第40話 修羅となれ
空間の歪みは、霊脈を通じて遠く離れた場所へ作用を及ぼす。
例えば、西方の地オルカナで異界への『扉』が開かれたとする。その影響は反射的に、はるか海を越えたイムガイのとある地点に現れることが予測された。
旧都から大きく東に位置するキホダトの山間部に、烈士チーム・十字星は陣取っていた。
小高い丘に佇む幽慶を、潤葉はそっと見舞う。
「和尚、見張りを交代しましょうか」
「うむ」
返答の間も、老僧の目は遠く夏空を見つめたままだ。
「……もう少し、お独りにして差し上げるべきかとも思ったのですが」
「気を使ってくれるな。あやつとの別れは済ませた。心残りはない」
行き違う背中が、心なしか小さく感じた。
オルカナへ向かう百慶への同行を拒否したのは幽慶自身だが、最終的に残留を命じたのはリーダーである自分だ。
(無理でも送り出すべきだったのか……いや)
それはできない、と潤葉は心中で発した。
将の一声は、隊の規律を保つことも、曲げることもできる重みを持つ。だからこそ、感傷的な決断は許されない。
潤葉は今一度、己に課せられた重責を噛みしめる。
(新月組を、澪さんを信じよう。僕は僕でやるべきことをするんだ)
今頃、幕府はイムガイ各地で同時多発する暴動の鎮圧で手一杯だろう。
考えるまでもなく、それらは冥遍夢による陽動だ。邪教の本隊が、この地に生じた霊脈の歪みに狙いをつけているのは確実だった。
世に破滅をもたらす邪神を、魔界への『扉』から呼び込むために。
時は間もなく訪れた。
眼下に広がる窪地で、大きな陽炎が球状の渦を巻いていた。
「事象発生! ルジ、峡谷の様子は?」
「敵の進軍は確認できず、でござる」
瑠仁郎の報告を受け、潤葉は直ちに香夜世へ指示を出す。
「カヤ、作戦・乙に移行する!」
「承知しました」
黒アゲハの式神が四方へと散って行く。
(峡谷を通らないとなれば、ここへ来る方法はただ一つ――)
潤葉の勘は当たっていた。
歪みの渦を取り囲むように、突如として多数の人影が立ち現れる。獣人と半獣人で構成された異装の集団は、冥遍夢の信徒たちにほかならなかった。
その数、ざっと百を下らない。
(やはり、直接ここへ転移して来たか)
個人で扱うには高度な資質を要する転移術だが、大掛かりな儀式を執り行うことで実現を可能としたのだ。人的資源に優れた教団にこそできた力業である。
(だけど生憎、人材なら僕らだって負けてはいない)
式神が向かって行った方角から、続々と部隊が集結する。
湖畔の合戦で共闘した戦友たち――六宝牌、没汀牙、祭火衆――三組の烈士チームだ。
一触即発の最中、敵集団の中央から出し抜けに声が上がる。
「聞け、不遜なる烈士ども」
豪奢な衣に身を包んだ、銀狐の耳と尻尾を持つ女が輿に乗っていた。
「我らは冥遍夢。同志・百慶が命を賭した望みを叶うるべく、出で来たる者なり」
冥遍夢の教主である。年の頃は五十をとうに回っているはずだが、妖艶な美貌にはいささかの衰えも窺えない。
「百慶の望みだと? 知った口を……」
幽慶は言いかけた言葉を飲み込み、肩を震わせた。
本人の意志など問題ではなかった。すべて織り込み済みで、教団は百慶を泳がせていたに違いない。
無論、潤葉たちも、それを承知のうえで策を講じてきた。
澪の霊障を取り除く。
百慶に本懐を遂げさせる。
冥遍夢を邪神もろとも一網打尽にする。
それらをまとめて解決する一手こそが、当の作戦であった。
「和尚、もはや迷いは無用です。我ら一丸、修羅となり、狂信者どもを、喚び出される魔物どもを、邪神を、余さず斃し尽くしましょう」
潤葉が宣言するが早いか、
「聞こえているぞ、十字星」
教主は輿を飛び降り、声を張り上げる。
「魔物を喚び出す、と言ったな? 我らがまだそのような段階にとどまっていると思うてか」
教主の手の上で数珠が弾け、飛び散った珠が信徒たちの首の裏を打ちつけた。途端、彼らは次々と異形の者に姿を変えていく。
化け猫、化け狐、化け狸――理性を失った半獣たちが、烈士部隊へとまっしぐらに襲いかかった。
「何と惨いことをする」
「和尚、これは一体……」
潤葉の疑問に答えたのは、幽慶ではなく香夜世だった。
「おそらくは、体内へと直に魔物を召喚したのでしょう。具現化する過程で混じり合って、あのような姿に変異したものかと」
「外法極まれり! 拙者どもも加勢に向かいましょうぞ!」
息巻く瑠仁郎を宥めつつ、潤葉は十字星に号令をかける。
「ああ。これより総攻撃を行う――全員この谷津田潤葉に続け!」
抜き放つ太刀の刃先に茜差す。丘を駆け下りる足並みを追い越し、振るう大太刀の刃は西陽を閃かせ、異形たちを斬り伏せてゆく。
狙うべきは教主の首級だ。
★冥遍夢教主 イメージ画像
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