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第二十五話 雪近の帰還 「ま。雑魚が一人増えたところでまとめて佃煮にされるだけなんだけどな!」

 次回は1月18日に投稿する予定です。どうも舞台背景の説明と並行して書くとやたらと文章量が増えてしまう傾向があるようです。ごめんなさい。


 ついに誰もが待ち望んだアイツの帰還!


 髷を結った黒い髪に日焼けした健康的な肌。

 鼻は低いが小顔の上に全体の造りが平坦なので野暮ったさは感じさせない、いいとこ二枚目半の顔立ち。 背丈はもとの世界では高い部類に入っていた(※172センチくらい)が、ナインスリーブスでは普通の身長の青年が愛敬のある笑顔を浮かべながら十手を片手に悠々と歩いている。


 もう片方の手には縄が握られ、その先には不貞腐れたような顔をした男が縄で縛られた状態で歩かされていた。


 「キチカ!」


 「キチカ君!」


 ディーとラッキーが下手人を連れて戻って来た雪近を歓迎する。

 アトリとカトリは非常にバツの悪そうな顔で喜色満面の雪近を見ている。しばらくして雪近に遅れてスーツ姿の大男が現れた。


 「ケッ」


 縄で縛られた男は地面に唾を吐いた。


 男の名はアルフォンス、この大市場において一番の古株の商人である。

 かつて酒と賭博で店を失ったが、戦後に大市場を開催する時に経験者が必要になった為にラッキーたちが彼の借金を工面して再び商売をすることになったという来歴を持つ男だった。

 

 この男、本来は肩身の狭い思いをしなければならない身の上なのだが客商売というものを知らないラッキーたちの弱みにつけ入って教授することを引き換えに横柄な振る舞いばかりをしていたのだ。


 実は、今回の事件もアトリたちを相手に口八丁をやらかしたことが主な原因である。

 

 今だに頓珍漢な太々しい態度をとるアルフォンスを、アトリは睨みつけた。


 「おい。オッサン、アンタ何様のつもりだ?」


 「何だ、メスガキ?ブタの仲間のくせに、人間様の言葉を使うんじゃねえよ!」


 アルフォンスはアトリを睨み返した。

 アトリが何かをしようとした時に、隣にいたカトリが石突でアルフォンスの鳩尾を突いた。

 瞬時にして槍の後ろ柄が深々とアルフォンスの腹に刺さっていた。

 

 「ガ八ッ!!…ゴボッッ!!!」

 

 アルフォンスは大げさに咳込みながら、口から泡を吐いていた。

 

 その光景を遠目に見ていた速人の額に冷たい汗が流れる。

 カトリがアルフォンスを突いた気配を察知することが出来なかったのだ。


 (攻撃の”起こり”が見えなかった…ッッ!!)


 手数で相手を圧倒する戦法を得意とする速人にとっては致命的な出来事だった。


 「融合種リンクス風情が、眷属種ジェネシスたるオークに対した口の利きようだな。いいだろう、縄を解け。この場で八つ裂きにしてやる」


 カトリの冷気さえ含む恫喝にアルフォンスの中に残っていた酒精アルコールが抜けきってしまった。


 「なーちんねーちん。下町でも刃物を出すのはマズイってばよお…」


 実妹のアトリでさえ気おくれした様子でカトリに声をかける。カトリはアトリの代わりにアルフォンスの顔をグレイブで殴りつけた。

 アルフォンスは悲鳴を上げることも出来ずに打ち伏せられる。


 「覚えておけ、アトリ。ドレスデ家に楯突いたものは黙らせろ。いくら財を成そうとも、我らはオーク社会においては新参者にすぎぬ。新参者である我らが古豪と対等に渡り合って行くために最も必要なものは何だと思う?」


 ザンッ!!!


 カトリは倒れたアルフォンスの目の前にグレイブの刃を突き刺した。

 アルフォンスのズボンに染みが広がりやがて地面に水溜まりを作った。恐怖のあまりアルフォンスは声を出すことも出来ない。


 速人はお漏らしを片付ける為に、藁とバケツを探しに行った。


 「力だ。成果を示すことに他ならぬ。要するに我らを舐めたやつに生き恥をかかせろ、ということだ」


 カトリはすでにアルフォンスを見てはいなかった。

 彼女はアルフォンスの種族全体に対する侮辱に憤ったわけではない。


 (アトリ、未熟者め。勝者には栄光に浴する権利と敗者から憎まれる義務があると日頃から言っているだろうに…)


 この時カトリは妹アトリの覚悟が決まっていないことに腹を立てたのだ。


 「りょ、りょーかいっす。ねーちん」


 アトリは姉の顔色を伺いながら頭を振る。

 正直、背筋を流れる汗がやたらと冷たく感じられた。

 アトリはカトリの怒りの矛先が最初から自分に向けられていることを理解していた。


 今現在第十六都市の”上層”と”下層”の住人の経済格差は決定的なものとなっていた。

 ”下層”の住人は”上層”の住人の決定に従う代わりに”上層”の人間は”下層”の出来事に干渉しないという暗黙の了解のもとに保たれてきた秩序を”上層”の側の人間が一方的に破ってきたような状況だった。

 向こうから反感を買うことは、或いは衝突するかもしれないということは想定済みだったはずなのだ。


 アトリ自身も覚悟が足りなかったと思う。

 アトリはこういった部分がドレスデ商会(じっか)の現会長である母や姉に及ばぬところなのだろうと反省していた。


 カトリはため息をついた後に、反省した様子のアトリから視線を外す。


 その間、店内の肉の運搬作業は進み残すところはある程度切り分けられた加工済みの食肉と加工した際に生じた細切れ肉と変色してしまった為に廃棄したクズ肉のみになっていた。

 

 カトリは店頭に並べてある肉をじっと見つめる。


 (駄目だ。やはり全くわからん。肉など、どれも同じように見えてしまう。親父殿ならば何か良い考えが思いつくのだろうが、私にはそういった才が無い。皮肉なものだ)


 カトリは何かを諦めたような顔つきになり視線を外してしまった。


 カトリとアトリの様子が落ち着いたところを見計らって、アルフォンスの追跡に向かっていたドレスデ家の使用人の一人が現れた。

 黒のスーツの上からでもそれとなくわかる筋肉質の偉丈夫である。


 「アトリお嬢様、カトリお嬢様。アルフォンスという男に渡した前金に関する報告をしてもよろしいですか?」


 男は二人の前で深々と頭を下げる。


 「ヘムレンか。ここに長居しても我らに利益は無い。早く済ませろ」


 カトリは形の良い眉を寄せながらヘムレンの報告を待った。

 

 その間、速人はアルフォンスの汚れた下着を脱がせてから着替えをさせていた。

 アルフォンスは喉元にナイフを当てられているので助けを求めることも出来ない。

 速人は隙あらば逃れようとするアルフォンスの頬をナイフの先でチクチクと刺した。

 アルフォンスは絶望の涙を流し、口をパクパクさせながらフルチン姿を衆目に晒されることになった。


 もちろん一部始終を見ていたラッキーやディーも助けに行くことは出来なかった。


 「実はアルフォンスという男に渡した前金200万QP(※クォリティポイント、ナインスリーブスの通貨の一つ。1QP = 1円くらい)のうち、20万QPは既に使われていたので180万QPしか回収することが出来ませんでした。大市場の運営本部に賠償金を請求して回収することも可能ですが、いかがいたしましょうか?」


 アトリは露骨な蔑みの視線をアルフォンスに向ける。

 ヘムレンもアルフォンスという男の意地汚い性根に心底愛想を尽かし、アトリ同様の蔑みの視線を向けた。

 

 そして、視線の先には服を脱がされ簀巻にされたアルフォンスが転がっていた。


 (もう俺に失うものは何一つない…)


 アルフォンスは白目のまま涙を流している。


 「何だ!こりゃあ!何がどうしてこうなった!」


 アトリは変わり果てたアルフォンスの姿を見て、思わず叫んだ。

 それもそのはずである。

 ほんの少し前までは、カトリに打ちのめされて気絶していたはずの男がいつの間にか簀巻にされていたら誰だって驚くはずだ。


 カトリも遅れてアルフォンスに視線を移す。

 その頃には簀巻にされたアルフォンスは縄で縛られた状態で吊るし肉よろしく逆さづりにされていた。

 

 アトリたちの視線の先にいる速人は勢い良くレバーを回す。

 キコキコキコ、と音を立てながら滑車が縄を巻き取り、アルフォンスの逆さ吊りが完成した。


 「かつて映画「ロッキー2」において王者ロッキー・バルボアは吊るされた冷凍肉をサンドバックの代わりにして己のパンチを鍛えたという。さて。お前は何発、耐えられるかな?」


 速人は蓑虫のように吊るされたアルフォンスの身体に触れる。

 身体が前後に揺れた直後、アルフォンスは意識を取り戻してしまった。


 バシュウッ!!その刹那、速人の鋭いボディアッパーがアルフォンスに突き刺さった。


 アルフォンスは身体を”く”の字に曲げて激しく呻く。

 綿とタオルで塞がれた口では悲鳴はおろか助けを求めることさえ出来ない。


 アトリとヘムレンは目の前で繰り広げられる凄惨な出来事に理解が追いつかず、ただ見守るばかりであった。


 「止めんか!!」


 ラッキーが速人の後頭部を張り飛ばした。

 速人は心外そうな視線をラッキーに向ける。

 ラッキーは「暴力をふるってはいけない」、「他人を逆さに吊るしてはいけない」と説教を始める。

 その間、意識を失ったアルフォンスは雪近とディーによって救出された。


 「この度は…迷惑をおかけしてすいませんでした!」


 速人がアトリたちに向かって深々と頭を下げる。

 隣のラッキーたちも速人同様に頭を下げた。アトリは憮然とした表情で速人たちの姿を見ていた。


 「百歩譲って、お前らの謝罪を受け入れたとしてあのアルフォンスとかいうおっさんが使っちまった前金はどうしてくれるんだよ!」


 「それにつきましては私が責任をもって支払います。ですから何卒、運営本部の方に行くのは勘弁してください!この通りですッ!!」


 ラッキーはさらに頭を深く下げた。

 もしもアトリたちが大市場の運営本部に押しかければ必要以上に騒ぎが大きくなる可能性がある。

 最悪、組織が分裂してしまえばそれこそ元も子もないというものだ。

 不幸中の幸いか。アルフォンスが使い込んだ金額は20万QP、ラッキーの貯金で支払える金額である。 

 だが二人の話をおとなしく聞いていた速人の様相が急変した。


 (ラッキーさん!悪手マズイだ!それは途方もない失策だ!)


 事実、ラッキーの懇願を聞いたアトリはその端正な横顔に邪悪な微笑を浮かべている。


 カトリの方は妹の変化の原因に気がついていない様子で、遠巻きに様子を見ていた。


 「ぃよおしッ!!その言葉、待ってた!!交渉成立だっ!!」


 「その取引、待った!!異議アリだ!!」


 アトリと速人は同時に声を上げる。

 アトリはラッキーの意見に同意する為に、速人はラッキーとアトリの合意に反対する為に。


 それは例えるならばミツルギ検事とナルホドウ弁護士の法廷現場さながらである。


 「異議なんか認めるわけねえだろ?部外者は黙ってな!!ハッハァーッ!!」


 アトリは犬歯をむき出しにして鼻息を荒くしながら、アメリカの白人のように中指を立てる。

 どうやらアトリはミツルギ検事ではなくゼニトラの方だったようだ。


 (しまった!!俺は事件の当事者ではない為に、これ以上何も言うことが出来ない…)


 速人はアトリに指先を突きつけられ硬直してしまったが、カトリは速人の異論を認めた。


 「構わん。おめでたい顔のチビすけの話を聞いてやれ。アトリ」


 カトリは威圧たっぷりに語調を強めながらアトリに告げた。


 「ねーちんがそう言うならお情けで聞いてやんよ。おめでたい顔のやつ」


 おめでたい顔。


 そう呼ばれる度に速人の顔面の筋肉が引きつった。

 どうやらオーク族の間では速人のブタ面がおめでたいものとして目に映っているらしい。


 「まず最初にアトリさんだったか。アンタがアルフォンスに前金を渡して、アルフォンスはそれを受け取った。それでいいか?」


 「ああ。アタイは、この大市場の精肉業者組合の代表のアルフォンスに代金とは別に200万QPを渡した。肉の代金は購入した時に別途で支払うつもりだから安心しな」


 アトリから話を聞いた速人はその場で膝をついてしまった。


 アトリは勝ち誇ったような顔をしている。


 しかし当事者であるはずのラッキーやディー、雪近たちは事態の深刻さが理解出来ずに「それの何がいけないの?」というような顔をしている。


 「速人、俺から質問だけどアトリお嬢さんの言うことにどんな問題があるってんだ?真っ当な話じゃねえかよ」


 早速、雪近が思ったままのことを聞いてきた。


 速人は疲れ切った顔で雪近の質問に答える。


 「第十六都市の都市条例の一つに”上層の市民から下層の市民に対して取引を持ち掛けてはいけない”というものがある。だがこの法律には抜け穴があって”下層の市民の側から上層の市民に対して支援を要請することができる”というものがあるんだがな。つまりこの場合はアルフォンスは自分からアトリたちに大市場で商売をする権利を認めたことになるんだ」


 ディーがひょっこりと顔を出しながら質問する。

 そばにいるラッキーも事情をよくわかっていない様子である。


 これだけでも速人の疲労は増していた。


 「それの何がいけないの?大市場って誰でも、好きな時にお買い物が出来る場所だって速人が言ってたじゃない」


 「下の立場の人間にとっては公平な扱いを受けられるわけだから、いいことずくめかもしれない。だがこの場合は上の立場の人間が介入してくるわけだからそうはいかない。例えばエイリークの家にカップケーキが四個あったとして、果たしてアインはカップケーキが何個食べられると思う?」


 「はっはっは。簡単な話だな、エイルとマギーはもう大人だからな要らないっていうかもしれないぞ。それにレミーもお年頃だし一つでいいっていうかもしれない。そうか上手くいけば四個ともアインのおやつになってしまうんじゃないかな?」


 ラッキーは人差し指を立て、快活そうに応える。

 しかし雪近、ディー、速人は絞首刑台の前に立たされた死刑囚のように暗い顔つきになっていた。


 (それは絶対に無い) × 3


 「エイリークの旦那と女将さんとレミーは自分の一個ずつ分を確保するとして…残りの一つを巡って血を血で洗う抗争が始まるだけだな」


 「雪近、正解だ。単純に資産を比較しても下層の人間と上層の人間ではエイリークとアインの戦闘力くらいの差がある(例.ダークドレアム 対 スライム)。もしエイリークが三人のアインを相手にわがままを言ったとしても、アインの力ではエイリークを止めることは出来ないだろう…」


 「そうか。俺わかったような気がするよ。だからアインは普段おやつを食べる時は誰もいないところを探しているんだよね。つまり今回の場合に当てはめると…、アインの方から「お父さん、今日は僕のおやつ少しだけなら食べていいよ」って言っちゃったってこと?うわ!大変だ。全部エイリークさんに取られちゃうって!」


 「ディー君。その辺の話、後でいいからちょっとおじさんにくわしく話してくれないか?」


 いつの間にかディーと雪近の隣には据わった目つきのラッキーがいた。

 二人は渇いた笑顔でおずおずと普段のエイリークの話をした。

 話が終わった後、ラッキーの顔は木彫りの人形のように冷たいものになっていた。


 この騒動の後エイリークの家にラッキーさんがやって来てエイリークさんは滅茶苦茶怒られましたとさ。


 そして舞台は再び、大市場に戻る。

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