202―朽ちる鬼の旅路
ビンデブルンの街の入口まで来た私達が見たもの。
それは、街一帯を埋め尽くすほどにまで増殖した、朽鬼の大群だった。
「なっ、何という・・・ことだ・・・。」
街の凄惨な光景にファイセア様は膝から崩れ落ちた。
私も同じ気分だった。
おそらくこの朽鬼たちは、元は、この街の・・・。
想像しただけでも胸が張り裂けそうになる。
呻き声を上げながら棒立ちする朽鬼、至る建物に飛び散った血しぶきの後。
この街を突然襲った災禍と、それに巻き込まれる人達の光景を頭に思い浮かべようとしただけで、息が荒くなり、立っているだけで精一杯になってしまう・・・。
どれほど恐ろしかっただろう。
どれほど苦痛だっただろう。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
「グレース!ファイセア!来る!」
「ッッッ!!!」
ドーラ様の呼びかけにハッと我に返った私は、ビンデブルンの街の入口付近にいる朽鬼たちが、紅く染まった瞳と恐ろしい形相でこっちを睨みつけていることに気付いた。
私達の気配に勘付いたんだッッッ!!!
そう思った直後、朽鬼たちはガリガリに痩せ細った両手を伸ばしながら、私達に向かってきた。
「ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「グゴガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」
「ふぁっ、ファイセア様!!立って!!」
私はへたりこんでいるファイセア様をどうにか立たせた。
そして全員で、待たせているチョコ之丞達の方へ全速力で走った。
「ドーラ様!一体どうしましょう!?」
「数、多い。これ以上、進む、断念。急いで、引き返す。」
当然ながら苦渋の決断だった。
ビンデブルンの街は、本来ならば私達が連絡の取れなくなった領地に向かうまでの、最後の休息地にと考えていた場所。
そこが朽鬼によって壊滅したとなると、その先には更に大量の朽鬼が潜んでいることは想像するに難くない。
非常に悔しいが、私達調査隊の進行はここまでだ。
とにかく今は、昨晩の野営地に待たせている本体と合流して、王国にこの惨状を報せないと・・・!!
私が苦虫を噛み潰したような気分になりながら後ろを振り返ると・・・。
「ッッッ!?ファイセア様ッッッ!!!」
一番後ろを走っていたファイセア様に、一体の朽鬼がすぐそこまで・・・手が届きそうになるほどに迫っていた。
「やめろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!」
私は咄嗟にその朽鬼に体当たりして、ファイセア様が襲われるのを寸でで防いだ。
倒れ込む私に、朽鬼は牙を剥き出しにしながら四つ足で這って迫ってきた。
かっ、噛まれるッッッ!!!
そう悟った私は、覚悟を決めて目をギュッと閉じた。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
「あっ、あれ・・・?」
何も、起こらない・・・。
おかしく感じた私が恐る恐る目を開けると、目の前に四つ足の朽鬼の顔がすぐそこにあったので、ドキっとした。
しかし朽鬼は、全く襲ってくる気配がなく、鼻息を荒くしながら紅色の目で辺りをキョロキョロと見回していた。
まるで・・・“獲物は何処だ?”と言ってるかのように・・・。
「グレース。今!」
ドーラ様に呼ばれた私は、朽鬼を刺激しないようにゆっくり立ち上がると、二人のところまで向かうと、チョコ之丞達の元まで走った。
そして、急いで乗り込むと、全速力でその場から離れた。
◇◇◇
「ここまで来れば、もう安心だろう。」
「ファイセア様。」
「何だ?」
「どうして私は、助かったのでしょうか?」
「分からん。街の住民や私の部下は、皆一様に襲われたのに、何故グレース殿だけ・・・。」
私とファイセア様は、先程遭遇した現象の理由に全く見当が付かず、頭を悩ませた。
だけどその時、あること考えが頭をよぎった。
「もしかして・・・朽鬼、吸血鬼だけは襲わないのでは、ないでしょうか?」
「いや!それは考えにくいだろう。」
「どうしてですか?」
「先の王都での朽鬼病蔓延の際、ミラ殿は人間に擬態していたとはいえ、朽鬼に襲われたと聞いた。朽鬼が目に映る全てのものを、例外なく襲うことは確かなはずだ。」
「だとしたら!さっきの私に対する朽鬼の反応は、どう説明できると言うのです!?」
私に問い詰められて、ファイセア様は再び頭を悩ませた。
だけどしばらく考え込むと、何か思いついたと言わんばかりに目の色が変わった。
「もしや・・・朽鬼病が変容したのやも知れん・・・。」
朽鬼病が、変容・・・?
「どういうことですか?」
「つまり、王都で蔓延した朽鬼病と今この地で蔓延している朽鬼病は、全くの別物。だから吸血鬼であるグレース殿は襲われずに済んだ・・・と解釈するのが現段階では妥当だろう。」
「そんなことが、在り得るのですか?」
「問題はそこだ。王都での一件で根絶された朽鬼病が、何故変容して再び蔓延しているのか・・・。もしや・・・今回の事象は、何者かの手によって人為的に引き起こされた可能性がある・・・ということも視野に入れておいた方が、良いかもしれない・・・。」
何者かの、手によって・・・。
一体、誰がこんなことを・・・。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
「それは・・・ここで議論しても解決しないことでしょう。」
「そう、だな・・・。しかし、これからどうするか?やはり王都まで引き返すか?」
「いえ。引き返すのは、ファイセア様達だけで十分です。私とドーラ様は、このまま先を行きます。」
「なっ、なに馬鹿なことを申しておる!?いくら何でも危険すぎるぞ!!」
私の出した結論に、ファイセア様は当然ながら反対した。
「吸血鬼である私とドーラ様であれば、朽鬼に襲われることなく問題なく進むことができるでしょう。ですから私達は、このまま目的地を目指します。もしかすれば、生き残って助けを必要としている人間もいるかもしれませんから。」
「だっ、だが!たった二人で朽鬼が蔓延る地を進むことは、あまりに無謀・・・」
あくまでも引き留めようとするファイセア様の口に、ドーラ様はそっと人差し指を置いて、言葉を遮った。
「本体、言ってた。“論より証拠”。東の国、伝わる、ことわざ。話す、より、見るの、早い。そういう、意味。グレース、襲われなかった。これ、しっかりした、事実。だから、ファイセア、安心、して、帰る。」
ドーラ様に諭されて、ようやくファイセア様も納得したらしく、踵を返して馬に乗った。
「くれぐれも、無理をしないようにな!あとのことは・・・頼んだぞ!!」
ファイセア様はそう言うと、本隊を待たせてある野営地に馬を向かわせた。
そして私達は、チョコ之丞とゴマ風に、ファイセア様の後を付いて行くように言った。
吸血鬼ではない彼等は、朽鬼に襲われる可能性があるからだ。
「よし!」
ファイセア様達を見送った私達は、元来た道を引き返そうと振り返った。
だけどそんな私の手は、微かに震えていた。
これから先、どのような惨状を目の当たりにするか、とても怖いと思ったからだ。
そんな私を手を、ドーラ様は優しく握ってくれた。
「ドーラ、様・・・。」
「ドーラ、付いてる。グレース、大丈夫。」
ドーラ様の手の温もりを感じて、私の心の中の恐怖が徐々に溶け出していった。
・・・・・・・。
・・・・・・・。
「ありがとうございます。では、行きましょう!」
ドーラ様の手を引きながら、私は人の慣れの果てが跋扈する旅路に、足を踏み出したのだった。




