第17話 対岸に立つ者
幾本もの巨大な水柱が同時に噴き上がった。
水煙の向こうから襲い来る蛇身の怪物・ミヅチの一群を、烈士たちが迎え討つ。
「〈煌炎破〉ッ!」
新月組の魔術士・ジャンルカの先制で、まずは一体目の頭部が爆炎の中に消し飛んだ。
すかさず同組のラリッサが二丁斧を掲げ飛翔する。
「〈翠星氷霜波〉!」
凍気渦巻く斬撃波が一挙に二体を縦断した。
「今だ、突撃せい!」
幽慶の号令で部隊が総攻撃を開始する。水辺での戦いを得意とするネコ科の獣人――東洋では水虎と呼ばれる――のみで構成された没汀牙の拳士たちだ。
湖面に張った薄氷がミヅチの動きを鈍らせる。振り回す尻尾の一撃を、水虎たちは華麗に躱しながら鉄爪や拳脚を見舞った。
湖岸の制圧は早くも目前だ。
「船に手出しできねぇのがもどかしいぜ」
ジャンルカがぼやいた。船体に施された防炎の術式は元より、下手に信徒を葬れば強敵の召喚を誘発する恐れがある。
とはいえ、このまま消耗戦に持ち込むのは避けたいところだ。
「瑠仁郎の到着を待とう。今少しの辛抱ぞ」
幽慶は返事の傍ら、対ミヅチ用の防毒結界を維持する。
「……責任背負い込みすぎてなきゃいいがな、おたくの大将よ」
「何、この程度の苦戦は想定内よ。まだ何も終わってはおらん」
十字星率いる烈士連合に課せられた目標は三つある。
一つ目は、魔物の掃討および邪教徒の鎮圧。
二つ目は、敵首謀者の特定と拘束。
三つ目は、乱れた霊脈を正常化し、空間の歪みを修正することだ。
後の項目ほど達成は困難になる。この場では最低限、一つ目の目標さえ遂行できればいい。
いわゆる『一般烈士』にすぎない自分たちに、初めから過度な成果は期待されていないのだから。
「だな。仮にオレたちがヘマしても『上級烈士』様が後始末してくれらぁ!」
振り向きざまに、ジャンルカは〈炸散火〉でワイラの集団を焼き払う。有象無象にもう用はない。
残るは数体の大物だが、それらもすでに潤葉や澪の率いる精鋭たちが倒しに向かっている。
(戦局は我らが優位、敵方は要所を制圧――痛み分けよのう)
幽慶は敵船へ向けて声を張り上げる。
「冥遍夢に告ぐ、矛を収めよ! この上徒に命を散らすこともなかろう!」
「フハハ……相変わらず情け深いことですな、我が師幽慶よ」
尊大な笑い声とともに、敵の頭領が船の舳先へと進み出て来た。
「ようやっと顔を見せたの、百慶」
遠目に映す元弟子の立ち姿は、かつて面影を色濃く残していた。薄っすらと窺える顔の皺、灰色に染まった髪と鬚だけが、三十年の時の経過を思わせる。
獣人の中でも、水虎はとくに老いが緩やかな種族だ。百慶は母親から水虎の血を引いていた。
両親を魔物に惨殺された百慶は、幼くして天涯孤独の身となった。
その生い立ちに嘘はないのだろう。ただ、幽慶の寺へ転がり込むよりも前に冥遍夢と出会っていた、それだけのこと。
一見してヒトと変わらぬ姿、だが先の千切れた尻尾が、幼き百慶に降り掛かった運命の過酷さを静かに物語っている。
「久闊のお詫びに教えて差し上げましょう。我々の目的は、貴方がたが邪神と呼ぶ存在を異界からこの地へと招き入れること」
「知っておるわい。主らの積み上げた歪みは空間の均衡を破りつつある」
「ええ。ですが正しく『扉』を開くには『鍵』が必要でしょう。その『鍵』こそ、我が命にほかならない」
百慶は短刀を抜き、自分の首筋に当てて見せる。
色めき立つ敵味方両陣営を見渡しながら、百慶は冷笑し、刃を鞘へと戻した。
「最後の機会を与えましょう。わたしを生け捕りにしてご覧なさい。もっとも、初めからそのおつもりでしょうが」
あからさまな挑発だった。百慶は去り際に幽慶と――ラリッサを一瞥し、甲板まで戻って行った。
「あやつめ……どのみち『扉』が開くのは時間の問題だろうに」
歯噛みする幽慶の横で、ジャンルカがおもむろに口を開いた。
「うちのリーダーから聞いた話なんだが――」
半年前も冥遍夢は北の古墳群で儀式を試みた。それを図らずも妨害したのが、澪の母親の仇であったという。
結果として邪神召喚は阻止されたが、余波によって湧き出した魔物たちが旧都を襲撃するに至った。先の動乱の顛末である。
「『扉』が不完全な形で開く分には、まだ救いがあるかもしれねぇ」
気休め程度の希望だが、とジャンルカは付け加える。
百慶本人が言ったように、自分たち烈士がすべきことは変わらない。
水辺のミヅチたちは一掃され、陸側の敵も殲滅間近だった。
幽慶たちのもとへ走り込んで来るのは、潤葉と香夜世、澪と献慈の四人だった。
「遅れてすまない。ルジの到着はまだかい?」
「瑠仁郎なら……ほれ、来よったぞい」
幽慶の指差す対岸に、肩で息をする狐忍の姿があった。
その背中に負ぶさっていたのは――
「エヴァン!?」ジャンルカが声を上げる。「瑠仁郎のヤツ、なかなか来ねぇと思ったら……あいつを連れに行かせてたのか」
褐色の肌、豊満な肢体を惜しげもなく晒すエルフの魔女を、見間違えようはずもない。
エヴァンゲリスは瑠仁郎の背中から降りると、挨拶代わりのウインクをこちらへ送ってみせた。
「作戦を盤石にするため急遽手配したんだ」
そう答える潤葉の隣で、香夜世が得意げに眼鏡を押し上げる。彼女の式神が連絡をつけたのは言うまでもない。
「いよいよ最終作戦か。任せたぜ、特攻隊長さん」
ジャンルカは、大役を担う仲間へと手を伸ばす。触れ合わせた拳の一方が、武者震いに揺れていた。
「準備万端じゃ。うちはいつでもええよ」
いつになく真剣なラリッサの面持ちに、烈士たちの期待の目が注がれていた。
★百慶 イメージ画像
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