第93話 上の領域
SIDE:ノエル
「私もいっしょに戦うわ。ひとりの剣士として彼女の実力を感じてみたいから」
プリメラちゃんとの模擬戦には、けっきょくアイリスだけが参加してくれることになった。
テーブルの下でキュッと手を握ってくれるフィアンセに、私は血文字のメモを手の平に残すことで作戦を伝え、椅子から立ち上がってプリメラちゃんと対峙する。
「ありがとうアイリス。だけどまずは僕ひとりで戦ってみるよ」
我が家の大人たちには模擬戦を避けられてしまったけれど、やるからには全力で勝ちに行くつもりで私は眷属たちにも支援を呼びかけた。
みんなもいっしょに戦ってくれるよね?
ぷるっ!
キョロッ!
ボアッ!
……モキュッ。
ふむふむ……メアリーとイビルアイとゴリアテはやる気みたいだけど、人形たちはリドリーちゃん同様に対戦相手のヤバさを認識してしまったせいで戦いたくないらしい。
……つまりプリメラちゃんの戦闘スタイルは近接格闘系なのかな?
使える戦力から作戦を練り上げて、私はニマニマ笑う美少女と対峙する。
「さ、どこからでもかかってきなさい?」
手の平をクイクイってするプリメラちゃん。
彼女はこちらに先手を譲ってくれるみたいだが、まだ室内にいるうえに、一対多数の状況に私は女の子への先制攻撃を躊躇した。
「いや、流石にそれは――」
しかし紳士らしく遠慮しようとした私の右半身に、メキッ、と凄まじい衝撃が走る。
「――っ!?」
窓ガラスを割る感触。
全身を引き裂かれる痛み。
冷たい空気の中で錐揉み回転する独特の浮遊感。
そして気がついた時には、私は血まみれになって夜の雪原を転がっていた。
積雪の上を四、五回くらいバウンドして、ようやく勢いが止まったところで、今の攻撃について考察する。
「…………獣の手?」
そう……今の攻撃は獣の鉤爪によるものだった。
何も無い虚空からいきなり大きな獣の手が現れて、私を引っ掻きながら殴り飛ばしたのだ。
どうやら彼女は私の知らない技術をいくつも持っているらしい。
人間なら即死するような裂傷を回復させながら、私は仰向けの状態から上半身を起こす。
そして闇の中で光りを放つ窓のほうへと視線を向けると、そこでは家の壁を蝙蝠と霧に変えて、プリメラちゃんが悠然と歩いてくるところだった。
「普通に戦ったら瞬殺しちゃうし、あたしは苦手な技だけ使って手加減してあげるけどさー」
彼女が壁を通り抜けると蝙蝠と霧が再集合し、家の壁と窓が傷一つ無い状態で復元される。
……なにそれかっこいい。
そして窓の向こうから家族たちが見守る中、赤い美少女は笑顔を消して宣言した。
「そっちが手を抜いたらブチ殺すわよ?」
ブワッ!
と、プリメラちゃんの闘気だけで降り積もった雪が吹き飛ばされて、雪原の下にあった茶色い大地がむき出しになる。
かつてないほど濃密な殺意を浴びて、私は彼女との間にある圧倒的な実力差を思い知った。
なるほど……これが母様の言っていた『上の領域』ということか……。
本気で殺しに行かなければ瞬殺されそうな気配に、私は影から魔改造を施した【実戦用アーサー】を取り出して全身に纏う。
ならばこちらも遠慮なく。
「――【超電磁回転砲】」
右腕を前に突き出して殺意マシマシのギミックを発動させると、右腕に仕込んだ四つの砲塔が回転して磁力を発生させる魔法陣によって加速した弾丸を撒き散らした。
しかし分厚い城壁すらも数秒で瓦礫に変えるはずの攻撃は、
「おっと」
背後に通すと家が壊れると判断したプリメラちゃんが意識を向けただけで弾かれて、空中で跳ねた弾丸が地面を割って盛大に土煙を巻き上げる。
……やっぱり遠距離物理攻撃は効かないらしい。
腕を組んで仁王立ちするプリメラちゃんは、リドリーちゃんに対して使った【混沌障壁】とかいう技すら使っていない。
「見たことないオモチャね?」
いちおう地球の科学技術を模倣した兵器なんだけど……ここまで誰にも効かないと私にもオモチャに思えてきた。
ただ意識を向けるだけで物理攻撃を無効化してくる怪物を前に、私は両手で印を組んで次なる攻撃手段を発動させる。
「これならどうかな――」
数年前に見た魔女の使用した技術を再現してみると、影から飛び出した無数のイビルアイたちがプリメラちゃんを包囲して、それぞれが練り上げた魔眼の力を撒き散らしていく。
「――【多眼血操】」
――キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ! キョロッ!
猛毒、麻痺、混乱、石化、灼熱、電撃、精神汚染……。
複数の状態異常と魔法攻撃による絨毯爆撃だが、それらに対してプリメラちゃんは何もしなかった。
かつて私が魔女の攻撃を食らった時と同様に、プリメラちゃんが持つ純粋な魔法防御力だけで全ての魔法が無効化されているらしい。
「……あんた馬鹿なの? 魔法の行使を眷属に任せたら威力が弱まるに決まってるじゃない」
「うわ……正論すぎて傷つく……」
爆炎の中から呆れた視線を向けてくるプリメラちゃんに、私は黄金鎧を項垂れさせて格上への弱攻撃は無意味だと思い知らされたフリをして……こっそり土煙の中を通ってプリメラちゃんの背後へと回っていた本体入りのファントムで突撃した。
フハハハハッ!
イビルアイとアーサーは囮だ!
今度は【超電磁ゼロ距離ショットガン】で吹き飛ぶがいいっ!
しかしプリメラちゃんの背後から放とうとしていた新技は、
「――なるほど。あんたは【吸血鬼】という種族のこと、なんにもわかってないのね?」
彼女の後頭部に生えた眼球によってバッチリ視認されていて、
「んなっ!?」
ガツン、と見えない衝撃波で仰け反った私は、続けて足下から生えてきた巨大な狼の口に飲み込まれた。
口の中にはロングソードみたいな牙が数千本も生えていて、何重にも並ぶ鋭い刃で私の身体が再生の追いつかない速度でひき肉にされていく。
ガシュッ、ガシュッ、ガシュッ!
「わっ、ちょっ、待――っ!?」
全身炎上に比べたら大した痛みじゃないけど……ミキサーに入れられた食材ってこんな気分なのかな……。
「……ぐへっ」
そして、ペッ、と味の無くなったガムのように吐き出された主人の姿を見て、影の中に大集合していたメアリーが激怒した。
ぷるうううううううううううううううううーーーっ!!!
夜の闇から出現する山よりも巨大な赤い触手の群れ。
しかしプリメラちゃんは我が最強の筆頭眷属を前にしても、恐れることなく説教をはじめる。
「こらっ! せっかく上手に潜んでいたのに、怒りで我を忘れて突っ込むな!」
彼女が睨むと夜空が渦を巻き、巨大メアリーの頭上からさらに巨大な闇の手が現れて、そのまま赤い津波を力づくで闇の中へと押し戻していく。
ぷるっ!?!?!?
プリメラちゃんが使った超技術の圧力でメアリーは逆再生するように地面へと吸い込まれ、影の中で拘束された筆頭眷属から弱々しい思念が届いた。
……ぷ、ぷるぅ…………。
あのメアリーが怯えているだとっ!?
改めて思い知らされたプリメラちゃんの実力に冷や汗が吹き出してくる。
うちの子を圧倒できる生命体なんて存在したんだ……。
――ボアッ!
私がプリメラちゃんの実力にドン引きしたタイミングで森の奥からゴリアテが放った巨大神聖気攻撃も飛んでくるが、
「力の扱い方もなっちゃいないわねー」
吸血鬼の弱点であるはずの神聖気はノールックで放たれた小さな【魔力弾】でいとも簡単に爆散させられた。
彼女の背後で夜空に大きな花火が咲き乱れ、エストランド領全体に聖なる嵐が押し寄せる。
そして計画通りに空間を満たす神聖気の波に乗じて、完全に気配を消したアイリスがシャルさんを振るい――
「――っ!?」
全力を尽くした必殺の一撃は……あっさり二本の指先で摘まれていた。
「ま、戦いのセンスは及第点ってところかしら?」
首から一筋の血を流したプリメラちゃんはアイリスへと微笑んで、とてつもなく『ゆっくり』した速度で蹴りを放つ。
「ご褒美にいいもの見せてあげる」
「???」
その演舞のような美しい攻撃をアイリスは片腕で防ごうとするが、しかしプリメラちゃんの足が腕に触れた途端、
「んきゃっ!??」
バチンッ、とアイリスの身体は十メートル以上も吹き飛ばされた。
「ええっ!?」
……嘘だろ今の!?
魔力もなにも感じないってことは……純粋な『蹴り』の技術だけでこの威力なのか!?
……おそらく魔力と速度を乗せて放たれていたら、アイリスの上半身はただの蹴りをくらっただけで完全に消滅していただろう。
リドリーちゃんが戦いを避けたのも納得である。
私たちとプリメラちゃんでは技の熟練度があまりにも違いすぎるのだ。
呆然と地面を転がるアイリス。
ボロ雑巾のようになった私。
影の中で震えるメアリーたち。
めちゃくちゃ手加減して私たちに完全勝利したプリメラちゃんは、指で挟んだ剣をクルリと回して柄を握り、激しく光って抵抗するシャルさんを軽く叩いて大人しくさせる。
「あっ……無理じゃこれ…………」
そして頭を破裂させようとする元愛剣を肩に担いだ指導者は、ゆっくり私の元まで歩いてきて、地ベタのひき肉を覗き込んできた。
「あたしはいくらでも付き合ってあげるけど――まだやる?」
ようやく上半身を復活させることに成功した私は、弱々しく喉を鳴らす。
「……ひとつ訊いてもいいですか、師匠?」
「なによ?」
「……僕の戦闘技術ってどうですか?」
その問いに、確実に母様を超える戦闘経験を持つ師匠は満面の笑みで答えた。
「ん! ぜんぜんダメっ!」
そして私は底しれぬ吸血鬼への絶対服従を心に誓った。