002
大変遅くなりました。
「それで、探す奴はどんな見た目をしているか教えてもらえるか?」
探すにしたって最低限のそういった情報は教えてもらいたい。
外に行くので寝間着からいつもの服に着替えようとして……男物の服が1つもないというふざけた状況であるということに気付いた。俺が一体何をしたっていうんだ。
仕方がないので、一番マシなように見える……長ズボンと長袖のジャージに着替えることにした。この季節ならば、それほど暑いという訳もなかろう。走り回ったりしなければ大丈夫だと思う。
それから、運動の為のタンクトップはスポーツブラジャーに変わっていた。普通のブラジャーの付け方と外し方は、異性との……女性との交際経験皆無だった俺には正直分からなかったので、そのあたりを理解できるようになるまではスポブラで生活することになりそうだ。
「んぁ、見た目、見た目ねぇ……『青い手品師』だな。身長は今のお前の倍ほど、それからとんでもなくやせ細った人型。針金人形と言っても差し支えない体格だな。顔や目を見ないように……というか、探していることを対象にバレないように、だな。存在を見つけても目で追ったりしてはいけない。驚いても追いかけられても声を出してはいけない。ぶつかりそうになっても、避けてはいけない。向こう側から、『こちらが認識している』ということを認識されたら危険だ」
「それって、わざわざ俺が探しに行く必要もないんじゃないか? というか危険ってなんだ、そのあたり説明してくれ」
「お前の体に課せられた借金が増えることになり、痛い思いをするし、俺が居座る期間が伸びる。」
それだけでかかったら見つけやすいと思うのだが。本気で俺が出向く必要が無いような。
「まあ単純に人手が欲しいっていうのと、お前に『貸した』物があるから……と、まあ。とりあえず見つけたら左手で小指を立てろ。そうしたら伝わる」
「見つからなかった場合は?」
「7時までは探してくれ。過ぎたら一旦帰宅してくれて問題ないからな」
なんとも曖昧な指示の下、深夜の街に出向くことにした。
家の外に出てから考える。そういえば、自転車はどうなったんだろう、と。
マウンテンバイクに乗っていたはずなのだが、ママチャリといった感じの自転車に変わっていた。駐輪場用の登録シールは変わっていなかったので、そのまま使わせてもらって問題ないのだろう。
「うっわ、高さが……」
なんというか、座り心地がかなり違う。下半身が不安になるし、変な感触だ。髪の毛もしっかり縛っておかなければ面倒なことになりそうでもある。階段を下りるだけでも不安定だったし、結びなおしておこう。自転車は俺が転んだ時に壊れていたとばかり思ったのだが、こっちも入れ替わっているのだろうか。壊れたままだとかそういうことがなくて良かった。
「はぁ、向かうしかないんだよなぁ」
あいつのいう事を聞いているのは癪だとしか言えないが、元の身体を取り戻す方法なんて分からないのだし。
最初に、俺が死んだであろう場所に向かうことにした。
風の音を感じる。チェーンが回りタイヤがコンクリートとアスファルトを踏みしめる音が聞こえる。自動車やバイクの音は周囲にはなく、新聞の配達も見かける様子がない。捜索対象である『青い手品師』どころか、他の人間すら見つからない。さすがに深夜の2時だか3時だったりしたら、人はそうそう見つからないか。もう少し駅の方に向かったら見つけられるかもしれないが、人口10万程度の小さな市内では夜に遊びに出るようなところもかなり少ない。カラオケ店は小規模なものが駅前に1件あるくらいで、観光になるようなものは、山の上の神社くらいだろう。そもそも人間の2割程度が後期高齢者なのだ。この時間にいるとしたら徘徊老人しかいないんじゃないだろうか。
駅前のコンビニへ向かう。この駅には各駅停車しか止まらないので、終電の時間は結構早い。まあそんなのは関係なく、今は普通に運休中の時間なのだが。
コンビニの方を覗き込めば、深夜バイトの大学生、小中学生の頃からの知り合いである先輩……当時のクラスメイトの兄だったり、その人の恋人だったりする人が働いていた。
「どーも、」
声をかけそうになったが、思いとどまる。今の俺は、2人にとっては知らない姿……仮に姿の記憶が修正されていたとしても、そもそも元の身体のときと比べたら、もしかしたら何か関係が変わっているかもしれない。
「飲み物でも買っておこう……」
混乱しかかった頭をどうにかするために、500ミリボトルの緑茶を購入。
「お、ユーキじゃん。散歩?」
レジをしている女性…つまり先輩の彼女の方に声をかけられた。もしかしたら、今の俺にとっては『先輩と先輩の彼女』ではなく、『先輩の彼氏と先輩』なのかもしれない。男の時からどちらの先輩とも関わりがあったが、比率がいくらか違うものになっているんじゃないだろうか。
「ン、ああ、帰り道に落とし物しちゃってさ。ちょっと探し最中。そういうレン先輩は、なんでこんな時間にバイトしてるの?」
前に会った時は学校が忙しいとかで、こういった活動はできなさそうではあったが。
「ちょっと欲しいモノがあってね。まあ、そのあたりは誰にも、あいつにも内緒ってことで」
にへら、と柔らかく笑いかける先輩は、レジでも人気があるんじゃないだろうか。もともとは苗字呼びをしていたところを名前を呼び捨てにしてみたが、特に問題なかったようだ。あいつ、というのは彼氏側の先輩……イツキ先輩の事だろう。俺が入店した時に挨拶をしてから、店の奥の方に行ってしまった。
「ところで落し物って?」
「あー、体操服です。暗かったから、どこかで落としたのに気付かなかったみたいで」
「あー、もしヘンタイに盗まれてたら嫌だもんねぇ」
実際には命を落とし、変人に身体を盗まれたという訳だ。身体を持って行った本人に言わせれば預かっているだけなんだろうが。まあ、訳の分からないまま死ぬはずだったのが回避できたのならば仕方ないと……いや、そもそも俺が死にかけたのはあいつが原因じゃないか。
このままここで時間を潰していても構わないんじゃないだろうか、と考える。探して見つかりませんでした、ということならば問題ない。そもそも、
そこまで思考を巡らせたところで、「それ」を見てしまった。
ほんのすこし、コンビニの窓の外に見えたそれ。
青い手品師、という表現をしていたが、実物を右目で見てしまえば、他の表現方法はなかったのだと理解させられる。
博物館やテレビミイラのように不気味な肌の色をした、細長い《何か》が、青いスーツを着込みシルクハットをかぶり歩いていた。
人間ならば肩があるあたりに、《鳩に見えるモノ》を乗せていて、それが増えたり消えたり、奇妙な輝きを見せている。
右手の先には紙箱に刺さった大きな鉈のようなノコギリを構えていた。
その箱と鉈の刃先には、俺の本来の首が刺さっているように見えた。
もちろん、気がしただけだ。実際に両断されたのは腰のあたりだし、首が繋がっている時にはあのいけ好かない奴がそばにいた。回収し損なっている、なんてことはないと思う。
だが、その一瞬の疑念。それだけで、俺があいつを見ていることに気付かれた。そして、気付かれたことを理解させられた。
視線を感じ、身が竦む。
逃げなければ、と考える前に、それはトラックの様に突っ込んできた。雑誌コーナー側の窓と棚をなぎ倒し、屋根の一部も瓦礫に変えながら向かってきた。
「先輩、伏せて!」
それを言うのが精一杯だった。小さな瓦礫を腕や足に受けてしまったが、幸運にも動けなくされる程の怪我はない。
瓦礫を受けて砕けた出入り口ドアから飛び出そうとして、
足に力が入らなかった。辛うじて建物から出ることはできたが、這って動く様な状態だ。
「なんで……」
疑問を口にしながら足を見ると、朽ちた縄のように見える何かが、絡みつき足を封じようとしていた。抵抗や引き寄せるような力は何も感じないはずなのに、動くことができなくなっていく。
これが心臓まで届いたら、死んでしまうんじゃないだろうか?
頭の中にふとそんな考えが過り、大元の方に視線を向ける。見ていることに気付かれてはいけない、と言われたが、もうどうしようもない。向こうは何もない顔でこちらをみつめ、刃先をこちらに向けながら、箱を外してこちらの頭に被せようと構えている。
恐怖している俺を見て楽しんでいるのか、それともただ単純に動きが遅いだけなのかはわからないが、そんなに遅くても逃げることができない。絡みつく何かと恐怖心でまともに動くことができなくなって。
一応、言われたとおりに小指は立てているが、這い回るように逃げる以外に何もできない。それが箱を俺に被せようとしているのを、避ける事すらできない。
また、死ぬのか?
現実味がカケラもない光景だが、これが夢でないというのはわかる。息がつまりそうな時間が長く続いて、意識が朦朧としてくる。
頭がぐらり、と揺れる。箱を被せられたとか、首を刈り落とされたとかそういう訳ではなく、ただ上体を起こしていることもできなかっただけだ。抵抗どころか、自意識を保っていることすらマトモにできない状況。
ただ、その瞬間。先輩の顔が少しだけ見えた。
店の奥にいたせいもあり、今回はあまり話すことができなかった『先輩の彼氏』のイツキ先輩も。
このまま倒れていたら、俺を助け起こす為に、もしかしたらこちらにきてしまうかもしれない。そうなったら、2人のどちらか、あるいは両方ともが巻き込まれてしまうかもしれない。
「それは、やだな」
ただの「かもしれない」を二つ重ねた想像に対して、自分でも聞こえるかどうか怪しい程度の、ほんの小さな声が出た。ぐらぐらと眩暈にも近い感覚が消えないままだが、なんとか身体を起こす。足に絡みついた何かは離れないが、この青い奴が瞬間的に加速したりしなければ……恐怖感はまだあるが、俺のせいで誰かが苦しむのは嫌だった。
立ち向かう訳じゃない。漫画の主人公のように戦える力を貰ったわけではなく、ただ『見える』というだけ。
俺がするのは、ただの時間稼ぎ。あのいけ好かない奴が俺の合図に気付いて助けに来てくれるまで生き残ること。
奴をしっかり見つめて、身体と心を奮い立たせる。壊されたコンビニの壁と、そこから少しの距離がある駐車場の反対側。
壁が壊されたときにはトラックでも突っ込んで来たかと思うほどの衝撃を受けたし、奴はすぐに俺に追いついた。だが、俺に対して振るう箱と刃はかなり遅い。
「そういうこと、でいいのか……?」
俺の予想では、移動は相当な速度があるが、武器を使った行動は制限している、あるいはされている。
「ワイヤーみたいなもん使ってたのもそういう事かよッ……!」
本来なら、俺の身体を両断したものは、こいつの突進を利用するためのものだったのだろう。どういう訳で俺がかかったのかは分からないが、現状そういったものが俺の手元にない以上、体当たりや突進が可能になるような距離を取らないままに攻撃をよけ続けないといけない、と判断した。