第3話 客人(マレビト)、来たる
その国は大正期の日本とよく似ていた。
ある日突然、入山献慈が放り出されたのは、東洋の島国であった。
今は将来を誓い合う仲となった大曽根澪に助けられてより後、献慈はさまざまな人々と多くの縁を結んできた。
そんな友人の一人に、研究熱心で行動力旺盛な魔人がいる。共通の知り合いである天狗の協力を得て、各地に「転移ゲート」を設置して回るのに夢中な変わり者だ。
ちなみにその魔人というのはジャンルカ・グァルニエリとは別人である。これから振り返るのは、彼と献慈たちが出会うより少し前の話だ。
*
たまに降り積もる雪も二日を跨がぬ、暖冬の一月――この国の暦でいう瑞鹿節――の中頃のこと。
転移ゲートを通ってワツリ村へとやって来たのは、一人の老剣士であった。
「それでは手合わせ願おうか、孫弟子殿よ」
伊藤梅通。稀代の剣侠であった、澪の亡き母親の師である。
「有り難く胸をお借りします、大師匠様」
迎えるは大曽根澪。互いに木刀の切っ先を向け合う。
道場に集まった村の武芸自慢たちが、固唾を飲んで両者の組太刀を見守る最中、
「新月流――〈兜会〉!」
先制した澪の唐竹割りが空を切った。続けざまに横一文字、平突き、袈裟斬りと繰り出すも、梅通の剣にすべていなされてしまう。
「ふぅむ……〈一風〉、〈貫刺〉、〈喰灘〉……次は〈早叢〉かな?」
「……!」
ほんのわずか、澪の表情に現れた動揺を見抜いていたのは、その場の誰よりも彼女をよく知る献慈だけであろう。
あるいは、実際に相対する梅通もまた。
「と、見せかけて〈丹泥勒〉か」
渾身の脛斬りを片手で防ぎ止める、老人の身ごなしにはいささかの危なげもない。まるで初めからそうなるのを示し合わせていたかのように。
「まだまだこんなものではなかろう?」
「お願いします」
試合は続行される。だが吹き荒ぶ嵐のごとき澪の剣勢も、梅通の間合いに達した途端、ことごとく凪いでしまうのだった。
一頻り攻め終えた澪が大きく息をつく。梅通は感心したようにうなずいて見せた。
「実に素直な太刀筋だ。だが儂の求める剣ではないな」
「……いいのですか?」
梅通の真意を察してか、澪が目を輝かせる。
「儂はお主自身の剣が見たい。応えてくれるな?」
「はい、是非とも!」
澪の太刀筋が変わった。型を抜け出した自由闊達な剣運びは、それまで同じ場に留まっていた梅通の軸足を立ち退かせるのに成功する。
さらには、
「許せよ――〈颱翻〉」
「ん……っ……!」
反撃の逆袈裟。咄嗟に防いだ澪の身を大きく弾き飛ばす。
これで怯むどころか、かえって火が点くのが澪らしさだ。
「すごい……見慣れた技がまるで別物みたい……!」
「止めよったか。天晴!」
再び肉薄。双方、激しい攻防を続けながらの位置取り合戦は、いつしか道場を飛び出し、村の中へと舞台を移していた。
見物人とともに外へ出た献慈を、頭上から呼ばわる声があった。
「献慈、こっちだ」
「柏木さん」
軒先へ伸ばされた杖の先を掴むと、献慈は屋根の上へひょいと引き上げられた。
「ここからならよく見えるだろう」
兄貴分の粋な心遣いであった。
眼下では村中を駆け巡っての立ち回りが繰り広げられている。伸び伸びと剣を振るう澪に対し、梅通は型に沿った技だけで応じていた。
「己自身の剣で新月流を超えねば認められない、ということなのだろうな」
いかにも、献慈に武芸を教え込んだ者の目は確かであった。
それにしても何と晴れ晴れしいことか。一心不乱に木刀をかち合わせ駆けずり回る老剣士と姫武者の面持ちたるや、まるでチャンバラ遊びに興じる子どものようだ。
しかし、楽しい時間は往々にして急な終わりを告げる。
畦道の真ん中で、ぶつかり合った両者の木刀が折れ飛んだ。
「あいや、何とも見事な」
「相討ちですね」
「いや……半ば戯れなれば、これもまた相抜けの形と言えよう」
師と孫弟子は手に残った柄頭を立て、礼を交わす。
「大曽根澪、以上をもってお主に新月流の免許皆伝を申し渡す」
*
村を訪れた梅通は大曽根家に滞在していた。
澪が父親とともに亡き母の師を迎えたのが今朝のこと。その後、件の手合わせを経て現在、献慈を交えた三者が囲炉裏端へ集っていた。
老師は訥々と語った。愛弟子が自分の元を去ったまま、再び会うことなく逝ってしまったのは返す返す悔やまれる、と。
「だが娘のお主を見れば、あの子が良き親であり、良き師でもあったことがありありとわかる。はるばるやって来た甲斐は充分にあるとも」
そう言って目を細める梅通に、澪は肩をすぼめながら答えた。
「こちらからお伺いすべきところ、ご足労いただき痛み入ります」
「都は今、邪教の手の者が暗躍しておる。御子であるお主が近づくのは危険だろうて」
かつて澪は神事として二度、首都にある神宮への巡礼を試みた。いずれも頓挫する結果に終わったものの、「現世と幽世が重なる日」に生まれた御子としての資質は身に宿したままだ。
「現在『御子封じ』として伝わっている儀式が、元々は別の意味合いを持っていた可能性ですね」
何より澪の身を案ずる献慈としては、危険が待つ首都へ彼女を行かせるわけにはいかなかった。
「その辺りは隠密や天狗衆が調べを進めていると聞く。儂にも真相までは測れぬが、邪教が御子を利用し良からぬ事を企てておるのは確かだろうからな」
言い終えると、辛気臭い話はここまでだとばかりに、梅通は相好を崩した。
「事情はどうあれ、孫弟子殿から便りが届いた時は驚いたぞ。いや、実に喜ばしい。この老いぼれに愛弟子の忘れ形見と見える日が来ようとは」
「私も……心残りを大師匠様と果たせたこと、光栄に思います」
母親から教わりきれなかった新月流の剣を完成へと導くことは、澪のかねてよりの宿願であった。
「烈士として、新たな一歩を踏み出すため――そう言っておったな」
「はい。大師匠様と母との別れを思うと心苦しくはありますが……」
武芸は力なき者のためにこそ用いるべき――血気に逸る若き弟子は門下を飛び出し、烈士の世界へと身を投じた。
それが師弟の今生の別れになるとも知らず。
「いかに腕が立とうと、武によって成し得ることなどたかが知れておる。その答えにあの子は独力でたどり着いたのだな。お主の育ちぶりが自ずと語っておるよ」
「武によって救えるものも少なからずあります。その結果、生じた責任は武を振るった者が負うべきであると」
梅通の目に映る孫弟子の姿は、かつての弟子の姿と重なって見えていたに違いない。
「心がけは立派だが、一人で気負いすぎるでないぞ。お主には苦楽をともにする婿殿もついておるのだ」
「むむむ婿っ!? ……は、はい」
澪の熱い視線が献慈へと突き刺さる。認めてもらえるのは嬉しいが、気が早すぎる。心は決まっていても、日取りは決まっていない。
「俺だけでなく、澪姉には支えてくれる人たちがたくさんいます。ちょうど外国で知り合った烈士の友だちも力を貸してくれることになってるんです」
「ほう。して、それはどのような御仁かな?」
この梅通との語らいは、図らずも献慈たちの次なる指針を示すこととなる。
★梅通 イメージ画像
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