第四十話 報告事項
次回、3月3日。少し長くなるのでご注意を。かなりギリギリです。
エイリークは魚肉を包丁で叩いて作った団子を食べながら談笑するダグザの家族と自分の家族の姿を見ていた。
食卓に並べられた魚と野菜をふんだんに使った料理とを見比べると、エイリークは過去を懐かしむような悲しい気持ちになる。
エイリークが子供の頃、両親と共に過ごす時間は少なく大半はダグザの実家で食事をしていた。
といっても今のダグザの邸宅でもダールとエリーが暮らす立派な屋敷ではない。
第十六都市の下層にあるレプラコーン街の奥にあるダグザの祖父母が住む家だった。
その頃今は亡きダグザの祖母メリッサは快活を絵に描いたような性格で、食事時にはいつも大勢の客を招待していた。
特にエイリークの少年時代は戦争で都市の機能が麻痺してしまうことが多く、子供たちは満足な食事を与えられることは少なかった。
心優しいメリッサは近所の子供たちも招待しては食事を振る舞っていたのだ。
ダグザの祖父スヴェンスはあまり良い顔をしていなかったがメリッサの方針にはKホン的に口を出さず、しばしば食事の手伝いをすることもあった。
メリッサは戦後すぐに過労が原因で死んでしまった。
メリッサの死後、勝手に市議会の議長の座を降りてしまったスヴェンスとダールは親子仲が悪くなり、ダールはエリーとダグザを連れて実家を出てしまった。
今でもダールとダグザが仲直りをしたという話を聞いたことはない。
他家の親子の問題とはいえ、ダールやダグザには恩義がある。
例えばマルグリットたち。
彼女が第十六都市で生活出来るようになったのはダールとスヴェンスのお陰だ。
マルグリットの両親は超がつくほどの悪党で帝国の隊商を襲撃するという暴挙に出た末、帝国の正規兵に捕まりその場で処刑されたという話をエイリークは両親から聞かされたことがある。
エイリークの父マルティネスが帝国の将兵と話し合い(※パンチとキックを使った)の結果、捕らえられていたマルグリットたちは助けられたが、やはりその後マルグリットだけは引き渡すように言われたのである。
その時は議長の座を引退したはずのスヴェンスがわざわざ復帰してマルグリットを守ってくれたのだ。
帝国の貴族の間では今でもダグザの祖父スヴェンスや故人である曾祖父エヴァンスを帝国の五公に推挙しようとする動きがある。
エイリークは帝国の人間に以前聞かされた話だ。
ルギオン家の人間に騒がれると皇帝を傀儡にして操っている今の五公の立場が悪くなるので結局、ダナン帝国はスヴェンス一人を恐れて引き下がったという話だ。
端から見ている分には普段は無口だけど声のやたらと大きい爺さんという印象しかない。
だがエイリークが両親を失って一人になってしまった時、最初に駆けつけてくれたのはスヴェンスだった。
あの時、スヴェンスがいてくれなかったらおうなっていただろうか。
エイリークは再び、自分の家族が楽しく団欒の一時を過ごしている姿を見ていた。
(ここにあるものは全て人からもらったものだ)
エイリークは感傷的になりながら野菜を食べていた。
「エイリーク、大丈夫。そのサラダ、中にいっぱいお野菜が入っているわよ?カボチャやニンジンには毒が入っているって言ってたわよね。言い難いことなんだけど、サラダにはニンジン、カボチャだけじゃないわ。貴男の天敵セロリも入っているのよ。そろそろお腹が痛くなってきたんじゃないのかしら?」
幼い頃のエイリークをよく知るエリーが心配そうな顔をして声をかけてきた。
かつてエイリークは野菜を食べたくないという理由で練兵場の教官を全員倒したことがある。
エイリーク伝説の一つだ。
エリーの瞳は心なしか涙を浮かべているようにも見えた。
「ご安心ください。マダム・エリー。エイリーク殿にとってお野菜は敵では無くなりました。今は友なのですよ」
速人はエイリークの皿の上にトングでハムと野菜のマリネをレタスで巻いた食べ物を乗せる。
エイリークはレタスに巻かれた赤や緑を見て嫌な顔をするが、速人の作ったハムの誘惑に負けて一気にかぶりついてしまった。
そのままバリバリと噛む。
脂肪少なめの淡白な味のハム。
やや濃い目の味つけのドレッシング。
野菜がそれらの橋渡しになって味を最良のものに仕上げている。
(俺、今野菜食ってるんだよな。あんなに嫌いだった野菜を。畜生。野菜なんかと仲良くしなければならないなんて世の中やっぱり間違ってるぜ)
エイリークは目の端から涙をこぼしながらレタスを食べ尽くした。
「ところでお前、今日どっかに行って来たみたいだけど。肝心の肉は手に入ったのかよ?」
ドキリ。
エイリークは単なる世間話のつもりで言ったが速人は一瞬だけ言葉に詰まってしまった。
肉は実際手に入っていない。
アルフォンスとそれらしい約束を取り付けたが、期日に間に合ったとしても若いオスの牛が一頭。とてもではないが足りない数だった。
「さっき大市場に行ったんだけど、ちょっとトラブルがあって牛を何とか一頭だけ手に入るみたいな約束をしたかな、と…」
最後の方は消え入るような声色になってしまった。
なるべくエイリークと目を合わせないようにしている。
いつものエイリークならばここでパンチの一つでも打ってきそうだがエリーが近くにいるせいか今のところは何もしてこなかった。
(気まずい。まるで子供にお土産を買って来るのを忘れてしまった父親のような心境だ…)
速人としてはむしろおとなしくされていた方が居心地が悪かった。
しかし、速人の矜持が世俗の因習に屈することを許さなかった。
速人は自分を追い込む意味でエイリークに向かって期日までに材料を揃えることを約束する。
「まあ、仕方ないよな。普通に考えれば新人の子供が店に金を持って行っても相手に盗んだ金じゃないかって疑われるだけだし」
エイリークは力無く笑っている。
常識的に考えれば財産を持つことが許されない新人が都市で買い物をすること自体が無茶な話である。
「明後日までには必ず用意する。だから俺を信じて待ってくれ。この通りだ」
速人はその場に正座して、深々と頭を下げる。
エイリークたちにはそもそも土下座をするという習慣がないのでやや混乱していたが、いつまでも頭を下げた姿勢でい続ける速人の姿からエイリークは速人の覚悟めいたものを感じ取る。
エイリークは速人の頭を軽く叩いた。
「そこまで言うなら、今回は特別だぜ?速人」
「かたじけない」
速人は立ち上がり、もう一度エイリークに頭を下げる。
その後、速人は雪近とディーにいくつかの指示を与えるとメインとなる食べ物を取りにキッチンまで戻って行った。
殊勝な速人の姿に感銘を覚えたダグザが雪近にそっと耳打ちをする。
「ところでキチカ。速人と今日、大市場に向かったそうだが何かあったのか?」
「ええと、実は…・。うう…何だっけ?」
雪近は大市場で起こった出来事を思い出し、さて何と伝えたものかと首を捻る。
すると悩む雪近の姿を見かねたディーが彼に代わって大市場で起きた出来事について語り出す。
「街には人がいっぱいいてね。俺とキチカと速人でね、とっても広い道を歩きながら荷車とかお空まで届きそうなくらい大きな建物とか生まれて初めて見たよ。楽しかったなあ」
ディーは駅で見かけた荷車や駅そのもの、商館の入った高層建築物のことを思い出しながらにこやかに語る。
レミーはさも興味なさそうに、アインは過去に大路を通りかかった時のことを思い出しながら聞いている。
ダグザや他の面子もおとなしくディーの話を聞いていた。
その後、オーク街の近くを歩いている途中にアルノルトと出会ったこと。
大市場でオーク族のアトリとカトリという姉妹と出会い、大市場を乗っ取ろうとしていた彼女たちと速人が料理勝負をしたことなどをディーは自分のことのように熱く語った。
この辺りから聞き役に徹していたダグザたちの表情に変化が現れる。
わざとらしい咳払いをした後にダグザは表情を引きつらせながらディーに尋ねた。
「オッホン。待ってくれ、ディー。どうしてオーク族との料理勝負なんかになったんだ?そもそも大市場にオーク族が来る必要などないはずだが」
「あれ?キチカ、アトリたちが大市場まで来た理由って何でだっけ?」
ディー自身も事件現場にいたのだが速人の料理を手伝っていた為に又聞き程度の情報しか持っていなかった。
しかし、話すこと自体が苦手だったディーにとっては大きな変化なのだろう。
また雪近自身も第十六都市を取り巻く事情にさして詳しいというわけではない。
一方、ダグザの方も従来ならば下町と上位種族の間では互いに不干渉という立場を通すことで平穏を保っていることを知っている為か動揺を隠せないといった状態だった。
(まあ察するにそういうところか…)
速人はキッチンから食堂に移動する途中、ディーの話を聞きながら大方の状況を察している。
本来ならエイリークとマルグリットに速人が直接伝えるべき案件だったのだがダグザの来訪で少しばかり予定を変更しなければならなくなってしまったのだ。
(今日の事件はディーや雪近には口止めをしておくべきだったな)
内心舌打ちをしながら速人は蓋つきの大きな金属製の皿を乗せた台車を食堂にまで押してきた。
「!!!」
アインやレミーよりも早くエイリークとマルグリットが席を離れて駆けつける。
図体のでかい中年が腰あたりまで伸ばした金髪をなびかせながらはしゃぐ姿には直視し難い痛々しさがあった。
隣の絶世の美女と言っても過言ではない女性が子供のように目を輝かせている姿にも同様の違和感を覚える。
そんな中、彼らの子供たちは殺人者のような眼差しで両親の姿を見守っていた。
「肉だろ?肉だよな!肉だって言えよ!早くしろよ!お腹ぺこぺこなんだよ!」
速人はダグザに目くばせして質問を中断する胸を伝える。
ダグザは全てを諦めたような目をした後に、頷く。
そしてダグザはがっくりと肩を落としながら自分の席に戻って行った。。