第10話 三歳児の日常(朝~昼)
朝食を終えたら、うちの家族はそれぞれ仕事へと散らばっていく。
父様は地下の研究室へ。
母様は草原の魔物狩りへ。
そして私は裏庭で日光浴を嗜みながら、リドリーちゃんとマーサさんの洗濯を見守ることを日課としていた。
外に出る前に私は黒い眼帯で両目を覆う。
この眼帯は父様が作ってくれた魔法の道具で、眼帯の下からでも問題なく視界が確保できるように『透視』の魔法がかけられている。
これを付けるのは母様に指示されているルールで、私はお出かけの時には必ず眼帯の装着を義務付けられていた。
なんでも私の容姿は『縁起が良すぎる』らしく、双月神を信仰する熱心な信者に見られてしまうと攫われて聖人に祭り上げられてしまうのだとか。
母様も金月神と同じ色を持って生まれたせいで金月信仰の盛んな地域で聖女の如く崇められた経験があるらしく、宗教の怖さは事あるごとに聞かされているため私はこの指示を厳密に守っていた。
双月信仰の総本山は王都にあるらしいからね。
都会に強制連行とか冗談じゃない。
そこではタライに貯めた井戸水でせっせと仕事着やシーツを洗っていくメイドさんたちがいた。
私はそんな様子を父様に作ってもらったデッキチェアに寝そべりながら眺めて、洗濯の大変さを思い知る。
「洗濯機があればボタンひとつで終わるのに……」
「!? 坊ちゃま!?『せんたくき』とはなんですか!?」
私の呟きを耳ざとくリドリーちゃんが聞きつけてくるが、現状でそれを作る技術は持っていないので私は肩を竦めて答える。
「なにかの本で読んだんだけど……遠くの国にはそんな神器が存在するらしいよ。洗濯物を入れてスイッチを押すだけで、全ての洗濯が終わってしまうんだ」
「夢の道具じゃないですかっ!?」
そうだね、21世紀ってすごいよね。
興奮して手が止まるリドリーちゃんをマーサさんが嗜める。
「もぅ……坊ちゃまの話は半分に聞かないとダメよぉ……リドリーちゃんは騙されやすいんだからぁ」
マーサさんは苦笑して、私へと母様が汚した血みどろの服を差し出してくる。
いつものように血液操作で染み付いた血液を回収してあげると、赤毛の狼獣人さんは血の汚れが無くなった服をリドリーちゃんへと見せつけた。
「この家の場合は血の汚れを簡単に落としてもらえるんだからぁ、それだけでも十分にありがたいでしょう?」
「……普通の家だと服が血で汚れること自体、稀だと思います」
「そお? 私もよく血まみれになるけどぉ?」
母様の次にスプラッタ率が高いマーサさんの発言に、リドリーちゃんの頬がヒクついた。
「僕もよく血まみれになるよ?」
血球の操作をミスった時とか。
二人して血まみれ率の高い私たちを、リドリーちゃんは睨みつける。
「だからここは『普通』じゃないんですってば!」
その言葉に私は『一理ある』と素直に頷いた。
「まあ、確かにうちは狩猟と畜産をメインでやってるから、普通の家とは違うかもね」
畜殺とかで大量の血が出るし。
「ああ~、そう言われると納得ですぅ」
どうりで血まみれ率が高いわけだと納得する私たちに、しかしリドリーちゃんは頭を抱えた。
「……常識を教えるのって難しい!」
リドリーちゃんはこうして事あるごとに世間の常識を教えてこようとするんだけど、彼女が暮らしていた都会と田舎では常識もまったく違うだろう。
ネットもテレビもない時代だと、なおさら隔絶しているように思えた。
たとえば都会では【棘尾飛竜】を見たら逃げるのが常識だったらしいけど、うちの領ではワイバーンを倒せてようやく一人前みたいな風潮がある。
まあ、ワイバーンなんてしょっちゅう飛んでくるからね。
いちいち逃げてたら生活できないというのがリアルな意見だろう。
うちの母様なんて石ころで簡単に仕留めるし。
日本でも都会っ子が業者を呼んでやるようなことを、田舎者がさっさと自分でこなしてしまうことはよくあることである。
「田舎には田舎の常識があるんだよ? リドリー」
「ここは『普通の田舎』でもありませんっ!」
やれやれリドリーちゃんは若いな。
普通の田舎なんてどこにも存在しないだろうに。
どんな田舎にもオンリーワンな個性や風習があったりするのだよ?
うちの領の場合は大人になるための通過儀礼にワイバーンとのタイマンがあるってだけの話である。
マサイ族かよ、つってな!
私もいつかはワイバーンを鼻糞ほじりながら倒せるくらい強くならないといけないが、まだ3歳なのだから焦る必要はないだろう。
「そんなことよりさ、僕はあした来るって言う娘さんのことが気になるんだけど……なにかプレゼントとか用意したほうがいいのかな?」
露骨な話題変換にリドリーちゃんからはジト目を向けられてしまったが、私は都会の常識よりも新しい友達のほうに興味があるのだ。
うちの領って【不老種】の集まりでできた村だから、子供が私しかいないんだよね。
明日の出会いにワクワクする私へとマーサさんがアドバイスをくれる。
「そこは無難に肉か花を贈ればいいんじゃないかしらぁ? 初対面で形が残る物を送られるのは気持ち悪いしぃ」
美人だから経験が豊富なのか、自分が欲しい物を教えてくれるマーサさんに、リドリーちゃんが冷静に突っ込む。
「……初対面で肉をもらうのも気持ち悪いですよ?」
「ええ~、美味しいから嬉しいのにぃ」
なるほど。
つまり初対面の女の子には花を送っておくのが無難なのか。
前世の学生時代に女の子と初めてデートをしたとき、いきなり指輪をプレゼントしてしまった私はどうりで振られるわけだと納得した。
個人的には誠意を示したつもりだったのだが、三ヶ月分のバイト代で買った指輪を贈られた女の子はドン引きしてたもんな……。
「それじゃあ無難に花を贈ることにするよ、花畑を刈り尽くす勢いで」
女性陣の意見に従うことにした私に、リドリーちゃんが優しく微笑む。
「お花は綺麗なのを一輪だけ選びましょう。坊ちゃまのセンスは壊滅的だと思いますから、私がいっしょに選んで差し上げます」
……今の私に壊滅的な要素あった?
◆◆◆
それから朝の日課を終えた私はリドリーちゃんといっしょにお花を選んで、血液補給してから一人で家の北側へと向かう。
「坊ちゃまーっ! 森に行ってはいけませんよーっ! 森には子供を食べる悪~い魔女が住んでいるんですからねーっ!」
旅立つ私へと背後からリドリーちゃんの声がかかったが、そこらへんは子供じゃないから安心して欲しい。
子供だましの魔女はともかく、魔物が徘徊する森に装備も持たずに入るほど、私も無謀ではないのだ。
「大丈夫ーっ!」
振り返ってマーサさんとアリアさんに連行されていくリドリーちゃんへと手を振り返し、そして私は再び北へと足を向けた。
我が家はエストランド領の最北端にあって、家の北側には【エキナセア大草原】と呼ばれる秘境が広がっている。
エキナセア大草原は一見するとただの果てしなく広がる草原なのだが、草原のさらに北側に聳える【竜巣山脈】から飛来するドラゴンたちの狩り場となっているため、人間は未だにこの草原を開拓できていないらしい。
我が家にワイバーンがたびたび飛来するのも、そんな立地が原因である。
秘境が近所にあるとか流石は異世界だ。
きっとこの世界にはこんな土地が腐るほどあるのだろう。
見渡す限りに広がる大草原というのは見ていて飽きないので、血液操作で運んだデッキチェアを草原の中に設置すると、私はロマンを感じる最高の景色を独り占めして寝転んだ。
目の前には雲一つ無い青空が広がり、そこから燦々と降り注ぐ陽光が私の皮膚にプスプスと突き刺さる。
……うん、やっぱりまだ痛い。
それなりに耐性は上がってきていると思うのだが、いつになったら太陽光と仲良くなれるのだろうかと私は嘆息する。
せっかく天気も景色も最高なのに、日光で痛みを感じるようではくつろげない。
そうして私が遅々として進まない耐性訓練に悶々としていると、家の方から父様が歩いてきた。
「お待たせ、それじゃあ今日も薬草の勉強を始めようか」
「はーい」
生後2歳くらいから呂律が回るようになった私は、薬師である父様に頼んで薬草の知識や簡単な調薬を教えてもらっていた。
いずれ私は実家を出て自立するつもりだし、自分で稼げるようになるためにも善は急げというわけである。
いつも通りに私が血液を薄く板状に伸ばしてテーブルを作ると、父様はテキパキとそこに草原で採取した薬草を並べていく。
ひとつの薬草が並べられるたびに父様はその効能や特徴を私に質問してきて、私は優秀な頭脳のおかげで丸暗記しているその知識を迷わず回答していった。
「うん、ここらに生えてる薬草の基本知識はバッチリだね。回復薬や解毒薬の作り方はもう教えたから……今日はちょっと難しい薬の作り方を教えるね?」
そう言って父様は魔力を操ったり、自分の影の中から取り出した道具で薬草をすり潰したりして初めて見る薬を作っていく。
「はい、完成。この薬は【抗呪薬】って言うんだけど……作り方でわからないところはあったかい?」
父様の手元と魔力の流れを丸暗記している私は首を横に振る。
「大丈夫です。覚えました」
まったく父様は……こんな簡単な調薬を覚えられないわけないだろうに……。
いくらなんでも私のことを子供扱いしすぎである。
まあ、三歳児なんですけどね。
「……本当に?」
父様が疑いの目を向けてくるので、私はそこらの草原から必要な薬草を血液操作で集めて、同じ薬の作成に挑む。
すり潰した8種の薬草に火魔法15%と水魔法24%と闇魔法61%の属性をブレンドして、あとは錬金術で『変性』の魔法を掛ければ完成だ。
ちなみに魔力は目を凝らして父様の手元を見ていたら、なんか見えるようになった。
属性魔法と錬金術の基礎もすでに習っているので、特に苦労もなく私は父様が作ったのと同じ薬を空き瓶へと落とす。
「はい、こんな感じですよね?」
薬を入れた瓶を渡すと、父様はそれを目前で観察し、それから乾いた笑いを発した。
「あ、あはは……本当に【抗呪薬】ができてる……うちの子は天才だ……」
父様に頭を撫でられた私はほっぺたを膨らませる。
「これくらい誰でも作れますよ! もっと難しいのを教えてください!」
「……ああ、今の言葉を王都の薬師どもに聞かせてやりたい…………」
学習意欲MAXな子供を前に、父様は苦笑する。
「それじゃあ明日からはもっと難しい薬を作ってみようか? これ以上の薬となると法に触れる薬がほとんどなんだけど……ノエルは秘密にできるよね?」
そうしてウィンクしてくる父様に、私は元気よく頷いた。
「うん! バレなきゃ犯罪じゃないんだよ!」
「……そんな言葉どこで覚えたの?」
前世で邪神が言ってた。
今日の勉強を終えた私は再びデッキチェアを血液操作で持ち上げて、父様と並んで昼食を食べるために家まで歩く。
その道すがら日光耐性のトレーニングに悩んでいた私は、吸血鬼である父様に相談してみた。
「ねえ父様、他の吸血鬼も日光への耐性訓練をしているんですよね?」
「うん? そうだね……幼少期にやるのが最も効率的らしいから、僕も小さい頃にやらされた悲惨な記憶があるよ……あれは本当に地獄の苦しみだった……室内に入ってくる光に耐えられるようになるまで手足を縛られて、拷問みたいに訓練させられるんだ……」
父様は耐性訓練が嫌いだったらしい。
「……完全に耐えられるようになるまではやらないんですか?」
私の質問に父様は立ち止まり、その場にしゃがんで私の肩を両手で押さえた。
「いいかい、ノエル? これまで歴史上、多くの吸血鬼がそれに挑んできたけれど……日光への完全耐性を獲得する前に死ぬか廃人になったんだ……日光を克服するというのは、それくらい危険で困難なんだよ?」
「? だけど僕は普通に耐えれてますよ?」
「そうなんだよねえ……」
はああ~……と深い溜息をついて、父様がうなだれる。
なにか訓練効率を上げるヒントはないかと聞いてみたのだが、どうやら私は日光耐性の最先端を突っ走っているらしい。
まあ、普通の吸血鬼は日向ぼっこの気持ち良さなんて知らないからね。
ここまで太陽光に求愛する私が異常なのだろう。
ヒントが得られずに私がガッカリしていると、父様は仮面の顔を上げて再び口を開いた。
「……日光への耐性訓練って言うのは、耐性訓練って言うよりも『精神力』のトレーニングって意味合いが強いんだ……だからノエルは他の吸血鬼よりも精神力が強いのかもしれないね?」
「え……」
それってつまり『耐性値』が上がっていたわけじゃなくて……『魔法防御力』が上がっていただけってこと?
これまでの訓練を根底から揺るがす情報に私は愕然とした。