第五十五話 本音と建前
次回は4月17日に投稿する予定。
速人は蛇口と組み合わせたポンプの外側を元の場所に置いた。
そして合計三層に分かれたポンプ内の機構を司る土台の部分を組み上げる。
途中、速人の作業に興味を持ったマティス町長が紳士然とした笑顔を浮かべながら「手伝おうか?」と言ってきたが丁重に断った。
最下層にポンプの内部の各層を繋ぐ細い鎖などを通しながら、速人は着々と作業を続ける。
やがて速人はポンプ内部に全ての機構を収納してから、鎖を引っ張っては全体の動きを確認する。
レバーを取り付けた後、最後に円筒状の蓋をかぶせてポンプの外観を元通りにしてしまった。
今、ポンプが心なしか輝いて見えるのは最後にもう一度全員でパーツを拭いてしまったからだろう。
速人は早速レバーを押してポンプの動きを確かめる。
金属製のレバーは先ほどとは違って闊達に下ろされる。
速人は井戸の中に残った水を引き上げる為、何度かレバーを動かす。
ディーは速人に蛇口を緩めるように言われ、雪近と二人で蛇口を緩めた。
程無くして蛇口から茶褐色の液体が流れだした。
見た目からしてとても飲めそうな代物ではない。
そして排水口から流れ出る水の音にも変化が現れた。
最初のような粘液ではなく普通の液体の音に変わっていたのである。
ディーは蛇口の下に木製のバケツを置いた。
雪近も透明な飲料水が飲めるものと考えて生き生きとした表情になっている。
エリオットとセオドアとマティスらはポンプが動くようになったことを素直に喜んでいた。
しかし、速人は雪近とディー、マティスとセオドアとエリオットの喜び方に温度差があることに気がついていたので訝しげな顔つきで事態を見守っていた。
レバーの動きが活発になるにつれて水の流れる音までも清々しいものになってくる。
蛇口から出て来たのは薄茶色の水だった。水の匂いも土というか微妙に錆臭いままである。
ディーと雪近は驚いてバケツから離れてしまった。
二人とは逆にセオドアたちは喜びながら水を手で掬っている。
(やはりな。彼らにとってはこれが”綺麗な水”なんだ)
この時、速人は自分の中にある予想と現実に差異が無いことを痛感した。
セオドアは明るい様子で隣までやってきて速人の背中を叩き、感謝の言葉を述べる。
速人はセオドア達がどれほどの苦境に直面しているかを思い知らされた。
「いや!何つーか感謝の言葉もないぜ、速人!お前は本当に大したヤツだ!おかげでサンライズヒルもしばらくは大丈夫だろ?」
セオドアは速人を持ち上げようとするが一日の飲み水にも困っているような現状を踏まえると、速人とて素直に喜ぶことは出来ない。
(世辞など言っている場合か)
速人の疑念に満ちた視線に気がついたセオドア、エリオットの表情がわずかに曇る。
速人は作業を続けるうちに浮かび上がったいくつかの疑問点を口にした。
「セオドアさん。水をくみ上げる方法は解決したが、肝心の分量はどうするつもりだ?井戸に水が溜まるのを待ったとしても半日以上はかかるぞ。ディー、そろそろ水を止めろ。井戸の中が空になっちまう」
速人はディーに蛇口のハンドルを締めるように指示する。
ディーは唐突な宣言につい間の抜けた返事をしてしまった。
「へ?もういいの。でも、これって全然足りなくない?」
ディーはバケツの中に溜まった水を見ながら答える。
確かにディーの言う通り、水の勢いも量も町の住人全員に行き渡るには少なすぎるくらいである。
町にたった一つしかない機能している井戸と考えれば当然の反応だ。
セオドアは目を首を閉じながら頭を何度か横に振った。
そして、速人とディーに町の今現在の事情について語り始める。
「お前らの言う通りだ。水は全然足りないし井戸はこの通りで、町の人間はこの間振った雨水で何とか渇きを凌いでいる。だけどこのあたりじゃ、かなりマシな環境なんだ。速人、ポンプを直してくれてありがとな。だけど、ここから先は俺たちの問題だ。正直、よそ者のお前らに踏み込んで欲しくない」
「そんな言い方…」、とそこまで言いかけたディーを速人が片手で抑える。
「まあ俺らも単に通りかかっただけだからな。これ以上は深入りするつもりはないよ。それに俺は魔力を持っていないから、浄水器の方は完全な専門外だ。セオドアさんたちが役に立ったと思ってくれたら幸いってもんだ」
セオドアは速人に頭を下げると工具の入ったバケツを持って例の浄水器の方に向かった。
セオドアは地面にバケツを置くと浄水器が入っていると思われる箱を手に取った。
こちらも井戸の中から出した際にマティス市長が拭き取っていたので目立った汚れは見られない。
セオドアは箱に指をかけて開くと中身を取り出した。
箱の格子から姿を見せていた浄水器が漸く姿を現す。
浄水器の正体は文字、意匠が彫ってある石板だった。
(浄水器の正体は魔導書か。道理で外部の人間には秘密にしておきたいはずだ。だが、あのデザインはどこかで見たことがあるな…)
速人はセオドアが石板の真ん中にある溝に指をかけてサンドイッチよろしく上下に分けている様子を見守りながら石板に彫られている文字や絵に関する記憶を思い出す。
(ダグザさんの家で見たものに似ている。いや実物は見たことはないが、おそらく大きさが違う。あれは…)
同時に速人はその時のダグザが人格を疑われそうなドヤ顔で先祖というか曽祖父の作り上げた発明について語っていることを思い出していた。
その間にもセオドアは横から二分割した石板の中身を見ていた。
眉間にしわを寄せながら、中に配置されたすっかり色がくすんでしまった宝石や焼き切れて黒ずんでしまった轍を指でなぞりさらに表情を曇らせる。
セオドアは呼吸を一拍置いてから、バケツに入っている千枚通しというかマイナスドライバーのような工具を取り出して轍に溜まった墨クズを掻き出していた。
ある程度ゴミを出してしまうと次に布でその部分を擦っている。
セオドアは石板の下の方を持ち上げて残ったゴミを地面に捨てた。
最後にセオドアは懐から取り出した小さな袋の口を開いて、群青色の粉おそらくは砕いた魔晶石の原石を線の中に塗り込んだ。
人差し指を押し当て魔力を巡らせる。
石板の中に敷かれた魔術回路が息を吹き返し、青い燐光が線となって駆け巡る。
しかし、光が灯ったのは一瞬でありセオドアが指を放すとすぐに消え去ってしまった。
セオドアは照れ隠しに汚れた方の人差し指で頬を掻いている。
「どうやら修理に失敗したみたいだな」
「お前さんの言う通りだ。面目ねえ」
速人は魔力の光芒が失われた石板を見ている。
魔導書の原理を完全に理解しているわけではないが、速人の元の世界では電力に相当するエネルギーなのだろう。
次に速人は石板の要と思しき箇所に嵌められたガラス質の石を見た。
石の大きさは直径三センチくらい、外側は透明なガラス質である。
内部は今は空洞になっていてわずかに濁った液体のようなものが残っていることから平時は液体エーテルのようなもので満たされていたことが推測される。
(こちらの世界の電池、或いはバッテリーのようなものか…)
速人が石板を真剣に観察する様子を見てセオドアはため息をついた。
(安易な気休めなんざ言うべきじゃねえよな。いつからだ?俺がこんな風になっちまったのは…)
セオドアは再び速人から目を逸らしてしまった。
速人はセオドアから窮状についての確認を取る為にもう一度質問をする。
「俺の見たところ魔力の貯蔵庫にあたる部分が動いていないような気がするんだが、ここは修理できないのか?」
残念王子が速人の言葉を聞いた途端に、セオドアの肩を掴んでから何度も揺さぶった。
「そうなのか?テオ!!そんな話は始めて聞いたぞ!!」
その時、セオドアは「エリオ、お前には何度か説明したよな?」という気持ちで胸がいっぱいになったが、セオドアの胸中はすでに失意と無力感で満たされていた為何も言うことは出来なかった。
さらに追い打ちをかけるようにマティスが驚愕の声をあげる。
「流石はセオドア様、エリオット様。すでにここまで我々の身に差し迫る問題を勘付いていたとは…。感動のあまり言葉もありません」
二人の下手な悪人よりも性質の悪い善人の無神経な発言を聞かされたセオドアはセミの抜け殻のような顔つきになっていた。
(このままではセオドアが自棄になって死ぬ可能性もあるな)
速人はセオドアとエリオットを物理的に引き離した。
「速人、お前の言う通りだ。要するに魔力を貯蔵する部分が壊れちまって使い物にならないわけよ。
元々、魔晶石の代替品を使っているから仕方ないといえばそれまで何だがな」
「魔晶石なら俺持ってるよ!」
ディーがセオドアの前にやって来て荷物の中からガラス片が混ざった石ころを取り出した。
速人はいざという時の為にディーと雪近に魔晶石の原石を見つけた時には拾っておくように言っている。
セオドアはディーの何とか他者の役に立ちたいという気持ちにを嬉しく思うが、同時に自分たちが今必要としている魔晶石の結晶体が個人が用意することが出来ない代物であるという現実に失望する。
「ディー。お前にしては殊勝な心掛けだが、セオドアさんが必要としている魔晶石ってのはこれのことじゃないんだ」
セオドアの様子から大方の事情を察した速人は、魔晶石の原石を持ったディーの前に立ちはだかる。
「どうしてさ。だって魔力さえあれば動くんだろ?その何とかってやつはさ」
セオドアは苦笑しながらディーと速人の間に立った。
「悪いな、ディー君だっけ?実は速人の言う通り原石だけじゃ魔力が不十分なんだ。まあ、これは実際やってみればわかることなんだがな。例えばコレだ。俺が近くの採石場で集めた魔晶石の原石を錬成したものなんだけどな」
セオドアは腰に巻いたポーチからディーの持っている魔晶石の原石よりもより宝石に近い形状のものを取り出した。
セオドアが自分の持っていた魔晶石の原石よりも立派な物を持っていたことを知った為にディーは赤面してしまう。
そんなディーを見たセオドアは心の底から申し訳なそうな顔で頭を下げた。
(実際に見てもらった方が早いな。マティス先生やエリオット相手じゃいくら説明しても意味無いし)
頭を軽く振って気持ちを切り替えたセオドアは論より証拠とばかりに錬成した魔晶石の原石を魔導書中心に置いた。
セオドアは濃い紫色の水晶の上にゆっくりと手を置き、精神を集中した後に掌から魔力を流し込んだ。
錬成された原石を中心に先ほどセオドアがゴミを取り払った溝に紫色の光が線と走り出した。
「おおっ…!!」
その後、ディーと雪近とエリオットとマティスが次々と感嘆の声をあげる。
しかし、この後どうなるかを予測していた速人と元から知っていたセオドアは冷めた目つきで事態を見守っていた。
紫色の光線は石板全体に行き渡る前に勢いを失い、やがてすぐに消えてしまったのだ。
セオドアの持ってきた魔晶石の原石に至っては紫の光沢を失うどころか炭化している。
突拍子のない出来事を前にしたディーたちはすっかり落ち込んでしまっている。
(前からわかっていたことながら実際に見ると精神的に”来る”もんだな。だけどお前さんはよくやってくれた。今までありがとよ)
セオドアは力を使い果たした石に向かって永遠の別離を告げる。
「見ての通りだ。これでも結構集めてから下手くそなフラスコ(※ナインスリーブスにおける魔術用語。魔法、魔術に関係する道具を作る時に使用する実験場のようなもの)まで作って錬成したつもりなんだけど俺じゃ駄目だったってわけだ」
「あの…、その…。俺何か余計な事をしちゃったみたいで、ごめんなさい」
ディーはセオドアに向かって深々と頭を下げる。
セオドアとしては出来るだけディーの気遣いを無駄にしたくない一心で丁寧に説明したつもりだったがこの場合は逆効果になってしまったようである。
「俺の方こそ適当なことを言ってお茶を濁そうとしたみたいで悪かったよ。せっかくディー君とキチカ君が気を使ってくれたのに返ってガッカリさせちゃったみたいで面目ない」
(ダグザやエイリークならもっと上手くやれたのだろうが…)
セオドアは親友たちの顔を思い浮かべながらディーと雪近に向かって頭を下げる。
結果として三人で同時に頭を下げるような形となってしまった。
速人は間抜けな三人組を睥睨しながら別の作業に没頭していた。
まず腰に下げている巾着袋の紐を解いて、中から油紙に包まれた塊を取り出した。
(まあ今回はゴミ虫共(※ディーと雪近のこと)の成長ぶりが見れたことだし、出血大サービスだな)
速人は包み紙の中から薄ピンク色の楕円形の宝石を取り出した。
「速人君、それは一体?」
エリオットとマティスが好奇心につられて速人の近くまでやってくる。
速人は二人を一度右手で制してから石板の中央部の窪みに宝石を押し入れた。
「エリオットさん。すまないが、さっきセオドアさんがやったみたいにこの宝石に向かって魔力を流して見てくれないか?」
エリオットは紺色のシャツの袖を捲った後に、頑健そうな力こぶを作る。
「よし!任せてくれ!」
グシャッ!!
突如脳内に再生される最悪の未来予想図。
(…これはキング・クリムゾン・エピタフの予知能力かッッ!?)
速人は一瞬先の未来即ちエリオットが剛力で石板を破壊する未来の姿を予見して身体ごとを押し返した。
「やっぱゴメン。セオドアさんに代わってくれ」
「何でッッ!!!!????」
エリオットは一瞬にしてモノクロの風景画の中に取り残された。
失意のエリオットの頭をマティス町長がなでなでしている。
セオドアは後ろ髪が引かれる思いで速人の指示に従うことにした。
そしてセオドアは宝石に指が触れた時にかつてない違和感を覚える。
なぜなら今セオドアは、速人の持ってきた宝石から確かな生命力を感じ取ったからである。




