第19話 怒濤道理不能大瀑招(どとうどうりふのうだいばくしょう)
ラリッサが名乗り終えると、百慶は灰色の髪を退屈そうに掻き上げた。
「新月組……〝太刀花姫〟以外は寄せ集めの二流集団か」
挑発か、侮りか。どちらでもいい。
「ほうね。澪ちゃんじゃとあんたの命も保証できんけぇ。うちが相手するんちょうどええ思うたんじゃ」
「お前ごときがわたしを生け捕ると?」
刹那、両者の蹴りが交差する。
ラリッサは下方から、百慶は側方から。
跳ね上げた余勢で倒立、掬われた勢いを借りて宙転。
地対空の旋回、空対地の連脚。
双方とも決定打ならず、後転で間合いを離しての仕切り直し。
「……二流扱いは詫びよう。お前は何者だ」
「ほんまに知らんのん? 冥遍夢の情報網も役立たずねぇ」
冥遍夢の影響力はイムガイの国内止まりだ。パタグレアの一烈士の素性など知る由もないだろう。
とはいえ、入国となれば警戒は必要だった。二月前、ラリッサが事前の来訪を宿にすら知らせなかったのは、来たるべき邪教との戦いで自らが伏兵とならんがため。
(大先輩のアドバイスに感謝じゃ。けど、ここから先はうちの実力勝負――)
重心を下げ、斜め後ろへ、左右にステップを踏む。ラリッサの幻歩を前にした百慶の目の色が変わる。
「カリオン舞闘術か……!?」
「ふぅん。舞闘術は知っとってじゃ」
カリオン舞闘術は獣人たちに伝わるさまざまな流派を吸収・統合した武術だ。その中には水虎の狂流・漂流も数えられる。
双方再び接近する。ラリッサは地を転げ回り、百慶は宙を跳ね回りながら、掌脚を戦わせる。
やがて――押されている――ラリッサは己の不利を察し始めた。
「十六だ」
この短時間で百慶は舞闘術のリズムを見切っていた。積み重ねた経験の為せる業か、的確にラリッサの技の起こりを押さえに来る。
幾度目かの攻防、大きく居着いたラリッサの隙を百慶が見逃すはずもなく。
「〈鳴動蛟龍覇〉――!!」
瑠仁郎を蹴り飛ばした大技が、ラリッサをガードごと船の外へ放り出した。
だが着水の間際、
「――〈翠星氷霜波〉」
ラリッサは凍らせた湖面から軽功を駆使して船上まで復帰する。
「自ずから飛んだか……!」
百慶の迎撃は予想済みだ。待ち構えた蹴りのタイミングをずらすようくぐり抜け、ラリッサは体勢を立て直す。
リズムチェンジ――ハーフタイム・シャッフル。まだ敵に読まれていない奥の手、その一。
「追いついてみんさい」
「次から次へと小癪な真似を」
攻守交替、ラリッサは徐々に百慶を追い詰めてゆく。
異なるリズムを織り交ぜ、相手を幻惑する。しかし実力の拮抗したこの戦いにおいては、それすらも時間稼ぎの域を出ない。
あと少し、あと一つだけ、突破口が欲しい。
「フフ……所詮殺す気のない攻撃など――」
「誰がそがぁなこと言うた?」
ラリッサは斧を抜き放ち、ここぞと振りかぶる。
「――っ……!?」
怯んだ百慶の肩越しに、ラリッサの手を離れた斧が帆柱に突き刺さった。
その隙に叩き込む奥の手、その二。
「奥義〈怒濤道理不能大瀑招〉!!」
「何だと……ッ!?」
左右への高速ステップから横殴りの掌底を雨あられと浴びせかける。連撃はスピードから威力へ、手技から足技へと次第にシフトしていく。
大乱舞の締めは開脚逆さ風車、ダメ押しのサマーソルトキック。
ラリッサの攻撃を余さず身に受けた百慶は、甲板に力なく崩れ落ちた。
「貴様…………漂、流を……」
「皆伝じゃ。元は舞闘術の源流じゃけぇの」
強敵だった。ラリッサがどうにか渡り合えたのは、百慶の手の内を知っていたからにほかならない。
ぎりぎりで掴んだ勝機だった。
「結局……あんたにはないんじゃ。殺す覚悟も、死ぬ覚悟も」
ラリッサは百慶を後ろ手に縛り上げる。
「甘えちょるんじゃ……」
「…………」
膝立ちのまま、百慶は遠く湖岸を見つめていた。
「何見よるん?」
「……何でもない。ところで、そろそろ正午になるな」
斧を回収する傍ら、ラリッサは懐中時計を確かめた。
「うん。あと一分ぐらい……」
「この船はもうすぐ爆発する」
「早ぉ言えやぁあああ――――っ!!」
湖に水柱が一つ上がって間もなく、冥遍夢の旗艦は轟音を立てて炎上した。




