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Fairy tale  作者: 水月華
4/15

act.4



 空が夕暮れから夜の闇に変わりつつある頃、花音は自室のソファーにぐったりと身を預けていた。


「お腹苦しい……」


 こうなった原因は先程済ませたばかりの夕食である。

 まだ城内の者にも花音のことははっきりと知らされていないため、今日だけは自室で食事をすることになったのだが、アリアが運んできた料理の量が多かったのである。


「豪華ですごくおいしかったけど、さすがに食べすぎたかも……」


 残せばよかったのだが、なんとなくもったいない気がしてできなかったのだ。

 そんな花音を気遣うように食事が終わってからずっとアリアがついていてくれたのだが、現在彼女は侍女頭に呼ばれて部屋を出ている。その際、何か用事があればテーブルの上の鈴を鳴らしてほしいと説明されていたが、花音は胃が落ち着くまで何もする気になれなかった。

 しばらく時間が経過しようやく花音が動けるようになったところで、アリアがノックとともに静かに部屋に入ってきた。その手には、着替えの入った籠を持っている。


「お体の具合はいかがですか?」

「もう大丈夫だよ。ごめんね、なんか残せなくて食べすぎちゃった」


 花音が体を起こしながら謝ると、アリアは申し訳なさそうに首を横に振った。


「いいえ、花音様が謝ることではございません。さすがに量が多かったですものね……これからは少し減らすよう頼んでおきますわ」

「ありがと。……あれ、籠持ってるけどどうかしたの?着替え?」


 アリアが抱えている籠を指差すと、彼女は「はい」と頷いた。


「入浴の用意ができましたので、お呼びしに参りました」

「え、本当に!?」


 花音の表情がぱっと明るくなる。すると、アリアは微笑ましそうにくすりと笑った。


「ええ。今からお入りになられますか?」

「うん!入る入る!」


 そう言って立ち上がるも、花音は何かを思い出したように顔をこわばらせた。


「……花音様?」

「あのさ……まさかお風呂ってアリアもついてくるの?」

「はい。私は花音様の侍女ですから」


 当然だとばかりにすらすらと答えたアリアに、花音は思い切り脱力した。


(いやいやいや、お風呂は絶対一人で入りたいんだってば!)


 その後、花音は渋るアリアをどうにか説得し、脱衣所に控えているという条件で一人で入浴できることとなった。





「うっわー広っ!」


 浴室に入った花音は、まずその広さに圧倒された。大きな浴槽からは湯気が立ち上り、獅子の頭を模した彫刻の口から絶えず湯が流れ出ている。シャワーらしきものは見当たらないため、陶器のような素材でできた風呂桶で体を流すのだろう。

 花音はいい匂いのする石鹸で髪や体を洗うと、湯船に肩まで浸かった。湯の温度は熱すぎずぬるすぎず、ちょうどいいくらいだ。

 背中を浴槽につけ、花音は大きく体を伸ばした。これまでの疲れがとれていくような気がして、花音は気持ちよさそうに息を吐く。


「んー、こんな大きなお風呂に入れるのは嬉しいけど、いつもここに一人じゃ寂しいなー」


 ぽつりと呟きを零すと浴室内に声が反響する。一般人の花音と違って、国王であるルディアスはこの広さに慣れっこなのではないだろうか。


「そういえば、後であいつのとこ行くんだっけ……面倒だなあ」


 最後の言葉と同時に、花音は口元までお湯に浸かる。ルディアスの部屋に行くことに対しアリアは何故か慌てていたが、何を心配していたのだろうか。


「――花音様、終わりましたか?」


 半透明なガラスを隔てた脱衣所からアリアの声がする。花音はもうそんなに時間が経っていたのかと、アリアに返事をし、湯船から上がった。

 脱衣所に入ると、アリアがバスタオルを用意して待ち構えており、湯冷めを防ぐためてきぱきと花音の体を拭き始める。やんわりと自分で拭くと言ってみたが、アリアはこれだけは譲れないようで、花音は着替えが終わるまで羞恥心に耐え続けていた。


「お疲れ様でした」


 着替えが終わり、アリアが一歩後ろに下がる。

 花音が着せられたのは、着心地のいいゆったりとした夜着だった。これならば締め付けもなくよく眠れるだろう。


「あ、ありがと……」

「どうなさいました?お疲れの様子ですが」

「ううん、なんでもないの。それより、これからルディアスのとこに行こうと思うんだけど何か上着貸してくれない?廊下歩いてたら湯冷めしちゃいそうだし」

「はい、用意してありますわ。陛下のお部屋までは私が共に参りますので、迷う心配はありません」


 花音は上着を受け取って羽織りつつ、アリアに感謝の言葉を述べる。花音に笑みを向けられ、アリアは心底嬉しそうな表情を見せた。


 脱衣所を出た二人は、アリアの持つランプの光に照らされながら歩いていた。廊下には花音とアリアの他に誰一人としていないようだ。ルディアスかキルスが命じたのかもしれない。

 アリアと小さく雑談しながら進んでいくと、暗がりの中に誰かが立っているのが見えた。アリアがランプをかざすと、それは腕組みをしたキルスだった。


「キルス!?」


 花音が駆け寄ると、キルスは腕組みを解いて右手を腰に当てた。


「なんでここにいるの?」

「……お前が来たら通すようにと陛下に命じられたのでな」


 ぶっきらぼうに答え、キルスはアリアに下がるよう命じた。アリアは深く一礼すると、花音を気にしながら背を向けて去っていく。

 それを視界の端でとらえながら、キルスは自身の後方にあった扉に近づいた。他の部屋よりより豪奢な扉は、一目で見ただけでここがルディアスの部屋なのだとわかる。

 キルスはそれを数回ノックし、はっきりと口上を述べた。


「キルス・アルヴァーンです。月女神の巫女候補者をお連れしました」

「――入れ」


 ルディアスの声が聞こえ、キルスが「失礼致します」と扉を開く。今まで暗闇にいたせいか室内の明かりが眩しく感じ、花音は一瞬目を細める。

 そんな花音の背中をキルスが軽く小突いた。早く入れということなのだろうか。


「待ちくたびれたぞ。お前、この俺を待たせるなんていい度胸だな」


 部屋に入るなり、ソファーに寄りかかるような格好で座ったルディアスからにやりとした笑みを向けられる。


「いい度胸も何も、お風呂入ってたんだからしょうがないでしょ。その前に、時間指定されてないから待ちくたびれたとか言われても」

「気を利かせようなどとは思わなかったのか?」

「だって何も言われてないじゃない。異世界から来た私がこの世界の常識について詳しいと思う?」

「……期待はしていなかったけどな。さっさとこっちへ来て座れ」


 ルディアスが手で示したのは、自身が座るソファー。


(――隣に座れと?)


 花音が胡乱げにルディアスとソファーを見比べると、彼は尊大な態度を崩さず、視線でもう一度同じ場所を示す。ルディアスの隣に座るなど気が引けるが、このまま立ち尽くしているわけにもいかず花音はしぶしぶそれに従った。少し間をあけて座る花音に、ルディアスは何も言わなかった。


「ねえ、どうして私を呼んだの?」


 ルディアスは右手を顎に当て、じっと花音を見つめた。一瞬その瞳が蠱惑的な輝きを帯びたが、花音は何も気づかない。ルディアスは目をすがめると、花音に顔を近づけ低く囁いた。


「何故だと思う?」

「私が聞いてるんですけど。どうせ月女神の巫女かどうかみるためなんでしょ?――って、顔近いんだけど!」


 花音は居心地悪そうに身を引こうとしたが、ルディアスに腕を引かれ動けない。それどころか、距離が縮まった気さえする。


「ル、ルディアス……?」

「……」


 恐る恐るルディアスの顔色を窺うと、彼は笑みを消しその端正な顔をさらに花音に近づけた。雰囲気が変わったことに動揺し、花音は頬を染めつつルディアスから離れようと身をよじる。ルディアスはそれを許さず、花音の顎に手を当てくいと上に向けさせた。


「ちょ、ちょっと!」


 まずい。これは非常にまずい気がする。

 焦りと恥ずかしさで動悸が激しくなってきたが、ルディアスは花音の様子にもかまわずゆっくりと距離を詰めてくる。

 花音はとっさに息を詰め、ぎゅっと目を瞑った。


「――くっ」


 互いの息がかかるくらいの距離で、ふいにルディアスが噴出す気配がした。

 嫌な予感とともに花音が目を開けるのと同時に、ルディアスが肩を震わせながら離れていく。隠そうともしない低い笑い声と彼の表情を見て、花音は何が起こったのかを瞬時に悟り、先程までとは違う意味で真っ赤になった。


「か、からかったのね!?」

「くくっ、こううまくいくとは思わなかったけどな――おっと」


 揶揄を含んだ声音に怒りがふつふつと湧き上がり、元凶に張り手をくらわそうとしたが、いとも簡単に止められてしまう。花音はささやかな反抗としてきっとルディアスを睨み付けた。


「馬鹿!変態!乙女の純情を返せ!」

「ふん、誰が乙女だって?しとやかさの欠片もないだろうが」

「きぃぃぃ、むかつく!」


 鼻であしらわれ、花音は憤慨した様子で掴まれた手を振りほどいた。ルディアスは花音に構わず立ち上がると、部屋の隅にある本棚へと向かう。整然と並べられた本の中から一冊を取り出し、花音へと手渡した。古びた装丁の本の表紙には、見たことのない文字列が並んでいる。


「何これ?」

「月女神の巫女に関する本だ。読んでおけ」

「へえ……」


 ルディアスに生返事をしながら最初の一ページをめくると、表紙と同じ文字が躍っていた。

 文字自体は暗号にしか見えない。だが、何故か花音はそれを読むことができた。いや、理解できるといったほうが正しい。


(一体どうなってるの?頭に文章の意味が流れ込んでくるみたい……)


 急に黙り込んだ花音を不審に思ったのか、ルディアスが話しかけてきた。


「どうした?」

「……なんでもない。ねえ、あんたが私を呼んだのってもしかしてこれを渡すため?」

「無知なまま候補などと名乗られても困るからな。ありがたく思えよ?」


 台詞はどこまでも偉そうだが、自分のために動いてくれたことは事実である。花音は素直に礼を言い、ソファーから立ち上がった。


「本も受け取ったことだしもう戻るわ。それじゃ――」

「ああ、待て」


 おやすみ、と言おうとした花音をルディアスが静止した。まだ何かあるのかと訝しげにルディアスを見やると、彼はとんでもないことをのたまった。


「今日はここで寝ろ」

「……はああああああ!?なんでよ!?」

「拒否権などない。安心しろ、誰もお前なんかに手を出さない」

「お前なんかとは何よ!」

「なんか、で充分だろ。貧相な胸してるくせに」

「……」


 この失礼な男を一体どうしてやろうかと心中で毒づいていると、ルディアスが花音の手を引いた。そのまま誘導されベッドの傍まで来ると、「先に寝てろ」と手を離される。


「あんたは?」

「俺はまだ仕事がある。さっさと寝とけ」


 ルディアスはそう言い置いて、花音を残し部屋を後にした。

 残された花音は、呆然と閉まった扉とベッドを見比べる。

 何故自室ではなくこの部屋で寝なければならないのだろう。ルディアスの考えはよくわからない。


「あー、もうなんでもいいや。疲れた……」


 何かを諦めたかのようにひとつため息をつき、やわらかそうなベッドに潜り込む。上質な布団に優しく包み込まれながら、花音は元の世界へ思いを馳せる。

 友人はあれからどうしたのだろうか。私がいなくなったことに気づいているだろうか。家族は心配していないだろうか。さまざまな疑問が浮かんでは消えていく。

 花音は目を閉じ、枕に顔を埋めた。


「……帰りたい」


 吐息とともに零れた言葉はわずかに震えていたが、それを聞くものは誰一人としていなかった。

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