003
少しだけ踏ん張ります。
振り下ろされる刃物は速度こそ遅いものの、それと比べるとおかしいと感じてしまうような破壊力を持っていた。ロボットのアームが動くようなゆっくりとした速度でアスファルトの駐車場に叩きつけられた結果、その舗装が捲れ上がり、破片が俺と近くにあった車に襲い掛かる結果となった。
奴が突っ込んでコンビニを破壊した時よりも大きな破片が襲い掛かってくる。
漫画やライトノベルではないので、致命傷だけを避ける、なんて技能は持ち合わせていない。顔と頭の前に腕を構えて、即死するような被害を受けないようにすること。それだけしかないと思っていたのだが。
幸いにして、というべきか。飛んでくる破片も何故か速度が遅いので、ある程度はどうにかなりそうだったが、移動速度が遅いだけで本来のエネルギーは持ち合わせたままという事らしく、シャボン玉のような速度で動くそれを押しのけようとした結果、瓦礫はゆっくりの速度を保ったまま干渉することはできず、それどころか手の甲に痛みが走り、大きな腫れを作るという結果になってしまった。
正直なことをいうと、避けるだけならばなんとかなる。
『ついうっかり』で礫を払いのけようとしたり、足を引いたりして距離を取らないように。 体当たりをさせるような僅かな距離も取らないように、懐の距離を保ち続ける。
正直な話、まだまだ刃物は怖い。だが、どうにかなるとも思っていた。
「それよりも、どのくらい待てばいいんだ。もっと早く来てくれるモノだと思っていたんだけどッ……!」
唾を飲み、少しの疲労を感じている最中に、愚痴のような言葉が漏れた。
自分ではあいつのことを信用していないと思っていたのだが、この状況をどうにかできる、頼れると思っていたらしい。
「そうだな、あと一発だけ避けろ。そのあとは俺がどうにかする」
刃物が上に大きく振り上げられた時、後ろから声が聞こえた。印象の良くなかったあいつの事を頼もしく感じるなんて、思ってもみなかった。
「遅いぞ、バカヤロウが」
「声が震えてるぞ、ユーキちゃん」
反論しようとしたが、それ以上の声は詰まって出てこなかった。
「偽りの腕よ、在るべき位相へ戻れ」
アイツの言葉で、箱と刃物が動きを止める。空中に固定されてから、黄色い炎がその2つを、まるで紙を相手にしているかのように一瞬で焼きつくした。
「張子の臓腑を幕へ返せ」
アイツは3歩下がり、『体当たり』の条件をわざと満たした。突進してくる巨体は、俺の動体視力では認識できないほどの速度になるが、いつのまにかあいつの手の中に構えられていたワイヤーが、肩に乗っている『鳩に見える何か』を切り落とし、その瞬間に巨体は速度を失った。
カラカラに干からびている鳥のような何かは羽ばたきをして逃げようとしているかのようだったが、俺の支援に来た男のスニーカーによって、まるで気に入らない虫を相手にした時のような踏み潰され方をされて、そのあと彼はアスファルトに靴を擦り付け、間に挟まれていたそれを乱暴に塗られた油彩絵の具のような状態に変えてしまった。
「お前なら……あとはそうだな、眼球と骨。好事家のところにでも売り払ってやるか」
先程までの唱えるような言い方ではなくなり、面倒臭いと考えている中年のような言い方だった。鋭い蹴りが、はるかに高い位置にある青い手品師の頭部を消し飛ばした。
「終わりに魂。監獄で過ごせるなんて思うなよ。契約外の移動はご法度だ」
四肢と胴体、それから服だけが残っていた細長いそれに告げると、排水溝から流れていく水のように、地面に開いた一点の穴へと流れていった。まばたきする隙すらなく、その穴は確認できなくなっていた。
「腕は焼いた。臓腑はバラかした。目と骨は売った。魂が解放されるまで治り始めもしないし、買い戻すための労働もできない。次にコチラに来れるのは何万年後だろうな?」
やれやれ、と言わんばかりの態度であいつはそう言うと、俺を起こすために手を差し出した。いつのまにか腰が抜けていて、座り込んでいたみたいだ。失態を晒してしまい悔しくなったが、このことをからかわれたりということはなかった。むしろ労わるような視線ではあったが、何となくではあるがイラっとしてしまった。助けて貰った手前では、文句を言うことができないのだが。
「いや、今こうなってるのはこいつのせいなのでは……?」
手を取りながらも、宣言しておかないといけない気がしたので言うことにした。
「おいおい、やっぱりツレないやつだな、お前は」
「やかましい。と、そういえば先輩たちは?」
「ああ、寝かせておいた。事故の衝撃で気絶したと思ってくれるはずだ。監視カメラの方も壊しておいたから、何がぶつかったかは分からないんじゃないかな」
心配になってガラスや本棚が倒壊したコンビニの方を見る。何がぶつかったか分からなくても、こういうのはどうすればいいのやら。
「どうにかなると思うか? あるいは、どうにかする必要があるか? 労働報酬が出るならともかく、そのあたりは俺の管轄ではないな。手を出すと文句を言われるまであり得る」
やれやれ、と悪態をつくように、靴の裏についた何かをアスファルトに擦り付ける。見た感じでは靴の裏に何かが残っているような様子はなく、ただ地面を蹴っているだけのようだ。
「まあ、お前に仕事の愚痴を垂れ流しても仕方ないか。自転車の方は壊れていないみたいだな。乗せていってやるから漕いでくれ」
おい、あれは俺の自転車なんだが。いや、もしかしたら違うかもしれないが名義の上では俺のものだ。
「というか、お前……ああ、そういえば名前を聞いていなかったな、ッ呼びにくいったらありゃしない!」
頭の中で呼んでいる最中であってもあいつだとかあの男だとか、特定の呼び方がなかったのだ。あとで日記でも書く時に非常に困る。
日記を書く習慣はなかったのだが、この女の身体の状態では、部屋に日記帳があった。書いておく必要があるかもしれない。なんとなくの直感的なものだったが、こんな状態になっているんだ。あって困ることはないだろう。
「そうか? そうだな……セーヤとでも呼んでくれ。字の方は好きに書いてくれて問題ない。一応の戸籍上では、新撰組の誠に、それから『せ』みたいな字の奴だ」
戸籍? と思いはしたが、こいつの住んでいる場所にもそういったルールが有るのだろうと判断した。
正直なことをいうと、少なくとも主観の上ではほんの2時間も経っていないこの状況で、いろいろなことを考えたくもないというのが正しい。
「今日くらいは、学校休んでもいいよな? 問題ないよな?」
ため息とともに漏れた俺の言葉は、たぶん誰にも聞こえなかったと思う。
「くそ、なんで本当に俺が漕いでるんだよ! 重い!」
「そんなことはないはずだが。物質的な重量は、今は制御して感じさせないようにさせているはずなのだが」
「そうか? しっかり重く感じるんだが」
「たぶんだけど、お前の筋力が落ちたせいじゃないかな。単純な男女差だけでなくて、その身体の成長度合いでも変わってくるんじゃないか?」
「出発する時には、そんなに重く感じなかったがッ……」
身体の形が違うせいで違和感を感じたりもしたが、せいぜいそのくらいだ。
「なら、単純にその身体の体力がないんじゃないか? 鍛えなおせ」
「お前、後で殴ってやるからな」
とはいうものの、息も途絶え途絶えである。腕時計も電話類も持たずに出てきてしまったのでどのくらい時間が経ったのかはわからないが、身体が切り裂かれて気絶してしまった後に、こいつの説明を受けてから彷徨って戦って……だいたい2時間、だと思う。
「ん、で、あー……そうだ、あの青い手品師とやらは何だったんだよ。まさか死神だとか、あるいは幽霊だとか言わないよな?」
頭を切り替えるために、セーヤに問いかける。個人的な感情を抜きにしても、よくわからないこいつと無言でいることがなんとなく苦痛であったからだ。何かしらの会話をしておきたい、と思った。
「あー、まあ『業務内容』っていうことで言ってしまっていいか。でもその前に。お前はアレが死神だとか幽霊だとか言ったよな? ここの人間の伝承では、そういった伝わり方をしていてもおかしくないし、もしかしたらそういった伝承の中にあいつらの仕業であるものが混ざっているかもしれない、けれども恐らくすべてではない。把握している範囲では、3割くらいはあいつらと無関係に起こっている……まあ、把握している範囲では、というだけだが」
「どういうことだ、つまり」
「そのあたりは順番に、だ。まず、青い手品師と言ったあいつ。呼び名は単純に見た目からそう言っているだけだが、種族で呼ぶとしたら、あいつは魔神の一種だな。魔神と言っても神格があるわけではないし、魔人といっても人間とは全く別種の生物だ。知能のある現象、と言ってしまったほうがいいか? お前の右目にしか見えない存在は、普通の方法では認識することができない。お前のもともとの身体であっても、もしかしたら認識できていた可能性もあるにはあるが、飛蚊症だとか埃や虫だとか、そういったものとん違いしていたと思う」
「つまり? 業務内容っていうのは右目で見える災害の中心にいる何かを見つけて、捕まえろってことか? んで、それは世間には幽霊だとか認識されている?」
冗談じゃない。正直に言おう。本当に冗談ではない。
「ああ、業務内容はそれだけではない。左目で見えるものも発見、捕獲してくれ」
「おい、本当に捕獲させる気か?」
「まさか。あいつらは見ることができても捕まえるなんてとんでもなく難しい。少なくとも、捕獲できるような技能か道具がない限り、そこまでやらせようとは思えないよ。で、左目でも見えるのは、妖精とか精霊とか言われるような存在。こいつらも現象と認識してもらって構わないんだが……こいつらは、少なくともこの人間界では、『何もしていないのに周囲に害をもたらす』。彼らの世界で何もしていない時ならば、何かが起きたりはしないっていう説が有力なんだが……例えるならば、液晶画面に穴をあけるような外的要因が妖精で、液晶画面の上を操作と無関係に動き回り変な動作を起こすウイルスが魔神だ」
「なんというか、分かりやすいようなわかりにくいような例えだな」
「ついでに言うなら、その画面の上にある壁紙やらファイルやらが、この世界だ」
「……つまり、放っておいたらまずいってことだな?」
「実際にそんなにすぐに不具合が起きてしまうっていう事は無いんだけれども、見つけたり追い払ったりする必要がある」
「……その例えでいうなら、アンタはどこに所属しているんだ? まさか画面を外から見ている存在、だとか言わないよな?」
もしそうだとしたら、外の世界の観測者だとか、クトゥルフ神話における邪神たちだとか、そういった存在と同義になってしまうだろう。
「ああいや、そんな大それたものじゃない。どちらかというならば筐体、ファイルやらを正しく表示させるような機能……ああでもそうか、もしかしたらキーボード操作だったりマウス操作だったりしている連中はいるのかもしれない」
「例えが分かりにくくなったんだが、アンチウイルスソフトとでも考えておけばいいのか?」
「それで問題ない。ただ、例えはだいぶ簡略化しているから、文字通りの形で受け取る必要はない」
「いや、そりゃこの世界がパソコンの中でしか存在していないなんて考えちゃいないさ」
相当危険な仕事をさせようとしているという事は分かったが。
もう少しで、家に帰れる。今はただ、シャワーが浴びたかった。汗を洗い流しアスファルトのせいで付いた砂や土を洗い流し、思い切り眠りたかった。