第三十七話 牛肉ゲットだぜ!!
すいません。中途半端になってしまいました。次回(2月23日)までには何とかします。
かくして今日の大市場は売り出された品物が完売するという成果を得る。
全てが解決したというわけでないが商売人たちも懐が温まって満足している様子だった。
中でも速人にとっての想定外の事態とは、上層の物資不足と下層の貧困と治安の悪化が現在進行形で深刻化していることだ。
流通がギルド頼みの上層は物資不足がじわじわと市民の生活を侵食し、下層は活況ながらも収入は減退する一方である。
(何らかのテコ入れが必要だな。ダールさんか、それ以上の影響力を持った人間の協力が必要になる。全ては俺の目指すヌントピアの為に)
速人は気合を入れ直し、地面に転がっていた木箱を持ち上げる。
その時、軽やかな足音が何者かの接近を伝える。赤い豪奢な服装に身を包んだオーク族の少女、アトリだった。
「今日はお疲れさん。ご苦労さん。お前のことを誤解していたぜ」
アトリは手を大きく振りながら仕事を続ける速人に声をかける。
隣のカトリはいつもと変わらぬ様子だったが表情は穏やかで満足している様子だった。
速人は露骨に警戒していた。
「なあ、速人ちん。仲良くしようじゃねえか?自慢じゃないがアタイは基本金の卵を産んでくれる雌鶏は大好きだぜ」
「失せろ。メスブタ。焼き豚にして食うぞ」
速人とアトリは互いにストレートな感情をぶつけ合う。
カトリはそんな二人の様子を見ながら苦笑している。
残念ながらオーク族にはメスブタは悪口に聞こえない。
なぜならばオーク族にとって肥え太った豚は豊穣の象徴であり、子だくさんのメス豚は多くの財産を持った社会で成功した女性の例えに使われることが多いからである。
無論、他種族に言われればアトリとて腹が立ったのだろうがビジネスを予想以上に成功させた速人が相手ならば同種族から称賛を受けたものと考えられる。
さらに速人の外見はオルクスの化身、妖精王オベイロンの家臣ブウブウによく似ている。アトリが怒る要因は何一つとして無い。
「なー。なー。機嫌を直せって。アタイだって別に好き好んで貧乏なおっさんを騙して財産ふんだくろうと思ったわけじゃないんだぜ?こう、結果的にオーライみたいな?」
「げふっ!げふっ!!」
アトリの発言を聞いたアルフォンスが急に咳込んだ。
アトリは速人の背後に回り抱きつこうとする。
しかし、速人は背後からしな垂れかかってくるアトリを回避した。
「チッ」
アトリは軽く舌打ちをする。
そして速人は空になった商品が入っていた木箱を一か所に集める。
速人はそれでも近づいてくるアトリに向かって片手で追う払うような仕草をした。
そもそも速人とアトリには根本的な違いがある。ア
トリは金銭の利益のみを優先し、速人は集客をあげる実利を求める。
一見、両者は同じようで本質は決して相容れぬものだ。
カトリが笑いをこらえながら二人の様子を見ていた。
「何が結果オーライなものか。俺は買い物の用事でここに来たってのに邪魔ばっかしやがって」
そう速人が今日ここに買い物に来た理由はエイリークの家で行うパーティーの時に出す料理の材料を買う為だった。
速人はもう一度大市場の中を見たが、牛一頭どころか半身さえ見当たらない状態だった。
(”大山鳴動して鼠一匹”とはこのことか)
速人の胸中を知ってのことか、アトリは口の端を吊り上げてニッと笑って見せる。
実に魅力的な容姿だが今は憎らしいだけにしか見えない。
「買い物?ああ、そんな話してたねー。まあまあ、今日は運が悪かったってことで。本当に困ったらアタイが金を貸してやるよ。トイチでさ」
(誰のせいでこうなったと思っている!!)
ビキビキビキっと一瞬で速人の額に血管が浮かせる。
アトリはニヤニヤと笑いながら内心怒り狂う速人の姿を見て楽しんでいる。
やがて背景が歪むほど異様な闘気を放出している速人にアルフォンスが声をかける。
「速人。お前、肉が必要なのか?」
速人は首を180度回転させる。
首だけ後ろを向いている速人の姿を見た一同は絶句してしまった。
アルフォンスもどうしたものかと目を白黒させている。
そして、この時ばかりは豪胆なシャーリーも驚愕のあまり額に汗を浮かせていた。
「ウシ。メス。二頭。産前」
速人は極めて簡潔に答える。
アルフォンスは速人の話を聞いた途端に黙り込んでしまった。
晩春の時期に牝牛二頭。
父親から精肉店を受け継いで二十年のアルフォンスの実力をもってしても良い返事を出すことができない難しい問題だった。
「残念だが今のこの時期、メスの牛を手放す農家はいねえな。だが俺もプロの端くれだ。明日までに若いオスを一頭なら用意してやれる。どうだ?」
(言うだけ言ってみるもんだな)
アルフォンスの話を聞いた直後、速人は口元に会心の笑みを浮かべる。
速人とアルフォンスは固い握手を交わし、後日速人が牛を受け取りに来る約束をことになった。
アトリは少しだけ面白くなさそうな顔で二人の姿を見ていた。
後片付けが終わった後、ラッキーたちの話し合いによって次回の大市場の開催は三日後に見送られることになった。
売り物が無くなってしまったのだから仕方ないということなのだろう。
現場に復帰したアルフォンスは都市の周辺にある街や村に声をかけて商品を集めるような話をしている。
その際に問題になったのは生活世品の不足だった。
ナインスリーブスでは第十六都市に限らず融合種のような下級種族は生活用品を作る技術に携わることを許されていない。
上位種族に頼んで用立ててもらう以外に術はないのだ。
今までは上層の各ギルドとのコネクション、よその都市の隊商との取引でどうにか賄ってきたがこの先は困難なものになることが予想される。
議論が煮詰まり、大市場の商売人たちの表情が曇り始めた頃に帰り支度を始めたアトリたちが取引を持ち掛けてきた。
大市場とドレスデ商会との直接的な取引である。
アトリは下層のオーク街にあるドレスデ商会の商館に使用人を向かわせて生活用品のサンプルを持って来ていた。
ランプと燃料。
石鹸。
頑丈な桶、まな板、新品のナイフ。
清潔な布、丈夫な縄。
どれも下層では入手が難しい品物ばかりだった。
アトリはこれらの品物をただで譲ると言い出してきた。当然、商売人たちは喜んだ。
「どうだい?うちの商品は気に入ったかい。これからは上層の高級品を安値で取引してやるよ」
シャーリーはガラスのコップを手に取って見ていた。
ラッキーやアルフォンスは握り潰してしまわないものかと心配そうに見ている。
シャーリーは密かにガラスの食器に興味があったのだ。
アトリは小瓶を開けて自分の手に香水を振りかける。
そしてシャーリーの頬を軽く撫でたやった。
アトリの手から一瞬にして薔薇の香りがシャーリーを包む。
ほんのわずかだがシャーリーは薔薇の香水の匂いに夢中になってしまった。
「シャーリーちんもこういうのは嫌いじゃないだろ?旦那さんだってきっと薔薇の匂いをつけてやったら喜ぶぜ。けけっ」
アトリはそう言ってシャーリーの手に香水の入った小瓶を乗せる。
シャーリーは釈然としない表情で小瓶を見つめていた。
次の瞬間にアルフォンスと目が合ったが反射的に目を逸らしてしまった。
そんなアルフォンスとシャーリーのやり取りをアトリは白い歯を見せながらニヤニヤと笑っている。
その後、アトリはシャーリーによって頬をつねられて逆襲された。
「んぎゃあああ!!!」
シャーリーとしてはかなり手加減したつもりだったがアトリの悲鳴が周囲に響き渡る結果となった。
「あのさ、ラッキーさん。、アルフォンスさん。シャーリーさんって、アトリに対してはやけに甘いというか優しいところがあるような気がするけど何かあるのかな?」
速人は悶絶しているアトリに向かって頭を下げるシャーリーの姿を見ながらアルフォンスとラッキーに尋ねた。
ラッキーは「あれのどこにそういう要素が?」とギョッとしたような目で速人を見ていたが、アルフォンスの方は昔を懐かしむような目で自分の妻とアトリのの姿を見ていた。
「ああ、あれな。多分あの娘を見てワンダちゃんのことを思い出しているんだと思うぜ。ワンダちゃんってのは昔うちで面倒を見ていたオークの女の子なんだが、シャーリーが相手でも恐がらないしそこらを引っ張り回すような子だったのさ」
速人はワンダの姿に架空上のロシアンレスラー、ザンギエフの姿を思い浮かべていた。
さらにワンダ(仮)が「ハラショー!!」と言いながらシャーリーにジャーマンスープレックスをしかけようとしている。
しかしシャーリーは強烈なエルボーをワンダの顔に入れている。
ぐちゃり、とそんな音がしたような気がした。
ワンダ(仮)の顔が赤く染まる。しかし、鼻血を流しながらもワンダは不敵に笑い、シャーリーの身体を背後に向かって落とした…。
「お話のところ申し訳ない。アルフォンス君。カトリ君とアトリ君はワンダ君とユオーチ君の娘なのだがもしや存じていなかったのかね?」
アルノルトにアトリたちの素性を知らされたアルフォンスは笑い出した。
近くにいたラッキーとガーランドも一斉にに笑い出す。
「なるほど。道理で俺が上手く乗せられちまうはずだ。ワンダちゃんとユオーチの娘さんだったのか。コイツは傑作だ。なあ、ラッキー?」
「あの気風の良さ、どこの誰かと思えばワンダちゃん譲りのものだったのか。兄貴が乗せられちまうのも仕方ないな」
ラッキーは両手で口を押えながら必死に笑いをこらえる。
隣で二人の話を聞いていたガーランドなどは腹を抱えながら大笑いしていた。
一方、アルノルトの方は三人の様子を呆気に取られながら見ている。
(なるほど。変態男爵が赤青の豚姉妹と俺の料理勝負に介入してきた理由はこれか)
速人はアルフォンスたちの会話を聞いて一同の人間関係と事情を理解した。
「我々の刻限も近くなった。そろそろ帰るぞ、アトリ」
カトリは空の様子を気にしながら涙目になっているアトリに忠告する。
夜までに自宅に戻らなければしばらくは外出禁止になる可能性があったからだ。
「ねーちん。これ元に戻るのかな」
アトリが真っ赤になってしまった頬を摩りながら姉に尋ねる。
しかし、カトリは一瞬妹の顔を見ただけで気にしてはいないようだった。
おそらくはカトリの認識では怪我のうちに入っていないということだろう。
使用人の一人、おそらくはフランシスが腫れを引かせる治療魔術か何かをアトリに使っていた。
「まあ、問題は無いだろう。顔の傷は武人の誉れ、勲章だと思え」
「それ!ねーちんの話っすよね!アタイには関係ないっすよ!」
アトリは憤りを隠さずに反論する。
しかし、カトリは憤慨するアトリを「いつもながらに大げさなヤツだ」と気にしてはいないようだった。
そして、去り際に速人の姿を見た。
「今回はいろいろと迷惑をかけた。機会があればまた会うこともあるだろう。またな、兄弟」
カトリは渋るアトリと使用人たちを率いてオーク街の方角に向かって歩き出す。
速人は両腕を組みながらカトリの姿を見送った。
カトリの言葉に違和感を覚えたディーが速人に事情の説明を求めた。
「あのさ、速人。あのカトリっておっかない子が言っていた兄弟ってどういう意味なのかな?」
速人は口の端をニヒルに歪めながら答える。
「おそらくは俺が自分の父親と同じような料理を作るから、もしかすると俺がカトリの父親がよそで作った子供じゃないかと勘繰ってかまをかけてきたんだろうな。だけどそれは絶対に違う。なぜなら俺の家族はこれだからな」
速人はメタ発言をした後に、懐にしまっておいたガラケーを取り出した。
消えかかった液晶画面に四人の親子と思われる画像が映っている。
速人をそのまま女性にしたような中年の女性。
大柄な怒った顔つきの中年男性。
速人を少しだけ大きくしたような青年。
そして、おそらくは一番小さな子供が速人なのだろう。
やがて液状画面が消えて、ガラケーは砕け散ってしまった。
最後に残された家族との思い出が消え去り速人は力無く笑う。
ディーが心配そうな顔をして速人に聞いてきた。
「あの、今のあれって速人の家族?」
「これでいいんだ。多分、俺の家族はもうこの宇宙のどこにもいない…」
それだけは何故か痛烈なほどに理解していた。
(俺のいた世界は、もうこの宇宙のどこにも存在しない)
それはわかりきっていたはずのことなのに、速人は大粒の涙を流すのであった。