32―冥王ミラ②
「グレース殿!ご無事だったかッ!」
「イヴラヒム様!ヒューゴ様も・・・」
ステラフォルトより少し離れた丘陵で、イヴラヒム率いる南方司令部の吸血鬼軍が避難していた。
早急に退避を促していたため、こちらは数人の負傷者で済んだようだった。
「あの魔能の爆心地近くにいたのに、よくそれで済みましたよね。」
「ヒューゴ様、教えて下さい!!ミラ様は、一体何をしたのですか!?」
グレースに説明を求められたヒューゴは、言い憚るように口元をキュッとつぐんだ。
「・・・・・・・。リリーナの死を目の当たりにして、一番使ってはいけない魔能を行使してしまったのです・・・」
「どういう、こと、ですか・・・?」
未だ理解が追いついていないグレースに、ヒューゴは更に淡々と語り出した。
ミラが現在行使している魔能と、それを使ったことによってどのような結果になってしまったのか・・・
◇◇◇
「そんな・・・じゃあ、ミラ様は、一体これから、どうなって、しまうのですか・・・?」
「あれは自動解除系の魔能、なのでミラ様が命を落とされたり、元の姿に戻られないということはありません。問題なのは、その魔能が解除される瞬間です。」
「解除される瞬間って・・・何が起こるのですか?」
「グレースがご覧になった、ステラフォルトを火の海にした爆発、あれは魔能が発動する最初の爆破です。それからミラ様の身体は、徐々に魔能の名前の通りに、冥王のそれに変貌を遂げ、最終的に・・・。南方地方を消滅させる程の威力を持つ、2回目の爆破で元の姿に戻ります・・・」
「ッッッ!!?」
ステラフォルトを一瞬の内に葬り去った一撃。
あれが南方地方規模で起こってしまうという事実に、グレースは驚愕した。
「ミラ様が完全に変貌するまであと1時間半しか残されていません。それまでに何としても南方司令本部街の住人にできるだけ地下に潜るように伝え、私達もここから退避しないと。ここもいずれ、あの黒い炎に飲み込まれるでしょう。」
「ヒューゴ様待って下さい!私達でミラ様を元に戻すことは出来ないのですか!?」
「グレース。気持ちは分かりますが、今のミラ様を止める術は、もうどこにも残されていないのです。分かって下さい。」
「そんなの納得がいきませんッッッ!!!」
声を荒げたグレースに、ヒューゴの両肩がビクッと短く震えた。
「このままいったらミラ様は、守ってきた大切なものを、自分の手で、一瞬で手放してしまうことになってしまいます。そうなってしまったら、元に戻ったあの方が、どれほど悲しみ、自らを責め立てることになるか・・・。私は、そんなミラ様の、お姿なんて、見たく、ありません・・・」
傍で守ると誓い、自分のことを『親友』と呼んでくれたミラの行く末を涙ながらに案じるグレースに、その場にいた誰もが黙りこくるしかなかった。
「・・・・・・・。一つだけ方法があります。ミラ様を元に戻すことができる・・・」
「ほっ、本当ですかッッッ!!?教えて下さい!それは何なのですかッッッ!!?」
予想外のヒューゴの言葉に、グレースは我を忘れて詰め寄った。
「冥王の降臨を強制解除するには、“慰めの血”と呼ばれる行使者が最も心を開く者の血で清められた刃で心臓を突くしかありません。」
「最も心を開く・・・もしかして、私・・・?」
「ええ。グレースは記憶を失ったミラ様のお側に片時も離れることなく守って来ました。なのでここは、グレースの血を使うことが妥当だと考えます。ですが、冥府の炎に耐えられるのは不浄の魔能を持つ者と高位の魔獣のみ。それ以外は近づいた瞬間に焼き尽くされてしまいます。今のミラ様に近づけるのは、精々そこの禍狼種達だけでしょう。」
自分の力でミラを救うことができると一瞬思ってしまったが、それも儚い望みであると知り、グレースは項垂れた。
「ッッッ!!ヒューゴ!グレース殿!」
見ると、自分達が退避していた場所のすぐ近くまで、冥府の炎が迫っていることに気がついた。
「もうこんなところまで・・・」
奥歯を噛み締めるヒューゴ。
その刹那、冥府の炎が、意志を持った蛇のように彼を飲み込もうと向かってきた。
「ヒューゴ様ッッッ!!!」
グレースがヒューゴの身体を突き飛ばして庇ったが、逃げ遅れた彼女の身体は冥府の炎に飲まれてしまった。
「ああああああああああああああああああああッッッッッッッッッッ!!!!!」
「ぐっ、グレースッッッッッッ!!!!」
自分を庇ったせいで燃え盛る炎に包まれるグレースに、ヒューゴは手を伸ばして助け出そうとした。
その時、おかしなことに気がついた。
炎に焼かれたグレースだったが、その身体は灰塵と化すことなく、微かな頬の火傷をつけるのみだった。
グレースはどうにか燃え盛る黒い炎から脱し、息を荒げて地面に手を付いた。
「はぁ!はぁ!なっ、何で、私、なんとも・・・」
「グレース殿・・・其方もしや、不浄の魔能を獲得しているのではないか?ヒューゴも言っておったろう。不浄の魔能を持っていれば、冥府の炎に耐性があると・・・」
「わっ、私、そのような魔能、持っているはず・・・ッッッ!!」
グレースは思い出した。
先の戦いで難民を急襲した敵が、不浄の魔能に長けていたこと。そしてその者の血を、自分が吸い尽くして殺したことを・・・。
「わっ、私、持ってます!不浄の魔能、手に入れてますッッッ!!!」
「まっ、誠かッッッ!!?」
イヴラヒムの問いに、グレースは息を荒げながらも、答えようと大きく頷いた。
「ヒューゴ・・・」
「ええ。これで、希望が芽生えました。」
ヒューゴはゆっくりしゃがみ、手をつくグレースの肩にポンと手を置いた。
「グレース。今のあなたなら、ミラ様を元に戻すことが出来ます。私達も全力でサポートします。どうかミラ様を、私達の主人を、怒りから解放してあげて下さい。」
吸血鬼なら知らぬ者はいない英雄であるヒューゴに心から懇願され、グレースの心に覚悟の火が灯る。
「分かりました!私が必ず、ミラ様を止めて、私達のところまで帰してみせますッッッッッッ!!!!!」
ヒューゴの顔をしっかり見据えて言い放つグレース。
それは、ミラを冥王から吸血鬼の救世主へと、必ず回帰してみせるという決意の表れだった。




