第25話 禍宵(マガヨイ)に住まう者
千五百年前、この世界トゥーラモンドに異界からの侵略者が現れ、〝救世の烈士たち〟との戦いを繰り広げた。
今日『十三年戦争』として知られる出来事である。
強大な力を持つ異形の侵略者は、サルウィスムス教における『神』の敵対者になぞらえて悪魔と呼称された。
その悪魔が今、献慈と澪の目の前にいる。
「Shimi-ry ynori? OSA...」
目鼻らしきものが付いた頭部から、不可解な震動を発していた。
害意の有無はこの際、問題ではない。
「とにかく、この子を異界に帰してやればいいのね」
言い放つや、澪は刀の柄に手を掛ける。至極シンプルな解答だ。
献慈も肩を並べ、異形の行く手に立ち塞がった途端――
「Quenteshe...Kimi'i shima!」
黒光りする大蛇のような腕が力任せに石壁を突き崩す。威嚇というにはあまりにも剥き出しな怒気が轟々と渦巻いていた。
さながら生きた災害だ。先手を取らせてはいけない。
「俺が引きつける――」
献慈は治癒の光を杖に纏わせ、
「――〈黎明断〉!」
悪魔めがけて打ち下ろす。仮初めの実体を維持する「闇」の本質は「収束」。それを「光」によって「拡散」させる。
「Aaa...!」
(効いている……通用する!)
防御した敵の前腕が焼け焦げたような煙を上げた。
その隙を突いて、澪が抜き打ちの一太刀。澪標天玲の蒼き刃が胴体を深々と斬り裂くも、分断までには至らない。
すかさず献慈も追撃をかける。
「〈鹿戈狼乱〉!」
澪と交互にそれぞれの技を繰り出し続けた。
悪魔は傷を負うそばから自然回復を始めている。吸血鬼をも上回る恐るべき再生力。爪と足刀による反撃も激しい。
だからといって、後退は悪手だ。攻撃の手を休めてはならない。
(このまま一気に押し切らないと……)
――大曽根澪。お前は『扉』に近づくべきではない。
百慶の言葉を今一度思い出す。異界の空気に触れた魔物たちが凶暴化したように、戦いが長引けば長引くほど澪に悪影響が及ぶ恐れがある。
悪魔が身をすくませた。抵抗の気配――あり。だが押し通せばこちらの勝ちだ。
(ならば――押し通す!)
渾身の一撃に入ろうとした刹那、献慈は察知してしまった。
敵の殺気がこちらを向いていない。
「(しまった!)澪姉――っ……!!」
側方へ回り込んだ献慈は次の瞬間、自分の背中が崩れかけの石壁に埋まっているのに気がついた。
敵の蹴りを喰らって撥ね飛ばされたことまでは憶えている。
「献慈……!?」
離れた場所で、澪が必死に敵の猛攻を捌いていた。一転して防戦一方だ。立ち回りにも動揺が隠しきれていない。
俺に構わないでくれ――そう叫びたくても声が出ない。体を突き抜けた衝撃の余韻が凄まじい。まるで交通事故だ。
(冷静に……なれ。まずは生き延びるのを第一に考えろ――)
失神寸前の気力を振り絞り、献慈は自身に治癒を施す。敵のターゲットは澪に絞られている。これはチャンスと見るべきだ。
「Kys'miw...! Tesi'en'somore!」
「新月流〈安楽囲〉」
澪は敵の周囲を舞い巡り、撫で斬りで牽制を繰り返していた。悟られぬよう、視線が献慈の方を窺っているのがわかる。
アイコンタクトだ。今ならば、応えられる。
(届け……〈颱嵐吐〉!!)
練り上げた内功を杖身に込め、螺旋を描く突風を撃ち出す。
敵の片腕が捩じ上げられ、澪の眼前へと大きな隙が晒された。
「新月流――奥義〈芙蓉花〉」
それは一振りに五本の太刀筋を連ねる秘剣。必滅を免れる術はない。
余さず決まっていたのならば。
「Giiyaa...ah...!!」
「う……ッ」
相討ち。半身を消し飛ばされた悪魔の逆腕が、澪の体を大きく弾き飛ばす。
敵の命脈はまだ途絶えていない。
(……俺が……やるしかない――!)
だが、たどり着くには距離がありすぎる。
せめて、あと一秒でも足止めできれば――
「献……慈……」
「――献慈くん!」
風を切って飛来したのは、手斧。着弾とともに敵の足元が氷漬けになる。
ギリギリでつながれた数秒間に、献慈は己の全身全霊を注ぎ込んだ。
燃え盛る極光を纏い、弾丸となって疾駆する。
「(これで決めてやる――)〈獅天濁冽把〉!!」
大上段に振り被った杖は破邪の鉄槌と化し、悪魔の残された半身を一撃の下に打ち砕いた。
「OooSA...aa...」
悲痛な声を残し、魔の気配がたちどころに掻き消えてゆく。
脅威が去ったことを告げるように、献慈の中で〈仙功励起〉の滾りが収まっていった。
眼前に垂れた前髪は元の黒髪へと戻っていた。
「……そうだ! 澪姉は――」
献慈は急いで恋人のもとへ走り寄る。
澪はラリッサに抱き起こされていた。見たところ、左肩をひどくやられている。
「すぐに治すよ」
治癒の光が澪の患部を覆った。
「うん…………ん……っ!」
「ごめん! 急ぎすぎた!?」
「……ううん、大丈夫」
澪の傷は塞がり、肩も問題なく動かせているようだ。
安堵した献慈は、改めてラリッサに感謝する。
「ありがとう。助かったよ」
「うちが一番乗りじゃっただけよ」
言われて見渡せば、ジャンルカ以下、六宝牌の面々も揃い踏みであった。
「こっちも片付いたぜ。おつかれさん」
皆、献慈のとどめの瞬間を目撃していたらしく、口々に褒め称える声がどうにもくすぐったかった。
*
その後、皆が見守る中、風水師はすぐに『扉』の封印に取り掛かった。
当初儀式は難航したものの、消耗の激しい澪たちが引き上げた直後から、空間の乱れは落ち着きを見せ始める。
程なくして『扉』は完全に閉じられた。
此度の騒動を引き起こした冥遍夢信徒のほとんどは、船とともに湖の底へと沈んでしまった。
首謀者である光庵寺百慶は幕府に連行され、詳しい取り調べを受けるだろう。
作戦成功の立役者となった烈士チーム、とくに十字星と新月組はさらなる名声を得て躍進することになる。
春の嵐は過ぎ去り、束の間の平穏が訪れた。
★〈仙功励起〉献慈 イメージ画像
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