act.8
花音がウィゼスのいるリース神殿へと赴くことになったのは、ルディアスが手紙を受け取った日から三日後のことだった。
もちろん花音だけで神殿に向かうことはできないため、ルディアスとキルスが同行するのだが、通例ならば国王であるルディアスが動くことはない。立場からすれば、むしろウィゼスが城へ出向くのが当然である。
しかし、そうならないのはこの訪問の目的が目的だからであろうか。
花音という存在の認知度は、未だ城内にのみとどまっており、公にはなっていない。不確定要素を表に出すことは危険だからである。しかし、花音が月女神の巫女であるという確証を得るためには自分達だけでは心許ない。そのためにウィゼスに協力を要請し秘密裏に事を進めようとしたのだが、リース神殿に保存されている月女神伝承に関する書物などは城に持ち込むことができず、ウィゼス自身もなかなか神殿を離れられないため、結果としてこちらが訪問するという形になった。
リース神殿は徒歩で行くには遠く、かといって馬車を使うほどでもない。そのため今回の移動手段は馬に決定したのだが、ここで問題がひとつ。
花音は馬に乗れないのだ。本物の馬を見たことすらないのだから当然であり、単独での騎乗は無理ということになる。
そうなると、誰かの馬に乗せてもらう他ないのだが――
「だからって……なんであんたとなのよっ!!」
半ば叫ぶように言いながら花音が指差した先には、今まさに鐙に足をかけようとしているルディアスの姿。ルディアスはその声を背に受けながら慣れた様子で馬の背に乗り、手綱を握りながらこちらを見下ろした。
「つべこべ言わずに早く乗れ。出発が遅くなるだろうが」
「……わかった。それよりさ、これどうやって乗るの?」
乗ったことがないからわからない、と花音は馬の鼻先を撫でながら馬上のルディアスを見上げた。
ルディアスの愛馬だという美しい毛並みの白馬。優しい性格なのだろう、初めて会うはずの花音にも大人しく体を触らせている。金髪碧眼のルディアスと相まって、まるで一枚の絵のようだ。
(かっこいいんだけどなぁ……でも性格がなー)
そう思いながら花音がルディアスをじっと見つめていると、ルディアスは眉をひそめてこちらを見下ろした。
「なんだ?アホ面してないで早く乗れ」
「ちょっと、アホ面って何!?それに乗り方がわからないってさっきから――」
「――おい、小娘。余計なことで陛下のお手を煩わせるな」
不毛なやり取りに痺れを切らしたのか、キルスが後方から花音の頭を鷲づかんだ。彼はどうやら一連の流れを黙って見守っていたらしい。花音は突然のことに一瞬びくりと体を震わせたが、すぐに頭上の手を振り払いキルスに向き直った。
花音の恨みがましい視線を受け、キルスはため息をつく。そして両手を腰に当てながら口を開いた。
「いいか、百歩、いや千歩譲ってその口の利き方は良いとしてもだ!陛下はお忙しい身でありながらお前のために時間を割いてくださっているんだ。余計なことで時間をとらせるな」
「そ、そうだけど。でもさ、ちょっと見てただけなのにアホ面って」
「陛下に対して敬意を持たないからそのような評価になるのだ」
「何それ……」
ふん、と鼻をならして腕組みをするキルスと不満そうな表情で彼を見る花音。それを馬上から眺めていたルディアスは、口端を上げにやりと笑った。
「そうだな。この俺をあんた呼ばわりするのはお前だけだしな、花音?」
ルディアスのからかうような台詞に、花音は頬を膨らませた。
「う、うるさい!第一、そのままでいいとか言ったのはルディアスでしょうが!」
「ふん、まあな……キルス、そろそろ発つぞ。準備をしろ」
花音の言葉を軽く受け流し、ルディアスはキルスに顔を向けた。キルスは軽く礼をすると、自分の馬を連れてくるため馬屋に戻っていく。それをただぼんやりと見ていた花音だったが、ルディアスに声をかけられそちらに視線を向ける。
視界に入ったのは、ルディアスがこちらに向かって手を差し伸べている姿だった。
「え……?」
「え、じゃない。乗り方がわからないと言ったのはお前だろうが」
主語がないためわかりにくいが、これは手を貸してくれるということなのだろうか。
そう考えた花音はわずかに逡巡したものの、やがて覚悟を決めてルディアスの手をとった。
次の瞬間、急激な浮遊感が花音を襲った。何が起こったのかを理解したのは、ルディアスの手によって馬上に引っ張り上げられた後のこと。
「わ……」
馬上という不安定な場所ゆえかなかなか体勢を整えることができず、花音の口から小さく悲鳴のようなものが上がる。ルディアスは自分の前に座る花音の腰に腕を回し、ぐっと自分の方に引き寄せた。
身じろぎすれば、花音の背中がルディアスの胸板にあたる。ルディアスに背中から寄りかかる形になったためぐらつきはなくなった。しかし、体が密着していることで気持ちが落ち着かず、自然と体がこわばってしまう。
「あ、ありがと……」
礼を言うと、後方からふんと鼻を鳴らす音が聞こえた。
ルディアスはそれきり何も言わず、その場に束の間の沈黙が下りる。腰に腕を回されたままの花音にとっては少々居心地が悪く、何か話題を提供しようと口を開きかけるも、ちょうど良くキルスが馬を引き連れて戻ってきたためあえなく失敗に終わる。
(うう、この手がなければまだ恥ずかしくないのに!いや、どっちにしろ恥ずかしいけど!……そうだよ、出発してから話しかければいいんだよ!よし、がんばれ自分!)
花音がそんな決意を固めているのを尻目に、ルディアスは片手で手綱を握り直し、馬の脇腹を軽く蹴った。応えるように、二人を乗せた馬はゆっくりと歩き出す。続いてキルスも馬を動かした。
しかし、馬はいつまでたっても速度を上げる気配を見せず、ルディアスやキルスもそれを急かす様子はない。不思議に思い、花音はルディアスに声をかけた。
「ねえ、なんでこんなにゆっくりなの?馬ってもっと早いものかと思ってたけど」
「俺は別に早くてもかまわないがな。それでお前の尻がどうなるかは知らん」
「尻?」
言っている意味がわからず花音が首を傾げていると、後方からキルスの声がとんできた。
「お前みたいな不慣れな者は、馬と動作を合わせられず体に負担がかかるんだ。速度を上げれば、臀部が鞍に強く打ち付けられる。それを防ぐためだ」
「そうだったんだ……ありがと。なんだ、優しいところもあるじゃん」
礼を言うも、ルディアスはそれを鼻で笑ってみせる。
「優しい、だと?単にウィゼスに会う前にへばってもらっても困るってだけだ」
「……ですよねー」
「不満そうだな。それとも――俺に優しくしてほしいのか?」
ルディアスはやや声を落とし、花音の耳元に口元を近づけた。
囁くような声音にぞわ、と鳥肌が立ち、花音は咄嗟に悲鳴を上げた。
「ひっ!?……キルスー!なんか身の危険感じるからそっちに乗せてー!」
「――は?」
虚をつかれたような声が聞こえたが、それを無視してなおも言い募る。
「あんたのほうがいろいろと安心できそうだから!」
「……意味がわからん」
「くくっ、おい、キルスが困惑しているぞ。諦めてこのまま乗っていろ」
困惑気味のキルスと花音のやり取りに笑みを浮かべ、ルディアスはさらに花音を抱き寄せる。
花音は恥ずかしさで顔を紅潮させ、少しでも離れようともがこうとするが、馬上でルディアスに支えられている以上、どうにもならず。
からかうルディアスとからかわれる花音。そして状況がわかっていないキルス。
この状態は、花音が疲れて反論できなくなるまで続けられたのだった。
馬に一緒に乗る人物、最初はキルスにしようと思ったんですが……何故かルディアスに。キルスとの絡みもこれから増えていく予定です!