第四十六話 夜、吹きすさぶ風が通り抜けて。やって来た朝はどこか違っていた。
行間開けて水増しじゃあ!!ではなく次回は3月21日に投稿します!!
夜。
春の終わりを告げる強風に晒されながら、何百年ぶりかの覚醒の時を迎える。
宿願は果たされぬまま時間だけが過ぎ去ってしまったのだ。
と一人ごちた後、黒い瞳に光を灯した。
(魔力が足りない)
”それ”は人間でいうところの手足に相当する感覚器官に、それとなく意識を映した。
本来ならば戸板に水を下ろしたかのように全身くまなく魔力が行き渡たるはずのなのに具合が宜しくない。
いくつもの障害と違和感。血行が鈍った為に末端からも冷たさのようなものを感じる。
これほどの不足を感じたのはこの祭器に自我を移してから始めての経験だった。
(記憶障害も酷い。このケースに対する処方は外部の備品と同調する必要があるな)
槍は”詠唱者”と呼ばれる自身を形成するパーツの一部、穂先の飾りに意識を移動させた。
(ここもノイズがひどい)
まるで蜘蛛の巣だらけのボロ家に入ったような気分だった。
最低の苦境にもめげすに槍は己の仕事をこなす。
ほどなくして槍の先端近くに施された人の顔の形を模した意匠に魔力が通る。
その頃、遥か遠方どこかの自治都市近くにある小山の頂上で何かが首を持ち上げる。
(これはいつもの”錯覚”ではない。彼奴が目を覚ましたのだ)
それは首を真っ直ぐに伸ばして体勢を立て直し始める。
前に休眠期に入ったのはいつぞやのことか。
広げれば天を覆い尽くしてしまいそうなほどの翼の片方を開き、可動部に溜まった塵芥を長く鋭い嘴でほじくり出した。
やがて巨鳥は翼を広げ、天に向かって唸り声をあげる。
晩春の強風に混じって轟轟と響き、果てには周囲一帯を震動させる。
この巨鳥にとっては声だけでも武器になり得るのだ。
その後、巨鳥は何度か鳴いては半身に呼びかける。
(大体の位置は掴んだか)
巨鳥は小首をかしげ、”槍”の反応が強い方角を睨む。
やがて小さな嵐が晴れる頃、数百年ぶりの半身との再会に巨鳥は心を躍らせる。
かの巨鳥こそナインスリーブスに災禍の名で知られる魔獣の王の一角、黒の嵐王だった。
同日、同時刻。
第十六都市の中層にある防衛軍本部の治療院において一つの命が失われようとしていた。
男は悲愴を絵に描いたような顔で、”それ”に懇願する。
軽率であったことは認めよう。
責任は己にあったことも認めよう。
だがここまでされる理由にはならないはずだ。
男は胸を刃物で裂かれながらも助命を希う。
しかし、青と瑪瑙が混じったような色をした瞳はそれを許さなかった。
まだらの瞳の男は配下の者には「派手に振る舞うな」と再三忠告したのだ。だとすればこれは罰ではない。
犯した罪に見合った量刑というものだ。
しかもそれはナインスリーブスの人間たちから学んだものである。
「許してくれ。スケル。後生だ。今後はアンタに従う。だから、こんなことは止めてくれ」
スケルと呼ばれたローブ姿の男は昆虫の標本の如く壁に貼りつけられた男を見上げる。
(困ったものだ。感情は学習中だというのに…)
男は一旦作業を止める。
相手が、確かハウセンス・シュタイナーという名前の男に聞きたいことがあったからだ。
胸骨の切開はそれからでもいい。
スケルは形の良い小さな唇に春の陽気のような笑みを浮かべる。
(許された…)
男は涙を流してスケルに感謝をした。
「なあ、ハウセンス。前から気になっていたんだが痛みって実際どういう感じなんだ?」
スケルはハウセンスの瞳の奥を見ていた。
心の底まで覗かれているようで、ハウセンスは妙な居心地の悪さを覚える。
このスケルという男とは数年前に組織の仲介役を通じて知り合った。
男は知り合った頃ずっとから腕が立ち、頭が切れるという以外はよくわからない性格の人間だった。
しかし、実際に一対一で話をするとある疑念がふつふつと湧いてくる。
彼は本当に人間なのか。
人の皮を被った何かではないか、という疑問である。
ハウセンスは嫌な予感を振り払って出来るだけ真剣に答えることにした。
「痛み、か。どうって嫌な感じだよ。ああ、でも…、世の中には痛みを感じることで逆にイッちまう連中もいるそうだが、少なくとも俺は御免だね」
ハウセンスはスケルがジョークを言ったのかと早合点して軽口を叩く。
(なるほど。では痛みをさらに上乗せすれば、彼の痛みがどういうものかを知ることが出来るのか)
スケルは再び、刃物を手に取った。
そしてむき出しになっているハウセンスの白い腹筋に向かって刃の先端をゆっくりと当てる。
(今の私には学習が必要なのだ。その時までに私は人間にならなければならない)
スケルは刃物を皮下まで一気に押し込む。
そして血管を傷つけぬように、臓腑に触れぬように肉と筋だけを切り裂いた。
「痛い痛い痛い痛いッッ!!何でこんなことをするんだ!!ぐあああああああッッ!!」
ハウセンスは目の前で暴かれ晒し物にされる体内の地獄絵図に絶叫する。
抉り、掻き出され、ずるずると残さず何もかも芋虫のように、物心ついたばかりの童子らが虫けらで遊ぶが如く。
常人ならば発狂して死んでもおかしくはない状態だったが、例の手術を受けたハウセンスは死ぬことが出来なかった。
意識だけがやたらとはっきりとしているのに苦痛はべらぼうで、だけど正気のままのハウセンスと両手を赤く染めた男と目が合った。
「なるほど。ヒトは痛いと悲しいのだな。ありがとう、ハウセンス。これで私は痛みを理解することが出来たよ。ところで最後に我々が君に貸していた”心臓”を返してはくれないか?」
男は何かを伝えられる前にハウセンスの胸を切り始めていた。
ハウセンスは両目から涙を流しながら必死に「止めて。止めて」と懇願する。
その後、ハウセンス・シュタイナーが絶望する明け方まで彼の体内に埋め込まれたとある祭器の摘出手術は続けられることになった。
翌日、彼の死体が発見されるまでにかなりの時間が費やされることになったわけだが理由は現場の出血量の少なさだと言われている。
そして、事件の犯人であるスケルがどこからやって来てどこへ行ったのかはこの時点では誰にもわからなかった。
次の日、速人は誰よりも朝早くに起きてヌンチャクのトレーニングをしていた。
朝食の準備は既に終わっている。
まずはヌンチャクを片手に持った状態で体術の”演武”を繰り返す。
この場合の体術とはパンチ、キックなどの当て身であり、技の前後の隙を補強する為にヌンチャクを振り回す。
例えば右の上段突きを打った後はヌンチャクを振り回しながら左で半月形を描くように移動する。
仮に相手が移動中に速人の背中やわき腹を狙ってくるようなことがあれば回転中のヌンチャクでこれをいなし、上段もしくは中段の足刀蹴りを”置く”ことが出来る。
速人は古流武術をベースにして戦う為に前もって次の攻撃を相手の目の前に置くことを主眼としている。
(戦いとはペテンだ。より多くの引き出しを持ったペテン師が最後まで生き残る)
故に速人は武術の型の練習に余念というものがない。
速人は反復稽古と揶揄される鍛錬を死ぬまで続けることで集中力を維持するのだ。
左で敵の攻撃を制し、右ひざを相手の足の間に入れる。
(人中。鼻下…)
そのまま二連撃を相手の急所に打ち込む。
(相手は倒れない。距離を離す為に回し蹴り)
イメージ上の敵が右の回し蹴りを打ってきた。
速人は膝を折ってこれを回避する。
そして屈んだ状態からヌンチャクを真上に向かって振り上げた。
今の動作で八とは言わないが、五か六の確率で敵の攻撃を跳ね上げたはずだ。
速人は呼吸を整えてから再び、最初のヌンチャクの動きを止める構えに戻った。
「おい。一人で勝手に練習始めてんじゃねえよ」
速人は声をかけられたので思わず声の主の姿を探した。
エイリークの家からレミーがアインを連れて現れたのだ。
(そういえば体術を教えるとかそういう約束をしていたな)
速人は昨晩の出来事を思い出しながら、レミーとの約束を完全に忘れていたことを内心反省する。
一方、レミーは口に手を当てて欠伸を噛み殺しながら速人のすぐ近くまでやって来る。
目元に隈を作っていたレミーは速人に会うなり悪態をついてきた。
「てめえ、昨日はよくも俺のことを見捨てやがったな。あれから朝までずっと母ちゃんたちの相手をさせられたんだぞ?」
話は昨夜に遡る。
エイリーク夫婦の寝室で寝ることになったエリー、レクサ、マルグリットはレミーを連れて女子会(?)を始めてしまったのだ。
速人は飲み物の準備やらでガレージから呼び戻され、夜通しで飲み物と軽食の用意をした。
その際にレミーから助けを求められたのだが「別に死ぬわけではない」と冷静に切り捨て、さっさと部屋に帰って眠ってしまったのだ。
(※エイリークとダグザの世話をしたのはこの女子会の準備の間だった)
あれからレミーは最後まで母親たちの話につき合ったせいか体力、気力が奪われた状態になっていた。
(このまま断るのも気が引けるな)
速人がお茶を濁してこの場を去ろうとする空気を察し、レミーは歯をむき出しにして威嚇する。
右手をワキワキさせて何も知らないアインの近くに移動する。
おそらくはアインを人質に取ったつもりなのだろう。
速人は笑って誤魔化すことにした。
「それは済まなかったな、レミー。俺が悪かったよ。それで俺は何を教えればいいんだ?」
レミーはアインの首に手を回して自分の近くに寄せた。
姉がふざけているのかと思い、アインは困った顔をしている。
だがその時のレミーの目は完全に切れた時のものに変わっていた。
「とりあえずアレだ。お前が父さんを殴った時に普段より強い力を出してるヤツ。あれのやり方を教えろ。さもないとアインの顔を元に戻らないってくらい、…つねる」
レミーは毒成分が含まれていそうな微笑を速人に向ける。
速人はため息をつきながらもレミーに”胴崩し”という概念を教えることにした。
速人の使う武術には人前で使って良い”内伝”という種類の技と、”外伝”という人前で決して見せてはいけない種類の技が存在する。
本来ならば速人の使う武術は一族の秘中の秘には違いないのだがエイリークには世話になっているし、内伝の中でも”胴崩し”という系統の技は実用性が高く比較的簡単に習得できるのでレミーに教えても問題はないと考えたのである。
「あの技の名前は胴崩しって言ってな。相手の技の継ぎ目に当て身、つまりパンチやキックを当てることで動きを一時的に止める技なんだ」
速人はヌンチャクをレミーの近くに目立つように置いてから(※当然のようにレミーは視線を背けた)仮に想定した人間像に向かって中段突き、面打ちを放って見せた。
アインはまるで理解していない様子だったが、レミーは速人が人間の顎や臍の近くに向かって拳を出していることをわかっている様子である。
「おい、今のってどう見ても普通のパンチだろ。俺が聞いてるのは、お前がどうやって倍近い身長の俺の父さんを倒してるかっていう理屈の話をしているんだぜ?」
むにゅっ。
次の瞬間、アインの頬が無造作につねられた。
今の段階ではレミーがつまむ力を加減している為にアインは姉がふざけいているのだと思って笑っている。
レミーの目は睡眠不足と生まれ持ったせっかちな性格から尖がった目つきに変わっていた。
アインが苦痛の為に表情を歪ませるのも時間の問題だろう。
「理屈の話を先にすると、後でこんがらがるから最初に意図して”後の先”を取る手段の話からするんだけどな。レミーは筋が良さそうだから要点だけを説明してやるよ。まず、基本は相手にこちらの攻撃を意識させない」
速人はゆっくりと前に向かって拳を伸ばした。
(何だ。敵の目の前でパンチを止めているのか)
レミーの目算では、速人は最初から敵に当たらぬよう敵の目の前で拳を止めていた。
「これが”寸止め”という技術だ。相手に攻撃を当てないことで、こちらが攻撃してこないことを意識させる。逆にこれより内側に入ってくると、俺のパンチが当たる」
次に速人はもう一方の手で空を突いた。アインの目にも当てる為に放たれた拳であることが理解できる。
いつの間にか二人の後ろにいたエイリークが大きな舌打ちをする。
「何だよ。普通のワン・ツーじゃねえか。おい、レミー。きっとこいつ練習が終わった後で手を繋いでいいか?とか言ってくるつもりだぜ?」
それは「どさくさに紛れて手を握る」というエイリークが過去にマルグリットに対して使った策略だった。
当時マルグリットに怒られはしなかったが、力比べだと早合点したマルグリットによってエイリークは手の骨にヒビが入ってしまったらしい。
レミーはジト目で余計なことを言ってきたエイリークを睨んでいた。
「あのさ父さん。俺たち真面目な話をしてるからさ邪魔しないでよ」
レミーが言葉が完全に紡がれる前にエイリークはレミーの背後に回り、素早くスリーパーホールドを決めた。
(レミー。おお、レミー。お前も父親より別の男が好きになっちまったんだな(※そういうわけではない)。父さん、お前の成長が嬉しいぜ。だがな、俺は反逆者は絶対に許さない性格なんだよ!!)
パワー。スピード。テクニック。
あらゆる面でレミーを上回る歴戦の勇士は完全なるタイミングでバックチョークを決めた。
一体、彼にここまでさせたものは何だったのだろうか。
その名は中年男性の嫉妬心。
この世で最も厄介な感情だった(※作者の偏見によるものです)。
一瞬で気絶してしまったレミーの後ろでエイリークは恍惚感に耽溺していた。
速人はすぐにエイリークとレミーを引き剥がし、レミーの背中のツボを強めに押して意識を取り戻させる。
下手くそな口笛を吹きながら誤魔化そうとするエイリークをレミーは睨んでいた。
(いつもの親子漫才か)
速人はレミーとエイリークが口喧嘩を始める前に講義を再開することにした。
「つまり今レミーが実際に経験してわかったと思うけど「視えない攻撃」(※エイリークのバックチョークのこと)に対して人間は備えることが出来ない。聞こえない攻撃も同じな。つまり俺とエイリークさんの最大の戦力差になっている体格差のアドバンテージを相手に意識させない攻撃という方法で幾分か埋めることが出来るんだ。まあ、実際微々たるものだけど」
「反応出来ない攻撃ね。例えば?」
レミーは試しに自分の拳を握ってみる。
レミー自身、筋力増加を目的としたトレーニングをしているがエイリークの肉体にダメージを与えるほどには至っていないことぐらいは自覚している。
エイリークがぐいっとレミーを押しのけて前に出て来た。
「なあなあ、速人。そんな小難しい話よりも飯にしようぜ。俺、お腹と背中がくっついていまいそうだよ」
エイリークの純真な子供のような瞳を前に速人は困惑していた。
(まずい。このままご飯を与えなければエイリークが不良になってしまう…)
速人の中身は田舎のお祖母ちゃんだっだので欠食児童には弱かったのだ。
その時、背後からゆらりと現れたレミーがエイリークの髪を一房掴み、一瞬で引き千切ってしまった。
声に為らない悲鳴を上げるエイリーク。
レミーは背旋脚でエイリークを吹き飛ばし、速人の前に立つ。
「一番わかり易いのは奇襲攻撃だな。レミー、試しに俺に向かって攻撃してみろ」
レミーは両手の拳を握り、目の高さまで上げて構えた。
現在のボクシングよりも少し固めの構えだった。
そして左右に体を揺さぶりながら適当に距離を取り、速人の顔面を狙ってストレートを繰り出した。
速人はレミーの左ストレートを左手で受け止め、即膝蹴りで反撃に転ずる。
(反撃が…、来るッ!!)
レミーはすぐさま腹部と下半身を守る為に後退しながら下に向けてガードを固めるが速人が追撃してくることは無かった。
速人は「今日の分は終わりだ」と言わんばかりに構えを解いて、踵を返して自分の部屋に向かって歩いて行った。
「おい!!これで終わりかよ!?」
レミーにとっては肩透かしを食らったような気分だった。
反撃を必ず受けると思っていたからだ。
否。反撃を食らったものとさえ思っていたのだ。
乾いた汗がやけに冷たく感じられた。
「レミーなら、今ので大体わかったろ?当るかもしれないって思わせて見当違いの方向にガードさせる。これが”胴崩し”の極意だよ。要するに意図して反撃しなければならない状況に相手を誘い込んで無駄な体力を使わせるって戦法だ。他にもいくつかパターンがあるからそれは明日にでも教えてやるから。今日はもう学校に行く準備でもいたらいいんじゃないか?」
速人の指摘は概ね正しかった。
昨晩は母親と小母達の女子会(?)につき合ったせいで着替えも満足にしていない。
レミーがその場に立ちすくんでいると突然、速人が声をかけてきた。
「まあ、今のレミーじゃ俺どころかエイリークさんに追いつくのは難しいだろうな。ところがどっこい、一足飛びで俺やエイリークさんに追いつけるとっておきの方法があるとしたらどうする?」
速人は春の木洩れ日のような微笑をレミーに向けた。
レミーは速人のいつの間にか手に握られている花柄の入ったピンク色のヌンチャクを見た。
(この野郎。めっちゃしつけえよ)
レミーは速人の無限のガッツに辟易していた。
「いや。いい。アイン、学校の準備に行くぞ」
「速人。また後でね」
レミーはアインを連れてそのまま家の中に入ってしまった。
(ゲームはまだ始まったばかりさ。レミー)
速人は背中に哀愁を漂うわせながら小屋の中に入って行ったという。
そして春の風に吹かれながらうつ伏せになったまま自慢の髪を抱き締めながらエイリークは泣き崩れるのであった。