魚のカウンセラー
私は釣りをしていた。少し小高くなっている場所から、緩やかな流れの沢に向け、釣り糸を垂れている。
しかし、私には釣りの趣味はない。それどころか、釣りをした経験すらもなかった。だから、自分がどうしてそんな場所にいるのかまるで分からなかった。
そのうちに、竿に感覚があった。どうやら魚がかかったらしい。思いっきり引っ張り上げると、魚が顔を出した。しかも、じっと私を凝視している。喉にひっかかっているであろう釣り針を想像して、私は痛々しい気分になった。
それから……
「それから?」
そこまでを話して声がかかった。見ると、私が釣った魚が喋っている。
「それから、その魚をどうしたのです?」
魚は更にそんな事を言った。
ハッと気付くと、その魚にはいつの間にか腕が生えていた。しかも、服を着ている。場所も、沢などではなく、どこかの部屋の中だった。
「よく覚えていません」
魚の質問にそう答えると、魚はとても残念そうな声を上げた。
「そうですか… では、少し自由に連想してみてくれませんか? あなたがその夢から何を思い出せるか」
魚に見えた者は人間だった。そうだ。私はカウンセリングを受けている最中だったのだ。それで、カウンセラーから、見た夢を話せと言われて、昨晩見た夢の内容を語っていたのだった。
「あの…」
と、私はそれを聞いて、こう口を開いた。
「心理カウンセラーの方は、こういう夢を聞いて、分析を行うものではないのですか? 象徴だとか、圧縮だとか」
私はカウンセラーとはそういうものだと思っていた。先の夢の内容なら、釣り竿を性的なシンボルと結び付けたりするのではないだろうか? ところが、カウンセラーはこう答えてきたのだった。
「いえいえ、あなたは勘違いをしていますよ。例え同じ夢を見たとしても、その夢の意味が同じとは限りません。
海で溺れた経験のある人、そうでない人。海の意味が変わってくるのは言うまでもありません。つまり、その人にとって、それが何を意味するのかが重要なのです。
では、続けましょう。自由連想してください。あなたは、その魚の夢から、何を思い浮べますか?」
心なしか、そう言うカウンセラーの顔が私にはまた魚の顔に見えた。海…… なんで、そんな例えを出したのだろう?と思いつつも、私は、魚という単語から最近食べた寿司を思い浮べた。少し高い寿司で、とても美味しかった。そう話すと、カウンセラーはこう続けてきた。
「ふむ。その寿司に関して、何か気になる事はありませんか?」
「そうですね。そう言えば、海の生態系がボロボロになっているという話を、寿司を食べながら思い出したような気がします。人間の魚の獲りすぎによって。
それで、いつまでこんな寿司が食べられるのだろう?と少し不安になったかもしれません」
私がそう言い終ると、カウンセラーは「ほほぅ」といかにも興味深そうにそんな声を上げた。そして、
「それが怪しいですな」
と、そう言ったのだ。
「怪しい、と言いますと?」
私が疑問に思って、そう尋ねると、
「罪悪感です」
と、カウンセラーはそう答えた。そう答えるカウンセラーの姿は、少しずつ魚に戻っているように思えた。
「罪悪感?」
「魚に対する罪悪感です」
「はぁ…」
ヒレになってしまった腕を、ブンブン振りながらカウンセラーは力説した。
「魚に対する罪悪感から、あなたはそんな夢を見たのです。あなたの心が晴れないという悩みも、恐らくそこから来るものでしょう。魚を食べるのを止めれば、きっとあなたは救われるはずです」
そのカウンセラーの姿は、その頃にはすっかり魚そのものになっていた。その姿を見ながら、私はこの魚のカウンセラーは、面談の内容を、自分にとって都合の良い方向に誘導しようとしているのだな、とそう思った……。
……その夢の内容を語り終える頃には、私の目の前に座っているカウンセラーの顔は、すっかり不機嫌なものになっていた。
だから、見た夢の話なんてしたくなかったのだ。無理に話させるから…
この話を、カウンセラーが、本当に私が見た夢だと思うのか、それとも作り話と思うのかは分からない。しかし、どちらにしろ…
「どうやら、担当のカウンセラーを代えた方が良さそうですな」
カウンセラーはそう言った。
まぁ、そうなるだろうな、と私はそう思った。