31―冥王ミラ①
小1の頃、仲が良かった男子が性格がキツイことで知られる上級生に学校の中庭で絡まれているのを見かけた。
元々その子は、引っ込み思案で先生から優し目に叱られても涙目になってしまうような気弱なタイプで、そのせいで彼のターゲットにされたのだと思う。
放っておくことができなかったあたしは、急いで彼らの元まで駆け寄って止めてあげるように言ったのだが、上級生の仲間が通せんぼして、二人に近づけさせないようにした。
そして、上級生の絡みに我慢できなくなった彼は「もう止めろよ!!」と温厚な普段とは打って変わったように声を荒げた。
それが上級生の癪に触ったのだろう。
上級生は、彼の腹に「ドス!」と拳を叩き込んで、痛みに悶絶した彼はその場でうずくまった。
その瞬間、あたしの中で何かが切れた。
取り巻き達を振り解き、足元に落ちていた花壇の余りのレンガを拾うと、あたしはそれで、上級生の額を思い切り殴りつけた。
レンガの角で裂けて血が滴る額を、上級生は先程とは正反対に怯えた表情をして押さえてへたり込んだ。
突然の事態で混乱した取り巻き達は、血相を変えて職員室から先生を呼んできて、あたし達はそのまま会議室に直行になった。
相手も暴力を振るったので、その時はなんとか喧嘩両成敗という形で収まったものの、あたしは学年主任の先生からキツめに怒られた。
「自分だけじゃなく、お父さんお母さんや友達を悲しませることは考えられなかったのか。」
怒られてる最中に、彼からこんな言葉を言われたが、自分にとって身近な人間のことが脳裏に浮かばなかったといえば、そういうことでもない。
頭の中に思い浮かんだ全ての人間のことが、どうでもよくなったのだ。
あたしのしたことで、あたし自身、向こうの親から非難されるだろうし、もしかしたら転校して友達と離ればなれになってしまうかもしれない。
父と母は娘のしたことでひどく動揺し、落ち込み、最悪向こうの親御さんから訴えられるかもしれない。
色々な考えが頭をよぎったが、その時のあたしは、「別にそうなってもいい。」としか思ってなかった。
自分や身近な人を蔑ろにしていいから、今はとにかく目の前の上級生を傷付けてやろうとしか考えてなかった。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
これで救世主としての役目が果たせなくても、他の吸血鬼のみんなが傷ついても、あたしが元に戻ることができなくても、もうどうなったっていい。
今はとにかく、あたしの妹を殺したアイツを殺してやりたい。
消してやりたい。
焼き尽くしたい。
滅ぼしてやりたい・・・
◇◇◇
「うっ、うう・・・」
肌を焦がす熱気に当てられて、グレースは目を覚ました。
覚醒したばかりで、まどろんだ目をした彼女は、自分の身に何が起こったのか、鮮明に思い出せずにいた。
そんな彼女の頭を、眼前に広がる光景が、更に混乱させた。
「あっ・・・。ああっ・・・?」
目に映ったのは、夜空に広がる漆黒の暗雲と、黒と紫が混じったような禍々しい炎に包まれた瓦礫の山と化した、かつて鉄壁と言われていた人間軍屈指の要塞、ステラフォルトの成れの果てだった。
「こっ、これは一体・・・?ッッッ!!そうだ、ミラ様・・・。ミラ様はッッッ!!?」
グレースは思い出した。
この地獄のような光景を作り出したのは誰か?
それは、自らが慕う御仁であり、目下である自分のことを『親友』と呼んでくれた、我等が救世主だった。
よろけながら立ち上がった彼女は、闇の炎が一際燃え盛っている場所の中心を見据えた。
「ミラ・・・様・・・?」
グレースは絶句した。
そこにいたのは、全身に闇の炎を帯びて、美しい紅だったはずの瞳が、まるでくり抜かれたように黒く染まった、救血の乙女・ミラその人だった。
「カアアアアア・・・」
牙を剥き出しにしながら唸り声を上げるその姿には、かつての美しい風貌を微塵も残してはいなかった。
「うう〜。クソ・・・。何だよコレ・・・?」
瓦礫を退けながら出てきたのは、リリーナを殺して、この惨状の幕引き役とも言われる立ち位置にいる、黎明の開手の一角・ルゼアだ。
彼女はどうにか助かったが、その後ろに転がる無数の兵士の遺骸が、生き残りは彼女ただ一人という事実を如実に表していた。
「ッッッ!!クアア・・・」
ルゼアを捉えたミラが、怨嗟に満ち満ちた声を唸らせる。
「いっ!?なっ、何だよッッッ!!?」
「グガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!」
金切り声を上げたミラはルゼアに向かって突進し、衝撃波とともに両者は遥か彼方に飛んでいった。
「みっ、ミラ様・・・」
「バウッ!」
「ッッッ!?」
短い吠え声が聞こえたと思ったら、グレースの身体はフワッと低く宙に浮いた。
「グレースさん!!大丈夫ですか!?」
「セドヴィグさん!茶々助!」
「急いで火の手がないところまで退避しましょう!ここはもうダメですッッッ!!!」
「まっ、待って下さい!ミラ様が・・・ミラ様がッ!」
茶々助に咥えられ、グレースはミラがいた場所から徐々に遠ざかっていった。
◇◇◇
「ぐはぁ・・・!!?」
ミラに吹っ飛ばされたルゼアは、その発育しきっていない華奢な身体を、燃え残ったステラフォルトの城壁にめり込ませた。
「ゴアアアアアアア・・・」
ミラは冥府の炎が漏れ出る口腔を大きく開けて、目の前にいる妹の仇を威嚇した。
「ははっ・・・驚いたなぁ・・・。まさかお前が、生き返っていたなんて・・・」
先程は動揺したが、黎明の開手・統時雄を拝命する騎士、心の安定を取り戻すのが早かった。
「だけどぉ、やることは変わらない!あの時お前を殺せることが分かったんだ。だったら、もう一度ここで殺させてもらうよッッッ!!!」
不死身と思われた救血の乙女が討伐されるのを見届けたルゼアは、再びこの地でかの吸血鬼の救世主を倒すために勇ましく剣を抜いた。
「いくよぉ!!先ゆく連撃者ッッッ!!!」
自らの時間を速め、ミラに超加速の連撃を浴びせようとするルゼア。
しかしその時、ガキィィィン!!という鉄と鉄がぶつかり合う音がし、ルゼアの猛攻は阻まれた。
ミラの方も、武器を抜いたのだ。
否、顕現させたという言い方が正しいか。
彼女の手に握られていたのは、ステラフォルトを焦がした冥府の炎を纏った巨大の戦斧だった。
「カアアアアア・・・」
ミラのその声を合図に、両者のとても目で追うことができない、まさしく異次元の鍔迫り合いが始まった。
「ちょっ・・・何でコイツ、ボクについていけんの・・・?ああっ!!」
やがてルゼアは、ミラの動きに対応することができなくなり、最後の一太刀を防いだ瞬間、再びその身体が宙に舞った。
そして、その手に握られていた剣は真っ二つに折れてしまうのだった。
「ゴガアアアアアアアアアアアア!!」
ルゼアのご自慢の一振りを見事にへし折ったミラは、まるで勝ち誇ったかのように牙を剥いた。
そして、斧を振り上げ、狼狽する彼女に向かった。
「りっ、逆転防壁・包牢ッッッ!!!」
もう自分の手でこの化け物を仕留めることは不可能と判断したルゼアは、せめて奴を時を遡らせる壁の牢獄に捕らえようとした。
だができなかった。
四方に逆戻りする壁の檻が出現し、ミラの身体を閉じ込めた瞬間、彼女の纏う炎によって滅却してしまったからだ。
『天級第一位魔能・冥王の降臨』が持つ特性、それは自分に向けられた天級第二位以下の魔能を燃やし、完全無効化してしまうというものだった。
今のミラを止めるには、最低でも天級第二位の魔能が必要だが、ルゼアは第三位までしか扱えなかった。
それ以前に、そのような高度な魔能を扱える人間など、この世界には、存在しない。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッ!!!!!」
ミラの手にする戦斧に、袈裟斬りにされたルゼアの胴から鮮血が吹き出し、彼女は苦悶の声を上げた。
ミラは激痛に悶えるルゼアの首根っこを掴み、その顔を自分の許に近づけた。
「ひっ・・・やっ、やめ、くっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ああ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッッッッッッッ!!!!!!」
恐怖、そしてミラが纏う冥府の炎によってその身が生きながら燃やされる苦痛に、ルゼアは自身の内に宿る屈強な精神を手放しそうになった。
だが寸でのところで、彼女は自分が最低限できる打開策を頭からひねり出した。
「世界刻限叛逆ッッッッッッ!!!!」
ルゼアにできる現段階での最適解、それは時を戻して退却する体制を整えること。
彼女自身、もうできることが、この化け物の許から生きたまま逃げるしかないと悟ったのだ。
だがここで、彼女は、『世界刻限叛逆』を連続使用した場合のデメリットを完全に失念していた。
天に巨大な時計が現れ、『カチッ、カチッ・・・』と音がした直後、世界が眩く光り、時が遡った。
彼女が戻ったのはなんと、自分の胴がミラの戦斧によって切り裂かれる最中だった。
胸から腹にかけて斜めに斬られ、ルゼアの華奢な首を、再びミラがへし折らんばかりの握力で掴んで、身体ごと持ち上げた。
混乱するあまり、戻る時間が短すぎたのか?
ルゼアはそう考えて、狂いそうになる精神を必死に堪えて再び詠唱した。
再び戻る時間、次は形勢を好転させようとルゼアは意気込んだ。
だが彼女が次に戻ったのは、ミラに首を掴まれた直後だった。
そう、戻る時間が徐々に短縮されている。
これこそが、『天級第三位魔能・世界刻限叛逆』が持つ欠点だった。
この魔能は、連続使用すると、遡る時が5秒ずつ狭まっていくのだ。
リリーナとの戦いで行使して戻った時間が30秒前。
一回目にミラに使用したので25秒前。
そしてついさっき使ったので、20秒前。
この時すでに、ルゼアがミラの魔の手から逃れる可能性は完全に絶たれた。
もちろん、このまま連続で繰り返せば、行使するのは不可能になってしまう。
因みに、行使不可になってから再び使えるようになるまでは、およそ50日間かかる。
「時の力は絶対である。」と傲り高ぶって語っていたルゼアであったが、彼女自身も、その時の絶対的な力を御し得ることは、結局できなかったということだ。
しかし数多の敵との連勝、そして今目の前にある絶対的恐怖に支配され、彼女はこの考えに至ることができなかった。
そして哀れにも、彼女は再び詠唱した。
まるで、時にすがるかの如き・・・
「世界刻限叛逆ッッッッッッ!!!!」
15秒前。
「世界刻限叛逆ッッッッッッ!!!!」
10秒前。
「世界刻限叛逆ッッッッッッ!!!!」
5秒前。
「世界刻限叛逆~~~~~~~~~~!!!!」
・・・・・・・。
・・・・・・・。
0秒前・・・。
もう時を戻すことはできない。
ここにきて彼女はようやく、希望と呼ぶにはあまりに浅はかな思いを手放した。
「いっ・・・イヤだ・・・」
視界にでかでかと映るミラの顔に、ルゼアは恐怖で涙を浮かべ、股間がほんのり温かくなるのを感じた。
そんな彼女の恐怖を更に掻き立てる変化が、ミラに起こった。
「グ・・・ギャガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!」
耳をつんざくような絶叫とともに、右のこめかみから牛のように湾曲した角が伸び、左の肩から羽毛の代わりに冥府の炎が燃え盛る翼脚が生え、臀部から漆黒の甲殻で覆われた二本の尾が揃い、全ての歯が吸血鬼のものより長い牙へと変わった。
「クアアアアアアアアアアアアア・・・。」
ミラは今生えてきたばかりの牙をルゼアの首に当てると、冷や汗でぐしょ濡れになったそこに噛み付いた。
「ああっ!!あああああああああああああああああ・・・!!!!!」
冥府の炎に焼かれながら、自分の体内から血が徐々に失せていくのをルゼアはじわじわと感じた。
「やめ・・・や、め・・・いっ、イヤだぁ・・・!!」
ルゼアは最後の力を振り絞ってミラの頭に拳っで何回も殴りつけた。
だがそんな攻撃は、ミラにとってはハエが当たった程度の他愛ない威力しかなかった。
「あっ・・・ああっ・・・ッッッ!!」
ミラの頭に生えた角を掴んで、彼女の顔を自分の首から離そうとしたら、ルゼアはミラの顔を伺い知り、その刹那驚愕した。
ミラは、笑っていた。
目元を緩ませ、左右の口角は上に上がり、恍惚に満ちた表情で自分の生き血を啜る、冥王と化した吸血鬼の恐ろしい顔が、そこにあった。
それが統時雄、ルゼア・デニウイド・ヴァーキリーがこの世で見た最後の光景になった。
首から下は冥府の炎に焼かれ、灰となって崩れ去り、頭だけになった遺骸を、ミラはまるで紙風船でも潰すかのように『グシャ!!』と握り潰した。
そして、目的を果たして、喜びに満ちた表情で、暗黒の雲が広がる夜空を見上げた。
「グギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャギャッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!!」
絶叫とも、高笑いとも取れるその金切り声は、世界のありとあらゆる場所に轟くほど響き渡った。




