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悪役令嬢の配役

作者: シュウ

「では次、ミシェル嬢、くじを引いて下さい」


 私は胸の前で両手を組んで祈った。お願いします、裏方で…………。

 主な配役は僅か5名しかないのだ。殆どは裏方だから大丈夫。

 

 恐る恐るロートレック様が差し出した箱の中に手を入れた。

 折り畳んだ紙が幾つも手にあたる。私は箱の中をかき回して徐に一つ選んだ。

 

 ドキドキしながらロートレック様に渡すと、彼は折り畳まれた紙を丁寧に開いていった。

 裏方裏方…………。


「あー、ミシェル嬢は『悪役令嬢』に決まりです」


 視界の端でカトリーヌ様が口の片端を器用に持ち上げてニヤリとされるのが分かった。教室からはざわめきと共に拍手が聞こえてくる。

 私は固まったまま動けなかった。

 無理……だわ、どうしましょう。




 ここは王都にある貴族の令息令嬢が通う学園。

 時には王族も通う華やかな場所。


 毎年行われる芸術祭。出し物は合唱、演奏、そして馬術等クラスによってジャンルは様々だ。私たちのクラスはその中でも人気の高い演劇をすることになった。


 今日はその配役を決めるためのくじ引きが行われていた。

 主な配役は5名で最後の悪役令嬢が、たった今、私に決まった……。


  一、第一王子アレックス―――ドーヴェルニュ公爵家シャルル様

  二、宰相子息ポール  ―――シャティヨン侯爵家ロートレック様

  三、騎士団長子息ジャン―――タイユフェル伯爵家ヴィクトール様

  四、公爵令嬢ヴァネッサ―――アンジュー侯爵家カトリーヌ様

  五、悪役令嬢ルイーズ ―――私、ヴェルジー伯爵家ミシェル


 当然この配役以外にも端役はあるが、残りの人は背景を書いたり小道具を揃えたりシーンに合わせて照明を切り替えたりという裏方に回る。


 シナリオは巷で人気だという本を題材にした断罪物。


 第一王子の婚約者が嫉妬に狂い可憐なヒロインを虐める。見かねた宰相子息や騎士団長子息はヒロインの窮状を第一王子に訴え、その結果、婚約者は卒業式に断罪され婚約破棄されるという物語だ。


 貴族が貴族を演じて何が面白いのかと思われるかもしれない。だが貴族社会に置いて決められた立場以外の身分になれるという機会は普通ない。つまり演じるという事は仮面舞踏会に参加するような、言わば非日常を楽しむためのちょっとしたスパイスなのである。

 

 授業も終わり暗い気持ちのまま教室を後にした私は、とぼとぼと馬車寄せに向かって歩いていた。親友のフランソワは「な、何とかなるわよ」と慰めにもならない声を掛けてくれたけど……。


 はぁ。


「どうしたの? ため息なんてついて」


 突然声を掛けられて私は肩をビクッとさせた。

 端正なお顔立ちを曇らせて、私の顔を覗き込んだのは第一王子役のシャルル様だった。


「シャルル様!? いえ、演劇のことで少し……」

「あぁ、悪役令嬢に選ばれたことかい?」

「私、自信がなくて……。すみません。せっかく皆さんで決めた演劇ですのに」


 シャルル様は顎に手をやり小さく「そうだな」と呟くと、私に提案を持ち掛けた。


「じゃあ、練習しようか」

「練習ですか? それはクラスでやる事になっております」

「あぁ、それはそれだよ」

「あの?」

「二人だけで練習しないかってこと」

「!?」


 シャルル様は何をおっしゃってるんだろう。二人だけで練習って。


「二人で台詞の読み合わせをしてお互いにアドバイスし合えば、より良くなると思わないかい? それに不安も解消されるだろ?」

「でも、シャルル様にご負担をおかけするわけには……」

「ミシェル嬢は第一王子の婚約者だって設定忘れてしまった?」


 確かに悪役令嬢は第一王子の婚約者という設定であるのだが、私のという訳ではない。


「いえっ、忘れてはおりませんが」

「なら問題ないんじゃないかな? 今日から早速始めようか、婚約者殿?」


 抗議のつもりで言った私の言葉など耳にしていないかのようににっこりと笑ったシャルル様は私に手を差し出した。


「えっ?」

「早くしないと置いて行くよ」


 差し出していた手を突き出して早くしろとばかりに催促するシャルル様に困惑しつつも手をそっと重ねた。

 シャルル様は私の手を優しく引くと自分の腕に絡めて歩き始めた。


「あの、シャルル様。練習はどちらで?」

「ヴェルジー伯爵家でどうだろうか?」

「えっ? うちでございますか?」


 シャルル様と一緒に馬車寄せに着くと、シャルル様はヴェルジー家の馬車に先ぶれを依頼して帰してしまった。ドーヴェルニュ公爵家の馬車にエスコートされた私は、シャルル様と向かい合わせに座った。内装は煌びやかというよりは品の良い落ち着いた印象で、クッション一つとっても上質な物だという事が分かる。

 シャルル様が合図されると馬車は滑るように走り出した。


「ミシェル嬢、ヴェルジー伯爵がご在宅ならご挨拶させてもらえるかな」

「えっ、それはもちろん構いませんが」


 満足そうに微笑まれたシャルル様のお顔が思った以上に近くにあって私は顔が熱くなった。プラチナブロンドの髪と深い海のような瞳。どことなく見覚えのあるお顔立ちなのだが……よく思い出せない。


「ミシェル嬢は、最近はコート地方の領地には行っていないの?」

「コート地方のですか?」


 何故シャルル様はコート地方の領地のことをご存知なのだろうか? あそこは飛び地になっていてヴェルジー伯爵家の領地があることを知っている人は少ない。


「海が近いのでとても好きな所なのですが、勉強の方も色々ありまして何年も行っていませんでした。懐かしいですね。そう言えばよく遊んで下さるお友達がいたんですよ。そのうち見かけなくなってしまって」


 同じぐらいの年齢の男の子だった。とても綺麗な顔立ちだったのでお人形みたいだと思った覚えがある。確か私が領地に行かなくなる少し前に、その男の子は姿を現さなくなっていた。


 シャルル様は「そう」と小さく呟くと、静かに私に微笑んだ。




 ドーヴェルニュ公爵家の馬車がヴェルジー伯爵家の玄関に横付けされた。

 お父様、お母様、それに妹まで……家族総出でお出迎えをしている様に頭が痛くなる。


「お待ちしておりました、シャルル様。ようこそヴェルジー伯爵家へお越しくださいました」

「わざわざお迎え頂き恐縮です。ドーヴェルニュ公爵家のシャルルです」


 お父様とシャルル様がご挨拶を交わされる間、お母様は興味深々な様子で私に視線を投げかけてきた。人見知りの激しい妹のステファニーはお母さまのドレスの陰からシャルル様を覗いている。


 お父様がシャルル様をご案内して屋敷に入って行った。制服を着替えようと部屋に向かう私にお母様と妹が付いて来た。


「シャルル様もついにねぇ」

「お母様?」

「いいえ、楽しみなさい。ミシェル」


 笑っているお母様の後ろをちょこちょこと付いて歩いていたステファニーはくりくりとした目で私を見上げた。


「お姉様、シャルル様は王子様なの?」

「ふふふ。ステファニー、そうかもしれないわね」


 ステファニーが顔を輝かせた。

 年の離れたステファニーにしてみるとシャルル様は王子様にしか見えないのだろう。


「でもステファニー、王子様はお忍びだから内緒ね」


 私が唇の前で人差し指を立てると、ステファニーは真剣な顔をしてこくこくと頷いた。




 少しお待たせしてしまったかしらとサロンに急いだ私だが、お父様と一緒に執務室から出て来られたシャルル様にちょうどお会いした。


「良かった。お待たせしてしまったかと」

「いや、大丈夫だよ。ミシェル嬢。それではヴェルジー伯爵、よろしくお願いします」


 お父様はにこやか微笑んでに頷いた。




 早速サロンで台本の読み合わせを始めた。

 とは言っても二人が一緒に出る場面はあまりにも少ないため、主に私の台詞を中心に聞いて頂く事になった。


『あなたにそんな綺麗なドレスは必要ございませんわ。これぐらいがお似合いでしてよ。おーーーーっほっほっほっほっ』


『如何にも勉強しているような素振りでアレックス殿下の気を引こうなんて、見え透いてますわ。あなたには教科書より絵本の方がお似合いですわ』


『いつまで殿下の周りをうろついているつもりなのです。本当に邪魔だこと』


 台詞を言っているだけだというのに、とても疲れてくる。


「ミシェル嬢、少し休もうか」

「はい、シャルル様。私の練習にばかり付き合って頂いて申し訳ございません」


 シャルル様は気にする必要はないと言いながら、このシナリオの悪役令嬢について私がどう思っているか聞いてきた。


 私にとってはヒロインに投げかける罵詈雑言が悪役令嬢の全てである。結局は自分の行いで断罪されてしまうのだ。私が先ほど声に出した台詞は傍で聞いて気持ちのいいものでは決してない。自分の理解を超えるものであり、だからこそ悪役令嬢に決まった時に無理だと思ったのだ。答えの出ない私にシャルル様は重ねて質問してきた。

 

「ミシェル嬢にとって婚約者ってどういう存在かな?」

「婚約者ですか……」


 シャルル様が私のことをじっと見つめた。

 私に婚約者はいない。お父様から特にうるさく言われたことはなかったが、私と妹しかいないヴェルジー伯爵家である。私に婿養子でもとるのだろうと漠然と思っていた。

 改めて婚約者について考えてみようとするが、全く現実味が湧いてこない。やはり婚約者という存在そのものに理解がないことは明らかだった。


「悪役令嬢のルイーズは断罪されるかもしれないけれど、アレックス殿下の婚約者だったんだ。だから、婚約者という存在を先ずは理解していってみようか」


 私はシャルル様の言葉に目を見開いた。シナリオではヒロインが悪役令嬢からの仕打ちに耐え抜き健気に頑張る様に重点が置かれているため、それ以外の視点での描写が少ない。

 確かに悪役令嬢のルイーズはアレックス殿下の婚約者だったのだ。ルイーズにとって婚約者とはアレックス殿下とはどういう存在であったか分からなければ、彼女の発する罵詈雑言を理解することは出来ないだろう。


「でも、どうしたら……」

「簡単なことだよ。私がアレックス殿下なんだよ。ルイーズの婚約者だ」


 肩をすくめてくすりと笑ったシャルル様に困惑しつつも私は「はぁ」と小さく呟いた。





 その次の日から何故かシャルル様は学園への送り迎えをして下さるようになった。

 学園中が騒然となったのは言うまでもない。

 

「一体何があってこうなったの?」


 それでなくても大きな目が零れんばかりに見開いた親友のフランソワは学園に到着早々私に詰め寄った。


「違うのよ、フランソワ。これは演劇の練習の一環というか……」

「演劇? だってミシェルは悪役令嬢でしょ。それなのに何で仲良くしてるのよ」

「私もよく分かっていないの。そういえば、フランソワには婚約者っている?」


 突然婚約者の話を振られるとは思っていなかったフランソワは「一体何の話よ」と咎めつつも、実は自分には幼い頃に決められた婚約者がいることを教えてくれた。親同士が決めたことであり口約束であったため、年頃になってお互いが良ければということだったらしい。

 最近カロリング国で婚約が決まっていなかった第二王子と第三王子が相次いでお相手を決められた。それまで王子狙いであった年頃の娘を持つ貴族がこぞって新たな嫁ぎ先を探し始めた。

 そのためフランソワの婚約話も急に現実味を帯びてきたということだった。


「それでお会いしたことはあるの?」

「会うもなにも、幼馴染なのよ」

「えっ、それって……お相手はロートレック様なの!?」

「そういうこと」


 ロートレック様とフランソワは王都にあるお屋敷の敷地が隣り合っているため、常日頃行き来が多いようだった。

 新鮮味に欠けるわよねと言いながら微笑んだフランソワの顔は何だかいつもより輝いて見えた。婚約者がいるってこういうことなのかしら。


 その時私に何かが強くぶつかってきて、私はそのまま廊下に倒れこんでしまった。

 痛っ……。

 そこに甲高い声が響き渡った。


「酷いですわ。そちらからぶつかって来たのに、さも自分が被害者みたいな振りをなさるなんて」


 ぶつかられたのは私だと思っていたのだが……。

 身を起こしてみると、声の主は廊下に倒れた姿勢のまま顔を上げて、恐ろしいものでも見たかのように震えているカトリーヌ様であった。

 

 学園の生徒たちは何事かと遠巻きに眺めている。


「ご自分が悪役令嬢役だからって、ヒロイン役の私を妬んでらっしゃるのね」


 カトリーヌ様が薄っすらと涙を浮かべた姿に周りから「悪役令嬢ですって」と囁く声と共に侮蔑の視線が私に向けられた。

 何事が起きているのかと呆然としていると、倒れるカトリーヌ様にロートレック様とヴィクトール様が手を差し伸べた。カトリーヌ様は嬉しそうな笑みを浮かべ、何事もなかったかのように立ち上がる。


「ミシェル様、あんまりですわ」


 カトリーヌ様はハンカチで目元を押さえるとそのまま立ち去っていった。取り残された私に手を貸してくれたのはもちろん親友のフランソワである。


「ミシェル、怪我はない? あれ、何なのかしらね? 一人芝居なの?」

「えっ、ええ。怪我はないみたい……」


 私は遠ざかるカトリーヌ様と護衛のように付き従うロートレック様とヴィクトール様の後ろ姿をずっと見ていた。


 


 その日の帰りもシャルル様と一緒に帰った私はヴェルジー邸のサロンにいた。

 俯き加減の私にシャルル様は苦しそうな声で言った。


「怪我がなくて良かった」


 私はハッとして顔を上げた。


「カトリーヌ様との件をご存知なのですか?」

「あぁ、ロートレックから聞いたんだ」

「そうですか……。すみません。私……」

「ミシェル嬢は何もしていないだろ? 婚約者なのだから、何でも話して欲しい。我慢することはないんだ。大丈夫だよ」


 婚約者という言葉を否定しなくてはと思っていたのに、余りに優しい声で言われたものだからつい涙が零れてしまった。自分で思っていた以上にカトリーヌ様の発言に傷付いていたらしい。

 長椅子に座っていたシャルル様は自分の隣をぽんぽんと叩いて、私の手を軽く引いた。シャルル様は私が隣に来ると私の頭を自分の肩にもたれ掛けさせた。


 少しぐらい甘えてしまってもいいだろうか。私は止まらなくなってしまった涙が落ち着くまでシャルル様の肩をお借りした。






 今日は学園の講堂を借りてクラス練習を行っている。場面は第一王子が自分の婚約者に虐められて疲弊するヒロインを慰めるというものだ。


『アレックス殿下。私、もう辛くて……』


 しな垂れかかるカトリーヌ様の肩に手を置くシャルル様。


『ルイーズに何をされた』


 シャルル様の凄みを押さえた低い声が響いて、これが芝居だと分かっていつつも皆引き込まれていく。


『絵本の方がお似合いよと教科書を破られたたり、ドレスにインクをかけられたり……』

『本当なのか、ポール、ジャン』


 振り返って鋭い視線を飛ばしたシャルル様に、ロートレック様とヴィクトール様が強く頷いた。


『殿下、残念ながら事実です。ルイーズ様は事あるごとにヴァネッサ嬢を虐げております。最近では益々過激になってきており我々だけでは止めようがない状況です』


 側近二人からの報告に眉をひそめたシャルル様は、カトリーヌ様に優しく声をかけた。


『ヴァネッサ嬢、よく話してくれた。辛かっただろう。もう大丈夫だ』


 以前シャルル様が私にかけてくれた大丈夫だよという言葉と重なった。その言葉が私以外の人に向けられている……。

 隣に立っていたフランソワが私の手をぎゅっと握った。

 私はシャルル様からそっと視線を外した。






 今日もヴェルジー邸のサロンで、今まで何度となく行われた台詞の読み合わせをしていた。


「大分よくなってきたね。台詞は自然な感じになってきている。あとは感情が付いてきたら完璧かな」

「感情ですか……」

「ミシェル嬢。最初に聞いたけれどミシェル嬢にとって婚約者ってどういう存在かな?」


 婚約者というものがどういうものかは分からないままだったが、少し輝くような笑顔を見せるようになった親友のフランソワのこと、いつも見守ってくれているシャルル様のこと、そしてそのシャルル様が他の人に向ける優しさを見た時視線を外したことを思い返す。


「もしその婚約者のことをお慕いしているのであれば、その方を思って素敵な笑顔にもなりますし、一緒にいれば心安らぐでしょう。ですが、その方が他の方に目を向けているのを見たら……」

「ミシェル嬢、それが感情だよ。人を想うという気持ちはとても厄介なものだ。その気持ちを台詞に込めればいいんだよ」


 淡々と教えて下さるシャルル様が随分と大人に見えて、今日は遠い存在のように感じた。






 こうして段々と複雑になっていく私の気持ちとは関係なく、クラスの練習もシャルル様と二人きりの練習も順調に進んでいった。

 シャルル様はやはりお芝居が上手かった。もともと公爵家の嫡男として人を惹き付ける要素をお持ちなのだろう。それがお芝居にも遺憾なく発揮されていた。周りもシャルル様に触発されて演技に磨きがかかっていった。


 一方、カトリーヌ様からの私への当たりも激しくなっていた。

 最近では、ヒロイン役であるカトリーヌ様を妬んでいるんでしょうという言い掛かりではなく、伯爵令嬢に過ぎない私が公爵子息であるシャルル様と行動を共にしていることを蔑むものになっていた。


 ある日私が先生に頼まれて授業に使った本を資料室に運んでいた時であった。私の額に何かが飛んできた。驚いた私はバランスを崩し、上っていた階段を踏み外してしまった。

 

 落ちる……。


 目をつぶったが、落下する感覚はやってこない。


「大丈夫ですか? ミシェル嬢」


 私を階段の下から支えてくれていたのは、ロートレック様とヴィクトール様だった。隣にはフランソワもいる。


「あっ、ありがとうございます。少し目眩がしたみたいです」


 顔を顰めたヴィクトール様は私の代わりに本を持つと「返しておきますから」と言って資料室に向かってしまった。

 私は周囲を見回して額に飛んできたものを探してみたが、特に何も見つけられないままフランソワとロートレック様と共に教室に戻った。


 まさか、カトリーヌ様が……。

 流石に階段から落ちたら怪我は覚悟しなければならなかっただろう。人の気持ちはやっかいだとシャルル様は言っていたけれど、カトリーヌ様がそんな事までする筈はない。私は頭を振って、自分の愚かな考えを振り払った。





 いよいよ明日が芸術祭という日。

 学園裏の庭園にある四阿に私を呼び出したカトリーヌ様は、私を指差して高らかに言った。


「いつまでシャルル様につきまとっているつもりなの。あなた邪魔なのよ」


 あぁ、それは悪役令嬢のルイーズがヒロインのヴァネッサに言う台詞だ。


「あなたシャルル様の婚約者気取りですの? 身の程をわきまえたらどうなの」


 一度言葉を切ったカトリーヌ様は、直ぐ次を続けた。


「ドーヴェルニュ公爵家とアンジュー侯爵家で内々に婚約の話を進めているのです。ミシェル様、あなたの出る幕ではありませんわ」


 カトリーヌ様とシャルル様が婚約……? そう、違う。確かに私はシャルル様の婚約者なんかじゃない。

 私は踵を返すとその場から逃げ出した。

 

 シャルル様は今日はご予定があるということだったので一人でヴェルジー邸に戻った。カトリーヌ様の婚約者だと知った今、一緒に帰ることはもう出来ない。ちょうど良かったのだ。

 どうせ明日が芸術祭だ。演劇が終わってしまえばもうシャルル様が私の送り迎えをする理由はない。


 一人にして欲しいと部屋に入った私は着替えもしないままソファーに深く腰掛けた。

 カトリーヌ様がシャルル様の婚約者……。そうか、だからあんなに必死になって私を牽制していたのか。カトリーヌ様にとって私はまさに婚約者にしな垂れるヒロインだったのだ。


 何かがすっと腑に落ちた。


 前にシャルル様に話したが、お慕いする人のいる気持ちは前より分かるようになっていた。そして嫉妬という気持ちも。

 悪役令嬢は悪役になるべくしてなったのではなかったのだ。カトリーヌ様も……。


 シャルル様は私が演じるにあたり、こうした悪役令嬢の気持ちを理解しやすいように婚約者を演じて下さった。気持ちを理解した上で発する台詞には真実味が増すから。そう全ては演劇のため。


 シャルル様のお気持ちをありがたいと思う反面、自分はシャルル様の婚約者じゃないと改めて突き付けられたようで胸が痛くなった。

 

 コンコンコン


 ノックの音に顔を上げる。一人にして欲しいと言っておいたのに誰だろう。


「誰?」

「お姉様いますか?」


 立ち上がった私がドアを開けるとステファニーがいきなり抱き付いてきた。

 私はステファニーを抱っこすると頭を撫でてあげる。


「お姉様、今日は王子様は一緒じゃないの?」

「そうね。もうここへはいらっしゃらないのよ」


 腕の中のステファニーが大きく目を見開いて、私の頭をよしよしと撫でた。


「お姉様寂しくないよ。ステファニーがいるから」


 私は「ありがとう」と言うと、そのままステファニーの首元に顔を埋めて静かに泣いた。








 芸術祭本番。舞台はクライマックスを迎えていた。

 壇上ではアレックス殿下がルイーズを正に断罪するところだ。


『ルイーズ、貴様は第一王子の婚約者という立場でありながら、ヴァネッサ嬢を虐げていたばかりかあまつさえ殺そうした。貴族の風上にも置けない所業だ』


 シャルル様が刺すような視線で私を見下ろしている。

 嫌! そんな目で私を見ないで!


『貴様との婚約を破棄する! 貴様を貴族籍はく奪の上処刑する』


 私からシャルル様を取り上げないで! カトリーヌ様に目を向けないで! 思いが溢れて止まらない。あなたと共にいたい……。私は滂沱の涙を流しシャルル様に縋りつく……が、ロートレック様とヴィクトール様によって引き剥がされる。

 届かない思いが絶叫となって発せられた。


『嫌ーーーーーーっ。アレックス様ーーーーーーっ』


 私のいなくなった舞台ではシャルル様とカトリーヌ様が寄り添っていた。


『ヴァネッサ嬢、貴女を私の婚約者とする』




 照明が落ちて幕が下りる。

 幕の向こうからは割れんばかりの拍手が鳴り響いていた。


 クラスの皆が一丸となって取り組んだ演劇は漸く幕を閉じた。先ほどから止むことのない拍手が上手くいったことを教えてくれた。皆称え合って喜んでいる。


 芸術祭の最終出し物であった演劇も終わり、後は広間で表彰式を兼ねて父兄も参加するパーティが行われるだけである。


 そっと講堂を後にした私は、昨日呼び出された四阿に向かった。周りを見回して人のいないことを確認した私は椅子に腰かけた。

 カトリーヌ様といた時には気が付かなかったが、四阿の周りには小さな花々が咲いており甘い香りを漂わせていた。差し込んでくる夕日に長く伸びる自分の影を見つめる。


 私は自分の中にこんなにも人を想う激しい感情があったことに驚いていた。

 これが恋というもの……。でも恋だと分かった途端失恋した。カトリーヌ様と婚約されるシャルル様との接点はもうないだろう。


「こんなところにいたんだね」


 聞き間違えようのない声に振り向く。


「シャルル様……」

「探したよ」

「…………」


 私が言い淀んでいると、カトリーヌ様がつかつかと歩いてきた。


「シャルル様、お探ししておりましたわ。婚約のお話お聞きになってますでしょ? さぁ、パーティ会場まで参りましょう」

「あぁ、カトリーヌ嬢。ごめんね。私にはもう決まった人がいるんだ」

「えっ? 決まった人って……。だってお父様から正式に婚約の話を進めさせて頂いていたはずですわ」

「それならお断りさせてもらっていると思うよ」

「でも、わたくしは聞いておりませんわ」

「だって、私は昔からヴェルジー伯爵家に婚約の打診をしているからね」

「へっ?」


 そこへ青い顔をしたアンジュー侯爵様がお見えになった。侯爵様はシャルル様に気付かれると気まずそうな顔をして頭を下げた。そして娘の側に駆け寄り耳元で何事か囁いた。

 カトリーヌ様は真っ赤な顔で私の事を睨みつけると、侯爵様と一緒に四阿から出ていった。


「邪魔が入ってしまったね」

「あの……婚約の打診って?」

「ヴェルジー伯爵には君の許可がもらえたら構わないと言ってもらっているんだ。どうかな? 僕の婚約者になってくれるかい?」

「あの…………」


 シャルル様は「少し性急だったかな」と言って苦笑いすると説明してくれた。


 それによるとヴェルジー家の飛び地の領地の隣はドーヴェルニュ公爵家の領地だそうで、私が子供の頃に遊んでいたお人形のような子供はシャルル様だった。


「私はミシェル嬢のことがお気に入りでね、父上に頼んで婚約を打診してもらいに一緒にヴェルジー伯爵に会いに行ったんだ」


 でも隣国モラヴィアへの留学が決まっていたシャルル様に、お父様は言ったそうだ。

 留学して色々な事を学んでくれば視野も広くなり物の見方も変わってくるだろう。そうなってから、やはりミシェル嬢は要りませんと言われたらミシェルが傷付く。

 だから留学から戻って来られてもまだミシェルの事を望んで下さるのであれば、その時はミシェルの意志に任せる。それまでシャルル様の相応しいお相手になれるようヴェルジー家としてミシェルの教育は致しますので、今は許して頂けないかと言ったそうだ。

 シャルル様とヴェルジー邸に帰った日に、お母様が『シャルル様もついにねぇ』と言っていたのはそういうことだったのか……。


「納得してもらえたかな?」


 シャルル様が心配そうに私の顔を見る。


「でもシャルル様も第一王子のように私がカトリーヌ様を虐めていたと考えはしなかったのですか? カトリーヌ様が散々ヒロインを妬んでいると言いふらしてましたのに」

「それならロートレックとヴィクトールから報告を貰っていたからね。カトリーヌ嬢に非があることは分かっていたんだ」

「報告? 彼らはカトリーヌ様の味方ではないのですか?」


 驚いた私が訪ねるとシャルル様はカトリーヌ嬢の動向を見張らせていたと白状した。

 どうやらアンジュー侯爵は元々ドーヴェルニュ公爵家と縁を結ぶために裏で色々と工作していたらしい。カトリーヌ嬢にまで何かさせるとは思いたくなかったそうだが、配役決めのくじ引きで私が悪役令嬢になるよう細工していることを知って、万が一を考えてロートレック様とヴィクトール様にカトリーヌ様を見張らせていたとのことだった。


「階段から落ちかけたことがあっただろ? あれはアンジュー侯爵家が雇ったものが小さな氷の礫を君に投げたんだよ」


 ロートレック様とヴィクトール様に助けて頂いたあと周りを見渡したがそれらしき物は落ちていなかった。氷ならばあっと言う間に溶けて分からないだろう。


「ほんと質の悪いやり方だよ。ミシェルが怪我をしていたら只じゃおかないところだった。まぁお陰でアンジュー侯爵家を黙らせる事が出来たんだけどね」


 私の知らない所で昔から色々な事が動いていたことに、一人だけ蚊帳の外にいるような感じがした。

 それを察したかのようにシャルル様が真剣な顔付きになった。


「黙っていたのはミシェル嬢の父上も私もそしてロートレックやヴィクトールも、君に良かれと思っての事だ。君がどうでもいい訳じゃない」

「私シャルル様の事を本当にお慕いして、でもカトリーヌ様から婚約されると聞かされて……何も知らなかったから……私一人悩んで……」


 涙がぽたぽたと零れ落ちる。

 シャルル様は私を抱きしめると「すまない」と苦しそうに呟いた。


「ミシェル嬢。私が散々婚約者だと口にしてきたのは、演劇のためなんかじゃない。本当に自分の婚約者だと思って接してきた。お願いだ。私には君が必要なんだ。私の婚約者になってもらえないだろうか」


 シャルル様は私の背中をゆっくりと撫でてくれる。

 私は蔑ろにされていた訳ではない……本当にシャルル様と一緒にいていいんだ。

 私は小さく頷いた。

 シャルル様は私の耳元で「ありがとう」と囁いた。


 私を放したシャルル様は手を差し出した。

 それは悪役令嬢に決まった日に馬車寄せで見た光景と一緒で……。


「ヴェルジー伯爵に報告しに行こう!」

「はい」


 私はシャルル様が差し出した手にそっと自分の手を重ねた。

 シャルル様は私の手を優しく引くと自分の腕に絡めて歩き始めた。

お読み頂きありがとうございました。

誤字・脱字報告ありがとうございます。

名前ってどうなの……(汗)

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