第42話 不退転
邪神・八十禍宵比売。
八尾の銀狐を擬した優雅かつ雄大な巨躯は、潤葉たちを圧倒する。
その前脚の一振りは大木を薙ぎ倒し、後ろ脚の一蹴りは岩壁を粉砕し、尻尾のそよめきすらも山肌を削り取った。
斯様に桁外れの怪物を、人の身で相手取るのは、命知らずというものだ。
少数の例外を除いては。
「的がデカすぎるってのもやりづれえなあ」
邪神の攻撃を掻い潜りながら、紫深は返す刀でそのつど迎え撃つ。斬撃は敵の分厚い障壁を打ち破りつつも、その抵抗によってわずかなズレが生じ、急所を外されている。
あまつさえ、『扉』から流れ込む瘴気は、邪神の傷をたちまちのうちに癒してしまう。
「食えぬ男よ。加減を測っておるな?」
「バレたか。まあ、案外オレが遊んでる間に弟子たちが何とかしてくれるかもしれんぜ?」
人類の頂点たる極星烈士の戦いぶりは、あまりにも常軌を逸していた。
邪神の体を足場に宙高く跳躍し、振るう刀から剣圧を雨あられと浴びせかける。
身を捻って反撃を躱すそばから実剣で斬り返し、反動で飛び移る梢を蹴り、空を駆けて敵のもとへ舞い戻る。
(あれが……僕の目指す高みか)
師の背中は遠い。英雄と邪神の一騎討ちは、まるで神話の再現だ。飛ぶ鳥を落とす勢いの超新星といえども、割って入る余地はないかに思える。
「弟子だと? ……ああ、何やら大口を叩いていた小虫どもがおったのう」
八本の尻尾が立て続けに大地を薙いだ。風圧が潤葉を、香夜世を、瑠仁郎を吹き飛ばす。有象無象などいつでも捻り潰せると言わんばかりの、明らかな挑発だった。
「退かぬ! 退いてはならぬ!」
ただ一人、幽慶だけが仁王立ちで耐え凌ぐ。
無論、引き下がるつもりがないのは潤葉とて同じだ。
「カヤ」
「わかっています」
助け起こす香夜世の眼差しも、自分たちの立場を悟っていた。邪神にとって十字星は、紫深に本気を出させないための人質なのだ。
それを承知のうえで、敵をこの場に留め置く意味はある。仮に邪神が全力で逃げに徹すれば、峡谷の先にある町を被害に巻き込む恐れがあったからだ。
「ルジも無事かい?」
「かたじけない」瑠仁郎にも諦めの色は窺えない。「拙者程度、囮にも満たぬとは口惜しくはござるが……」
「ああ。無礼は承知で、逆に先生に囮になってもらおう。何としても僕らの手で勝機をたぐり寄せるんだ」
潤葉は仲間たちに目配せをする。すかさず香夜世と幽慶が、それぞれ闇の力と物理攻撃への防護術を全員に重ねがけする。
あくまで気休めだ。直撃を喰らえばどのみち命はない。
「備えは万全にござる」
瑠仁郎が懐から取り出したのは、幽慶がありったけの法力を込めた独鈷杵だ。
仲間に先んじて、潤葉が進み出る。
「僕が道を切り開く――」
師の立ち回り方を最もよく知るのは、弟子である自分だ。紫深の動きを目で追いつつ、敵の死角から素早く接近を仕掛ける。
相手はかつてない強敵。
「――〈十字流星把〉!」
今ある最大威力の絶技をもって挑む以外の選択はない。
それでも、邪神の纏う強固な障壁に阻まれるのは想定内だった。
ところが、である。
交差する双刃はあっさりと巨獣の踵を斬り裂き、黒い血飛沫を辺りに散らす。
「ぐぅっ、小癪な……っ!」
驚いたのは邪神ばかりではなく、潤葉も同じである。
(……届いた!?)
ダメージは軽微、されど敵の意識を逸らすには充分だった。
同時に裏から回り込んでいた瑠仁郎が、高跳びから投擲の動作に入った瞬間。
「蝿め!」
間一髪、奇襲を察知した邪神が尻尾で瑠仁郎を叩き落とす。
それを目にするや、色を成した紫深は体ごと刀を大きく振り抜いた。
「こん畜生ッ!」
轟々と哮り立つ太刀風が障壁を突き抜け、邪神の胸元を深々と抉る。
だが、それすらも致命傷には至らない。一息吸って吐く間に、傷は塞がり始めている。
「ぐぉ……ふ、ふ……我と其方、いずれが先に力尽きるか、根比べよのう」
「冗談じゃねえ、付き合ってられるかよ。ここいらが更地になっちまう前に決めてやらあ。それに――」
刀を構え直す紫深の瞳には、はっきりと映し出されていた。
「とどめを刺すのはオレじゃねえ」
邪神の尾先に絡まった、忍装束の切れ端が。
★瑠仁郎(覆面) イメージ画像
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★幽慶 イメージ画像
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