第44話 奪還
ドルティオ遺跡の中心部、素体錬成場。先史民族ドヴェルグの予備体が保管されたこの場所に、施設を維持するための霊脈の力が集中しているのは明らかだった。
「いざ開かん――異界の『扉』よ」
自らの命を代償に魔物を召喚する冥遍夢の呪法を、百慶は開扉の術式に転用し発動させた。
虚空が揺らぎ、仄暗い間隙が覗くのを、澪もはっきりと視認する。
ところが、それからしばらく経っても、一向に変化は訪れなかった。
痺れを切らしたカミーユがうんうんと唸り出した頃、百慶が苦しげに膝を折る。
「やはり……わたしの命では足りないか」
「どういうこと?」と、澪。
「そのままの意味だ。魔物の召喚と『扉』を顕現させるのとでは、要求に差がありすぎたようだ」
百慶の顔色は芳しくない。今この間も発動中の呪法によって、生命力を吸い上げられているのだ。
皆が言葉に詰まる中、厳しい顔つきで百慶に詰め寄ったのはカミーユだった。
「アンタ今『やはり』って言ったよね? 本当は最初からこうなるって勘づいてたんじゃないの?」
「……否定はせん。だから用意はしてある――唯一の打開策をな!」
俄然、百慶は勢いよく立ち上がり、あろうことか両手に掛けられた手枷を力任せに破壊する。
澪たちは一斉に身構えるも、百慶に襲ってくる気配は窺えない。
「いい気勢だ。だが慌てるなよ。わたしは今から呪法を暴走させ、己を魔物へと変異させる。より強力となった命を捧げ、開扉に必要な代価を賄うのだ」
「あなた……一体、何者なの……?」
「お前と同じだ、大曽根澪。わたしと教主、教団にただ二人の特異な霊媒体質――『御子封じ』の被験体。邪神の依代として適合した者と、そうでない者……後者がこのわたしというわけだ……!」
荒々しい気迫とともに膨れ上がる、百慶の肉体。
「間もなくわたしは自我を失い、憎悪と怨嗟を撒き散らす破滅の化身へと生まれ変わるだろう。お前たちはわたしを討ち取り、この命を『扉』への供物として捧げるのだ」
見る見るうちに百慶の四肢は金色の剛毛に覆われ、長髪はたてがみに、顔つきは獅子のそれへと変容してゆく。
もはや選択の余地はなかった。それでも、澪の心にはやるせない思いがひしひしとのしかかる。
「あなたはそれでいいの!?」
「今さら何を悲しむ? お前はその身に巣食う悪魔を『扉』の向こうへと帰しに来たではないのか? この、わたし、の……命を、むざむざと犠牲にしてなぁッ!」
獣面の怪物は、身の毛もよだつ咆哮を上げて襲いかかる。狂おしいほどの怒りに塗り固められたその声の奥に、澪の耳は深い悲しみを聞き取った気がした。
(迷っては……駄目――)
迎え撃つ太刀筋が、気持ちとは裏腹に乱れる。振り下ろされる獅子の爪を刀で弾くも、続く膝蹴りへの対処が間に合わない。
不意に一陣の突風が吹き荒れた。横合いからの奇襲に、百慶の巨躯は遠く壁際まで押し飛ばされていた。
「どうしたんだよ、ミオ姉!? 随分ヌルいこと言うようになったじゃんか!」
カミーユは精霊の翼で宙へ舞い上がり、風撃で敵に追い撃ちをかける。
「ううん。違うよ、カミーユちゃん。覚悟ができてないのは、澪ちゃんの方じゃなくて……」
ラリッサも二丁斧を手に前方へ躍り出る。その後ろにはジャンルカが続いた。
「あの野郎、この期に及んでリーダーを惑わすようなこと言うんじゃねっつーの」
「みんな……」
胸に熱い感覚が込み上げる。吐く息に合わせて震える肩に、温かい手の平が触れた。
「澪姉だけに重荷を背負わせたりしないよ」
「……献慈」
「忘れないで。いつだって俺がついてるってこと」
勇ましく微笑む献慈の髪は銀色に輝き出し、瞳は黄金色へと変わる。
いつもそうだった。彼が自分から力を振るうのは、私を守ろうとするときだけ。
「うん。行こう……一緒に」
献慈のことを想うと、力が湧いてくる。どんなときも自分を愛してくれる人が側にいる。そう信じるだけで、何でもできそうな気がした。
ふたりで踏み出す足取りは力強くも軽やかに、仲間たちのもとを目指した。
土埃の向こうに浮かび上がる輪郭は、もはや澪たちの知る百慶の面影を残してはいない。
そこに立つのは、負の感情に支配された、恐ろしくも憐れな獣であった。
「忌々しい偽善者どもめ……虐げられし者の痛み、寄る辺なき者の苦しみ、その身をもって知るがいい!!」
喉も裂けんばかりの怒号が部屋中に響き渡る。
しかし、ここには目を逸らす者も、後ずさる者も誰一人としていない。
「望むところ! あなたの怒りも悲しみも、全部私たちが受け止めてあげる!」
玉水の霊刀、獅子の獣爪――刃を向けあった瞬間、澪は悟った。これはお互いにとって、自分を取り戻すための戦いなのだと。
★百慶(変異) イメージ画像
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