第95話 引っ越し準備
SIDE:ノエル
誕生パーティーがお開きになった翌朝。
残ったご飯を完食して満足気に眠るシャルさんをベッドに残して、師匠の命令を受けた私たち弟子三人とルガットさんは、さっそく引っ越しの準備をはじめた。
吸血鬼の修行は準備段階からはじまっているようで、親たちの手伝いを受けずに仕度をするのもルールらしい。
「これから行われるのは自立するための修行でもありますから、島に持ち込めるのは自分たちで持てる物だけです」
さらに引っ越しのルールを説明されて、私とアイリスは自室から持ってきた私物を次々とリドリーちゃんに渡していく。
「あっ……ずるい…………」
さっそくリドリーちゃんのぶっ壊れ魔法を使ってすべての私物を持ち込もうとする子供たちにルガットさんが小さく呟いたけれど、すぐに彼女の興味は小賢しい子供たちから別の者へと移った。
「この子めちゃくちゃ便利ですね!」
収納魔法にポイポイポ~イっと家財道具を丸ごと放り込んでいくリドリーちゃんを、白髪メイドのルガットさんが全身を舐め回すように凝視しているけれど……その子は絶対にあげないので諦めてほしい。
「……リドリー、僕の後ろへ」
「はいっ! 坊ちゃまっ!」
声を掛けるとリビングの隅まで追い詰められていたリドリーちゃんが空間跳躍して私の背後へと逃げ込んできて、メイドの親玉みたいなルガットさんの視線から隠れようとする。
その様子を見たルガットさんは「チッ」と小さく舌打ちをしたあと、作業中ずっと何かをメモしていた手元の羊皮紙へと視線を移した。
「まあ、セレスの教育を受けているなら私の弟子のようなものですし、彼女の教育方針については後ほど考えることにいたしましょう」
どうやらすでにリドリーちゃんはルガットさんからも弟子扱いされているらしい。
「坊ちゃまぁ……」
何度も死ぬような思いをしてエストランド領にいる師匠たちの背中を追い越してきたのに、さらなる上位の師匠たちが現れたことにリドリーちゃんが涙目になって助けを求めてくる。
しかしただの弟子入りならば彼女が有能になるだけなので、私は主人を盾にする専属メイドさんの手を優しく叩いた。
「大丈夫だよ、リドリー。修行で死にそうになったら僕が止めてあげるから」
「私も修行することは確定なんですかっ!?」
「確定です」
さらりと肯定してくるルガットさんにリドリーちゃんが床へと崩れ落ちたが、私とアイリスは彼女が『やらせればできる子』だとわかっているので止めようとしなかった。
「くぅっ……私は絶対に認めませんよっ! わりと緩そうなプリメラーナ様はともかく、ルガット様は本当に厳しそうですからっ!」
全力で拒絶するリドリーちゃんに、ルガットさんは淡々と返す。
「厳しいなんてとんでもない。私はとっても優しくしてあげますよ?」
「嘘ですっ! たくさん師匠がいると雰囲気でわかるんですっ!」
……がんばれリドリーちゃん。
たぶん無駄な努力だろうけれど……厳しい師匠ができないようにがんばれ。
そんな適当なエールを心の中で送っていると、ルガットさんは華麗に弟子入りを断る話を切り上げて、メモを書いた羊皮紙を私へと差し出してくれる。
「持ち込める量に限度が無いようですから、こちらに島で生活するために必要なものを書き出しておきました」
どうやら収納魔法の使用はルール違反ではないらしく、彼女はリドリーちゃんが収納する物をチェックしながら足りない物をリストアップしてくれていたらしい。
「ありがとうございます」
お礼を言って羊皮紙を受け取ると、そこには薪や小麦粉といった島では手に入りにくそうなものから、日用品の魔道具を動かすために使う小魔石に、仮面や外套といった服装の指定まで書かれていた。
「外套はともかく、仮面って必要なんですか?」
普段の父様みたいな格好を私もしなければならないのかとルガットさんに訊ねると、彼女はしゃがんで私のほっぺたを軽く摘まんでくる。
「あなたのように若くして日光を克服した吸血鬼が歩いていたら、それだけで悪目立ちするでしょう?」
「……人間と吸血鬼ってあんまり見分けがつかなくないですかね?」
暗に街では普通に歩いても吸血鬼だとバレなかったことを告げるが、しかしルガットさんはきっぱり首を横に振った。
「見慣れている連中ならすぐに気づきます」
そうか……これから私たちが向かうのは吸血鬼の本拠地なのだから、ひと目で種族を見分けられる人がたくさんいるわけか……。
彼女の言い分に納得した私は、リストに載った品物をアイリスにも見せる。
私や母様よりも庶民感覚がしっかりしているお姫様は、それを一瞥して買い物の方針を考えてくれた。
「島で暮らすなら薪や小麦は割高になるでしょうから数ヶ月分はリドリーの収納に入れておきたいわね。外套や仮面を拵えるなら職人の手も必要になるし、一度オルタナまで買い出しに行きましょうか?」
このあたりの地域は森が多くて薪も豊富にあるし、小麦の名産地でもあるらしいから確かにまとめ買いしておいたほうがよさそうだ。
「それならリドルリーナ商会の出番だね!」
善は急げと私がアーサーの鎧を纏って、パンパンッ、と手を叩くと、メアリーが商会長代理であるグランツさんの執務室と我が家のリビングを繋げてくれて、転移門の向こうに死んだ魚の目をしたダークエルフの男性が現れた。
「…………ようこそお越しくださいました」
私たちがマネーロンダリングのために使っているリドルリーナ商会は、聖水の売上と複製金貨の恩恵もあって、ここ三年でオルタナでも一番の大商会となっていた。
アイリスの話によれば、すでにミストリア王国のあちこちに支店を出しているらしいけれど、私たちが買い物に使うのはいつもグランツさんがいるオルタナ本店である。
私たちが転移門を潜って執務室に足を踏み入れると、窓の外に見えるオルタナの街が以前よりも高くなっている気がして、私はアーサーの口調で御用達商人であるグランツさんを褒め称えた。
「また店が大きくなったのか! やるなグランツっ!」
なんでも敏腕商人であるグランツさんは、オルタナの領主と神殿と冒険者ギルドから許可を取って、本来であれば三階建ての建築物しか許されていないオルタナで、巨大商店を建築することに成功したらしい。
「……いえ、私は特になにも……すべて部下たちが勝手にやったことです…………」
人柄にも優れたグランツさんは手柄を部下たちに譲って、自分は本当にサインしかしていないと謙遜した。
アイリスが連れてきてくれた素晴らしい商人の腕前を私が褒め称えていると、背後でメアリーの触手によって変装させられたリドルリーナ様が頭を抱えてしゃがみ込む。
「あああああああああっ!?? もうお店がオルタナの要塞よりも大きくなってるううううううううううっ!!?」
殿下が買い物に来ると発狂するのはいつものことなので、私と髪を黒に変色させたアイリちゃんは荒ぶるプリンセスを放置して来客用のソファへと座り、リドルリーナ様の悲鳴を聞きつけて入室してきた秘書さんたちから歓待を受ける。
「ようこそお越しくださいました。アーサー様、アイリ様、商会長」
「うむ」
「ええ」
「いやぁあああああっ!? 商会長って言わないでえええええっ!!!」
執務室の床をゴロゴロするリドルリーナ様。
転移門が開く直前にルガットさんは白い霧になって姿を消したので、グランツさんたちは彼女がこの空間にいることすら気づいていないみたいだった。
凄いな……これもまた吸血鬼の技なのか……。
「粗茶でございます」
オルタナで大人気のアーサーが持つ特権によって、当然のように秘書さんから提供されるサービスのクッキーと高級茶に舌鼓を打ち、一息ついたところで私は軽く世間話を投げかける。
「ところで今日はずいぶんと街が賑やかなようだが……なにか祭りでもやっているのか?」
窓の外では魔法使いが打ち上げる爆炎が空に鮮やかな花を咲かせて、地上からは陽気な音楽が聞こえてくる。
その問いかけにズラリと並んだ美人秘書さんの中から、冒険者ギルドのサブマスターであるエレナさんが答えた。
「はい。三日前から我々も聖誕祭を行っておりまして、騒がしいようでしたらやめさせましょうか?」
どうやらオルタナでもちょうど誕生パーティーを行っていたらしい。
お偉いさんの子供が一〇歳になったのかな?
さらりと祭りを止める選択肢を提示してくるエレナさんに、私は慌てて貴族特権の使用を否定する。
「いや、そういうことならむしろ盛大にやってくれ! なんなら我々の取り分の中から資金を提供してくれてもいいぞ! なあ、リド!」
頭を抱えて床の上でのたうち回るリドルリーナ様に水を向けると、彼女はガバッと起き上がって快く同意してくれた。
「提供しましょうっ! 金貨百万枚くらいっ!」
その発言に壁際に並ぶ美人秘書たちが涙ぐむ。
「っ! なんと高潔な魂の持ち主でしょうかっ! 自分の財を築くことを嫌がって、民に分け与えることを喜ぶなんて……っ!」
「あ……やめてください……そんなキラキラした目で見るのはやめてください……」
そしてリドルリーナ様の名声がまた爆上がりしたところで、私は引っ越しの買い物メモをエレナさんへと手渡した。
「できればこのリストにある物を五日以内に用意してくれ。外套には【自動調節】の魔法陣をこちらで刻むから大きさは適当で構わない。仮面の意匠は……そうだな…………」
と、仮面のデザインに悩んでいると、美人秘書たちの背後に白い霧が集まってひとつのマークを形成したので、私はそれをそのまま告げた。
「シャレコウベで頼む! うんと威厳があって恐ろしいやつだ!」
「っ!? か、かしこまりましたっ!」
なぜか、ハッ、としたエレナさんに日用品の注文を終えたところで、私は再びパチッと指を鳴らしてメアリーにゲートを開いてもらう。
「ふんぐーーーーーっ!!!」
メアリーが現れた瞬間にグランツさんが頭を押さえて歯を食いしばったけれど……どうやら彼のリハビリも順調に進んでいるらしい。
そしてまったく問題を起こさず我が家のリビングへと帰還したところで、私は買い物用の変装を解いて大きく伸びをする。
「……これって変装する必要あるのかな?」
なんかノリと勢いでずっとリドルリーナ商会に行く時には変装しているけれど……ぶっちゃけ私はいちいち着替えるのがめんどくさくなっていた。
その疑問に、髪色を魔法で変えるだけのラフな変装をしていたアイリスが腕を組んでくる。
「あなたは顔立ちが整っているのだから、素顔で商会に行ったらライバルが増えてしまうでしょう?」
「アイリスは心配性だなぁ。それを言うなら君のほうが整っているのに」
「……私も顔を隠したほうがよかったかしら?」
「そうだね。島に行ったら包帯を着けようか? 君が他の吸血鬼からナンパされないように」
「もうっ! ノエルったら!」
そうして私と婚約者が互いに独占欲を出してイチャイチャしていると、となりで変装を解いたリドリーちゃんが自分のおでこをグリグリしはじめた。
「? どうしたのリドリー? 頭痛?」
「……いえ、なんだか最近……おでこの真ん中がモゾモゾしまして…………」
ヘンテコな体調異常を報告してくるメイドさんに、私とアイリスは顔を見合わせて小声で専属メイドの進化を警戒する。
「……角でも生えてくるのかな?」
「……あの子ならあり得るわね」
そんな陰口を囁いていると、白い霧が集まってルガットさんが姿を現して、リドリーちゃんの額を覗き込んだ。
「ああ……そういうことですか……どうりでお嬢様がこの地に来るわけです…………」
なにやら訳知り顔になったルガットさんは、おでこをグリグリするリドリーちゃんの手を、ペシッ、と叩き、丁寧に前髪を整えて少し赤くなったおでこを隠す。
「……吹き出物でしょうか?」
肌トラブルを心配するリドリーちゃんに、ルガットさんは美しく微笑んで、リドリーちゃんのモチモチしたほっぺたを両手で包んだ。
「すぐに慣れますから、触るのはやめておきなさい。それこそお肌が荒れてしまいますよ?」
「……はい」
美しい吸血鬼のメイドさんは、お肌を気にする女の子を見つめて、さらに笑みを深くする。
「――ところで私は美容関係の知識にも詳しいのですが、それを学びたいとは思いませんか?」
「………………はい、師匠」
そして頭を下げたチョロすぎるメイドさんの頭へと水の入った高級陶磁器が置かれて、
「………………なんですか、これ?」
「修行です」
またひとり、リドリーちゃんの師匠が増えた。




