最終話 共に生きる願いを
まとわりつく暑さにジャンルカは目を覚ました。手の甲に触れる畳の感触が異変を知らせる。
(オレの部屋じゃねぇ……ここは――)
枕と言うには頼りない、二つ折りの座布団越しに眼鏡を探り当てる。
冴えた視界に映り込む景色は、昨日ジャンルカが転がり込んだ――否、連れ込まれた長屋の一室だった。
(――そうだ。那海のヤツに宅飲み誘われて、一晩中仕事の愚痴聞いて……そのまま寝落ちしたんだったか……)
ちょうど廊下から足音がした。間もなくやって来た那海が、グラスを片手に身を寄せてくる。
「おはよう。お水飲む?」
「おう、ありがと――って、酒じゃねぇか! 薄々そんな気はしてたけどよ!」
昔とそっくりな、那海の無邪気な笑顔が目の前にあった。随分な遠回りをして、あの頃よりもほんの少しだけ距離が近づいた。
「ジャンルカは寝起きでも元気だね~」
「誰のせいだよ、ったく……んぁ? その封筒は何だ?」
「手紙、エヴァンから。今朝届いてたみたい」
那海とエヴァンがよくつるんでいたのは知っていた。もちろんジャンルカも顔見知りではあるが、友人としては一歩線引きをしてしまっていたように思う。
魔術士としてはるか格上のエヴァンに、ジャンルカは気後れしていたのだ。今となっては、くだらないプライドだと笑い飛ばせるが。
「干字で書いてあるな。オレにはさっぱり読めねぇけど……」
「ナミが読んであげる」
「そうか。その前にトイレ……って、おい! ついて来んなよ!」
「読んであげるぅ!」
「お前っ、まだ酒抜けてねぇな!?」
*
央土の内陸部、人里離れた工場の中をエヴァンゲリスは闊歩していた。
前方を駆けて行く赤毛の拳士は、頼もしい妹分だ。
「エヴァン、あなたは大人しくしてるのよ」
碧緑の眼差しが何度目かの釘を刺す。この状況でよくもそんな言葉が出てくるものと、毎度感心する。
刀剣や暗器を手にした用心棒たちが、侵入者を排除しに乗り出して来ていた。
二対十一、戦力差はざっと五倍強。
「了解。アナに任せるわ」
重力魔法で建物ごと押し潰すのは簡単だが、それでは目的達成にはならない。依頼はあくまでも、工場調査のための「掃除」なのだ。
旗袍を翻し、敵陣に攻め入る勢いは電光石火。
妹分の名は、アナ李――極星烈士・楊星露の弟子だというので、仲間に誘ったのが何年前だったか。少々気難しいところはあるが、腕のほうは頼りになる。
頼りになりすぎる。
「ありゃ。もう終わりか」
「文句ある? 騒がないよう口も塞いどいたけど」
用心棒たちはアナの拳脚で手足を破壊され、おまけに破り取られた衣服を口に詰め込まれ、床に転がされていた。
「手際が良うござんすねぇ」
「あっ、そいつは――」
倒れていた男の一人が突如起き上がり、不用意に近づいたエヴァンへ襲いかかる。
だが、それが何だというのだ。エヴァンは鍛え抜いた筋肉で男の拳をはね返すや、両肩を引っ掴んで逆さまに投げ落としてやった。
「オラァ! 重力魔法ォッ!!」
「ぐぇええぇ――っ!!」
床に叩きつけられた男は、首をおかしな方向に曲げたまま、ぴくりとも動かない。
結果、エヴァンはアナを激怒させる羽目になってしまった。
「魔法要素どこよ!? じゃなくて、勝手に息の根止めないでよ! 話聞けるよう手加減しておいたのに……」
「いや~、メンゴメンゴ」
「ウザッ! ったく、面倒くさいなぁ、もう……」
アナは男の首を乱暴に正すと、経穴から気を送り込んで蘇生させる。
息を吹き返した男を待っていたのは、アナの尋問であった。
「手短にいくわね。この工場で、リコルヌの角を材料に違法な薬物を作っているのはわかってる。指示したのは誰?」
「…………」
「五秒以内に答えて。でないと、もう一度同じ目に遭わせるから」
「……イシュト……ヴァ……ン」
「それは〝ヘゲデュシュ・イシュトヴァーン〟のことで合ってる?」
男は無言のまま、重くうなずいた。
ヘゲデュシュ・イシュトヴァーン――西の地で魔王ヴェルーリを自称する吸血鬼の、人間であった頃の名前だ。
「やっぱり……」
「……今は何時だ?」
「質問してるのはこっちなんだけど?」
「持病の薬を飲ませてくれ」
男は返事を待たず懐を探る。
「待って――」
アナは咄嗟に男の手首を掴まえる。同時に、何かが割れるような音をエヴァンも耳にする。
男の手から、血の混じった液体と陶器の破片がこぼれ落ちた。手のひらについた傷口が不気味に泡立っていた。
直後、男はそれまでとは比べものにならない力で、アナを軽々を投げ飛ばす。
「危なっ!」
エヴァンが妹分を抱き止める間、男は倒れた仲間へと駆け寄り――躊躇なく首筋へと咬みついた。
咬まれた男の体が黒く崩れゆく。それとは逆に、咬んだ側の男は眼光も鋭く、衣服を突き破らんばかりに筋骨を膨れ上がらせている。
明らかに、自然の理に反した変容であった。
「『眷属』化した!?」
「ありゃ『なりそこない』だね。自棄起こしちゃって、まぁ」
エヴァンはアナを助け起こす傍ら、術の準備に入る。
眷属化した男は凶相も露わに、こちらへ飛びかからん勢いであったが、
「ほれ、〈地縛陣〉」
エヴァンの発生させた局地的な重圧が地面を沈み込ませる。砕けた床板に男が足を取られた瞬間、矢のごとく飛び出したアナの突きが一閃した。
「〈天道拳〉――!!」
打ち込まれた拳を中心に霊光の波紋が広がる。その輝きに飲み込まれるように、眷属化した男の体は瞬く間に消し炭となり崩れ去った。
「同じ技で生き返ったり、おっ死んだり……まったく、忙しいこと」
「こんなもののために……リコルヌたちの角髄が使われてたなんて……」
震えるほどにきつく握られたアナの拳から、燃え盛る義憤が伝わってくる。
リコルヌ族の角が持つ治癒と解毒の力は、古くから他種族にとって羨望の的であった。彼らの角を「収穫」し、滋養の薬として取引するという、恥ずべき所業を歴史に刻みつけてしまうほどに。
だからこそ――角髄に含まれる成分の純度を極限まで高めたとき、一体何が生み出されるのか――そんな狂気を抱く者が現れたとしても、驚くには値しない。
「ヴァンピールの業……いや、人の業かねぇ」
自分よりも少しだけ低いアナの肩に、エヴァンはそっと手を触れた。
指先に移る熱を、密やかに愛おしむ。エルフの命とて永遠ではないが、それでも妹分に先立たれるのは確実だろう。
(こんなもの、か)
最初のヴァンピールが、自ら理を外れてまで追い求めたものが何であったのかは、知る由もない。
だが、エヴァンにも一つだけわかることがある。
人が真に恐れるのは死ではなく、別れなのだ。
「エヴァン、私たちで止めましょう。これ以上被害を増やしちゃいけない」
「……そうだね。もちろんだ」
感傷に沈みかけたエヴァンの心を、アナの声が力強く引き上げてくれた。
立ち止まっている暇はない。今を生きる者の責任として、自分たちは未来へと踏み出さねばならないのだ。望まぬ別れを一つでも多くこの世からなくすために。
★ジャンルカ / 那海 イメージ画像
https://kakuyomu.jp/users/mano_uwowo/news/16818093075762856189
★エヴァンゲリス / アナ李 イメージ画像
https://kakuyomu.jp/users/mano_uwowo/news/16818093075826244601




