act.13
昨日と同時刻、ルディアスの部屋に集まった三人は、魔方陣の力によってリース神殿へと転移した。
正確な訪問の時刻は伝えていなかったものの、ウィゼスは突然部屋に現れた三人に驚くこともなく、「お待ちしておりました」とにっこり笑うだけだった。
「うーん、魔法ってやっぱりすごいな」
さっさと魔方陣の上から移動するルディアスとキルスを尻目に、花音はその場にしゃがみこんで魔方陣をしげしげと眺め始める。
瞬きひとつの間に世界が変わることについて、彼らは何ら疑問を持つことはない。魔法が当たり前に存在する世界なのだから当然なのかもしれない。けれど、花音にとってはそうでなく、魔方陣による転移など何度体験しても慣れそうもなかった。
紫色の燐光を放ち続ける魔方陣を眺めているうちに、花音の脳裏にふとある考えが浮かんだ。
もしも、魔法が誰にでも使えるものだとしたら。花音にも少しは可能性があるのではないか、と。
(……ま、ありえないよね。ファンタジーな世界に来ちゃったとしても、私自身は日本人なわけだし)
使ってみたい気持ちはあるけれど、と花音は自分の考えを打ち消すかのように頭を振った。
そのうち、キルスの急かすような声が後方から飛んでくる。花音はゆっくりと立ち上がり、魔方陣から降りた。
「陛下とウィゼス様の御前だぞ。少しは慎め」
「ごめんなさい、つい」
「ほっほ、良いのじゃよ。魔方陣が珍しいのじゃろう」
キルスの軽い叱責に花音が謝罪すると、ウィゼスは優しげに目を細め、その場にいる全員に椅子をすすめた。ソファーと背もたれのある木製の椅子がいくつかあったが、ルディアスは迷うことなくソファーに腰を下ろす。キルスはというと、護衛の立場を考えてか立ったまま話を聞くことにしたようだ。ウィゼスも微笑を浮かべているだけで座る気配はない。
花音は逡巡したが、一人だけ離れて座るのもどうかと思い、ルディアスの隣に浅く腰掛けた。
「それで、話というのは?」
ルディアスが早速話を切り出すと、ウィゼスはひとつ咳払いをし、居住まいを正した。
「では、昨日の続きと参りましょうかの。昨日、わしは月女神の巫女の可能性とペンダントの意味を伝えただけじゃった。しかし、それだけでは花音をいたずらに惑わせてしまうだけじゃ。だから今日は月女神の巫女について話したかったのだが……如何せん巫女についての記述が少なくての」
「え、それじゃ月女神の巫女についてはよくわからないってことですか?」
「そうは言っておらぬよ。月女神の巫女伝承はこの国に古くから伝わっておる。御伽噺のように語り継がれ、文献にも残されている。おぬしは、伝承について何か知っておるかの?」
ウィゼスの問いに、花音は頷いた。
「はい、少しだけなら。ルディアスに御伽噺の本を一冊借りて読みました」
花音は、ついこの間まで読んでいた本の内容を記憶から手繰り寄せながら、答え合わせをするかのようにウィゼスに概要を語り始めた。
*
月女神ロクティアは慈愛に溢れ、この世界とそこに住まう者達すべてを慈しんでいた。
ある日、月女神ロクティアは好奇心に負け、人間の姿を借りて最もお気に入りの地であったクロスレイドへ降り立った。
そこで彼女は人間の男と恋に落ちる。しかし、所詮は神と人間。仮初の姿で愛し合っていても、いずれは神の座に戻らなければならない。悲しい恋だった。
月女神ロクティアは男にすべてを話し、そのまま去ろうとした。
だが、男はすべてを知って尚彼女を愛していたため、彼女を引き止め共に生きたいと願った。
月女神ロクティアは、願いを叶えられない代わりに、神の力を使った。
この世界を愛し、男を愛した証として、ひとつの命を生み出した。
月女神ロクティアの愛と祝福を一身に受けた命は、いつかどこかで生まれ落ち、巡り巡ってこの世界に還る。この世界に戻った命は、月女神ロクティアの加護を持ち、世界を幸福に導く存在となることを告げ、月女神ロクティアはこの世界を去った。
男はひどく悲しんだが、月女神ロクティアの言葉を忘れないよう、書物に残し、人から人へと語り継いで、世界に伝承を広めた。
彼女が世界を愛したことを知らしめるために。そして、いつかやってくる大切な命のために。
*
「――その月女神ロクティアの加護を受けた存在が、月女神の巫女だと」
花音の話が一通り終わると、ウィゼスは髭を撫でながら瞼を閉じた。
「“光に導かれし異界の乙女、国に栄光と繁栄をもたらす。彼の者、漆黒の髪と瞳を持ち、異界の服を身に纏う。すなわち、月女神に愛されし巫女なり”」
伝承の一説をすらすらと読み上げ、ウィゼスは話を続ける。
「これは、誰もが知っている伝承じゃ。時代が幾度巡っても、この一説だけは変わらずにある。月女神の巫女は伝承でしかないと考える者も多いが、わしはそうは思わん」
「何故ですか?」
「――クロスレイドに残る最古の神殿。その最高位にある者のみが知ることを許される、秘匿とされている情報。それをお教えするために、ここに集まってもらったのじゃ」
その言葉に、部屋中がしんと静まり返る。
花音やキルスは息を呑んでいたし、ルディアスは表情にすら出さなかったが内心驚いている様子だった。
「ほう、俺でさえ知らない情報とは興味深い。どういうことだ?」
「本来ならば陛下にも報告すべきことですな。申し訳ありませぬ。ですが秘匿とされているのには理由がありますゆえ」
「理由、とは?」
国王たるルディアスさえも知らない情報とは如何なるものなのだろうか。
花音もキルスも無言でウィゼスの言葉を待った。
「これまで月女神の巫女が現れなかったためと、諍いが起こるのを善しとしなかったためでしょうな。月女神の巫女伝承に深く関わりがある内容ですからの。悪用する者がないとは言い切れませぬ。……ときに陛下、この神殿のすぐ傍に祠があるのはご存知でしたかの?」
ウィゼスの言葉を受け、ルディアスは思案するように顎に手を当てた。
ややあって、ルディアスはウィゼスを見据えたまま肩をすくめる。
「俺がここを訪れるのは初めてではないが、祠の所在など知らんな。キルス、そうだろう?」
「はい、私も初耳です。それらしきものも私は見たことがありません」
確認の意味をこめてルディアスがキルスに視線を向けると、キルスは首を横に振り、花音に顔を向けた。昨日リース神殿を訪れたばかりの花音がわかるはずもなく、慌てて同じように首を振る。
ウィゼスは、当然だと言わんばかりに笑い、人差し指を立てた。
なんでも、その祠は結界によって守られているため誰の目にも映らないようになっているのだという。
一度でも目にして祠の存在を認識してしまえば、その後結界があっても見えるようになるのだそうだ。結界の担い手はリース神殿の神官長であり、神官長の任につく者は口伝えに祠の存在を知り、その役目を継いでいく。そうして、秘密は守られる。
「そんなに大事な秘密を、私達に教えてしまってもよかったのですか?」
花音がおずおずと口を開くと、ウィゼスは「なに、かまわんよ」と目を細める。
「月女神の巫女候補が現れたのじゃ。教えんわけにはいかぬじゃろう?祠は、巫女のために存在するのじゃから」
ウィゼスの話を要約するとこうだ。
祠は洞窟状になっており、その最奥には月女神ロクティアが巫女のために残した遺物が保管されているのだという。しかし、最奥に続く扉は不思議な力によってかたく閉ざされており、誰もその先に足を踏み入れることができない。ウィゼスの力をもってしても、その扉を開けることはできなかったそうだ。
「わしは考えた。きっとあの祠は、巫女の来訪を待ち望んでいるのだと。扉を開く鍵は、巫女なのだと」
「――くくっ、なるほど」
突然、ルディアスが肩を揺らして立ち上がる。
何がおかしいのかわからず花音が訝しげな目を向けると、ルディアスは意地悪そうな笑みを浮かべ花音の頭にぽんと手を置く。
「ちょっ……」
「お前の言いたいことがわかったぞウィゼス――お前、こいつに扉を開けさせるつもりだな?」
「――へ?」
ルディアスの手を振り解こうと躍起になっていた花音は、その言葉に思わず動きを止めた。
ぽかんとした表情でルディアスの顔を仰ぎ、次いでウィゼスがいる方向を見やる。
ウィゼスは花音の視線を受け、やがて「ご名答」と微笑んだ。
その返答に、花音は焦りを隠せなかった。
「ちょ、ちょっと待ってください!私には絶対に無理ですって!」
「もちろんこれはわしの仮説に過ぎぬ。しかし試してみる価値はあるのではないかと思うてな」
「で、でもウィゼス様でも開けられない扉を開けることなんて」
「落ち着け。これでじじいの仮説が正しければ、巫女の存在が現実味を帯びる。お前が巫女であると証明できるのだぞ?そもそも仮説は不確かなものだ、開けられなくとも何ら問題はない」
うろたえる花音を横目で見ながら、ルディアスが諭すように言った。
確かに、ルディアスの言葉はもっともだ。だが、突然すぎて頭がついてこないのだ。
祠の最奥で何かしらの情報をつかむことができれば、花音が月女神の巫女であるという線が濃厚になる。そのためには扉を開けなくてはならないが、花音にその力があるとは到底思えない。
しかし、いつまでも候補の立場に甘んじてはいられないし、自分が月女神の巫女なのかどうかを早く見極めたいという気持ちもある。
それに、ルディアスのような国の枢機を担う立場の者としても、国の存亡に関わる事柄は早いうちに決着してしまいたいのではないだろうか。
ここまで考えて、花音は頭に浮かんだ考えを一掃し勢い良く立ち上がった。
「……ええい、うじうじしてても仕方ない!成せば成るって言うし、失敗してもいいからやってみるべきだよね!?」
自分を奮い立たせるかのように言い放ち、花音は隣に立つルディアスの方へ顔を向ける。
ルディアスは花音と視線を合わせると、にやりと笑って腕組みをした。
「ふん、俺の見込み違いなどではなさそうだな。良く言った」
「だってさ、考えてたって前には進まないでしょ?だったらチャレンジしてみるしかないじゃない。私が異世界にいる意味を早く知りたいし……それに、怖くてもルディアスとキルスがいてくれるからきっと大丈夫だよ」
そう言って笑うと、ルディアスは虚を突かれたような表情を浮かべてから面白いものを見る目で花音を眺める。キルスもルディアスと同じような反応を見せていたが、やがて腰に手を当てて小さくため息をついた。
「重大なことだというのに……まったくお前という奴は」
「素直すぎるのも考えものだが――そういう思考も悪くはない、だろう?」
「……それは」
珍しく言い淀むキルスを見て、ルディアスはふっと喉の奥で笑う。
花音はそのやりとりを黙って見ていたが、キルスがなんともいえない表情でこちらに視線を向けてくるので少しだけ首を傾げてみる。
眉根を寄せたままぷいと顔を反らされた。よくわからないが、失礼な男だ。
「――決まりじゃの」
横道に逸れてしまっていた話を引き戻すかのように、ウィゼスがぱんと両手を打ち鳴らす。
「“祈り”の時間が終わる前に祠に辿り着かねばなりませぬ。これから祠へ案内させていただきますゆえ、わしの後に着いてきてくだされ」
そう言うと、ウィゼスは踵を返してゆっくりと歩き出した。
向かう先は、隠匿された月女神の巫女縁の場所。
花音は服の上から月のペンダントを握り締め、不安と期待が入り混じったような胸のざわめきを押さえ込むように、目を閉じてひとつ息を吐く。
(大丈夫、ひとりじゃないもの)
心の中でそうひとりごちて、花音は月のペンダントから手を離す。
そして、置いていかれないように早足で彼らの後を追った。
今回は説明が多くてどう書こうか迷いました(汗)
ルディアスとキルスがなんだか空気。
次回はそんなことないよ多分!
リューレの出番が無くてあれなんですけどね……彼の出番はもう少々お待ちください。