研究記録ファイル203106dd-61 嵐の前
二十三年前、妻が第一子を身ごもったと知った時、輝巳はその子が学校を出て就職するそのときまで、自分が平社員のままでいるとは想像もしていなかった。
まして、それが元で鬱の病にとりつかれ、それをぬぐいきれないままでいるなど、全く思いもおよばなかった。
今、こうしてその立場にいると我がことながら当然かとも思う。
月曜日から金曜日までは、時計の針の代わりに電車に乗り、会社のドアをくぐり、フリーデスクのなんとなく決まった位置に座る。
なにかビジネスを発展させる着想など湧かず、誰かからいわれたことをなんとかこなす。
十も二十も下の子からだめ出しをされ愛想笑いを浮かべながら指示を請い、言われた範囲のことに対応するので精一杯。
定時が来れば、また時計の針の代わりに電車に乗り、自宅に戻る。
そんな自分への不甲斐なさに責め立てられ、土日は動けないで終わる。
そんな社員が這い上がることなんてできるはずがない。
妻の莉央には本当に申し訳ないと思う。
もっとおもしろい生き方を選ばせてあげることもできたかも知れない。
でも、自分にはできなかった。
長男の颯太が社会人一年生を迎えられたのは本当に良かったと思う。
長い彼の人生に何が待っているかなんてわからない。
それでも、自分のようにはなって欲しくないと思う。
そうとしか思えないなんて、どれほど情けない生き様なんだろうと思う。
そして四十の時に迎えた詩央が受験生の年を収めた。
本音を言えば、詩央が社会に羽ばたいてくれる姿を見とどけたら、自分を片付けてしまいたい。
それを思いとどまらせている一つの要因が、月一の展示訓練への参加でもあった。
自衛官の定年退官は早い。
同い年の自衛官などもういない。
信世も特務予備自衛官に切り替えた。
それも、実戦経験のある徹攻兵だから通った話しだった。
いや、自分自身、先月制式化を終えた三一式に適応できていればこそ特務予備自衛官を続けられていた。
南沙強襲から三年、世界の政治の中で徹攻兵が目立って使われることはなかった。
五大国のなかでロシアが保有していないこと、中国がその大半を失ったことは大きかった。
アメリカ、イギリス、フランスは核に変わる力で世界のミリタリーバランスを変えようとはしなかった。
唯一、ファイアリー・クロス基地だけが徹攻兵という特殊な軍事力の働く例外とされていた。
各国とも、三世代型以上の徹攻兵を表に出さなかった。
むろん、噂に上ることはしばしばあったが、四世代型の光条砲など映画の見過ぎと笑われるのがせいぜいだった。
三一式の慣熟性能など冗談みたいな能力だった。
単純な跳躍高度三百二十メートル。
百メートルを一歩半で走破し、時速二百四十キロでの連続走行が可能。
光条推進では亜音速の速度で三十分を超える稼働が可能。
五メートルを超える長大な近接武器を振るい、光条砲は一・二メートルの大穴を開ける。
主力戦車の主砲弾をものともせず受け止め、逆にその主砲を二門同時に射撃できる。
これに加えて光条膜という新しい機能が加わった。
手の甲に据え付けたクリスタルから直径一・二メートルの円盤状の光の膜を作ることができる。
光条の近接武器によく耐え、破壊するには光条銃、もしくは光条砲で脆化させるしかない。
光の膜なのに硝子のように被弾した部分だけが割れる。
十六分しか稼働しないが、八分の間を空けることで再び元の大きさで発動できる。
これほどの能力があっても、五大国が狼狽えなかったのは、運用できるのが世界でほんの数人しかいないからだった。
慣熟者は今のところ輝巳のみ、ドイツのアデル・ヴォルフ機関も手を焼いている様子が伝わってきていた。
抑止力として機能しない武力など見世物でしかない。
第四世代の壁は依然として存在し、後に続いてこられる者も限られた、なじみの面子だけだった。
ふとした休憩中に輝巳が遊にたずねた。「なあ、遊君?」
「どした」
「これも、幸せの形なのかな?」
「これ、って」
「数の揃わない、ちょーのーりょくを我が国が保有している、っていう形がさ」
遊は、一瞬言葉を選んでから口を開いた。「ちょうどいい形だと思う」
「そっか」
そして遊が続ける。「お前さんが次長くらいの肩書きを持ってて、俺が講師くらいの肩書きで大学に出入りできてさえいれば完璧だったかもしれん」
輝巳は、ああ、とだけ答えた。
メフテム・アフンがふるさとの地に足を踏み入れることができたのは六年ぶりだった。
十二年前、突然当局に呼び出され、着甲試験に合格してから訓練に次ぐ訓練の日々だった。
訓練の場所までは、目隠しをされたまま連行されたので自分がどこにいるのかも知らなかった。
ただ、星座の位置や気候で、ウイグルよりは南の地方に連れてこられたことだけは理解していた。
歳経たろくに動けない徹攻兵を、相手が死亡するまで痛めつけるのは辛かった。
しかし自分が命令に従わなければ、ふるさとに残した両親や弟妹たちに何をされるかわからないと思えばこそ、自分に言い聞かせるように正当化して命令に従った。
新型と称して、装甲が薄くなるたびに性能が向上するのが不思議だった。
それでも命令以上のことを聞き出そうとはしなかった。
知りすぎれば、良くていじめが、悪ければ家族の身に何かが起こるかも知れなかった。
半年に一度、定期的に家族と面談できた。
とはいっても、当局の立ち会いの下だった。
訓練の内容には触れないよう固く口止めされていた。
もとより話すつもりもなかった。
それより家族の肌つやを見て普段の健康状態を思いやるのが精一杯だった。
十年前、言葉のろくに通じない外国人と敵地に侵入した時は、命からがら逃げ出した。
懲罰が待っているかと身構えていたが、ねぎらいといたわりの言葉を持って、軍高官に迎えられた時はほっとした。
現地で見たことは余さず報告した。
当局はよっぽど情報が欲しいと見えて、同じ事を何度も繰り返し質問された。
とにかく、落ち着いて、自分の答えがぶれないようにするので精一杯だった。
七年前、当局の許しがあったとして、父が同じウイグル人の花嫁を紹介してくれた時は嬉しかった。
一月ほど、家族と暮らせたが、また、訓練に引き戻された。
年単位で家族と会えない期間が続いたが、自分には妻がいる、自分には将来の一族があると思えばこそ、家族に会えない期間も耐えた。
三年前、突然見ず知らずの南の島を守れといわれた。
数十人にふくれあがった同じ境遇の徹攻兵と戦ったが、結果は惨めなものだった。
相手方の見事な連携行動にただただ翻弄されるうちに勝敗は決した。
残りわずか、絶体絶命となった時に、相手方に昔戦った者がいることに気がついた。
相手方から、自治や独立といった気持ちが送られてくるのに気がつきはしたが、メフテム自身には一族を守る以上の大きな気持ちは抱けなかった。
生き残される情けをかけられるくらいなら、いっそひと思いに処分されたかった。
しかし相手側の武器は長く、早く、正確だった。
アメリカ側の取り調べは精神的に過酷だった。
誘惑が豊富で、とにかく、心を動かさないように耐えた。
薬物も何度か使われた。
こればかりは、どうすることもできなかった。
今日もまた取り調べかと呼び出されたある日、駐米中国大使館に案内された。
中国大使は、メフテムをにこやかに出迎えてくれた。
ここからが本当の取り調べだと覚悟した。
形通りの取り調べがあったが、想像以上に段取りよく故郷に戻らされた。
メフテムを待っていたのは、両親と弟妹、そして妻だけではなかった。
見知らぬ、五歳くらいの男の子と、三歳くらいの女の子がいた。
面差しが、妻に似ていた。
妻が泣きじゃくりながら語った留守の様子は悲惨だった。
身ごもるまで何度も、代わる代わる兵士の相手をさせられ、拒否しようとすれば両親や弟妹に危害を加えると脅された。
結果、二人の子供を持つことになった。
メフテムは泣いた。
二人の子供には、父親の名を名字代わりに名乗らせるウイグルの伝統に従って、メフテムを名乗らせよう、といった。
そして、次は、俺の子を産んでくれと泣いて頼んだ。




