物を受け取って、私たちはエストランド領の真ん中にある広場で村人総出の見送りを受けていた。
「本当に行っちゃうの!? もう少しこの土地で教育を受けてもいいんじゃない? ノエルくんもそう思うよねっ!? ねえっ!?!?」
獲物を逃すまいとするアリアさんが真っ先に止めようとしてくるが、エッチなお姉さんが私の目の前でしゃがみ立ちして大きなお胸を突き出そうとしたところで、アイリスが彼女の背後へと回った。
「せいっ!」
「ぐふぅっ!?」
寸分たがわぬ精度で延髄に振り下ろされた手刀は一瞬で狩人の意識を刈り取って、母様が村の奥様たちに慣れた様子で指示を出す。
「しばらく納屋にでも放り込んでおけ」
「「うぃ~っす」」
二人の奥様に脇と脚を持たれて運ばれていくアリアさん。
そして際どいマイクロビキニを着て現れたサキュバスが処理されたところで、私たちは改めて別れの儀式を行うことにした。
「それでは皆様っ! これよりノエル・エストランド、修行の旅へと行って参りますっ!」
「どこぞの破廉恥モンスターが追いかけてきてもご安心くださいっ! アイリス・エストランドが彼のボディーガードをきっちり務めますっ!」
ビシッ、敬礼する子供たちを見て、頭に水の入った高級陶磁器を乗せたリドリーちゃんも、しぶしぶ出発の挨拶をする。
「……どなたでも構いませんから助けてください……さっそくはじまったこの修行が地味に辛いです……」
その情けない言葉を聞いたルガットさんが無言で陶磁器の水を増量して、リドリーちゃんは挨拶を仕切り直した。
「…………子供たちともども頑張ってまいりますぅ…………」
そして最後に私が持つ生首が偉そうに笑い声を上げる。
「フハハッ! つまりは妾がこやつらの保護者ということじゃなっ! どこになにをしに行くのかは知らんが、このシャルティア様がついているのだから大船に乗った気で見送るがいいっ!」
思い思いの挨拶をする私たちに、村の奥様たちが本音を零した。
「……ねえ団長? 本当に送り出して大丈夫なのこれ?」
「……やっぱり考え直したほうがいいんじゃない? かつてないほど不安なんだけど?」
「……なぜだろう……盗賊や魔物に襲われて殺される心配はまったくしなくていいのに……この子たちを野に放つことに恐怖すら感じるのはなぜだろう……」
メアリーの教育を通して仲良くなったはずなのに酷い評価をしてくる奥様たち。
その様子を見て父様が涙ぐむ。
「……うちの村民にもまだ常識の欠片が残っていたのか…………」
……そこはせめて旅立つ我が子のほうを見て涙ぐもうよ…………。
まともに見送ってくれない村人たちに私がジト目を向けていると、母様がひとつ咳払いをして場の空気を引き締める。
「プリメラーナ様に見初められたのだから、ノエルが島に行くことは決定事項だ。たとえどれほど我が子の頭が軽かろうとも、あの御方の決定を覆すことはまかりならん!」
一喝されて静かになった広場の中で、母様はしゃがんで私の軽い頭に手を置いてきた。
「いいか、ノエル? 新月教団のことは私とエスメラルダで面倒を見てやるから、お前はこれからしばらく学びを得ることに集中するのだ。プリメラーナ様の教えなど滅多に得られるものではないし、お前が成長する絶好の機会は今を置いて他にないだろう」
真剣に今こそ勉学に励む時だと諭してくれる母様に、
「はいっ! 学びまくりますっ!」
学習意欲に満ち満ちた私は元気良く返事をした。
大好きなド田舎であるエストランド領を離れるのは辛いけれど、きちんと学びを得れば帰ってくることはできるのだから、母様が言う通り今は精進の時である。
まるで全寮制の学園に子供を送り出すような空気の中、いつの間にか傍らにいたセレスさんが私に【自動調整】の魔法陣を刺繍した新品の外套を着せてくれる。
「ノエル坊なら大丈夫だと思うけれど、あの島には危ないやつがたくさんいるから気をつけてね?」
面倒見の良い田舎暮らしの先輩の言葉に、私は興味を引かれて食いついた。
「セレスさんはその島に行ったことがあるんですか?」
「ん、あそこで私とリーリエはメルキオルたちに出会った」
「……誰ですかリーリエって?」
聞き覚えのない名前について訊ねると、セレスさんは視線を私の横に向けて、それを追うとアイリスの蒼い瞳と目が合った。
「リーリエは私のお母様の名前よ」
……そういえばアイリスのお母さんとセレスさんは幼馴染なんだっけ?
続けて名前を挙げられた父様が、島での過去を話してくれる。
「あの島は僕とハルトが親友になった場所でもあるから、ノエルにもきっと仲の良い男友達ができるかもしれないね? あそこには子供がたくさんいるうえに、プリメラーナ様の弟子だと知られれば必ず注目されるだろうし……」
そう言って親友と出会った思い出を噛み締めるように私の頭を撫でてくれる父様。
つまり私がこれから行く場所は、アイリスの両親が出会った場所で、父様とハルトおじさんが男の友情を育んだ場所でもあるわけか。
なんとも青春していそうな思い出話を耳にして、私が母様にも視線を向けると、母様は少し残念そうに首を横に振った。
「私とメルが出会ったのは西大陸だからな。番になった後に【蓋門島】に行ったことはあるが……メルたちが島で教育を受けていた時のことはよく知らんのだ」
ふむ……そうなると島についてはセレスさんか父様に聞けばわかるのだろうけれど……二人が詳しいことをなにも言わないってことは、口止めかなにかでもされているのだろう。
そこになにがあるのか具体的な明言を避ける二人の意図を読み取って、私は他の気になったことを聞き出すことにする。
「それじゃあ父様と母様はどんな出会いを――」
と、私は両親の馴れ初めにも興味持って聞き出そうとするが、しかし言葉の途中で母様が私の顔に街で作ってもらった【髑髏の仮面】を嵌めてきて、半ば強引に回れ右させられた。
「……さあ、ルガット殿が待っているぞ? 私たちの出会いのことは帰ってきたら話してやるから……今は家族との別れに集中するのだ」
……いま露骨に話題を逸らしたね?
母様のその言葉からは『有耶無耶にしたい』という強い意思が感じ取れた。
母様が話すのを嫌がるってことは、そこには何かしらの黒歴史があるのだろう。
帰ってきたら絶対に二人の馴れ初めを聞かせてもらうとしよう。
そうしてもっと両親と話しておけばよかったと出発前から軽いホームシックになっていると、優しい顔をした父様が私の前にしゃがみ込んで激励してくれる。
「いいかい? 今の君ならなんとなく理解できると思うけれど、金眼を持つラウラが未熟な子供を送り出すってことは、ノエルにとって大切なことを学べるってことだから――」
そこで一旦言葉を止めて、父様は力強く拳を突き出してきた。
「――力の限り無茶をしておいで?」
いつもなら息子の修行を止めてくる父様から激励されて、私は元気良く拳を当てる。
「もちろんですよっ!」
父様にアクセル全開の許可をもらったのだから、全力で学んで全力で成長してやろう。
これからはじまる新生活を想像して、私とアイリスとシャルさんは顔を見合わて笑顔になる。
「みんな聞いた?『力の限り』だってさ!」
「それだと島が消し飛びそうね!」
「フハハハハッ! 下手したらこの世界ごと灰塵に帰すのではないか?」
「……やっぱりそれなりに手加減して無茶をしておいで?」
「……メルキオル様? 父親らしく子供を送り出したい気持ちはわかりますが……世の中には言っていいことと悪いことがあるんですよ?」
調子に乗るお子様たちの様子を見てリドリーちゃんは遠い目になっていたけれど、彼女の尻尾が楽しそうに揺れているのを目敏い私は見逃さなかった。
間違いない……私たちの中で最も新生活にワクワクしているのはリドリーちゃんである。
さっきは修行が辛いとかなんとか嘘吐いていたけれど……この子は安皿は瞬殺するけれど高級な器は絶対に割らない謎スキルの持ち主だから、内心では絶対に『ルガット師匠の修行がたいしたことなくてよかったぁ♪』とか思っているに違いないのだ。
そんな専属侍女の裏の顔を私が見抜いたところで、私たちは見送りに来た村人たちにモミクチャにされる。
「ああっ! 若い子がいなくなると寂しいなあっ!」
「お土産はメアリーちゃん経由で送ってくれればいいからねっ!」
「おらっ! 頭のコップを落とせリドリーちゃんっ!」
「ちょっ!? これ落としたら何されるかわからないんですから押さないでくださいよっ!」
「わー、すごい……押しても攻撃しても……まったく器の水が動かない……」
「……それは修行になっているのか?」
「……違うんですラウラ様……これは別にサボっているわけではないのです……」
「えっとぉ……シャル様は生首のままで行くのですかぁ?」
「うむっ! この姿のほうが主君に威厳を与えられるらしいからなっ!」
「常に生首を抱えていれば他の吸血鬼から舐められませんからねっ!」
「ん、そこらへんは私が監修しておいた」
「……ちょっとセレスは後で僕とオハナシしようか?」
「アイリス様? 私がいないからって毎晩ノエル様を抱き枕にしてはいけませんよ? どうしても独り寝が寂しい時はリドリーを頼ってくださいね?」
「わ、わかってるわよっ!?」
そうして賑やかな見送りをひと通り受けて、しばらくお別れとなるエストランド領の空気を胸一杯に吸い込んだ私は、吸血鬼らしく外套のフードを被って背後で佇むルガットさんへと振り返る。
「お待たせしました!」
「出発の準備はできましたか?」
「はいっ!」
いつの間にかリドリーちゃんの頭の上に花瓶が一つ追加されて雑技団みたいになっていたり、可愛い生態を暴露されたアイリスが赤面しているけれど、ちゃんとお別れを済ませたおかげで新生活へと向けた出発の準備は万全となった。
「それでは父様、母様、エストランド領の皆様! これより僕たち一同は世界の最果てにあるという謎の島まで、修行の旅へと行って参りますっ!」
改めて挨拶をする私へと、今度はみんなも元気に挨拶を返してくれる。
「「「行ってらっしゃ~いっ!!!」」」
そして村人たちに手を振ってもらったり振り返したりしながら私たちはエストランド領の入口まで意気揚々と歩いて、村の境界を示す木の柵まで歩いたところでルガットさんが振り返った。
「――それでは最初の課題です。私はここで姿を消しますから、島までは自力で辿り着いてください。お嬢様が提示したタイムリミットまではあと三日ほどですから、絶対に遅れないように」
唐突に課題を告げて、リドリーちゃんの頭にさらに一つ古壺を追加したあと、サパッ、と霧になるルガットさん。
「「「「…………」」」」
いきなり放置された私たちは互いに顔を見合わせて……特に困ることもなく相談を開始した。
「みんなは島の場所ってわかる?」
「うむっ! もちろん知らんのじゃ!」
「行ったことはないけれどミストリア王国の周辺地理は覚えているから、おおよその位置なら頭に入っているわ」
「確かここから南部の港までは馬車で行くと二ヶ月ちょっとですから……私たちの脚で駆け抜けても三日で辿り着けるかどうかは微妙なところですね……今の私は三段重ねですし……」
こちらの世界は現代日本みたいに道が整っているわけではないから、陸路で行くと時間がかかるのだろう。
「それじゃあ空から行こうか?」
方針を決めた私が、パンパンッ、と手を叩けば影から迫り上がってきた万能眷属が巨大なワイバーンの形になって【灼眼】を並べた大きな翼を広げた。
ぷるっ!
そして私たちを乗せたメアリーはバッサバッサと勢いよく空へと舞い上がって、すぐに爆炎による加速で音速を超えて父様から血文字のメッセージが届く。
『……無茶をするのは島に着いてからにしてくれる?』
……どうやら父様の言う『無茶』とは、ずいぶん敷居が低いらしい。