act.3
ルディアスの部屋を出た花音は、キルスに連れられて廊下を歩いていた。
話し合いの前に人払いをしていたからか、すれ違う者は誰もいない。それゆえ目立つ心配はないのだが、問題は先を歩く青年である。
無言。その一言につきるほど、彼は話さないのだ。
(気まずい!……私絶対この人から嫌われてるよね。第一印象から最悪だったもん)
間者だと疑われ、無礼だと言われ、挙げ句少しだが口論までした。花音に肯定的ではないのは確かだろう。
(ルディアスを守るためなんだろうけど、もうちょっと優しくても……)
確かに、目の前にいきなり現れた人物など怪しいにもほどがある。花音が同じ立場でも疑ってしまうだろう。
しかし、花音が月女神の巫女候補と言われても、キルスは態度を一貫して変えないのだ。
花音も元から自分を巫女の器でないと思っているため、信頼できない気持ちはわからなくもないが、かといって邪見にされるのも嫌だった。
(態度はアレだけど、悪い人ではない気がするんだよね……試しに話しかけてみよっかな)
よし、と意気込み、花音は口を開こうとした――のだが。
「……ぶっ!」
突然キルスが立ち止まったため、花音は話す間もなく彼の背中にぶつかった。
慌てて離れると、キルスが呆れた様子で振り向く。
「何をやっている。ぼんやりするな」
「ごめん。……着いたの?」
キルスが視線で示したのは、目の前にある木製の扉だった。
キルスについていけとだけ言われ、行き先を知らされないままここまで来たが、一体この扉の向こうに何があるのだろうか。
「入れ」
扉を開け、キルスが中に入るよう促す。花音はゆっくり足を踏み入れた。
花音の目に飛び込んできたのは、クリーム色の壁に品の良い調度品達。ルディアスの部屋よりも幾分か小さいが、花音にとっては充分すぎる広さの部屋だった。
「わあ……ねえ、ここは何の部屋?」
振り向きつつキルスに声をかければ、彼は扉を閉めてから質問に答えた。
「お前の部屋だ」
「嘘!?ここが!?」
花音は目を見開いてぐるりと室内を見回した。普通の家庭に育った花音から見れば、この部屋は上等すぎる。
しかし、キルスはその反応を別の意味に解釈したようだ。
「不服か小娘」
「そんなわけないでしょ、いい部屋だったから驚いたの!部屋をもらえるなんて思ってなかったんだから」
「不本意だがな。仮にも候補者として滞在するのだから部屋は必要だろう」
淡々と語るキルスの眉間には浅く皺が刻まれていたが、花音は敢えて見なかったことにした。
「今侍女を呼ぶ。わからないことは侍女に聞け」
キルスはそれだけ告げると、さっさと部屋を出ていこうとした。キルスがドアノブに手をかけたところで、花音は思い出したように彼を呼び止める。
「――ねえ!」
訝しげに振り返るキルスに、花音は笑顔を向けた。
「ありがとう」
「……ふん」
無愛想な返答を残し、キルスは静かに退室していった。
扉が完全に閉まってから、花音は部屋の一部を陣取るソファーへ足を向ける。窓に背を向けるような形だが日差しが届く距離にあるため、日中はとてもあたたかそうだ。
花音はソファーにそっと腰を下ろした。
「うわー、柔らかい!ここで昼寝したら気持ち良さそう」
言うないなや、花音は体を横に倒しソファーの上に寝転んだ。そのまま体勢を変え、ぼんやりと窓の外を見る。白い雲が青空の中をゆったりと流れていた。
「異世界、か」
小さな呟きは、広い空間に溶けて消える。
ルディアスとキルスの言葉は覆せない事実だろう。異世界などという言わば非現実的な状況。
最初こそ動揺したが、深く考えれば考えるほど気持ちが落ち込んでしまいそうで、花音はすぐに前向きにいこうと決意した。
「住む場所があるだけマシ。大丈夫だよね、きっと」
自分に言い聞かせるように呟き、目を瞑ったその直後。
静かな室内にノックの音が反響した。
「は、はい!」
慌てて体を起こし返事をすると、「失礼します」という声と共に誰かが入室してきた。
紺と白を基調にし、胸元にピンク色のリボンがついたメイド服のようなものを身に纏った可憐な少女。
彼女は花音と目が合うと、微笑みを浮かべて一礼した。
「はじめまして。花音様のお世話を仰せつかりましたアリアと申します。これからよろしくお願い致しますね」
「あ、えっと、こちらこそよろしくお願いしますアリアさん」
礼儀正しい挨拶に花音も思わずかしこまってしまう。すると、アリアは一度きょとんとした顔をしてからくすりと笑った。
「あら、私のことは呼び捨てにしていただいて結構ですわ。私は侍女の身なのですから」
「……じゃあ、お言葉に甘えて。早速だけど、お願い聞いてくれないかな?」
「はい、何なりと」
「ここのこと、少しずつでいいから教えてほしいの。さっきルディアスに少し聞いたけど、全然わからないから――」
「花音様は陛下を名前でお呼びしているのですか!?」
花音の台詞が終わるか終わらないかのところでアリアが心底驚いたように声を上げた。花音は目を丸くしてアリアを見る。
「う、うん。言葉遣いもこのままでいいって言われたから……もしかしてまずかった?」
よく考えれば、ルディアスは王であるとともにアリアが仕えるべき者である。それを簡単に呼び捨てにしたために気分を害したのかもしれない。
(せっかく仲良くなれそうだったのにこんなことで嫌われたくない!)
花音は内心不安に思いながらアリアの次の言葉を待つ。しかし、すぐにそれは杞憂だとわかった。
「なんて素晴らしいんですの!」
「……ええええ!?」
若干興奮気味に詰め寄られた挙げ句手を握られ、花音は一瞬たじろいだ。少しだけ身を引くとソファーの背にぶつかる。
アリアは花音の様子を気にせず、目をきらきらさせていた。
「花音様、これは快挙ですわよ!喜ばしいことですわ!」
「ア、アリア、ちょっと落ち着いて」
とりあえず落ち着かせようと花音が声をかけると、アリアははっとして握っていた手を離した。花音も体勢を元に戻す。
「申し訳ありません、つい興奮してしまいました」
「ううん、いいよ。でも名前で呼ぶのがそんなに驚くことなの?」
「もちろんですわ!」
未だ興奮さめやらぬといった感じでアリアは話し出す。
「花音様は陛下のお名前お聞きになりました?」
「確か……ルディアス・クロスレイドだっけ?」
「ええ。ですが陛下にはもうひとつ名前があるのです」
アリアは手を頬に当て考えるような仕草をした。
「クロスレイドでは、王に即位すると呼称が与えられます。陛下は『零月王』。ですから、国民は陛下もしくは零月王と呼んでいるのですわ」
「れいげつおう……」
王の呼称は、月女神ロクティアになぞらえ必ず“月”が入っているらしい。しかもそれは自分で決めるのではなく、先代の王が最後の仕事として行うものなのだそうだ。
「それがどう関係しているの?」
「陛下はご自身が気に入られた方以外、下の名前で呼ばせないのですわ。もちろん即位前から関わりがある方々は除きますけど」
「……え?」
「ですから、名前を呼ぶことを許された花音様は、陛下に気に入られたってことですのよ!」
――そういえば、ルディアスは花音のことを“気に入った”と言っていた。
その証が、名前を呼ぶことやくだけた言葉遣いを許したことなのだろうか。
(喜んでいいことなのかなこれ……)
アリアがここまで言うくらいなのだから、これは滅多にないことなのかもしれない。だが、花音はその意味をまだ理解できていなかった。
「そうなんだ。でも気に入られるのがどうして快挙なの?」
花音がそう聞くと、アリアは目をぱちくりさせ何か言いたげに口を開こうとしたが、小さく首を振って曖昧な笑みを浮かべるに留めていた。
「理由は後々お話しますわ。まだ決まったわけではないのですから」
「……?」
「さ、花音様はお召し替えなさいませんと!準備をして参りますので少々お待ちくださいませね」
そう言って会釈し、アリアは足早に部屋から出て行った。最小限の音をたてて閉まった扉を眺め、花音は嘆息する。アリアは一体何を言おうとしていたのだろうか。
アリアといえば、ルディアスの話題が出るまではおしとやかな印象だったがどうも違ったようだ。だが、明るく接してもらえるのは素直に嬉しい。
この世界での知り合いは、俺様なルディアスと無愛想なキルスのみだったため、女の子の知り合いができるのは喜ばしいことだ。
そこまで考えたところで、アリアが大きな籠を抱えて戻ってきた。
「お待たせいたしました。お召し替えいたしましょう」
「……お召し替え?」
そういえば、先程そんなことを言っていたような気がする。どうやら聞き逃していたみたいだ。
「私別に着替えなくてもいいのに」
「そういうわけにはまいりませんわ。花音様が今お召しになっているものもお似合いですが、陛下のお言いつけですので」
「え、ちょ、ちょっとストップ!」
言いながら服を脱がしにかかるアリアを止めようとするも、彼女は安心させるように「大丈夫ですわ」と天使の微笑みを向けるだけで止める気はないようだ。しかし、花音にも羞恥心というものがある。
「じ、自分で着替えるからいいよ!」
「……お嫌ですの?」
「そういうわけじゃないんだけど、恥ずかしいんだよね……今までこんなことなかったから」
「直に慣れますわ。さ、ここは私にお任せくださいまし」
有無を言わせぬ物言いに、花音は口をつぐむしかない。
(ええい、もうなんでも来いだわ!アリアも女なんだから見られたって平気だし!)
腹をくくり、花音がアリアに「お願いします」と告げると、彼女はまたにっこりと笑って嬉しそうに返事をした。
*
着替えを終え、大きな姿見の前に立つ姿はまるで自分ではないようだった。
足元まである真っ白なドレスは、シンプルながらも繊細な刺繍が随所に施され可憐なイメージを与える。結い上げられた髪には色とりどりの宝石がはまった髪飾りがつけられ、動くたびにシャランと鳴った。普段化粧っ気のない顔には、自然な薄化粧がされている。
「花音様、よくお似合いですわ!」
アリアが胸の前で手を組み心からの賛辞を花音に送る。花音は照れたように頬を掻くと、アリアに向き直った。
「でもこんな高そうなもの着ちゃっていいの?私お姫様とかそんなんじゃないし、お金なんて払えないよ?」
「クローゼットに入っている服やドレスはすべて花音様のものです。ご心配なさらなくても大丈夫ですわ」
「そうなの!?」
見るからに上等なものを見ず知らずの者に与えるなど普通は考えられない。
肌触りの良いドレスを見つめ、花音が価値観の違いについて考えていると、大きな音をたてて扉が開かれる。花音とアリアが驚いて部屋の入り口に目を向けると、そこにはルディアスが不機嫌そうな顔で立っていた。
「遅い」
一言だけ言い、遠慮なしに入り込んでくるルディアスに花音は眉をひそめた。
「ちょっと。あんたねー、女の子の部屋にノックもなしに入ってくるんじゃないわよ」
「知るかそんなこと。俺は王だぞ?敬え」
「嫌」
きっぱりと言い放つ花音をアリアは青ざめた顔で見守っていた。誰がどう聞いても花音の言動は不敬罪に当たる。牢に入れられてもおかしくはない。
しかし、そんなアリアの心配はルディアスの表情を見た瞬間驚愕に変わる。彼の唇は弧を描き、おもしろそうに目を細めていたからだ。
「くくっ、この俺に楯突くなどお前ぐらいだぞ」
「そのままでいいって言ったのあんたでしょ」
「まあ、そうだが。やはりお前はおもしろいな」
「どういう意味よ」
花音がきっと睨みつけると、ルディアスはふんと鼻を鳴らした。馬鹿にされているようにしか思えない。しかし、このままでは言葉の押収にしかならないため続く言葉を飲み込んだ。
「それで、何か用なの?さっき話は終わりだって言ってたじゃない」
花音の台詞に、ルディアスは「ああ」と用事を思い出したようだった。
「後で俺の部屋に来い」
「……は?」
「聞こえなかったか?夜、俺の部屋に来い。返事は?――最も、拒否権などないがな」
「聞いた意味ないでしょそれ!まあ行くだけならいいけど」
花音の返事を聞いたルディアスは、不敵な笑みを浮かべながら身を翻し、開かれたままだった扉をくぐりぬける。やがてその足音が遠ざかっていくと、アリアはほっとしたように息を吐いた。しかし、すぐに慌てて花音の手を握った。
「か、花音様!いいのですかあんなに簡単に……!」
「え?なんのこと?」
「その……陛下のお部屋へ夜、お呼びされるのですよ?」
「どうせ月女神の巫女かどうか尋問じみたことされるんでしょ。大丈夫、言い返すから!」
「いえ、そうではなく……」
アリアは視線を彷徨わせたが、花音にひとつの可能性を告げることは止めておいた。そんなアリアを尻目に、花音はゆっくりと入り口の扉を閉めようとしていた。
花音とアリア、どちらの予想が正しいのか……?
それは次回ということで。




