第20話 生存者
突入部隊を送り出して少し後、敵旗艦から信号弾が上がったのを献慈も確認する。
「今だ、エヴァン君!」
総大将・潤葉の一声が時を告げた。
詠唱が完了し、待機状態にあった大魔術を〝重力の魔女〟エヴァンゲリスが解き放つ。
「〈激重落圧〉!!」
船体そのものを重くする――冥遍夢の船団は旗艦だけを残し、すべて湖へと沈んでいった。
献慈はその絶大な威力に目を見張る一方、少なからず散ったであろう命に憐憫を覚えずにはいられなかった。
実際、突入組に不殺を命じたのは、強敵の立て続けな召喚を防ぐ時間稼ぎにすぎない。
「ご苦労だった。少しの間休んでいてくれ」
潤葉が言葉少なにエヴァンを労う。容赦ない決断の裏には、麾下の者たちを守るべき将としての責任がある。
それはおそらく新月組の長である澪も同じだ。
「献慈、今は自分が生き残ることを考えて」
「わかってる」
あたたかい手が、迷いの中から誘い出してくれる。
(澪姉を悲しませたりしない――もう二度と)
あの日、冥河のほとりで誓った想いを、献慈は今一度噛みしめていた。
陸戦部隊の編成は整っていた。予測どおりならば、溺死もしくは自害を選んだ信徒の命を糧に強大な魔物が顕現する頃だ。
何が来ようとも、今ある最大戦力で一斉に迎え討つ。
いち早く出現を感知した香夜世が声を上げた。
「来ました! あれは――」
高台を背に、巨大な骸骨の化け物が、禍々しい霧を纏って立ち現れる。
自重によって押し潰された下半身を引きずりながら、その頭の高さは二階建ての家屋をも上回っていた。
「ガシャドクロ……!」
かつて献慈たちが遭遇した個体よりも一回り大きい。その巨躯が内包する破壊力と耐久力たるや、はたして如何ばかりか。
「前衛に六宝牌、祭火衆が後衛、十字星と新月組で左右両翼に陣を布け!」
大太刀を掲げ、潤葉が先陣を切った。将が動けば兵たちも留まってはいられない。
まず前衛が敵と接触する。進み出るは三人の鎧武者。
家の柱ほどもある腕の一振りを、防護術を付与された大盾で防ぎ止める。間髪を入れず、薙刀と金砕棒が相次いで敵の前腕骨へと叩きつけられた。
びくともしない。だが、すでに左右からは潤葉と澪が挟撃をかけている。
「妙刀技〈弎談〉!」
「新月流〈喰灘〉!」
右上腕骨にわずかなヒビ、左肩甲骨に浅く刀傷が入る。ダメージは軽微。しかし主目的は果たせた。
狙いを分散させられたガシャドクロが右往左往する間に、後衛の術士たちが詠唱を完了させていた。
「〈炸散火〉!」
ジャンルカの火炎を皮切りに、風雪雷火の術が四方八方から乱れ飛んだ。
髑髏の歩みは止まらない。術の嵐を浴びながら、斬打の雨に晒されながら、軋んだ音を立てる両顎が不吉な呪言を絶え間なく吐き出していた。
「範囲魔法だ! 散開しろ!」
潤葉の号令が飛ぶ。
遠隔部隊が弓弩や銃を放ち、詠唱の中断を試みるも――失敗。しかし遅延させることには成功した。
「間に合いました――〈宵惑夢虫〉」
香夜世の両手から呪符の束が吹雪と舞う。黒蝶が皆のもとへ飛来し、魔力の防護幕を纏わせる。
前後して、献慈の周囲に暗黒の飛泉が噴き上がる。共に巻き込まれた烈士たち数名。陰陽術の加護を受けてなお、全身を細胞単位で捻り潰されるかのような激痛が襲った。
「う、ぐ……っ……〈ペインキル・R〉――!!」
献慈は異能を発動し、周りの味方もまとめて治癒する。全員無事だ。
そして、ここから烈士たちの反撃の狼煙が上がる。
先手を打ったのは、再充填された秘密兵器だ。
「本日二発目の大サービス――〈激重落圧〉!!」
エヴァンの大魔術が炸裂した。重圧でガシャドクロの巨体が地面に沈み込むと同時、幽慶の加持が全員に喝を入れる。
「我が法力……受け取れい、皆の衆!」
杖を構えた献慈の手足に力が湧き上がる。同様に、溢れんばかりの闘志を漲らせた味方たちが、地に伏せた巨骨の周りを取り囲んでいた。
その中心には、大太刀を振り上げた総大将の姿があった。
「みんな、遠慮は要らない。各自最大火力の技を叩き込むぞ――!」
陸戦隊の総攻撃によりガシャドクロが倒されて間もなく。
湖上に残されていた敵旗艦に、突如として火の手が上がった。
「えっ!?」
「なっ……!」
「おい、何が起きた?」
献慈を含む新月組のメンバーが一様に驚きを表す。
船の爆発に対してだけではない。三人を頂点とした三角形の中心に、球状の魔力フィールドが出現したのが理由だ。
(転移術で発生する排他フィールド――ということは)
献慈はその正体に見当がついた。転移ゲートの使用者だけに許可された緊急避難の反応だ。
「ラリッサ!」
現れた仲間のもとへ、澪が真っ先に駆け寄った。
ラリッサはその場に尻餅をついたまま、きまり悪そうに眉根を寄せた。
「ごめんなぁ。緊急用のエネルギー使い切ってしもうた」
「そんなのいいから! 身体は平気!? どこも痛くない!?」
涙目で体をまさぐる澪に、ラリッサは身を捩らせながら抵抗している。
献慈はジャンルカと顔を見合わせ、仲間の無事を喜んだ。
「よかった。それはそうと……」
「ああ。船の方で何かあったみてぇだな」
湖の方を振り返ると、没汀牙の水虎たちが次々と引き揚げて来るのが見えた。
その最後尾には、百慶を捕まえた瑠仁郎の姿もある。
「けど、これで一件落着――」
「お待ちください、皆様。危険がまだ残っています」
そう口を挟んだのは、霊脈の歪みを正すため朝廷から派遣されて来た風水師たちだった。




