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徹攻兵「アデル・ヴォルフ」  作者: 888-878こと
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戦闘記録ファイル202102dd-04 尖閣強襲

 冬の嵐に波荒れ狂う夜の東シナ海にぽつりと浮かぶ魚釣島。

 島の北側の浜に、半円柱型の容姿を持つ大型のテントがもうけられている。

 思い出したようにたたきつける雨を気にしないかのようにせわしなく兵士が出入りするたび、中の灯りが漏れる。

 入り口脇にはおおきく目立つように赤十字の旗が張り出される。

 大型の投光器が三基、強風を嫌って低めに設置され、一基は天幕の赤十字を、二基は浜に打ち上げられた格好の漁船を照らす。

 投光器の向こう、天幕のさらに奥には、その影に隠れるように大型のトラック型車両がアウトリガーをめいっぱい張り、背負った地対艦ミサイルの発射口を天空に向ける。

 中国人民解放軍海軍の既成事実は既に完成され、日本側では外務、防衛、国土交通をはじめとする各省庁で様々な検討、折衝、腹芸、秘密裏の交渉、言質の探り合いが飛び交う中、南シナ海の軍港では二の手、三の手を前提とした準備が進められている。

 暗闇の中、浜の沖合に停泊する中国人民解放軍海軍のドック型輸送揚陸艦の灯りが波風に揺れる。


 戦端は、揚陸艦の艦橋にもうけられたコンソールが、主力戦車の主砲弾であるAPFSDS弾による正確な横撃二射で打ち抜かれたことに始まった。

 専用の防御機構を持たない船体は、右側面から戦車弾の直撃を受けて深いダメージを負い、衝撃波は艦橋にいる要員の階級を問わず平等に左側面に向けて吹き飛ばす。

 第二撃は嘘のように第一撃の被弾孔から侵入し、艦を支配するコンソール類に修復不能なダメージを与えると供に、兵員達の全身に改めての衝撃を与え背中側の壁にたたきつける。


 沿岸の天幕内でははじめ、沖合の揚陸艦との連絡が途絶した事を、通信機器の障害によるものかと認識しメンテナンスを検討しかけ、隊員は想定される障害を想起し始めた。

 そんな猶予もなく狙われたのは地対艦ミサイル車両。

 六発のミサイルが装填されたコンテナが同じくAPFSDS弾の二射で打ち抜かれると三瞬の間を置いて爆発炎上の炎が天幕を照らす。

 爆風が嵐の暴風を遮って天幕をゆらす。

 それでもまだ天幕内では機械のトラブルを疑っていなかった。

 日本の自衛隊、アメリカ軍の反撃を警戒する高高度偵察機からは何らの航空機の接近も警告してきておらず、海上自衛隊の護衛艦も五十キロ先、魚釣島の接続水域にもとどかないところから近づいてこようとしない。

 この嵐さえしのげれば完全に安全なはずで、そこからの持久戦こそ本当の戦いだと思っていた。


 神奈川県中央部、キャンプ座間に設けられた「指揮所」では八十インチを超える大型の八Kディスプレイが壁面狭しと並びそれぞれが暗闇を映し出している。

 さほど広くない「指揮所」には、オリーブドラブに彩られた鋼鉄製の装甲を全身にまとった十小隊五十名の見習い徹攻兵がおのおのの役割に相当する画面を中心に見入る。

 現代風に過度な装飾はなく、動きやすいように装具の干渉をデザインされているのものの、あたかも総鎧に身を固めた集団は、大柄の人型戦闘ロボットが行儀良く椅子に並べ込んでると言えなくもない。

 ディスプレイには灯火の制限された暗闇の中、嵐の雨粒が映し込まれる。

 波の荒れ狂う東シナ海で、増槽を付けた水上オートバイを駆るのは四名の徹攻兵。

 その四名を指揮するのは、数百キロ離れたキャンプ座間の「指揮所」に居座る壮年に近い女性。

 彼女自身、自らの後ろに座る徹攻兵達と同じ大柄の装甲服に身を包んでいる。

 背後の見学者から普段は「教官」と呼ばれる彼女の首もとには、十小隊分のクリスタルと呼ばれる鉱石のペンダント下げられ、まるで悪趣味な成金主義者を彷彿とさせる。

 ゴーグルの部分も装甲におおわれ、多数のカメラが配置されている。内側にはヘッドマウントディスプレイが配置され、全ての情報が表示される。

 が、足りない。

 前線に出ている各員の画面情報をサポートする通信要員に画面への補足説明の指示を出す。

 これは背後に並ぶ五十名からなる見習い徹攻兵への情報伝達ではなく、さらにその後ろの上級将校達へのプレゼンテーションのためでもある。

 女性が声を上げて前線の兵士達に連絡するのも同じ意味を持つ。「現在マルヒトフタフタ。目標の上陸地点までは約六キロメートル。堅剛(けんごう)、損壊状況を推察できますか?」

 堅剛と呼ばれた兵士が声を上げて返事する。これもまたプレゼンのためでもある。「むー、もう信世(のぶよ)に伝わってることをいちいち声に出すのもめんどいな」

 「指揮所の全員に伝えないと行けないからね。今回の報酬の対価だと割り切って」

 「むー。揚陸艦のブリッジの機器はあらかた壊したはず。

 副指揮所の座標を示して欲しいな。

 あとさ」

 「なによ?」

 「機関を狙って撃沈させる必用は無いの?」

 「そこの手柄は在日米軍に任せる可能性があるから、今は無力化させるだけでいいわ。地対艦ミサイルの方は?」

 「感覚的にだけど四発が誘爆した手応えがあった。二本は残存してるけど、折れ曲がってまともに発射できないことが高く予想される。

 制御装置の破壊は、上陸してから八九式でいいよね」

 「いい。

 各方面に効果検証を見せつけたいから、手榴弾の使用は避けてラインメタルと八九式で処理して」

 「オッケー」

 堅剛に変わって、別の兵士から音声通信が入る。

 「信世、副指揮所の狙いってどの辺なの?」

 四人の中で、この距離なら一番狙いの確かな(たかし)が声をかけてくる。

 「それがさ、当てずっぽうなのよ」

 「はあ?」

 「ドック型輸送揚陸艦である以上、艦内の大半がドックで構成されていることは間違いないんだけど、副指揮所って機材詰め込めばどこでもいいからね」

 「それでもさあ、五人を統括する目として、リーダーとして、ここ、っていう場所はあるでしょ?

 示してよ、狙うから」

 「ラインメタル、さっき四発使い切ったでしょ。怪しい場所送るから、次の四発はばらして打ち込んでくれる?」

 「ん、奥の方の部屋にあると、APFSDSだと届かなくない?」

 距離五千八百メートル。

 宇がスロットルを緩めると、堅剛だけでなく輝巳(かがみ)(ゆう)も旋回してその場に留まる。

 ライトは消しているがお互いがお互いの位置を把握しているため不用意にぶつかることもない。

 四人の装甲服のうち、堅剛と宇の着込んでいるものはやや大型で頑丈そうに見える。それに対して輝巳と遊の着込んでいるものは気持ち小ぶりで運動性が高そうに見える。

 本来、二人乗り型の水上オートバイの後部座席に当たる位置には増槽が組まれ航続距離を伸ばす役割をしている。

 舷側には左右に一本ずつ、計二本の六メートルにおよぶ大型の砲身を懸架している。増槽の両脇には八九式小銃を一丁ずつ懸架しており、弾倉と手榴弾が多数固定されている。

 指揮所では中国人民解放軍海軍の〇七一型揚陸艦の艦内想定図が情報兵より信世に手渡される。

 信世がたずねる。「これは?」

 情報担当の陸士が答える。「観艦式の際に同型艦に乗船した将校がおりましたので、そこからの推察になります」

 「結局は当てずっぽうね」

 ため息と苦笑い。

 渡された艦内想定図を眺め目を閉じる。

 目の前のキーボードを操作するため、信世の前腕の装甲は省略され、両手は素手のままでいる。

 幾つか操作をすると「PDFを回してちょうだい」と先ほどの情報兵に声をかける。

 「宇、やっぱり艦の中央部に配置されているみたい。四発とも同じ位置に撃ち込める?」

 「えー、そもそも射程外なのに?」

 輝巳が割ってはいる。「また、浮かびなよ」からかうように半笑い。

 宇が応える。「俺は輝巳と違って〇六式だから、そう長くないの」

 輝巳が応える。「でも、うまいじゃん」

 「はいはい」と宇が応えると、宇と堅剛が残り、輝巳と遊は先に進む。

 目となる堅剛に待機させると宇は左舷側から大砲を取り外す。

 長大な砲身はなかなかかさばり、構えるのに一呼吸を擁する。

 それでも、宇は自家用車一台分にあたる重量物をあまりにも軽々と取り回してみせる。

 前後の重心がとれる位置で右の脇の下に構え左手を添える。

 砲の重心から上に伸びる一本の柱はちょうど肩にかける高さで後ろに折れ曲がっている。

 右に大きくかたむく水上オートバイの上で両足を構える。

 もし、陽光に彩られる日中であれば、宇の装甲を緑のまぼろしがつつむような気配を感じられたかも知れない。

 「よいしょっと」

 そう、一声かけると荒れ狂う波に舞う水上オートバイから三メートルほど宇の体が浮き上がる。

 足の底と背嚢にあたる装甲のノズルから、緑の光条が吹き出す様は、宵闇を鮮やかに照らす。

 一弾目、轟音と閃光、衝撃波が海面に球形をたたきつける。

 燃え尽きた薬莢の残滓が排出されると重力を借りて二弾目が降りてくる。

 薬室への装弾から砲尾の閉鎖までが全自動で速やかに行われる。

 「ふっ、ふっ、ふっ」

 宇は、リズム良く四弾を打ち切ると同時に、力尽きたように水上オートバイに落ちてくる。半ば滑りかけてバランスを崩すが何とか持ちこたえる。

 「これ、捨てていいんだよね?」

 指揮所から信世が応える「塩水喰って使い回しできないからね。堅剛、どう?」

 宇が右舷側に残っている大砲を投棄する間に堅剛が笑いながら応える。

 「宇、うますぎたよ。四発目多分、すり抜けていった」

 宇が照れるようにはにかむ様を、四人は感じ取る。

 「追いかけよう」堅剛がそう言うと、宇もうなずき、無灯火のまま宵闇の東シナ海の闇へと消えてゆく。


 事件は、時間にして二日前、二月二十六日の金曜日に起きた。

 冬の低気圧が近づく中、中華人民共和国の公式船舶が、尖閣諸島の接続水域に出入りする日常。

 その日ばかりは違っていた。

 中国船籍の大型の漁船が右に左にと進路を変えながら魚釣島の接続水域に入ってくる。

 海保の巡視船が警告をすると、舵が壊れて進路がまともにとれないが島からは離れる、と回答がある。

 気がつけば中国人民解放軍海軍の軍艦を名義だけ変えた巡視船もはっきりと近づいてきている。

 これ以上漁船に進まれれば領海への侵入を許してしまう。

 形だけでもそれは避けなければならない。

 武力行使を許されない、武力を持たされない海上保安庁の巡視船にとっては、船を横付けして無理にでも進路を変えなければならない。

 波が高い、小雨もぱらついてきている。

 海保の巡視船は一度魚釣島の領海側に回ると、ふらふらと、しかし確実に領海側に近づいてくる漁船と歩みを合わせる。

 甲板の手すりにつかまる保安官も固唾を呑む。

 艦橋から、漁船に船舷を合わせることを連絡すると突然、小銃を持った男が船上の構造物から姿を現し、公然と射撃をしてきた。

 射撃は、とにかく当てようと執拗で、甲板に出ていた三名の保安官のうち二人が被弾した。

 「射撃、射撃。二名被弾。射撃は継続中」

 時を同じくして中華人民共和国側の巡視船が進路を変え、まっすぐにこちらに向かってくる。

 海保の巡視船の艦橋に緊張が走る。

 これは、本気だ。

 「おもぉぉかぁじ」

 逃げることは恥ではない。

 双方どちらにもこれ以上の負傷者を出さないことが、日中両国の友好の維持のために最優先される。

 船長は船員にそう告げると、負傷者の救護、船艇の損傷の確認、そして海上保安庁本庁への連絡を矢継ぎ早に指示する。

 冷静沈着。

 船員の誰もがそう思った船長の心は怒りで震えていた。


 海域を離れる海保の巡視船を尻目に、漁船は魚釣島の北の浜を一直線に目ざし、浜に、半ば強引に乗り上げる。

 それを追うようについてきた中華人民共和国側の巡視船から周辺の海域に、座礁した漁民の救助のため魚釣島に上陸する、との通報が発信される。

 海上保安庁、海上自衛隊、在日米軍、防衛省、国土交通省、内閣府、外務省、それぞれに情報が飛び交う中、外務省から防衛庁に出向している職員が統合幕僚長に耳打ちをした。

 「例のチームを動かしてはいかがですか?」

 「あれは、だって、そもそも隊員で構成されているわけではない。

 我々の権限のおよぶ範囲ではないよ」

 「今回の動き自体、徹攻兵の存在がリークされ、先手を打たれた、という話しも飛び交っています。

 それに」

 耳打ちした職員は不敵に笑う。

 「ほんの少人数が失敗したところで、知らぬ存ぜぬを通すことはたやすいではないですか」


 中央で迷いが錯綜している間にも、東シナ海では、巡視船とは名ばかりの揚陸艦が艦尾を浜に揚げ自陣を固めるべく資材を搬出する。

 浜に乗り上げた漁船の船員も、我先に船を降り上陸する工兵達を待ち受ける。

 揚陸艦から真っ先に威容を表したのは地対艦ミサイルを搭載した大型の車両で、広いとは言い切れない浜の奥へと進み、向きを変え、島に近づくものへの対抗心をあらわにする。

 それを待たぬうちにトラックが二両上陸すると、中から資材が運び出される。

 一秒でも早く、既成事実を完成させてしまうことが彼らに課せられた使命だった。

 天幕を張り終えるより早く、赤十字の旗が張り出された。


 市ヶ谷から五本の連絡のラインが同時に走る様は、あたかも、脳細胞を駆け巡る情報の信号のようだった。

 真っ先につながったのは予備自衛官である都築信世の事務所だった。

 複雑な家庭事情を持つ彼女は、家族への連絡もそこそこに、事務所からほど近いキャンプ座間に車を走らせる。

 車の中から門衛に身分証を提示すると「座間駐屯地に向かいます」と告げる。

 トランクを開け、後部シートの確認も済ませると、敬礼をかわし、司令部庁舎へと向かう。

 会議室で待っていたのは駐屯地司令をはじめとするお歴々。

 「とりあえず、来ましたけれども、何事なんです?」

 「まずは、座ってもらえるかな」

 誰もが、難しそうな顔を崩さない。

 「尖閣諸島の魚釣島は分かるかな?」

 「メインとなる一番大きな島、でしたっけ?」

 「そこに中国海軍が上陸した」

 信世は、口をへの字に曲げてため息をつく。

 「じゃあ海自のお仕事ですよね」

 「時間が掛かりすぎる」

 「それは私達の知った事じゃありません」

 「そうもいかない」

 司令がそう答えると、書類が回され、説明役の尉官から概要が説明される。

 海保の巡視船が銃撃を受けたこと。海上保安官に二名の負傷者が出て、うち一名が重体であること。

 中国海軍は座礁した漁船の保護の体裁を取っていること。

 既に大型の天幕が張られ赤十字の旗を掲げた写真が世界の報道機関に向けて発信されていること。

 一方で非公式の外交ルートからは地対艦ミサイルの設置を含め徹底抗戦の情報が流れていること。

 南シナ海から揚陸艦を含めた艦艇が続々と北上してきていること。

 そこまでを信世が退屈そうに聞いているので尉官が続けるのをためらう。

 「それこそ、海自の仕事じゃないですか。

 それに日米安保はどうなってるんです。

 沖縄に、なんのために基地があるんですか」

 尉官が続けようとするところを司令が遮る。

 「物事には順序がある。

 外交により抗議を伝え、協議をし、何かを与えなければ一度奪われたものは取り返せない。

 その間に工事が進み、陣地が堅牢になってから、結果交渉が決裂し、部隊を動かして事態を解決しようとしたら規模が大きくなりすぎる。

 東シナ海、南シナ海は海洋交通の要衝だ。

 そこで戦乱が起これば、輸出入経済への打撃は計り知れない」

 「それくらいの常識は私だって持ってます。

 だからこそ、在日米軍も含めた動きが必要だと言ってるんです」

 司令も、信世の言わんとすることを理解した上であきれ顔を作る。「東シナ海の争乱で米兵に死者が出ればアメリカの世論が黙っていない。

 米政権はそれを恐れて動くはずがないだろう」

 「はずが無いだろう、で交渉する前から諦めてたら何も動きませんよ。

 それに」

 右手の指先を鎖骨に当てて、一言区切って信世が切り出す。「私は予備自衛官ですから書類さえ整えば動かざるを得ません。

 でもうちの四人は教務役をやることこそあれ一般市民同然なんですよ。

 拒否権だって持たされています。

 その四人に何をさせるつもりなんです?」

 「既に上陸済みの兵力を全て殲滅してもらう」

 「はあ?」

 信世が大声を上げて立ちあがる。

 「兵力の無力化までが役割でしょう。戦国時代じゃないんですよ」

 説明役の尉官が呟く「戦国時代でも、殲滅戦なんて滅多にあるものじゃないです」

 信世が続ける。

 「そんなの作戦じゃありません。 

 どうしてもと言うなら、こんな五十手前のおばさんおじさんを頼るんじゃなくて現役の方々にご命令下さい」

 尉官が答える「第三世代の〇六式、第四世代の一八式を運用できるのは、あなた方だけです」

 司令が続ける「拙速はあっても巧久はない。最大戦力を初期投入するためには、都築さん、あなた方のチームが現実解なんだよ」

 「だとしても、どうして殺せという作戦になるんですか?」

 司令は、今度は難しい顔つきで答える。

 「徹攻兵は存在するだけで現在のミリタリーバランスを破綻させる。

 しかも第三世代以降の運用に成功しているのは我が国とドイツだけだ。

 生存者を残せばそこから徹攻兵の詳細が中国に、世界に知れ渡る。

 局所的に使い回せる分、核をも超えうる戦場の決定力と見られる。

 そうなれば五大国の世論が黙っていない、各国の政権も動かざるを得ない。

 核によってもたらされた冷戦の構造を戦前に戻すわけにはいかないんだよ。

 徹攻兵の能力は最大限隠匿しなければならない。

 その上で、今日一日の遅れを取り戻し、昨日までの東シナ海のバランスを速やかに取り戻すにはあなた方に動いてもらうしかない」

 信世が座る。「私からはうちの四人に説明できませんよ。説得は、皆さんが汗水流して行って下さいね」


 市ヶ谷から伸びた五本の糸は一番最後に尾形輝巳のところに届いた。

 午前十時を前に抗うつ剤とステロイドホルモンの錠剤を飲む。くたびれ、やつれた愛想笑いが張り付いたサラリーマン。

 同世代が管理職に就く中、いつまでも主任止まり。

 かつては、上司に「エース」と紹介されたこともあったのに、得意にしていた商材が市場に選ばれなくなると落ち着く先を見失い、社内の部署を転々とし、気がつけば十も年下の上司の下でいいように使われる日々。

 それでも、今年中学校に上がる長男と、小学二年生の長女を抱え、責めて子供達の将来だけでも守りたい、と節約のためにお昼は妻の作ったおにぎり一つで済ませる。

 月末の締め日を迎え、月初の請求処理が忙しいはずなのに、鬱病の発端となった劣等感がキーボードを叩く手を鈍らせる。

 「尾形さんちょっと」

 と新任の部長から声がかかる。何か新しい仕事が振られるなら何でもいい。

 子供達のためにはなりふり構っていられない。

 そう、期待して部長の席まで歩み寄る。

 「親会社の物産から連絡があると思うから、連絡が来たら最優先で対応してもらえる」

 「連絡って、私にですか。

 物産から何が?」

 意外すぎて悪い予感しかしない。そう思っていると自席においてきたスマートフォンが鳴りだした。

 「すみません」と言い残して自席に戻る。

 「はい、尾形の携帯です」

 「初めまして尾形さん、物産の丸井と申します」

 「はい」

 「先ほど、そちらの内藤部長には連絡させてもらったのですが緊急で依頼したいことがありまして」

 「はい」

 「今から、座間駐屯地に向かってもらえませんか?」

 「あ、えーと、はいあの、ただいま勤務中でして」

 また、いつもの訓練にかり出されるのだとしても、突然過ぎて意味が分からない。

 「ええ、そうかと思いますが、一週間ほどの出張になると思います」

 「あの、こんなことうかがうのはあれなんですが、なんでその、丸井さんでしたっけ、物産の方から訓練の依頼が来るんです?」

 「ちょっと込み入った状況がありまして、仕事の調整が何が何でもつくようにと政府の上の方から動きがありまして。

 そうしてこちらに話が回ってきたんです。

 えーと、都築さんか、座間キャンプについたら都築さんを呼び出していただければいいそうなので。

 手持ちの作業もあるかとは思うのですが、内藤さんと相談して、尾形さんはまっすぐに座間に向かっていただけませんか?」

 そう話している間にも、内藤部長が林田課長に声をかけているのが見える。

 「えーと、分かりました。

 とにかくなるべく早く向かえるようにします」

 「何かあるようなら、この番号に連絡下さい。私から内藤さんに伝えますので」

 電話を切ると林田課長から声が掛かる。課長、といっても十も年下の上司だ。「物産から連絡あったんだって。

 何の件?」

 「それが、システム関連で一週間ほど出張しろと」

 「尾形さんが、今更何のシステム?

 まあいいけど、月初の請求支払い関係の処理は手順化されてます?」

 「してないです」

 「やっときますから、今から段取り教えてもらえます?」

 そういうと林田課長は輝巳の説明を要領良くまとめていく。

 「あと大丈夫っすかね?」

 「ちょっと幾つかメール打っておきますね」

 「はーい」

 あれこれしている間に時計の針は十四時を回る。

 内藤部長から声が掛かる。

 「丸井さんから連絡があったんだけど、まだ出られないの?」

 「いま、このメールだけ打ったら出ます」

 「お急ぎみたいだから、要領よくね」

 はいはい、わかってますよー。

 心の中でそう呟くと、やり残した幾つかの雑務は手を付けなくても何とか回ると割り切り、後ろ髪を引かれる思いでノートパソコンを鞄にしまう。

 「すいません林田さん、これででます」

 「はーい、行ってらっしゃい」


 中央区のオフィスを出ると、JRで新宿駅に向かい、小田急線に乗り換える前に妻に連絡をする。

 「莉央(りお)

 「どうしたのこんな時間に、体調でも悪くなった。帰ってくるの?」

 「いや、その、逆でさ、親会社からの連絡で、システムトラブル対応で出張になりそうなんだ」

 「えー、こんな急に?」

 「また、日程とか分かり次第、夜にも連絡するよ」

 「うん、分かった。無理はしないでね。薬は足りる?」

 「うん、予備があるから」

 それだけ会話すると電話を切る。

 移動の合間に信世にメールを打つ。

 「何事があったの?」

 短い返事が返ってくる

 「有事、本番、これ以上はメールでは無理」

 ため息をつく。

 取りあえず、始発を間って座席に座ると、スマホに落としたアニメを見て現実逃避。

 薄汚れたダウンのジャンパーを着た白髪交じりのおじさんが、大ぶりの鞄を抱えて電車の椅子にちょこんと座り、小さなスマホの画面に食いついている。

 第三者の視点で自分を眺めると、何ともしょぼくれていて情けない。

 何だかなー。


 輝巳がようやく会議室にたどり着いた時には、既に遊、堅剛、宇も揃っていた。

 信世を含めた五人は、中学からの古なじみだ。

 輝巳も、自然とほおがほころぶ。「よう、どうしたよ?」

 腕組みをした堅剛が皮肉混じりの笑みを浮かべる。

 「信世、説明してやって」

 「これで四回目なんだけど」

 信世が自嘲する。

 「尖閣が占拠されたので皆殺しにしろ、だって」

 輝巳があきれる。

 「はあ、それ、俺たちのやることじゃなくない?」

 信世は黙ったまま居並ぶ将校に顎を突き出す。

 一通りの説明が終わると宇が切り出す。「輝巳はどうおもうの?」

 輝巳は斜め上の天井を眺めながら考える。「うーん、理にかなってると思うよ。

 俺たち以外の本職がやるんなら」

 堅剛が口を開く。「そうなんだよ、俺たちにやらせる理由が分からない」

 遊が口を挟む。「秘密裏に行うには少人数なら少人数ほどいい。そうなると徹攻兵が一番のぞましいってことになる」

 輝巳が皮肉に笑う。「最大戦力の投入が作戦成功の常道だけどな」

 遊が反論する。「だから、俺たちなんだろ」

 輝巳が今度はまじめな顔を作る。「なあ、みんなさ、俺、気がついちゃったんだけど」

 両肘をテーブルにつき、組んだ拳を、顔の前に掲げる。「俺が見てるアニメだと、だいたいこういうのは十四、十五の少年少女が選ばれて、克服して、成長していくもんなんだけど」

 冗談のためにまじめな顔を作ったのかよ、と仲間達はあきれる。

 信世が答える。「現実は五十手前のおじさんおばさんが選ばれちゃったみたいよ」

 宇がテーブルの上に上半身を伸ばす。「アニメじゃない、かー。

 で、輝巳はどうするの?」

 「やるよ」

 この一言で、退屈そうだった将校達の顔色が色めき立つ。

 「たださ、住宅ローンの返済が苦しいんだよね。一人二千万、五人で一億でどうかな?」

 宇、堅剛、遊のそれぞれが、考え込む中、信世が苦笑いする。「仮にそれが出るとしても、私のところには来ないけどね」

 宇がたずねる。「なんで?」

 「私、予備自衛官だから、規定の手当の範囲内しか降りてこないのよ」

 堅剛が笑う。「ほんと、アニメじゃないなあ。

 俺もそれで付き合うよ。

 あ、輝巳の条件で、だよ」

 そして遊が頷くと、宇が諦めた「もー、しょうがないなあ」


 こうして方針の大枠が決まると、いくつもの物事が並行して進められた。

 輝巳、遊、堅剛、宇の四人は、通常の軍事用の備品と異なり、一人ひとりの体型に合わせられた個人専用の装甲の確認に向かう。

 信世は作戦将校達と集まり、情報の確認と具体的な攻撃作戦の立案に入る。

 五人とは無関係のところで資材の輸送計画が練られ、陸自と海自の連携が図られ、海自の護衛艦が沖縄の軍港に向かう。

 全国の駐屯地に分散して配置されている徹攻兵達が続々と座間駐屯地をめざすだけでなく、アメリカ本土からも二小隊十名の徹攻兵がキャンプ座間をめざして厚木基地に向かってくる。

 徹攻兵の教育プログラムのことを考慮すると、大型の指揮所が必用となり、米軍の、キャンプ座間の「指揮所」を借りることにする。

 装備の確認を済ませた四人は、おのおの、家族との連絡を取り繕うと、個人の荷物を全て座間駐屯地の担当官に預ける。

 早めに移動してきた何人かの、顔見知りの徹攻兵からの敬礼を受けて軽く手を振ると、輝巳達は入れ替わるように厚木基地に向かう。

 厚木から那覇へ、那覇から沖縄軍港へと、彼らの身柄と彼らの装備が移動するのに呼応するように、徹攻兵の専用武装となるむき出しの戦車砲に四発の弾倉を付けた通称「ラインメタル」が海自の護衛艦に運び込まれる。

 ぎりぎり、一小隊分、四台の改造水上オートバイが到着すると、四人を乗せた護衛艦は夕焼けの東シナ海に出航する。

 既に二月二十七日土曜日の夕方になっていた。


 そして、初手を全て目標に当てた四人に信世が指示を出す。「遊と輝巳は作戦通り揚陸艦に向かって。

 ええと遊が艦首側から、輝巳は艦尾側から接舷次第乗艦して。

 宇と堅剛は島の南側、ええと裏側に大きく回って上陸をなるべく気づかれないようにできるかしら?」

 宇と堅剛が装備する〇六式は装甲が厚く大ぶりで、ただでさえ狭い艦内で取り回しに支障が出ると判断された。

 それに対して遊と輝巳が装備する一八式は比較的細身であるため乗艦役に回された。


 揚陸艦は、魚釣島の北の浜に艦尾を向け、北西に艦首を向けて停泊していた。

 深夜だというのに灯火を煌煌と灯すその様は、狙えるものなら狙って見ろと挑発する態度を見せていたが、艦尾側に回り込んだ輝巳のカメラを通じて、宇の空けた二つの風穴がキャンプ座間の大型モニターにまざまざと映し出される。

 「指揮所」の徹攻兵の多くから感嘆の息が漏れる。十五名が〇六式より大型である第二世代の〇五式を、残りの三十五名がさらに大型である第一世代の九八式を着込む。

 彼らではラインメタルを単独運用することができない。

 ましてや、着弾孔に次弾を打ち込むなどあり得ない。

 信世が声をかける

 「後ろのみんなにいっとくけど、〇六式を使いこなせれば、訓練次第でこれくらいできる子もいるんだからね」

 それを聞いた輝巳が呟く。「宇を基準にするのは、鬼が過ぎるだろ。

 ヌコ型ロボットの飼い主を基準にするつもりか」


 東シナ海の海上では甲板に出ていた乗組員が異変を感じてか威嚇のつもりか、輝巳の進路上に小銃弾を撃ち込んでくる。

 「増槽にまぐれ当たり、なんてやめてくれよ」

 輝巳は灯火の光の届かない闇へと舳先を向ける。

 そんな迂回をしていたせいで、エンジンを切って慣性で進む遊の水上オートバイの方が先に揚陸艦の艦首にたどり着く。

 「こちらは気がつかれていない様子だな」

 後部シートの位置に設けられた増槽の脇から二丁の八九式自動小銃を取り外すと一旦、腰の後ろに引っかける。金属テープで貼り合わせた三十発入り弾倉を同じく増槽の脇からとりはずし、腰の両脇に一つずつ、左右の胸に一つずつ、両ふくらはぎの外側に一つずつ、計六個をそれぞれ設けられたマウントに取り付ける。

 両手に銃を構え直し、それこそ、階段の一段目に乗り上がるように「よっ」と声をかけると、喫水線から数メートル上の甲板上に飛び乗る。

 重量物が落下した物音が艦首より鳴り響くのを聞いて乗組員が駆け寄ってくる。

 灯火の中に現れたのはオリーブドラブに彩られた等身大の人型ロボット。

 ドローンの類と受け止められ、半ば気軽に小銃弾が撃ち込まれる。

 中の遊にしてみれば、これまでの訓練でも何ともなかった攻撃で、改めて子供の豆まきに付き合っている気分になる。

 タン、タン、タン。

 一八式装甲服を着込んでいると、まるでゲームの二丁拳銃のように敵に小銃弾が吸い込まれていく。

 放たれた弾は正確に相手の脳幹を打ち抜き、できる限り意識のないまま倒していく。

 ゲームと違うのは、倒された相手の体が意識のないまま痙攣を続けている様が消えていかないことだけだ。

 「信世、重いよ、これ」

 「現在、マルヒトゴーヨン、敵揚陸艦艦首からの殲滅戦の開始を確認しました」

 遊はため息をつくと「記録、願います」とだけ答えて前に進む。

 ちょうど、先に進むには邪魔な位置に死体が横たわっている。踏みつぶす気にもなれずすり足で死体を脇にずらして進む。


 艦首で異変があったことに気がついた警備役の乗組員が艦首側に駆け寄るせいで、艦尾側の輝巳は気楽に水上オートバイを寄せる。

 冬の嵐で波が高い。

 遊と同様に弾倉を体に貼りつけ小銃を取り外しながら気がつく。「なあ信世、これって流されちゃうんじゃないの?」

 「あ」

 「あ」

 信世と、銃撃中の遊が同時に声を上げる。

 「俺、留守番してていーい?」

 遊が輝巳に答える。「ふざくんな、仕事しろ」

 「だよねえ」

 揚陸艦の後部甲板は飛行甲板になっている。

 そこに飛び上がると、銃を構えてみせるが、無人の飛行甲板の向こうに閉ざされたハッチが見えるばかり。

 裏側は灯火が少なく、薄暗がりが広がる。

 輝巳がたずねる。「俺たちの映像って、教育効果も兼ねてるんだよね?」

 信世が答える。

 「現在、マルフタマルサン。後部甲板への乗船を確認しました。

 確認の通り、教育効果も兼ねています」

 輝巳は広く取られたヘリコプター用の後部甲板を小走りに駆け抜けると、艦上構造物の後部に設けられたヘリコプター格納用のハッチが、重い扉ではなくシャッター構造であることに気がつく。

 「いや、これだとあまり教育効果がないなあ」

 そういうと、シャッターを蹴り上げる。

 まるで、広大な模造紙を破るようにシャッターがめくり上がる。

 中から光が漏れてくるその端に右手の銃を置くと、右手でゆがんだシャッターを頭の上までめくり上げる。銃を拾い直す頃には中から大声が聞こえてくる。

 「ええとまあ、この通り、蹴ったり殴ったり持ち上げたりという行動には、まるで重機のような効果が期待できるのだが」

 首を下に曲げ、カメラで床を写す。

 小銃弾が撃ち込まれ始めているが意に介さず続ける。「どういうわけだか、足下に掛かるはずの重量は軽減される。

 これが、俺たちがラインメタルを安定的に運用できる理由の一つでもあるわけだ」

 そこまでいうと両手に持った小銃を交互に撃ち始める。「九八式だとさすがに両手持ちじゃないと定まらないとは思うけど、狙いも、神経を凝らして付けているというより、タイミングが分かっちゃう感じだよね」

 中から、次々に現れていた兵士が、三重に折り重なるようになってきたところで、出入り口の影に隠れるようになる。

 ため息。「銃の手応えってこの感覚をいうのかな。いい気はしないな」

 信世が、敢えての事務的な回答。

 「現在、マルフタヒトハチ、報告、了解しました」

 そこで、堅剛からの連絡が入る。

 「むー、着いたよー」

 「現在、マルフタフタマル、堅剛、宇、両名到着しましたか?」

 宇も答える。「取りあえず、乗り物を浜に押し上げてる。足がびしょびしょできもい。それにしても」

 宇が一旦区切る。「尖閣っていうだけあって浜らしい浜なんてないんだね」

 断崖絶壁にも似た急傾斜を見上げる。

 信世が伝えてくる。「天幕の大きさからの推測では、三十名から五十名程度の人員数が予想されます。念のため、弾倉は全て携帯するように」

 二人、口を揃えて「了解」と答えてくる。

 「天幕の中と乗り上げた漁船の通信機器の破壊を最優先にしてください。

 そのうえで、生存者の殲滅をお願いします」

 宇が口を開く。「遊たちもやってるみたいだしね」

 堅剛が答える。「むー、やだけどしょうがないね」

 そういうとリズム良く飛び上がり、二百メートルほどの断崖を、十歩あまりで駆け上がる。


 信世が切り出す。「遊、輝巳、今更で悪いんだけど」

 二人とも、敵の小銃弾や手榴弾をものともせずに、見つけては倒し、ふさがれたら壊し、と艦内を内側から蹂躙していく。

 「何だってー」

 「それなりにいそがしーんですがー」

 「その船、最大兵力八百名を搭載することもあるらしいの」

 二人揃って止まる。

 「はあ?」

 「ばかじゃねーの?」

 「現在、マルフタサンヒト、作戦の続行をお願いします」

 遊が、弾倉の上下を入れ替えながらたずねてくる。「いよいよ弾切れになったらどうすんだよ?」

 輝巳が答える。「床に転がってるヤッコさんたちのを借りるんだろうなあ」

 奥に進むにつれ、非武装の乗組員、無抵抗の乗組員も出てくる。

 輝巳がたずねる。「これも?」

 信世が答える。「後ろから反撃されたくないでしょ、それも」

 引き金を引く。「遊君?」

 「なんだよ」

 「なんか俺、惰性になってきたよ」

 「あー、俺もだ」

 「人間、こんな事にも慣れてくるんだな」

 「恐ろしいことだな」


 輝巳と遊が手分けして艦内の生存者の殲滅を進める間に、堅剛と宇は暗闇の山岳を駆け下りる。

 断崖を駆け上ったのと逆の要領で、前傾姿勢を取って飛び跳ねるように前に進む。

 向かって左手に天幕、右手に漁船。

 左手に向かったのは堅剛、下り斜面を水平に飛び跳ねながら両手に構えた小銃で歩哨の兵士を四人打ち抜くと、天幕を裏から突き破り両足を前に突き出して制動をかける。

 タンタンタン、タンタンタンタン、タン、タン、タン。電波発信の機器を中心に破壊する。

 タンタンタン、タンタンタンタン、タン、タン、タン。機器の近くに居る兵士から、確実に脳幹を撃ち抜いてけりをつける。

 右手に向かったのは宇、浜辺に横倒しに乗り上がった漁船を目がけて飛び跳ねると、視界の端にトランシーバーを持った男が目に入る。 

 とっさに体をひねり、右の銃でトランシーバーを、左の銃で男の頭を撃ち抜く。

 跳躍の勢いは止まらず左の肩から漁船に突っ込む。

 衝撃で船の向きが変わっても気にしない。

 すぐさま立ちあがり、両手の銃の銃床を砂浜に突き刺すと、船上構造物だった船室に飛びつき、両手で屋根部分を引っ張り剥がす。

 漁をする船には大きすぎる船上構造物の屋根を一気に引きはがすには、三歩、五歩、七歩と歩みを進める必用がある。

 さながら建築重機のように屋根をすっかり剥がしてしまうと、カメラを暗視スコープに切り替える。

 中には網などの漁具などはなく、船の前方には機器類が、後方には武器類が詰め込まれている。

 人影は見当たらない。

 ひとまず武器を取りに戻り、タタタタタタッ、タタタタタタッ、と機器から破壊する。

 改めて周りを見渡すがこちらに人影らしいものは見えない。

 今一度横倒しの船内に目を向ける、狭い作りで宇の装着した〇六式では中まで踏み込むことができない。

 「信世、こっちはここまででいいかな?」

 「現在、マルフタヨンゴー。船底に敵性乗組員が隠れている可能性はないですか?」

 「可能性はあるけど、〇六式では入れなさそう。

 どうしよう、使えそうな武器が固まっているけど、壊しすぎない方がいいんだよね?」

 「はい、その場で少し待機。

 堅剛、そちらの手は足りていますか?」

 堅剛が弾倉を差し替えながら答える。

 既に天幕を後にし地対艦ミサイルの車両の方に足を向けている。「むー、ポツポツ散らばっているんだよね。足りないってことはない」

 「了解しました。では宇は念のためその場で待機してください」

 「分かった」と答えると宇の被るヘルメット内には、輝巳や遊、堅剛の時折放つ銃声がこだまする。

 ため息。

 遠目に、先ほど倒した男の姿が見える。

 一人だけでも気分悪いや。


 二月二十八日日曜日の午前三時、堅剛が話す。

 「信世、こっちの方はあらかた片付いたかな」

 「現在、マルフタゴーナナ。堅剛は引き続き周囲を警戒し、ミサイル、天幕、漁船の周囲を警戒して下さい。

 宇は一旦ジェットスキーに戻って、ラインメタルを回収後、島の山頂をめざしてもらえますか?」

 堅剛と宇が「了解」と短く答えてくる。


 輝巳と遊は揚陸艦の艦内の捜索を続ける。

 一度、フロア違いですれ違いもしたが、お互いが仕事を進める。

 なるべく無駄弾を撃たないようにしていた輝巳だが、結局、艦尾のドックに兵力が残っていて、身に帯びた弾倉のほとんどを使い切る。

 信世から指示が入る。「現在、マルヨンフタロク。輝巳、艦内の捜索は遊に任せて、輝巳自身は甲板に上がり、ジェットスキーの捜索に当たって下さい。

 遊は引き続き艦内の生存者の捜索と、殲滅に当たって下さい」

 輝巳と遊が「りょーかい」と答える。

 輸送車両の間に死体の横たわるドック内を戻る。

 念のため、車両の下ものぞき込み、隠れている敵性乗組員がいないか確認する。

 入る時に蹴破った扉を通りすぎ、狭い艦内に戻る。

 艦内の階段は細く華奢で、あらかた踏みつぶしてしまっているため、一階ごとに飛び上がって上に戻る。

 回転翼機の格納庫に戻り、積み重なる死体を見つけると呟く。「なんか、あっという間だったような、凄い遠くに来てしまったような、何とも言い切れないこの気持ちは、なんだこれ?」

 遊が通信してくる。「だな」

 宇が割り込んでくる。「ごめん」

 輝巳が答える。「どした?」

 「おれ、一人しか相手してない」

 再び輝巳が答える。「でも、割り切るしかないようなこの後ろめたさは、きっと一緒だろ?」

 「うん」

 「さてっと、帰りの足はあるかな?」

 破って入ったシャッターをくぐり、後部飛行甲板に出る。

 小走りに船尾に駆け寄ると未明の海を暗視スコープで見つめる。

 「無いなあ」

 信世が語りかけてくる。「帰りの足はこちらで用意することもできるんだけど、ラインメタルを回収したいのよね」

 「あー、なる。

 でも、何に使うの?」

 「領海内に入ってきてる船がいるのよ」

 「ちょっとまって、領海って何キロ」

 「約二十二キロ」

 「ぎりぎり、有効な弾が届くかどうか」

 「私達なら当てられるでしょ」

 「あ、見つけた」

 輝巳は、少し離れた波間に見え隠れする水上オートバイをカメラに映す。

 「あそこまでなら飛べるな」

 昼の光の元であれば、輝巳の足底と背嚢のノズルから、黒い影のような光条が吹き出す様が目に映ったかも知れない。

 フッ、と輝巳をつつむ一八式が浮かび上がると、まっすぐに水上オートバイの上に進み、一度勢いを殺してから、上から下へと降りる。

 エンジンを始動させる。

 信世から通信が入る。「輝巳、遊の分も探せる?」

 「りょーかい」

 「遊、艦内の捜索は切り上げて、艦首側の甲板に上がって下さい」

 「分かった」


 輝巳と遊が映し出す映像は、逐次米軍側、自衛隊側にも観測、共有される。

 中国人民解放軍海軍のドック型輸送揚陸艦と島側の陣地が無害化されたことが、日本国政府、米国政府に報告されると事態は一気に動き出す。

 今度は、米海兵隊、及び自衛隊側が先手を取る番となる。

 上陸部隊と連絡が取れなくなり、混乱を来す中華人民共和国側と対照的に、日本国政府は「人道的見地に基づき、我が国国土にて発生した遭難者の援助に速やかに向かう」と発表し、これに米政権が協力を申し出る。

 既に沖縄本島に駐屯する陸自の水陸機動団一個連隊が出動の準備に入り、海自からは訓練のため沖縄近海に出ていたおおすみ型護衛艦が輸送任務を担うこととなる。

 米海兵隊も部隊編成と揚陸艦の手配を平行して整えるなか、空では既に戦闘機によるスクランブル発進にそなえ、最新鋭国産哨戒機Pー1が鹿屋航空基地から東シナ海に上がる。


 二月二十八日午前七時三十分、時折雨が混じる曇り空、寒風吹きすさぶ島の山頂で、四人は次の指示を待つ間、頭部ヘルメットの両目から顎までをおおうフェイスマスクを跳ね上げ、下唇の下まで伸びた鎖帷子入りアンダーアーマーを首元までずらして下げ、適当な岩に腰掛けると、右腰部アーマーの内側から出した非常用携帯食を口にする。

 人の入り込まない原生林は青々と生い茂り水平線を視界から隠す。

 装甲服を着ていると、暑さ寒さはほとんど感じない。

 その分、冬の風が顔を刺す。

 輝巳が切り出す。「こんなに真剣な事をしでかして、オール、しちゃったねえ」

 堅剛が返事する。「むー。出撃前に興奮剤って渡されたけど、アレも効いてるんじゃないの?」

 宇が心配する。「あんなの呑んで本当に良かったの?」

 遊が答える。「アレは穏やかな方。

 ただ、眠れなくなるだけ」

 輝巳が続ける。「薬の効果もあるんだろうけどさ、いつもと違って、こんな風にもオールできるなんて、まだまだ若いって事かな?」

 遊が答える。「ふざけんな、俺たちゃもうジジイだ、ジジイ」

 「ジジイか、四月で俺、四十八だもんなあ。堅剛と宇はいま、部長さんだっけ?」

 堅剛が口を開く「水ある」

 輝巳は左の腰部アーマーの内側から、薄型の水筒を取り出す「全部いいよ」

 「俺は今次長」

 宇が答える「俺は担当部長」

 「そうだよなあ」

 宇が輝巳にたずねる「輝巳は今なにやってんの?」

 輝巳は、うつむいて足下に目線を固定しながら呟く。「主任。

 春から、颯太(はやた)が中学に上がるから塾に通わさないと行けないんだ」

 「お金掛かるよね」

 「せめて住宅ローンの負担だけ無くなれば、なんとかやってけなくはないんだけど、やって見たらちょっと、割に合わない作戦だったね」

 四人とも、自分がこの夜してきたことを振り返る。

 信世から通信が入る。

 「大枠の方針が決まったわ。

 陸自海自の混成部隊と、米海兵隊がもうそちらに向かう準備に入ってる。

 入れ替わりに、みんなには座間まで帰ってきてもらうことになるけど、その前にもう一仕事お願いできる?」

 宇が笑いながら答える。「こきつかうなあ」

 「接続水域と領海を出入りしている艦が幾つかいるのよ。それらの艦の固定武装を撃ち抜いて欲しいの」

 輝巳が突っ込む「それさ、堅剛の目を借りて、俺と遊くんがやるなら出来なくは無いとも思うけど、対艦ミサイルで処理できる事じゃないの?

 わざわざこのタイミングで、無理してAPFSDSで攻撃して、相手はどう思うだろう。

 結局、徹攻兵の存在を宣伝するんだとしたら、俺たちが今晩やったあの嫌な行為は何だったんだ?」

 「連絡の取れなくなった遭難者の支援に向かったところ、中国側からの攻撃がありやむなく反撃、敵性部隊は全滅、漁民はおらず、全て兵士だったことが判明、爾後、日米両軍は魚釣島を中心に暫定部隊を駐留、漁民保護の体制を維持するとともに、今後の体制維持のため独立した部隊の駐留を進める、というのが今描かれているシナリオなの。

 ここで追加の艦が来て、日米両軍と本格的なドンパチ始められたら元も子もないのよ。

 対艦ミサイルでは相手の被害も大きすぎる。

 船を沈められたら相手も次の手を打たざるを得なくなる。

 その点、戦車砲の砲弾なら上陸タイミングが早かったと誤認させられるし、武装の駆動部分だけ破壊して無力化できるでしょ。

 船は動くし退くしか無くなるわけ」

 堅剛が口を挟む。

 「そう、上手くいくかな?」

 信世が答える。

 「やる前から結果が見えていて事態が硬直する、のではなく、やって見ないと事態がどう変化するか分からない。

 そんな冷戦の構造を戦前に戻してしまうのが徹攻兵の存在でしょ。

 領海と接続水域の間を行ったり来たりしている分、相手にも迷いが見えるわ。

 ここで固定武装を失えば、みすみすやられるために突っ込んでこない、というのが作戦本部側の想定ね」

 遊が立ちあがる。「やろうか。

 信世のいうことも一理ある。弾も残っているしできるだけのことはやって、引き上げよう」

 「りょーかい」

 輝巳もそういうと、堅剛と宇も立ちあがる。食べ終わった空箱を、腰部装甲の内ポケットにしまうと、鎖帷子を唇の下まで上げ、前面に跳ね上げたマスクとゴーグル部分を下におろし、顎下の留め具をはめる。

 一人堅剛だけは、「こんな長距離だと直接見た方がいいから」とフェイスマスクを跳ね上げたまま移動を始める。「ちょっと、見晴らしのいいところ探してくる。信世、どっちの方角なの?」

 「島の南南西二十二キロといったところかしら」

 「むー、あんまり降りすぎても見えない」

 「そうね、ええと、海面から六十メートルは欲しいところ」

 「だいたい、南南西ってどっちなんだよ?」

 「そこはゴーグル使った方が、諸元を得られるわね」

 「むー」

 堅剛は仕方なくフェイスマスクを下げて方角や高度、傾きなどを確認しながら位置を探す。

 何度も、ゴーグルを下ろしては方位を確認し、フェイスマスクを上げては目を凝らす。「あ、見つけた、むー、一、二、えーと、三隻でいいのかな?」

 信世が答える。「はい。こちらの情報と一致します」

 「どういう艦かの情報はわかる」そういいながら堅剛は、今一度フェイスマスクを下ろす。

 「フリゲート艦が二隻、挟まれるようにして揚陸艦が一隻と推察されます。

 それぞれの艦上構造と固定武装の位置を送ります」

 堅剛はヘッドマウントディスプレイの視界の右下に現れた二つのアイコンの一つを見つめると、視線を正面に戻す。

 視線の動きに合わせて視界右下から視界前面にフリゲート艦の艦上構造を示す図が拡大される。

 残弾はラインメタル六本、合わせて二十四発、一艦に使える弾は八発。

 フリゲート艦の主目標は艦首の百ミリ単装速射砲、対艦ミサイル防御のCIWS、舷側の対潜装備は怖くないとして、問題は甲板上に水平に設けられたミサイルハッチ。

 少しでも高度を稼いで、斜め上から残りの六発を撃ち込めば、ミサイルの誘爆は無くともミサイル頭部のレーダー部分を無効化できる、か。

 画像右上の閉じるアイコンを見つめて右下に視線を送るとフリゲート艦の画像を最小化し、今度は揚陸艦の画像を同じ要領で拡大する。

 艦級自体は、昨晩強襲した揚陸艦と同じ構造だ。

 艦首甲板の七十六ミリ単装速射砲一門と、対艦ミサイル防御のCIWSの四門が主目標になる。

 残りの三発は回転翼機の格納庫に撃ち込んで、万一飛び上がってくるのを牽制すればよい。

 そこまで整理するとフェイスマスクを押し上げて、遊と輝巳に呼びかける。「遊くん、輝巳、いつもの山岳戦の要領で行くよ」

 「了解」

 「りょーかい」

 「ちょっと遠いから、集中してやった方がいい。一人ずついこう。まずは輝巳からいこう」

 信世が割ってはいる。「現在、マルナナヨンハチ。徹攻兵、ラインメタルによる対艦攻撃を開始します」

 輝巳が思い出す。「そうか、教育効果もあったね」

 信世が割り込む。「それはこちらでフォローするから、輝巳は射撃に集中して」

 「りょーかい」

 堅剛が声をかけてくる。「輝巳、行くよ」

 堅剛が、目を凝らす。輝巳がラインメタルを抱えたまま跳躍すると、垂直に発射された弾丸のように上昇する。

 八十メートルほど浮上したところで上昇速度が止まる。

 そこで足底と背中から黒い影のような光条が吹き出すと滞空が始まる。

 輝巳は一つ考えるように目を閉じると、堅剛から目標の意識をもらい、目を開き発射する。

 放たれたAPFSDS弾は装弾筒が落下すると弾体だけが毎秒一・六キロの速度で飛翔する。

 その間、空気の抵抗、海風の影響、重力の影響も受けながら飛翔し、約十四秒後に隊列を組んで遊弋する先頭のフリゲート艦の主砲本体に着弾する。

 その頃には輝巳の体も落下してきており、最後に、黒い光条を吹き出して落下の速度を弱めると、着地する。

 堅剛が声をかけてくる。「つぎ、遊ね」

 「あいよー」

 遊が飛び上がる。輝巳と違うのは、滞空の時に放たれる光条の色が紫色であること。

 放たれたAPFSDS弾は、吸い込まれるように最後尾のフリゲート艦の主砲を射貫く。

 「つぎ、輝巳」

 と、交互に攻撃を繰り返す中、キャンプ座間の指揮所では信世が居並ぶ徹攻兵達に教育を施す。

 「九八式でも十メートルくらいは飛び上がれるようになるけど、一八式だとおよそ八十メートルの高度が稼げます。これを利用して、山岳地帯などでは稜線越しの直接射撃も可能となります。

 ただ、姿勢の安定のためにも光条を噴出して滞空することもあり、感覚による目標の『感測』には別の徹攻兵の力を借りた方が安定します。

 通常であれば一班、二名一組体制で感測者と射撃手に分かれますが、今回の場合は超遠距離という特性もあり、特に感測に優れた堅剛に感測役を任せました。

 皆さんが着用する装甲服の世代を上げるのは百回の訓練ではありません。

 百回の訓練に裏打ちされた一回の感覚の目覚めがそれを可能にさせます。

 どうかこの戦闘を通じて皆さんの一人でも多くに目覚めが兆すことを期待します」

 ちょうど、宇が二人の動きを追うように観察しているため、多くの視線が宇のカメラを映すモニターに注がれる。

 輝巳も遊も一門四発を打ち切り、次の砲に持ち替えて射撃を続ける。

 画像には映らないが、感測を研ぎ澄ます堅剛の脳裏には、着弾の様が思い浮かぶ。

 予想外の攻撃に、船上ではダメージコントロール班が走り回るが、正確な射撃はそれを意に介さない。

 こうして、全ての弾を撃ち終えると、五人の、長い長い夜が終わった。

 宇が信世にたずねる。「もーいーよね?」

 「はい、現在、マルハチマルヨン、全ての攻撃行動を終えたことを確認しました。

 各自、ジェットスキーに戻り、沖合の護衛艦に帰還して下さい」


 北の浜に着岸した輝巳、遊と、南の崖に着岸した堅剛、宇は一旦離れる。打ち終えたラインメタルは、輝巳と遊で手分けして北の浜に運び、回収は本職に任せることにした。

 輝巳と遊が水上オートバイにまたがって二人を待つと、島を回って堅剛と宇が姿を見せる。

 四人、揃うと遊が切り出す。「あのさ、手だけでも、合わせていかないか?」

 宇がうなずく。「そうだね」

 四人とも顎の留め具を放し、ゴーグルとマスク部分を上に上げると水上オートバイの上から沈黙する揚陸艦と島に向かって両手を合わせる。

 堅剛が切り出す。「行こうか」

 こうして、魚釣島を後にする。折しも嵐は去り、雲は切れ青空が広がり、朝日が四人の徹攻兵を照らした。


 護衛艦からの戻りは早かった。

 翌、三月一日の月曜日の仕事を気にした輝巳の意見に反対するものはなく、護衛艦からヘリコプターで那覇へ、那覇から厚木へ、厚木から座間へ、日曜日の午後十五時には出発時に預けた荷物を受け取ると、車で、小田急線の駅まで送り出してもらう。

 細かい事務手続きは全て信世に任せ、残った手続きはまた時間のある時に座間に立ち寄ることにした。

 新宿までは四人同じ道のり。新宿で分かれると輝巳は池袋から東武東上線に乗り換え自宅に向かう。

 途中、妻の莉央には出張が思いの外早く終わったことを告げていたので、暖かく迎え入れられる。

 「大変だったね急な出張で。代休はとれるの?」

 「うん、それが月をまたいじゃうこともあって代休は取れないんだよ」

 「えー、大変。でも、有給沢山有るんだから、使っちゃいなよ」

 「うん、そうだね」と力なく返事。

 出張中は睡眠時間ほとんどとれて無くて、と食事もそこそこに布団に潜る。


 明けて月曜日

 朝一で抗うつ剤とステロイドホルモンの錠剤を飲むと電車に乗り込む。

 普段と変わらない日常。

 本当に、あんな大それた事をしたのかと疑う気持ちを抱きながら、月初の手続きを進めていると、新任の内藤部長から「ちょっと午後面談できる」と声が掛かる。

 突然の呼び出しなんて何だろう。良い話しか悪い話しかと思いを巡らせるとぴんときて人事システムを確かめる。

 なけなしの主任の肩書きが外れていた。

 内藤部長の話はこうだった。

 「尾形さんの降格の話しは半年前から決まっていた。

 前の部長からの定時面談の際に説明があるはずだったが、人事システムに通達登録がないので確認したら『内藤さんから伝えると思っていた』との話しだった。

 申し訳ないが、いまの尾形さんの働きぶりでは主任を維持できない。

 仕事が合ってないと思うので担当替えをする」

 ショックだった。

 面談を終え、作業に戻り、一段落を付けると喫煙室に向かう。

 勤務中だけ、どうしてもたばこに頼ってしまう。

 同世代が部長だ事業部長だと出世する中、一向に認められず主任止まりの劣等感を拗らせて鬱病を患っていた。

 それが、そのなけなしの主任の肩書きまで外されて一介の平社員の扱いになる。

 「俺、この国を救ったんだよな?」

 神様、これがその仕打ちですか。

 と、信じもしない神に呟くと煙を吐いた。

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