第36話 仮説:バビロンの門
立ち並ぶ石柱の奥に大きな門が待ち構えていた。
ラリッサがここを訪れるのも二度目だ。初めてのときは澪と二人だけ。今は献慈やジャンルカたちも一緒だ。
「ジャンパイ、大丈夫? たいぎくない?」
「ああ、意外と平気だ。考えてみりゃ、物心つく前のことなんて憶えちゃいねぇもんな」
幼いジャンルカがたった一人で佇んでいた場所。この人気のない山中に三十余年前、物好きな修道士が祈りを捧げに来たのは、奇跡と言ってもいいだろう。
拾われた命が多くの縁を繋いで、皆をここまで運んで来たのだ。
「それじゃ、改めて説明してもらえるか?」
イグナーツの求めに応じ、献慈が語り始める。
「まず初めに、これは俺とノーラさんとで導き出した、あくまで仮説であることをご了承ください」
ノーラ・ポッキネン女史は、ラリッサたちも利用する転移ゲートを開発した人物だ。変わり者だが見識は豊かで、無論本件にも深く関わっている。
「こちらの門に刻まれた文章を見てみましょう」
the key is in the Fire of Babylon.
(鍵はバビロンの火中に在り)
Thou Drop the SworD to SoDoM Town.
(汝、ソドムの街に剣を散らす)
SaDness for the DeaD, Delight of InvItatIon for 7 VictIms.
(死者には悲しみを、七匹の生贄には招かれし歓びを)
「一見して詩のように思えますが、おそらく言葉そのものに意味はありません。これは昔ここを訪れた『マレビト』が残した暗号であると考えられます」
一行目の『key』は、音楽における『調』を表している。
続く『Fire』と『Babylon』は二行目と三行目にかかっており、それぞれのキーが『F』と『B』であることを示している。
献慈の話はまだ前提部分だ。しかし、すでにカミーユは退屈の色を隠そうともしない。
「音楽と遺跡に何の関係が? 七本の石柱が鍵盤だとか言うなよ?」
「いや、そのとおりだよ。正確には、柱の間にある台座も含めて十二個ある」
柱に比べると小さくて目立たないが、その間には確かに、崩れた台座が規則的に並んでいる。初訪の際に撮影した全体写真を見て気づいたことだ。
「話を戻しましょう。碑文には不自然な大文字と小文字が混在しています。その中で重要なのは主に大文字です。まずは二行目――」
Thou Drop the SworD to SoDoM Town.
すなわち――
T D SD SDM T
「トニック、ドミナント、サブドミナント、サブドミナントマイナー、トニック。そしてキーは『F』だから――」
F C B♭ B♭m F
「コード進行……?」
カミーユの問いかけに、献慈は静かにうなずいた。
「みんな、献慈に合わせて」
澪を始め、献慈、ジャンルカ、そしてラリッサの四人が、事前の打ち合わせどおり、コード音に対応した十二箇所の柱と台座へ順番に触れていく。
「……! 門が反応しているぞ!」
イグナーツの指摘は確かだった。一工程ごとに、石造りの門が燐光を発している。入力されたコードが正解であることを示しているのだ。
そして、五つ目のコードが入力された時、
「……『根無し草』が『道筋』を指し示すか」
冷笑する百慶の眼前で、門は一際大きく輝きを放つ。認証が済み、遺跡の起動が完了したのだ。
「次は三行目です。俺の見立てでは――」
SaDness for the DeaD, Delight of InvItatIon for 7 VictIms.
ここからコードに関連した文字だけを取り出すと――
SD DD D III7 VIm
「サブドミナント、ダブルドミナント、ドミナント、サード・セブンス、シックス・マイナー。キーは『B』だから――」
E C♯ F♯ D♯7 G♯m
再び四人で柱と台座へ向かう。
それぞれが担う場所へと。
同時に触れていけば。
「門は開かれる――」
はずだった。
「――……何で……何も起こらないんだ……?」
献慈は困惑を露わに固まってしまった。




