第四十九話 暗闇を抜けて
次回は三月三十日に投稿します。ていうか書けば書くほど長くなるこの負のスパイラルって何?
速人はテントの基礎を作る仕事の手伝いをしていた。
明日までに新しい商業施設の母屋となるテントの柱を用意しておく必要がある。
速人は額から汗を流しながら白塗りの大きな柱を大人たちと一緒に運んでいた。
それからスコップで地面に穴を開けたり、柱を補強する為柱の周囲に何本か杭を打つ。
大きな槌をロープに持ち替えて、速人は大人顔負けの仕事を淡々とこなしていった。
非力な雪近とディーは女性に混じって装飾用の布を運んだり、掃除を手伝っている。
そうやっていくつかのテントを出入りしているうちに太陽の位置は昼飯時のそれになっていた。
速人とディーと雪近はラッキーたちと一緒に大市場で食事をすることになった。
ラッキーたちはパンとミルクだけの弁当だったので、速人は予備に用意しておいた魚のフライなどを振る舞うことにする。
タレはマヨネーズにたっぷりの茹で卵と刻んだ玉ねぎを使ったタルタルソース。
先に手をつけようとしたアルフォンスの脳天にチョップを落としたシャーリーがまず最初にバリバリとフライを食べていた。
(これがオスのライオンの現実か…)
速人は地面で痙攣しているアルフォンスを介抱しながら、やがて訪れる女性上位社会の時代に恐怖する。
「速人よう。アイツ、昔はもう少しマシだったんだぜ?」
虚ろな瞳で、アルフォンスはシャーリーにも少女時代があったことを必死に訴える。
しかし、速人は大きな顔を横に振りながら微かな希望を拒絶した。
バリバリバリ。バリバリバリ。
今シャーリーはガーランドとラッキーをなぎ倒して一人でフライを食べているのだ。
妹分の大市場の女たちには小さなフライを与えているが、男たちには魚の背骨さえ与えていなかった。
これが弱肉強食の世界と言わんばかりの姿だった。
「惚れた弱みで男はこうまで弱くなる生き物なのか。やはり女は魔物だな…」
速人は強引にトレードされた岩のように硬いライ麦パンをかじりながら素直な気持ちを呟いた。
速人の作ったクラブハウスサンドイッチは全てシャーリーが自分のパンとトレードしてしまったのだ。
雪近とディーも速人同様に鉄を溶かして固めたような黒パンを食べていた。
「げふう!!」
やがて全てのサンドイッチを食らい尽くしたシャーリーは大きなゲップを吐く。
余談だが以前のエイリークの下品な食べ方は母親アグネス譲りであり、シャーリーの悪態もまたエイリークの母アグネスが教えたものだった。
何でも奴隷待遇から解放されたものの、引っ込み思案でロクに食事をとらなかったシャーリーに、アグネスが「食べ物なんてこうやって食べればいいのさ」と教えたらしい。
シャーリーは悩みが多くなると故意に下品な食べ方をして鬱憤を晴らすらしい(と思いたい)。
顔に青い痣を作りながら、生き生きとした表情で語るアルフォンスの姿やに周囲の男たちは優しく肩を撫でるばかりであった。
「ごちそーさん!」
シャーリーは食事の挨拶をすませた後、両手を合わせる。
「シャーリー、ミルクはどうだい?体が温まるよ」
次の瞬間、矢継ぎ早とばかりにアルフォンスが現れてシャーリーに温めたミルクを渡していた。
シャーリーは沸騰したミルクを一気に飲み干した後に「寝る」と言って自分の家に帰ってしまった。
雪近やディーが同じようなことをしようものなら中身が飛び出すまで頭突きをお見舞いしてやるところだが、十人力のシャーリーが相手では流石の速人も文句のつけようがないというものだった。
今日の仕事はシャーリーと速人の活躍で午前中のうちに終了してしまった。
速人はアルフォンスたちから仕事の手伝いの報酬として破れかけた布や袋を受け取っていた。
「速人。そんなもの、何に使うんだ?せっかく仕事を手伝ってくれたんだから新品を持って行ってもいいのによ」
ガーランドは土埃まみれになった大豆や小麦粉を入れる布製の袋を自分の店の奥から持ってくる。
眷属種相手では棘の立つ態度が目立ったが、本来のガーランドは人当たりの良い気さくな性格の男なのだ。
速人はもらった袋を解体しながらガーランドにお礼の言葉を述べる。
「いや、これでいいんだよ。ガーランドさん、品物の受け取りとか仕入れの仕事があるのにわざわざありがとう」
速人は自分の店に戻って行くガーランドの背中を見ながらせっせと集めたボロ布でマントを作っていた。
遠目には野菜を包む布に見えないこともない。
雪近とディーは既に速人が別の行動に移っていることを察していた。
「ねえ、速人。それどうするの?」
速人は傍にやってきたディーを追い払うような仕草をする。
(ああ。なるほどね)
ディーは反射的にアルフォンスたちのいる方を見る。
まだアルフォンスやラッキーからの疑惑が解けていないという意味のジェスチャーであることを察したディーは一旦、速人と距離を置いた。
一方雪近は横目で速人が足元に広げている物の正体が、ボロ布から作られた三人分の貫頭衣であることに気がついた。
二人はアルフォンスとラッキーが姿を消すまで示し合わせたように黙っていた。
「俺たちはそろそろ駅に向かって明日からの仕入れの準備をするつもりだが、お前たちも来るか?」
アルフォンスは目ざとく速人の周りに並べられている布を見ていた。
布自体が乾燥して、しかもロクに洗っていないので悪臭や汚れだらけになっている。
実際、あれを洗って使うにしても長持ちはしないだろう。
なぜ速人が泥を落とさずに布を縫い合わせているか、アルフォンスにはそれが不思議で堪らなかった。
アルフォンスの訝しげな視線に気がついた速人は布の両端を持って、一枚の布の状態に戻ったことをアピールした。
アルフォンスは小首をかしげて布をさらに観察するが、悪巧みの片鱗すら窺うことが出来なかった。
そうこうしているうちにラッキーが中央駅への出発の準備が整ったことをアルフォンスに知らせる。
アルフォンスはわざわざ自分のところに来てくれたラッキーに礼を言って出口の方に向かった。
その際、一瞬だけ速人を見たが速人は既に地面に広げてあった布をまとめて帰ろうとしている最中だった。
「アルフォンスさん。牛肉の話だけど、今日はどうもありがとうございました」
速人は頭を深々と下げた。
(何か子供に無理矢理、頭を下げさせているみたいだな)
アルフォンスは昨日までのだらしなく伸びたボサボサ頭ではなく、短髪に刈り上げた金髪を掻いた。
そしてこれが最後だとばかりに速人に向かって忠告する。
「ああ。気にするな。それよか、ここだけの話なんだが間違っても”外”に行こうとか考えるんじゃねえぞ。今の”外”は順番待ちが勝手に町を作って大変なことになってるってうちのガキどもから聞いてるからよ。いくらシャーリーたちの顔が広くてもおいそれと助けにはいけねえからよ」
(順番待ち。噂には聞いていたが、本当に存在するのか)
この場合の順番待ちとは入国管理局から発行される定住認可証を受け取る順番を待っている人々という意味である。
この話は、実は速人がまだレッド同盟に所属するエルフの開拓村にいた頃から幾度となく聞いたことがある。
当時はまさか都市の前で大勢の人々が何日が待っていられるわけがない、とスタンらと笑っていたものだが速人も都市で生活するようになってから単なる噂の類ではないことを実感していた。
仮初のものとはいえ世界樹の力で第十六都市は外部の気象変動の脅威から人々を守っているのは紛れもない事実だった。
さらにナインスリーブスは地水火風の四大精霊四の影響力が強く、速人が暮らしていた世界では想像も出来ないような自然災害がしばしば発生する。
世界樹に守られていない外の世界は正しく地獄のそれだった。
(まあ、俺にとっては温すぎる世界だけどな)
速人はなぜかどや顔になって鼻息を荒くした。
「わかってるよ、アルフォンスさん。今日は家に帰っておとなしく庭掃除でもしてるさ」
アルフォンスは心配そうに何度か速人たちの方を振り返りながらラッキーたちと一緒に駅に向かう。
速人は地面に広げたボロ布を手に取って大市場の出入口近くまで移動した。
雪近とディーも速人の後ろから追っかける。
途中、雪近は速人が目指す場所が昨日エルフの傭兵と思しき人物が出没した場所であることに気がつく。
速人は無人の見張り小屋が左右に並ぶ通用門の近くで周囲を注意深く観察する。
客や大市場の関係者にとって死角になり得る場所を探しているのだ。
人が行き交うことで踏み荒らされた地面。
壁の汚れ、傷ついた、或いは剥落した部分。
現場に残された無数の情報を吟味しながら、速人は目的の事物に辿り着く。
ようやく”無地の砂地”を見つけることが出来たのだ。
凹んだ四隅は足跡を隠す板を置いた何よりの証拠、しかもそれらは複数でどこかに繋がっている。
速人は無地の部分に触れないようにしながら出所を探った。
そして速人はようやく古い倉庫に偽装された外への出入口を見つけることが出来た。
バサリッ。
当初は魔法の仕掛けがないものかと警戒したものだが、それこそ杞憂というものだった。
大市場にはシャーリーやラッキーといった歴戦の勇士が控えている。
妙なことをしでかそうものなら即座に取り押さえられてしまうだろう。
(故にこの隠し通路を使った連中は最初に大市場をどうにかしなければならなかったというわけか。三流の仕事だな)
速人はカーテンを引きながら中の様子を探る。
おそらくは戦時中に造られた施設の名残だろうが、しっかりとした造りの通路だった。
ラッキーやシャーリーが知らないものだとすると案外、戦時中敵方が密かに作ったものかもしれない。
速人が入り口で仕掛けの有無を探っているといつの間にかディート雪近が目の前に立っていた。
二人ともワンパク小僧よろしく目をキラキラと輝かせながら隠し通路を見ている。
速人は放って置けば勝手に出て行ってしまいそうな雪近とディーに向かって忠告する。
「一応、忠告しておくがこれから先は勝手に行動したり、騒いだりしたら問答無用でぶちのめすからな」
速人は手の中に隠しておいた短刀の先端を見せながら、二人を威圧した。
ディーと雪近はそれきり一言も喋らずに黙って速人の後ろについてきた。
速人は薄暗い通路の名か、壁をまさぐりながらゆっくりと進む。
わずかな音も聞き逃さぬよう、やがて通路が途切れ洞窟のような空間に達するまで歩き続けた。
(少し寒くなってきたな。外界が近くなってきたということか…)
速人はディーや雪近に見えるように手を下げてその場で止まるように命じた。
そこから先は通路が途切れ、石や土がむき出しとなっている地面になっていたのだ。
無論、目の前に広がるそれは人の手が入った形跡がまるで無い洞穴のそれであり当然のように証明のような道しるべの頼りとなるものは無い。
(俺一人ならある程度夜目が利くから問題はないが後ろの二人は無理だろうな。不本意だが仕方あるまい)
速人はたくさんの道具が詰まったリュックサックの中からランプを取り出した。
暗闇の中で灯りを点ければ、仮に敵がいたとして速人たちが格好の的になってしまうので出来ることならばランプを使いたくはなかった。
しかし、ここで転ばれて怪我でもされてはさらに厄介な事態になってしまう。
速人がランプに火を灯すと、安堵したディーと雪近の顔を見ることになった。
「はは…、そろそろ話してもいいかな?」
ディーが妙な質問をしてきた。
速人は返事をする代わりに背中を向けて、空気が流れてくる方角に向かって歩き出す。
二人は取り残されまいと速人の背中に向かって駆け足でついてきた。
「これを身に着けろ。そろそろ”外”だ」
速人は先ほどの汚れた布で作ったフードつきの外套を雪近とディーに渡した。
二人は渡された衣類を見ながらしばらくの間、呆気に取られていた。
しかし、速人が怖い顔をして睨んでいることに気がつくと急いで身に着けるのであった。
速人も二人同様にボロ布で作った外套を身に着ける。
かくして怪しさ満点のマント姿の一団が出来上がった。
雪近とディーはお互いの滑稽な姿を見比べて笑い合っている。
「キチカ、その服って何さ。これから羊泥棒にでも行くの?」
「おいおい。お前さんも似たようなもんだろ」
会話が終わった後、ディーと雪近はもう一度笑っていた。
速人は二人のお気楽さに内心呆れていた。
しかし、ここで下手に気を抜かれて失敗されては元も子もないないので場を引き締める意味で忠告をしておくことにする。
「仲が良いのは結構だが、これから先は前にも増して用心しながら進むぞ。何せそのまま奴らの本拠地に繋がっている可能性もあるからな」
(まあ、そんな抜かりは最初から無いがな)
速人は周囲を警戒しながら進むうちにこの隠し通路が非常用のものでありほとんど使われていないことに気がついていた。
(おそらくあの捕まったエルフは独断で使う予定のない隠しを通路を使ったのだ。だとすれば何らか組織内の序列を覆す為にか。実に莫迦らしい…)
速人に指摘されて、ディーと雪近は自分たちが今敵陣の真っただ中にいるかもしれないということに気がついて楽しい遠足気分から顔面蒼白になってしまった。
速人はひとさし指を舐めて風の流れを調べる。
不意にやや湿った風が唾液で濡れた指先を掠っていく。
速人は再び、風の流れを辿って歩き出した。
ディーと雪近は速人の背中にぴったりとくっつくようにして移動する。
速人は不意に足元をランプの光で照らす。
先ほどから靴底の感触で地質が変わっていることに気がついたからである。
速人同様にディーたちも足元に目を向ける。
道らしきもの路面にはいくつもの大きさな石が転がっていた。
速人はそれらを避けるようにして後からついてくる二人を先導する。
その後も速人たちはいくつもの天然の障害を乗り越えてどうにか寛げそうな空間に辿り着いた。
ディーと雪近は山ほどもある岩石を登ったり、反対に奈落まで続いていそうな坂を降りたので疲労困憊になっていた。
速人はランプを地面に置いて小休止をすることにした。
ディーと雪近はすぐにランプの近くで座り込み、水を要求する。
速人はリュックから大きな水筒を取り出し、カップの中に注ぎ込んだ。
ディーと雪近は手渡されたカップの中身を一口で飲み込んでしまった。
「ふう、生き返ったぜ。ところで速人、ここまで勝手について来てこんな事を言うのは何だが帰りはどうするんだ?」
「はっ!はわわわわっ!そういえばすっかり忘れてた!こんなところもう一回、通って帰るなんて無理だよ!」
雪近の言葉を聞いたディーはさらに真っ青な顔になってしまった。
雪近の顔はまだ少し余裕のようなものが残っていたが、ディーは道中で体力を使い果たしている。
速人は涼しげな顔で取って返した。
「大丈夫だ。いざという時はお前らを残して俺一人で帰るから」