プロローグ 6 キャラバン「高原の羊」たち。まずはこいつらを洗脳してヌンチャクを布教しよう!
プロローグが長いので構成はそのうち変えます。
しばらく考えていると山の方から「おーい」という雪近の間抜けな声が聞こえてきた。
あいつは人の話を聞いていないのか。誰の為にこんな苦労をしていると思っているんだ。
速人は奥歯をギリリと噛み締める。速人は鬼の形相で雪近の声が聞こえてきた方角を睨んだ。
「速人。そういえば俺たちのご飯はどうするんだ?」
ディーを背中に背負いながら雪近が現れた。次の瞬間、速人の姿が雪近の前から消えた。
そして、雪近の視界が速人の靴底でいっぱいになる。
めきっ。
雪近の端正な顔が歪んだ。速人のドロップキックが炸裂したのだ。
「雪近。お前の首の上に乗っかっているのはペポカボチャか?俺はその場で待っていろと言ったよな?病人まで連れだして来やがって」
速人は雪近の下半身を裏返しにすると、足を四の字に固めてから折り曲げて綺麗なスコーピオンデスロックをかけた。雪近はすぐにタップしたが、速人はそれを許さない。
「暴、力、反、対……」
その時、縛られていたエイリークの部下たちが急にうるさくなった。
速人は冷めた瞳で解体工程に入る前の畜生たちの姿を見る。
騒げば殺される。それに気がついたダグザだけが口を閉じてしまった。
エイリークはまだ気絶している。
「キチカ!助けてくれ!そこの殺戮獣人が俺たちをいきなり襲ってきたんだ!隊長はもう駄目だ。せめてダグザ様と俺たちだけは助けてくれ」
なんて素晴らしい人間関係なんだ。
速人は「この見苦しい豚どもをどうやって苦しめてから殺してやろうか」と考えていた。
もちろん雪近にスコーピオンデスロックをかけたままだった。
エイリークの部下たちを見た雪近の顔は青ざめていた、彼らはディーの住む巨人族の隠れ里を離れて元の世界に帰る方法を探していた雪近が旅先で怪我をして苦しんでいた時に保護してくれた恩人たちだったのだ。しかし、ガッチリと決まったスコーピオンデスロックが雪近を逃がさなかった。
「全面的に俺が悪かったです。軽率でした。すいません。ところで速人さん。あの人たちは俺の恩人で、できれば半分くらいの人数は生かしておいてやってくれないか?」
雪近は卑屈な笑みを浮かべながら速人に懇願する。すると速人はスコーピオンデスロックを解いてやった。
「妙な真似をすると殺すからな」
速人はダグザやエイリークの部下たちを縛っていたロープを切って、彼らを解放することにした。エイリークは気絶しているのでそのままにしておいた。
「待て。少なくとも我々に君を害する理由がない。出来れば、そのスリングで私を狙うのは止めて欲しい」
ダグザたちが立ち上がる前に、速人はパチンコを取り出して構えていた。
速人は狩りの名手でもあり、手製のパチンコでイノシシを昏倒させることもできる。
人間相手なら打ち所が悪ければ死んでしまうだろう。
「おい、役立たず。こいつらは何者なんだ?」
「ハイハイ、俺のことですよね。間違ってないから余計に腹が立つぜ、クソ。俺が世話になっているキャラバンの親方たちだよ。エイリークの旦那はお前が殺しちまったみたいだが」
エイリークは白目を剥いて倒れているので、雪近は速人がエイリークを殺害してしまったものと思い込んでいるらしい。
「いっそ本当に殺しておくか」
速人は片目を瞑り、パチンコの照準をエイリークの急所に向ける。
ギリギリギリ。後はエイリークの眉間を撃ち抜くだけだ。
「待ちたまえ。流石に殺すのはまずい。君の要求は何だ。言ってみろ」
ダグザは速人とエイリークの間に割って入って来た。
「そこにいる雪近という男ともう一人を逃がすからお前らおとなしくしていろ」
「待て。我々はキチカの保護者だ。そこに倒れているもう一人の青年については何も知らないが危害を加えるつもりはない。どうか信じてほしい」
ダグザは自分の意見を援護するように雪近に目くばせする。雪近は首を縦に振った後、速人にダグザたちのことを説明した。
雪近の話によると、ある日江戸時代くらいの日本からナインスリーブスに召喚された雪近はディーという青年の故郷、巨人族の集落で保護されていたらしい。閉鎖的な気質の巨人族が多いディーの故郷の人々は雪近のことを嫌っていた為に、雪近は集落の長老の命令で外に追い出されてしまったらしい。目隠しをして集落の外に追い出された雪近は彷徨い続け、餓死寸前になっていたところをエイリークやダグザたちの所属するキャラバンという組織に拾われたらしい。
速人や雪近はナインスリーブスでは新人という種族に分類され、他種族の奴隷としてのみ生きることを許されている。つまりエイリークたちは雪近にとってのご主人様というわけである。
「きゃらばんってのはイマイチよくわからん場所だが居心地は悪くねえ。お前も一緒に世話になろうぜ」
つくづく後先のことを考えない馬鹿だ。
速人は雪近の首の上に乗っているのは単なる飾りであることを再確認した。
「私はキャラバン”高原の羊たち”のダグザというものだ。よければ君の名前を教えてくれないか?」
「俺の名前は速人。お前たちに死を運ぶ愛らしい天使だ」
そう言って速人は両腕で自分の身体を抱くようなポーズを決めた。
ダグザは速人の頭からつま先まで見つめた。
短く刈り込んだ黒い髪。
ぎょろりとした目。主食を聞くのが恐くなるほどでかい口。やたらと鼻腔の広いブタ鼻。正直、カエルが直立しているようにしか見えない。
しかし、凹凸の少ない顔のつくりや他の新人たちに比べてやや小さな体つきには雪近に近いものがある。 何よりもキャラバンの人間が誰一人として正確に発音出来なかった「ゆきちか」という言葉を難無く発音しているところからしても同じ世界から来たものである可能性は高い。
ダグザの視線に気がついた速人はウィンクしながら、「未完の大器だ。身長はこの後メキメキ伸びる」と言った。
それは無いな。
ダグザはあさっての方角を見る。なぜならレプラコーン族の出身のダグザもつい最近まではそのように考えていたからだ。
「それではまず場所を変えて話をしよう。実は森の外に仲間を待たせている」
ダグザは右の踵に違和感を覚えた。最近になって新調した靴のサイズがあっていないのかもしれない。ダグザは大昔「靴の小人」という異名を持つレプラコーン族の出身である。
特に昔なじみのエイリークの前で靴ずれで足を痛めたと告白したらさぞ笑われるかもしれない。本隊と合流するまでは痛みの事は黙っておくつもりだった。
「おい。ダグザ」
ダグザのぎこちない仕草に気がついた速人は彼を呼び止める。そしてダグザの左脚を指さした。
「足を怪我しているのか?」
ダグザは思わず眉間に皺を寄せる。目ざとい子供だと思っていたが、まさか自分の不調まで気がつくとは思っていなかったのだ。ダグザはこの時大した怪我ではない、と会話を打ち切ろうと考えていた。
「いい塗り薬があるぞ。ひりひりしない、痛みが和らぐやつだ」
絶対に悲鳴をあげるくらい痛いヤツだ。間違いない。
「大した怪我ではない。先を急ごう」
傷口の擦れた部分が再び痛み出した。意識すると尚更痛くなってくる。
ダグザは速人から目を逸らした。
「そのうち傷口から腐ってくるかもな」
(何て嫌なことを言うガキなんだ)
ダグザの顔はさらに苦々しいものになっていた。ダグザはプライドが高く、人に弱みを見せるのが苦手な性格である。しかし、キャラバンという根無し草のような集団で生活をしている為に速人の言葉には無視できないものがあったのも事実である。
故にダグザはいくつかの疑問をぶつけてから世話になることを考えた。速人という少年は年齢不相応なほどに隙が無い(今も周囲に気を配り、こちらの反撃を警戒している)。どこかの間者かもしれない。
「塗り薬といったが、それは君の持ち物なのか?私もキャラバンの長を預かる者の一人として勝手に持ってきた物を使うわけにはいかない」
ダグザの知り得る常識の範疇では、携帯できる塗り薬のような貴重品を子供が持っているわけが無かった。さらに彼は雪近と同じく新人という奴隷階級の種族である。
あまり考えたくはないが、主人の持ち物を持ち出している可能性が高い。
現在のナインスリーブスは医薬品の類は他種族間で知識を共有することはほとんどない。
ダグザやエイリークの所属する「高原の羊たち」でも同じような事情で、種族独自の技術の公開は慎重に行われていた。
古の戦でハイエルフたちが力を求めて他種族の知識をみだらに集積した結果、小競り合いが大戦に発展した悪い例も存在する。
ゆえにダグザも技術者の端くれとして、親切心からの申し出とはいえ疎かにするわけにはいかなかったのである。
「これは俺が作った薬だ。効き目は抜群だから安心してもいいぞ」
子供の作った塗り薬。
ダグザは別の意味で心配になってきた。だが、先ほどから左の踵がジンジンと痛んでいるのも事実だった。
ダグザは失敗した時は塗り薬を水で落とせば良いか、と考えて速人の好意にすがることにした。
ダグザは痛みを我慢できない性格だった。
「それでは、頼む」とダグザはブーツを紐を解いた。
速人はダグザに腰を降ろすよう促し、腰の道具袋から塗り薬の入った包みを取り出す。干した葉っぱで作られたつつみから現れたのは薄緑色の軟膏だった。
ダグザが薬に見入っている間に速人はダグザの靴下を脱がしていた。雪近、そしてダグザとエイリークの部下たちは速人を恐れて遠巻きに見守っていた。
エイリークは白目を剥いて気絶したままになっていた。
ダグザの踵は案の定、皮膚が剥けて血が出ていた。靴下が登山用のもので厚地の為に外側から目立たなかったことが悪化の原因かもしれない。速人は水筒から水を出して、傷口を洗浄する。
「あ!!エイリークの魂が空を彷徨っているぞ!!」
「何っ!?」
速人は一瞬の隙をついて剥けた皮を千切った。ダグザは二重のショックを受けて硬直してしまった。
その時、ダグザの脳裏には彼が幼い頃に虫歯を抜かないと約束したのにダグザの虚をついて見事に引っこ抜いた今は亡き父方の祖母の姿がダブって見えた。
(このガキは、私の祖母の生まれ変わりだ。悪魔の手先め)
「少し膿んでいたからな。切ってやったぜ」
「ありがとう。速人君。このお礼(恨み)は君が生きているうちに何倍にして返すよ」
速人は白い歯を見せて笑うとダグザの踵に水をかけた。水の温度には問題が無かったがそれでもすごく痛かった。速人は道具袋から取り出した布で手早く傷口を拭いた。
「痛っ!!??」
「うるさいな、子供じゃあるまいし。大人のくせにだらしない」
その後、ダグザは速人に何かされる度に小さな悲鳴を上げた。
治療が終わるころにはダグザの中で速人は「暗殺したいヤツ」リストのトップに入っていた。
速人は軟膏を塗った後に、幹部に包帯を巻いてダグザの踵を固定する。ダグザが無理をして歩いたせいで左足首から下が打ち身になっていたからだった。
「包帯は明日までつけておいてくれ。寝起きに取ってもいいぞ。さて次は靴の方だな」
そう言って速人はダグザの靴を取り上げる。案の定、ダグザの履いている靴はサイズが少しきつめだった。速人は靴の底を小さな木槌で打った。靴の底を広げて、サイズに余裕を持たせる方法だった。速人は靴の底を左右から数回、木槌でトントンと叩いてから靴の中に手を入れる。見ただけなので加減はわからないが少しばかり広がりすぎてしまったかもしれない。
速人は道具袋の中にある布を使って急ごしらえの中敷を作り、それを靴の底に入れた。
「ちょっと履いてみてくれ」
ダグザは言われるままに靴に足を入れる。
応急手当の手際も悪くは無かったが、靴の修理までやってのけてしまうとは予想外だった。靴を履いたダグザは以前のような痛みや違和感を感じることはなかった。
「良くなったかもしれん。まあ、礼を言っておくよ。ハヤト」
礼を言うことに慣れていないせいか、ダグザは顔を赤くしていた。そんなダグザの様子を見て、雪近とディー、そして彼の部下たちも二人の近くまで戻って来る。
エイリークはまだ口を半開きにして倒れたままだった。
「我々は本隊と合流しようかと思うのだが、一緒に来てくれるか。この足のお礼も兼ねて、君に我々の家族を紹介したい」
速人は波打ち際に捨てられた魚の死骸を見るような目で、アホ面をさらしているエイリークを見ていた。
そして、親指で彼をさした。
「あいつは連れて行かなくてもいいのか?」
ダグザはふう、とため息を吐いた。エイリークはキャラバンの創始者の一人の末裔である。連れて帰らなければなるまい。だが気絶から回復させれば、真っ先に文句を言うだろう。
「俺が起こしてやろうか?」
「頼む」
速人は仰向けに倒れたエイリークの上半身を持ち上げ、左右の肩甲骨近くにあるツボを両方の親指で一気に押した。エイリークはカッと目を開く。そして。
「ぎゃあああああああっ!」
数秒後、情けない悲鳴を上げてエイリークが意識を取り戻した。
エイリークは素早く横転しながら速人と距離を取る。
「小僧。どうやらお前はこの世でもっとも傷つけてはならない男を傷つけてしまったようだな。例え俺が許しても、俺の仲間がお前を許しはしねえぞ。なあ?」
ダグザは氷のような視線でエイリークを一瞥する。
「よし。問題は解決した。さっさと行くぞ」
ダグザたちと速人は足早にキャラバンの本体と合流するために歩き始めていた。エイリークはその場でぎゃあぎゃあと何か叫んでいたが、やがて自分一人が取り残されていることに気がつくと情けない声を出しながら走って追いかけてくるのであった。