第三十六話 大自由市場、開催。さらに何の話だか分からなくなってきた件
次回は2月20日に投稿します。
ガーランドは出来るだけ見栄えのする商品を持ってきた。
脂ののっていそうな大きな青魚。
季節柄色は薄いが甘そうな春人参。
殻つきのナッツ類や柑橘系の果物も入っている。
全ては都市内の業者からガーランドが直に仕入れてきた食料だった。
「おい、速人。仮にこれを売ったら、どれくらいで買ってくれるんだ?」
ガーランドは期待に満ちた視線で速人を見つめる。
(そろそろ娘の結婚式の為に金を用意しておきたい)
実際ガーランドの懐事情も寂しいものだったのだ。
大市場では物を売れば確実に買い手が存在するが、そもそも客はお金を持っていない人ばかりなのだ。
商品を高く売りつけようにも、昔なじみ相手の商売とあっては寝覚めが悪くなる一方だった。
「50万QP…、ラッキーさんの半分くらいの値段ですかね。今の入り用はお肉ですから」
速人はアトリたちの姿を見る。
他の精肉店の人間は自分の店に戻って行ってしまった。
ガーランドはガックリと肩を落として品物の入った大箱を下げようとする。
しかし、間一髪の差でガーランドの妻が箱を取り上げて再び速人の前に出した。
「ねえ、速人ちゃん!これ全部で50万QPってのは本当かい。ビタ一文、まかんないよ?それとさ、売り子が足りないんだったらおばさんがやってもいいかい?これでも勘定には自信があるんだからね」
速人とボギーは同時にニヤリと笑った。
(どうやら女の方が利口だったか。早くも仕組みを理解しやがった)
速人は笑顔で50万QPではなく、1万PQPをボギーに手渡した。
指定された金額を受け取ったボギーは驚いてはいなかった。
だが、その一方で見たこともない硬貨と実質的な価値を突きつけられた夫ガーランドは動揺を隠せないでいる。
ボギーは呆気に取られているガーランドの頭を平手で叩いた。
「アンタ、なにやってんのさ。さっさと店に残っている魚の干物やら山菜やら全部の商品を持ってきな。どうせ今からじゃうちに置いておいても売れっこないんだからさ」
ボギーの言葉を即座に理解したガーランドはすぐに自分の店に戻る。
その間、ボギーは次々と商品棚を作り上げていった。
そして、タイミングを見計らったアトリが速人たちの近くにやってくる。
そして、アトリは実家から持ってきたPQP硬貨が入った袋をシャーリーに見せた。
「ここに100万PQPの入った袋がある。オバちゃん、アタイらにも商売に一口かませてくれないか?」
アトリはPQP硬貨が入った袋ごとシャーリーに手渡し、屈託のない笑みを浮かべている。
シャーリーはアトリの姿を見て昔なじみの少女の顔を思い出した。
いつも周囲の人間を驚かせ、事件があれば渦中に必ずいた新人の少年とオーク族の少女。
孤児たちの面倒を見ていた頃は自分の娘のように思っていた。
そして少女はいつしか少年と共に養母のところに行ってしまった。
今はどこでどうしているかは知らない。
シャーリーはアトリの笑顔から過去の出来事を思い出してしまう。
(まあ、あの娘はノーマのババアのところに望んで行ったのだから心配はしていないけどね)
シャーリーは何かを吹っ切ったような顔をする。
そして、アトリに向かって右手を出して袋を渡すように促す。
「そうこなくっちゃ。オバちゃん、話がわかるね!」
アトリはニコリと笑った後に、シャーリーの手の中に袋を乗せた。
(どこかで見たような光景だな。あれは…そうだ。ワンダたちを送り出す時にシャーリーが金を渡した時だっけか)
アルフォンスは昔を思い出して微笑んでいた。
シャーリーは無造作にPQP硬貨が入った袋をアルノルトに投げつけた。
はしっ。
アルノルトは受け取った袋をみてため息をつく。
そして袋の中身を確認してから、問題がないことをシャーリーに伝えた。
「アトリだったかい。ここで商売をしたければ、まずここのルールに従いな。アンタがどこの誰だろうが分け前はみんな同じくらいにする。一人だけズルして儲けると後でケンカになるからね。守れない場合は金は全額返すけど、私がアンタをぶん殴ってここから叩き出す。いいね?」
シャーリーは難しい顔をしながら両腕を組んでアトリに注意を促した。
シャーリーはアトリの姿を見ているとどうにも昔なじみの姿がチラついて、いつものように強きに出ることができないのだ。
これでも。
シャーリーの不器用な優しさを知るアルフォンスとラッキーがらしからぬ彼女の姿を見て微笑んでいる。
「心配は無用だ、シャーリー殿。妹が勝手なことをしようものなら、姉である私が責任をもって直々にぶん殴る」
背後から現れたカトリがアトリの肩を掴む。
調子に乗りやすい妹の性格を知ってのことである。
「アハハ…。ねーちん、オバちゃん。了解っす…」
その後、アトリはスーツ姿の男たちに店の準備を手伝うように命じた。
無償の労働ではなく緊急で給料を出すと言うところに、速人はアトリの商才の片鱗を感じた。
その後、大市場の商売人たちとドレスデ商会から来たオーク族によって下層、下町に住む上位種族の為の売り場が作られた。
ドレスデ商会からやってきたオーク族の協力もあって、大市場本舗と変わらぬ出来栄えとなっていた。
速人はアルフォンスとシャーリーに呼び込みの号令を頼み、自身は売り場の雑用として行動をする。
速人が品物を詰める空の木箱を用意している時に、心配そうな顔をしたラッキーとガーランドがやってきた。
おそらくはこの急場しのぎの即売会場が本当に成功するか、気になってのことだろう。
彼らは大市場の立ち上げに関わった張本人である。無理からぬことだ。
「おい、速人。これは本当にうまく行くのか。俺はどうも眷属種連中ってのが苦手でよう」
ガーランドは普段とは想像もつかない暗い表情で速人に尋ねる。
ガーランドにとっては新人である速人よりも眷属種たちの方が信用に足らない存在なのだ。
速人はガーランドの不安を払しょくする為に気さくに返してやった。
「ははっ。ガーランドさんは心配性だな。大丈夫だよ。多分、今日の商売はすぐに終わると思うし。問題は次回からどうするかってことだな」
速人の答えをどう受け取ったかは知らないが、ガーランドは妻の元に戻って行く。
ラッキーが代わって速人に今後の様相について訪ねてきた。
「速人君。俺も何度か眷属種相手に商売をしたことがあるがいろいろ意見が合わないことが多くてね。君の実力を疑うわけじゃないが、本当に上手く行くのだろうか?」
「大丈夫だよ、ラッキーさん。もっと自分のところで扱っている商品に自信を持ってくれ。多分、今日の商売はすぐに終わってしまうと思う。さっきガーランドさんにも言ったけど本当の課題はこれからどうするかなんだ?」
(そう。問題は格安で良質の商品をどうやって提供し続けるかだ)
むしろ速人の懸念は安定した供給を続けることにあったのだ。
今日、市場で手元にある品物を売り切ってしまえば次回にはより多くの品物を求めて買い手が大挙して押し寄せるはずである。
”捕らぬ狸の皮算用”ではない。
これら全ては速人の経験と実績に裏打ちされた信頼に足る計算である。
次回の開催までには今以上に食料が必要となる。
大市場の関係者の協力は必須となるだろう。
今は如何にして旧来の関係者たちの信頼を勝ち取り、次回の”自由市”の準備をするかが最大の難点でもあった。
深刻な表情をしている速人の頭に大きな手が置かれた。アルフォンスの大きな手だった。
「まあ、お前の考えていることは何となくだけどわかるぜ。だけど、安心しろ。俺たちも伊達に長い間ここで商売をやってるわけじゃないからよ」
速人は素直に頭を振って作業に戻る。
アルフォンスもまた腰痛をこらえながら急ごしらえの市場の準備を手伝った。
かくして”ブロードウェイ精肉店”改め”ブロードウェイ商会による自由市場”が開催される。
アルノルトは机の上で算盤と釣銭を持って会計役をさせられていた。
その後、シャーリーの号令のもとに自由市が幕を開いた。
入り口に身を潜ませていた立ち入ることが出来なかった上位種族、下級種族の人間たちがいっせいに市場の中になだれ込んでくる。
シャーリーたちは品物を次々と売りさばき、アルノルトと他のオーク族たちが買い物の代金を受け取り、釣銭を手渡していった。
これほどの大盛況を見ながらも、速人の心は晴れることは無かった。
今さらながらに気がつかされてしまったのだ。厳格な人種差別が作り出す経済苦境というものに。
(やはり思った通り、下層には”銀行”が無かったか。内側に甘く、外側に厳しいギルド制の弊害だな)
速人は額に汗を流しながらも手際よく釣銭を渡すアルノルトの姿を見ながらレザンマ商会に今後、大市場で金融業をやらないかと申し出ることを考えていた。
速人の肩を人差し指で突く者がいた。
大体誰かわかっていたので嫌そうな顔をしながら、相手の方を見る。
そこには気味が悪いほど愛想の良い笑みを浮かべたアトリがいた。
「なあ、速人。良かったらアタイと仲直りしようぜ。アタイはお前が何を考えているかわかってる。銀行が欲しいんだろ?大市場の連中は金があってもどうすればいいかわからない。よそから来た連中は手持ちの金を換金する場所が無い。だったら銀行が必要だよな?」
アトリの言うように換金所とその日の収入を貯めておく場所があればこの先考えられる問題のいくつかを解消できる。
しかし、それは同時に大市場の経営にオーク族が食い込んでくることでもあった。
そして何よりも金が絡んだ時の話をするアトリの得意気な顔が油断ならなかった。
速人は浮かない顔で煮え切らない返事をすることにした。
「とりあえず今日の仕事が終わってからだ。お前のところの人間に頼んで棚を用意してもらってくれ。並べる場所が全然足りないんだ」
速人はそれとなく空きスペースを見る。
アトリはすぐに手の空いてるスーツ姿の男たちは棚を運ばせて、前に自分が買った品物を並べて売り始めた。
そして速人の方をに向かってウィンクする。
速人としても自由市に参入することを許可したのだから文句を言うことはできない。
その間にも、ここ数日の間に物を買うことが出来なかった人々が入ってくる。
速人はため息をつきながら空になった木箱を置き場の方に持って行った。
ほどなくして自由市に、大市場から全ての商品が消えてしまった。
何も無くなってしまった圧巻の光景を見たシャーリーは豪快に笑い飛ばす。
それはここ数年見られなかった痛快な景色だった。