160―マースミレン精冥戦争①
空一面に白い雲が広がり、地面に陽光があまり差さない曇り空の朝のこと、魔族軍はアルスワルドにおける森精人の最大国家、マースミレンの領土に侵入した。
森の中には鳥のさえずりも、獣の鳴き声もせず、聞こえるのは頑強な鎧に身を包み、槍を持った無数の痩鬼種の行軍する音が響き渡り、大地を揺らしていた。
皆、復活した冥姫・リセの呼びかけに応じ、各地より集った彼女自慢の屈強な兵士達だ。
マースミレンの領土に入ると、痩鬼種の軍勢達は、曇天にも関わらず黄金に輝く森に不快感を示していた。
森精人にとっては聖なる輝きであれど、魔族どもが心底嫌う、パラーネオの聖なる光によって染まる森の葉は、害悪以外の何物でもなかった。
いっそのこと、領土内の森を手当たり次第に焼き払ってしまいたいところだったが、それでは国を攻め落とすのに、余計な時間を割いてしまう。
それは彼等の崇めるリセと、彼女によってこの軍勢の将を任されたゲブルの意に反することであり、控えなければならない。
何より、敵の総大将であり、マースミレンの王の住居である煌城樹さえ無くしてしまえば、自分達を腹立たせるこの煌びやかな輝きも失せるのだから、今は森を全て焼き払うよりも、光の発生源たる煌城樹を無くして、王の首を討ち取ることを最優先に考えるべきだ。
王さえ討ち取れば、マースミレンの王族の血は途絶え、この地は魔族どもの物となり、リセの父親であり、魔族達が崇拝する唯一無二の存在だった冥王の仇たる憎き吸血鬼ミラへの復讐の足掛かりとなる。
マースミレンの森の聖なる光に激しい不快感を示していた痩鬼種の軍勢は言葉を交わすことなく一致団結して、行軍を続けることとなった。
今のところ、彼等の行軍は順調そのもので襲ってくる敵など一向に現れなかった。
だが、それこそが、おかしいと思わなければならない不可解な点だった。
本来自分達の領土を侵されているのだから、何かしらの攻撃を仕掛けてくるのが戦において起こるべき、至極真っ当なことだった。
しかし、魔族の侵攻を阻む森精人の姿は全く見えず、行軍は都合が良すぎるくらい順調に進んでいた。
しかし、命令された通りのことしか行わず、頭ごなしに突き進む一般の痩鬼種達に、それを思いつく知恵は持ち合わせていなかった。
それが、彼等の命取りになった。
「放て!!」
突然樹上から矢の雨が降り注いで、放たれた矢は頑強な痩鬼種の鎧の隙間を正確に射貫いて、多くの痩鬼種が倒された。
何事かと思い上を見上げると、樹々の枝にマースミレンの弓兵部隊が乗り、こちらに向かって矢を構えているではないか。
まんまと待ち伏せされたことに痩鬼種達は怒りの咆哮を上げたが、樹の上の森精人達はお構いなしに、矢を次々と放って狼狽える痩鬼種達を屠っていった。
しかし、いくら痩鬼種とて、最低限の知恵くらいは持ち合わせている。
しかも数はこちらの方が勝っている。
地上の痩鬼種達も、弓に矢をつがえて、樹の上にいる森精人どもを撃ち落とそうとした。
ところが、樹々をまるで猿のように縦横無尽に飛び移る森精人達を射貫き落とすことはできず、痩鬼種達は苛立った。
数は痩鬼種達が勝っていたが、弓の技量と樹々をまるで地面を走るように駆ける森精人の弓兵部隊の地の利が、それを完全に凌駕していた。
{上の連中は無視して、一気に市街地まで突っ走るぞ!!}
隊長格の痩鬼種の号令に従い、痩鬼種の軍勢は弓兵部隊への攻撃を止め、強引に行軍しようと試みた。
しかし・・・。
「地級第三位・風斬矢!!」
痩鬼種の軍勢の前に降り立ったノイエフが放った矢の矢じりを巨大な風の刃が纏い、先行しようとした痩鬼種達の首を光の速さで刎ね飛ばした。
「残念だけど、誰一人通すつもりなんてないから。」
{おっ、おのれぇ・・・!!人間まで邪魔立てしに来るとは・・・!!}
「腹立つのは勝手だけど、いいのか?上を気にしなくて。」
ハッとして上を見上げると、あっという間に追いついた森精人の弓兵部隊が生き残りの痩鬼種達に矢を一斉に放った。
ノイエフも樹の上に飛び移り、右往左往するしかない痩鬼種達に、魔能が付与された矢を次々と放っていった。
こうして魔族軍が、マースミレンの領土に足を踏み入れて間もなく、全くの予想外な奇襲を受け、手も足も出せず、完全に翻弄されてしまった。




