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『拝み屋集団・天正堂三神派、三神三歳の日記』
某月某日、晴れ。
一度、これまでに把握できている事実とことのあらましを記しておく。無関係だとは思うが、ここ幾日か私の体調も優れない。六十をとうに過ぎ、やはり年かと思う。遺言書の類はしたためていない為、私に急な出来事があった場合は娘の幻子を頼られたし。多忙により彼女が捕まらない場合は、天正堂三神派・新開水留を探して欲しい。彼ならば事後のことはうまくやってくれるだろう。以下に連絡先を記す。ちなみに、広域超事象諜報課、坂東室長付き特派員・新開とは同一人物である。
話をUに戻す。
一番最初の連絡は相手方、つまりUからの電話である。夏前の梅雨時期であったと記憶している。三十代半ば、笑顔が人懐っこく美しい見目の女性である。出会った当初から病人さながらに色が白く、眼の下には隈もあった。そのことは、天正堂という看板を掲げた拝み屋である当方への連絡ということもあり、別段驚きはしない。Uが他と違ったのは、自覚症状が一般的な体調不良と相似のものであるにも関わらず、私へと連絡が繋がったことだ。
実を言うと、これはあまり公言されていないことだが、たとえ重病人であったとしても霊的な被害を受けていない人間が天正堂へ連絡を取る方法は限られている。紹介か偶然、そのどちらかしかないのである。この世ならざる者と全く無縁な世界で生きている市民が我々の連絡先を知り得る方法はなく、そのまた逆で、なんらかの霊障を受けている人間であれば比較的容易く巡り合うことが出来る。そういう風に、会遇の筋道を立ててあるからだ。だが、Uはそのどちらでもなかった。
Uは、直接私に電話をかけてきた。悪夢にうなされ眠れぬ夜に、携帯電話を握ったまま横たわっていると、突然誰かと通話状態になったのだと言う。