プロローグ 8 そして、夕食。 食わず嫌いは許さない
次回の更新は一週間後くらい(2019年8月14日)になる予定です。
速人はさして長くもないというか短い前髪をかき上げる仕草を見せる。
手持ちの調味料と開拓村で作った包丁があれば相手が満足させることができる。
料理は速人の特技の一つだった。
「おいおい。ちょっと待てよ、坊主。これは子供の遊びじゃねえんだぜ。俺たちは腹が減って死にそうなんだ。もしも失敗して、やっぱり出来ませんでしたじゃ困るんだよ」
マスター級のヘイト使い、エイリークがいきなり文句を言ってきた。
だが、この程度のことは速人にとっては予想内の出来事である。速人は何日か前に作ったそのまま食べられる干し魚をエイリークに手渡した。そして、片目だけを閉じて魚を食べるように促した。
「ケッ、気持ち悪いんだよ」と文句を言いながらエイリークは手渡された干し魚を食べる。
魚の大きさは丸かじりするには少し大きいくらいだった。
半身にして骨が取り除いてあるので実に食べやすい。外側の皮に塗ってあるのは魚油か何かだろうか。コクのある魚油と独特な風味のタレが混ざり合って甘さとしょっぱさだけに止まらない旨味が口の中に広がる。それは噛めば、噛むほどに口の中に広がりエイリークの食欲を刺激した。
「ああ。まあまあだな。でもこんなものを食ってしまったらいっそ酒でも飲みたいな」
速人から受け取った五十センチくらいの魚の干物を一人で平らげた後に、エイリークは仲間たちから袋叩きにされた。
速人はエイリークの悲鳴を聞きながらてきぱきと料理の支度に取りかかる。
まずはエイリークがタコ殴りにされているのを遠巻きに見ている連中に調理場まで案内してもらった。
速人が案内された屋根だけがついた荷物置き場には野鳥と魚が置いてあった。野鳥は殺した後にそのまま持ってきただけのものばかりで魚は水の入った壺の中にいた。
生け簀のつもりのようだがはっきり言って雑だな。
周囲の大人たちは速人に声をかけようとしたが、速人は片手でそれを制する。そして地面に置かれた鳥を一羽、拾い上げてこう告げた。
「まだここにいるつもりか。この先ここにいるつもりならば、貴様らが見たくないものを見ることになるぞ」
エイリークの部下たちは速人の圧倒的な迫力に押されて荷物置き場から走り去ってしまった。
速人は道具袋から自前の包丁を取り出すと鳥の首のつけ根にそっと押し当てる。その時、鳥と目が合った。
「恨むなら、おいしそうに生まれてきた自身の運命を恨むんだな」
名も無き鳥の鮮血が荷物置き場の地面を汚した。
その頃、妻と幼なじみたちから鉄拳制裁を受けていたエイリークは「ごめんなさい。ゆるしてください」とうわ言を呟いていた。
エイリークの衣服はボロボロで全身あざだらけになっていた。
「エイリーク、大変だ!悪魔が!悪魔がやってきて鳥を次から次へと……って、おおッッ!!??」
エイリークがうつ伏せになって倒れていた。彼のすぐそばには鬼気迫る表情のマルグリットたちの姿があった。ダグザは呆気に取られているエイリークの部下たちに、いつの間にかいなくなっていた速人の行方を尋ねることにした。
「お前たち、速人はどうした。一人で食事の準備を始めてしまったのか?」
「ダグ兄。エイリークの言う通り、あいつは人間じゃねえ。あいつは荷物置き場につくなり俺たちが捕まえた鳥を見て、こう首筋に刃物を当てた後に止めをさしたんだ!!」
仲間の言葉を聞いた直後にダグザが凍りついてしまった。やるとは思っていたがあらゆる意味で速人は予想以上だった。
ダグザは子供の頃、両親に連れられて祖父母の家に行った時に祖母がダグザの為に鶏を解体している姿を思い出していた。あの容赦ない治療方法といい、速人という少年は祖母の生まれ変わりか何かなのだろう。 ダグザは深いため息をついた。
「何だと?子供一人で料理を始めたのか。誰か一緒にいてやらなくて大丈夫か。何なら俺が」
滝のような銀の長髪をなびかせてソリトンが立ち上がる。表情に乏しいので他人のことなどお構いなしと思われがちだが、ソリトンは面倒見の良い男だった。
しかし、大した考えも無しに現場に行こうとしていたのでソリトンをダグザは引き留めた。その華麗な外見から何でも出来そうなソリトンだが、家事においては全くの無能だった。
「ソリトン。止せ。いつからお前は鶏を捌くところを見ても平気になったんだ?」
ソリトンはダグザとエイリークの両親に連れられて、ダグザの祖父母の家に招待された時の記憶を思い出した。
逆さに吊られた鶏。血まみれの鉈を持ったダグザの祖母。思い出すだけで何か今にも吐きそうだ。ソリトンは口に手を当てて、首を何度も横に振る。
「今は速人を信じて待つことにしよう」
それからしばらくして大きな鍋を二つ持った速人がダグザたちの前に現れた。鍋からは香草とニンニクのいい匂いがする。速人はスープ皿に次々と鍋の中身を注いでいった。
「さて。新人の作った動物用のエサが俺様の口に合うかどうか楽しみだぜ」
がしっ。
殴られすぎて真っ赤なタコ怪人のような顔になったエイリークが底意地の悪そうな笑みを浮かべながらスープ皿を受け取った。スプーンも使わずにズルズルとスープ皿の中身を啜り出した。ダグザは皿の中身を見ながら、速人に料理のことを尋ねることにした。
「これは何を作ったんだ?」
「鳥肉と香草のシチューだ。ちょっと酸っぱくなっていたミルクがあったからな、それを使わせてもらった」
「あー、持ってきたミルクが残ってたよねー。私らみんなミルク嫌いだから」
マルグリットの言葉を聞いた速人の顔つきはデューク東郷のような厳しいものに変わっていた。
いつの間にかマルグリットもシチューを食べていた。彼女の子供たちや他の誰もまだ食事を食べてはいない。速人はもう一つの大きな鍋から魚の煮つけを取り出して大皿に乗せている。こちらは魚とキノコ、赤い木の実のようなものが入っている料理だった。見慣れない盛り付けの料理だったが、先ほどのニンニクの香りはどうやらこの料理が原因だったらしい。
「魚料理か。こんな時に温かい料理はありがたいな。速人、これは何という名前の料理なんだ?」
ナイフで魚の身を切りながら小皿に分けている速人に、ソリトンは尋ねた。
「これは、アクアパッツァ風だな。貝が無かったからキノコを使っている。キノコは俺が持ってきた食べれるやつだから安心してくれ」
「この赤いのは何だ?」
ダグザは魚と一緒に皿の上に乗っている赤い物体を指さして、速人に尋ねた。ダグザはこの物体の匂いに心当たりはあるのだが、形の方が記憶と一致しないのが気持ち悪くて聞いてしまったのだ。
「干したトマトをオリーブ油漬けにしたヤツだ。こういう即興で料理を作る時に便利だから持ち歩くことにしている」
「よりによってトマトとはな。こんなところでトマトを食べなければならないのか。色も匂いも味も苦手だというのに」
ダグザはトマトだけを集めて皿の端っこの方に寄せる。しかし、食わず嫌いの子供を見逃すような大人ではない。
「ん?トマトは嫌いか?」
速人とダグザの視線がぶつかり合い、火花を散らした。二人の持つスプーンは戦闘に備えてしっかりと握られていた。
「まあ別に嫌いというわけではないが、好んで食べることはないな」
速人の目がキラリと光る。いくら強がっても接近戦では速人に分があるというもの。
「ていっ」速人は左で手刀の形を作り、ダグザの右手首に容赦なく振り下ろした。10歳に満たない子供のチョップだが、速人は元の世界では幼い頃から特殊な訓練を受けていたので自身の身体を親指、人差し指、中指の三本で支えることが出来る。さらに急所に入れば、ダグザの握力そのものを奪い去る力を持っていた。
「痛ッ!」と右手首を打たれてダグザはスプーンを落としてしまった。まさか暴力に訴えてくるとは。奇襲を受けたダグザが驚いている間に速人はスプーンに乗せられていたカットされたトマトをダグザの口の中に入れた。
「はうッ!?」ダグザはあまり聞きたくないような甲高い悲鳴をあげた。その凄惨な光景を前に、エイリークとマルグリットは目を背ける。ソリトンに至っては何も見なかったことにして黙々と食事を摂っていた。
ダグザは目に涙を浮かべながらオールバックにまとめられた黒い髪をかき上げる。速人は勝ち誇った表情でスプーンの先端をダグザにつきつけた。
「いい大人が子供の前で好き嫌いとか恥ずかしすぎるだろ。用意してやったんだからちゃんと食え」
正論だった。たしかにダグザは子供の頃、祖母や母からそういった説教を受けたことがある。
「だが正しければ何をしてもいいとは限らない。速人、お前は間違っている。力で人を従えることは出来ても、心まで自由に出来ると思うなよ」
モグモグモグ。とんっ。ゴクゴクゴク。ソリトンは苦手な緑色の豆っぽいもの(速人が持ってきたソラマメの塩漬けを戻したもの)を勢い良く口の中に入れた後に、スープで流し込んだ。「………」ソリトンの近くで食べている彼とよく似た特徴を持つ子供たちはやや呆れた様子でソリトンの姿を見ていた。
「いいから黙って食え。食べられないものは用意していないから」
ダグザは味方になってくれる者はいないものかと周囲をチラ見する。マルグリットは食べ物であれば何でも食べる。エイリークは魚が苦手なはずだが悪魔が丁寧に小骨を取り除いているのでおとなしく食べている。
他の仲間たちはダグザと目を合わせないようにしている。
普段からの素っ気ない態度がこんな形で返ってくるとは人生とは皮肉なほどによく出来ている。抵抗が無意味なことを悟ったダグザはトマトを食べることにした。
ダグザがトマトが嫌いな理由は二つある。トマトの皮の食感と果肉の酸味だった。あれはいつの出来事だったか。
ダグザが成人してから技術ギルドの職員になったばかりの時に家族と近しい者たちと一緒に出掛けた評判の店でチキンステーキと一緒に出てきたトマトを食った時のことだった。
真っ白な皿に乗っていた小ぶりなトマトはヘタがついたままだったのだ。ダグザはただでさえもトマトが嫌いだったのにもっと食べたくなくなってしまったのだ。そして、極めつけにはトマトの本体も酸味が強く、皮の厚いものだったのだ。
食べている時に何度か吐きそうになったが、両親の前でそんなことをしたくはなかったし何より自分の為の祝いの席だったので我慢するしかなかったのである。その一件以来、ダグザはレストランに行った時には「トマトを抜いてくれ」と言うようになった。
(糞餓鬼め。いつか目にもの見せてくれる)
ダグザは心を無にしてトマトを口の中に入れた。不味くはない。次に後ろを何となく見る。
速人はトノサマガエルのような大きな目でダグザのことを監視していた。下手に動けば大きな口からにゅっと舌が伸びて食べられそうな雰囲気があった。
きっとダグザたちが見ていない場所では蠅を食しているのだろう。
ダグザはトマトと川魚をひとまとめにしてスプーンに乗せて、また口の中に入れる。柔らかく煮込まれた魚の旨味。どうにも慣れそうにないトマトの食感、酸味。そしてバジルの香りがした。ダグザはいつの間にか口の中で料理を味わうようになっていた。
(食べる時にスープを口に含めば、トマトが気にならなくなるな。パンと一緒に食べればもっと食が進むかもしれない)
ダグザの目の前に焼き菓子のようなものが出された。すぐにエイリークが手を伸ばして、焼き菓子のようなものを頬張る。エイリークのこういうところは子供の頃から変わっていない。ダグザは苦笑する。
「甘くないクッキーだな。これは何て食べ物だ?」
エイリークの満足げな様子を見たエイリークの家族や仲間たちは次々とクッキーを食べはじめる。出遅れてしまった為か、気後れしながらダグザもクッキーに手をつけた。
心なしか速人が笑っていたような気がする。
つくづく嫌なガキだ、とダグザはバターの香りと塩味のついたクッキーを食べていた。
「これはキャンピングクッキーという食べ物だ。本当はダッチオーブンを使って作る食べ物だが、今回はフライパンを使わせてもらった」
速人は得意気に胸を張った。エイリークはお構いなしにクッキーを食べながら、スープや煮魚を食べている。ダグザは苦手だったトマトが食べられることに夢中になっていた。
「まあまあだな。まあ、今は腹が減っているから食ってやるよ」
エイリークは軽口を叩きつつ、スープと煮魚をお代わりした。エイリークたちの様子に満足した速人は他のメンバーにも料理を振る舞っていった。そして、エイリークたちは夕食が終わった後は食器を片付けてからすぐに眠ってしまった。
合流がどうとか言っていたような気がするが、どうやら明日になったからの話のようだ。
速人は朝食の準備を終えると、ディーと雪近が待っているので、速人たちの為に割り当てられたテントまで戻って行った。