第26話 嵐のあと
冥遍夢の動乱から一週間が経つ。
休暇明けの新月組は、行きつけの宿酒場〝鯖豚〟で新たな仕事を探す手筈となっていた。
「本当ごめんね。リーダーが寝坊するなんて」
「大丈夫。お化粧も髪型もバッチリよ」
ラリッサの手伝いで身支度を終えた澪は、遅れて店までやって来たのだが。
店内では、先に到着していた献慈とジャンルカが、十人ほどの烈士たちに取り囲まれていた。
いや、よく見れば囲まれているのは献慈ひとりで、ジャンルカは勢いに押され、脇に追いやられている。
「あんたが噂の献慈さんっすね!?」
「凶暴な悪魔を一撃で粉砕したんだって?」
「細こい体して、やるじゃねーか!」
荒くれ者たちが口々に献慈を褒め称える。先日の地下遺跡での活躍がすでに知れ渡っているらしい。
「……何で澪ちゃんがドヤ顔しよるん?」
ラリッサが怪訝そうに顔を覗き込んでくるが、澪からすれば愚問というもの。
「献慈の凄さ、やっとみんな理解したんだなって思って。ま、私は最初からわかってましたけど?」
「『私が育てた』みたぁ言いよん……」
そこまで言ったつもりはないが、恋人が認められて誇らしくない女などいないに決まっているだろうと、澪は思っていた。
一方の献慈は、にわかファンからのサイン攻めに遭っている最中だった。
「こいつに名前書いてくれよ! ニホンゴってやつでよぅ!」
「あ、えーと、それは……」
献慈が渋っていると、ジャンルカが横から割り込んで来る。
「こらこら、そういうのは悪用されるかもしれねぇから気軽にやっちゃダメだ」
「えー! ダメなのー!?」
残念がるファンの中に若い女性を見つけて、ジャンルカはすかさず自身を売り込んでいく。
「その代わりお嬢さんにはオレのサインと連絡先を……」
「普通に要らなーい。てか、お兄さん誰? 新月組のマネージャー?」
「正式メンバーです……」
どうやらジャンルカの知名度はイマイチらしい。皆の注目は、彼を除く若者三人に集中しているようだ。
それを証明するように、澪たちの入店に気づいた群衆が一斉にこちらを向いた。
「あんた〝太刀花姫〟じゃねぇか! それと……」
「ラリッサ・マシャドさんですよねっ!? 可愛いーっ! 脚長ーい! ファッション真似してもいいですかっ!?」
邪教幹部を単独で制圧した異国の才女の名は、瞬く間に旧都の烈士界へと広がっていた。
「ええよー。あとサイン欲しかったら書いちゃるけぇ」
「待て待てぇ! ラリッサちゃん、オレの話聞いてた!?」
(リッサもすっかり人気者になっちゃったなぁ……)
出会ってから半年。
共に仕事をするようになって三ヵ月。
今では大切な仲間で、かけがえのない親友だと、澪は思っている。
(誕生日、ちゃんと祝ってあげなきゃね)
*
四月――イムガイの暦で慶熊節――五日。
ゆめみかんの食堂では、いつものメンバー――澪、献慈、ラリッサがテーブルを囲んでいた。
そこへジャンルカが、おどけた調子でチョコレートケーキを運んで来る。
「さぁさ皆さんお待ちかね、マネージャーお手製のトルタ・アル・チョコラートでござ~い」
「ジャンパイ、ありがとう」
そう言って目を細めるのは、めでたく十九歳を迎えたラリッサだ。
本来ならば実家で誕生日を祝うところを、自分たちと過ごすことを選んでくれたのが、澪は何よりも嬉しかった。
「『マネージャー』はスルーかよ……」
「まあまあ、ジャンルカさん。それから澪姉も。歌詞はバッチリだよね?」
献慈のギターを伴奏に、三人でバースデーソングを歌う。異世界ユードナシアで広く親しまれている歌とのこと。祖母づてにラリッサも知っていたのには、縁を感じずにはいられない。
「さて、お次はオレたちからのプレゼントだな」
「待って。澪ちゃんお腹空かせとるけぇ、ケーキが先じゃ」
「ラリッサは澪姉のことよく見てるなぁ」
(バレてる……)
ラリッサの手でケーキが切り分けられる。彼女の故郷パタグレアでは、パーティの主役自ら料理を振る舞うのが慣習なのだ。
そしてもう一つ。
「はい、澪ちゃん」
「いいの?」
「うん。それとも、うちが食べさせちゃる?」
バースデーケーキを最初に食べさせる相手は、その人にとって一番大切な人であることを、澪は後に知る。
ラリッサがフォークに手を添え差し出す一口に、澪は思わずかぶりつく。
「……おいしい」
ふんわりとした舌触り。香ばしい苦味の中に浮かび上がる、まろやかな甘味。
注がれる、みんなの優しい眼差し。
幸せな時はこれからも続くのだと、澪は信じていた。
*
その夜、澪は不思議な光景を目にした。
(ここは……どこだろう)
頬に叩きつける乾いた風の感触に瞼を開く。
見渡す限り果てしない荒野が広がっていた。遠くには戦火がちらついている。
(また、戦ってる)
――違う。
何かがおかしい。
確かに火が燃えている。
どうして一目で「戦火」だと判ったのか。
(これは夢――じゃない。『私』の記憶だ)
「カーヴェ、何を見ているの?」
後ろで声がした。ほんの数日――十日ぐらい会っていないだけなのに、ひどく懐かしい。
ひとりでに言葉が口をついて出る。
「オーサのこと考えてた」
「わたしはここにいる。安心して。絶対にあなたを置いて行ったりしないから」
(……オーサの嘘つき)
この温かな抱擁が、二人で触れ合った最後だった。
自分を守ると言って、空間の歪みに近づいたせいで、離れ離れになってしまった。
暴力だけが生き抜く術の非情な世界で、唯一の希望だった。
『私』の大切な姉妹――オーサ。
*
(…………)
翌朝、澪が目を覚ますと、頬に一筋の涙がこぼれていた。
枕元には白い髪が一本、抜け落ちていた。




